別れ

「そういえば、結芽は今日何買うの?」


「ん~とね、お洋服! かわいいのが欲しいんだ~」


 今日は結芽と一緒に買い物に出かけている。結芽と友達になって三年。結芽に助けられたあの日。初めて私を助けて死ななかった結芽。それが転換点となったのか、相変わらず危機は襲ってくるけれど、誰も、私を助けても死ななかった。


 そのたびに、結芽に対する感謝が募っていく。結芽は私の恩人だ。どれだけ感謝しても仕切れないほどの。だから私は、結芽が望むことは何だってしてあげたい。でも、私たちは〝友達〟だから、対等だから、この思いを結芽に伝えることはできない。あの日の決意を、守るためにも。


「凛音ちゃんは? 誘っててなんだけど、何か買うの?」


 そんなことを考えていたら、結芽が聞いてきた。


「……私も洋服買おうかな」


「ほんと⁉ じゃあ、お揃いにしようよ! お揃い!」


「うん、いいね。お揃いにしよ」


「やった! じゃあ早く行こ!」


 そう言って駆け出していく結芽。


「待って、結芽は足が速いんだから! もう!」


 私も慌てて駆け出して、結芽がいる横断歩道まで走っていく。


「もう、凛音ちゃんも少しは運動したほうがいいよ?」


「はぁ……はぁ…………結芽が動け過ぎるだけだから……」


 相も変わらず運動のできる結芽は、自分基準で考えるんだから。私も人並みには運動できるわよ。


「あっ! 青になった! 行こっ、凛音ちゃん!」


「はいはい……まったく、結芽はこれだから…………って、走るな! 待ちなさい!」


 横断歩道を勢い良く駆け抜けていく結芽。そんな結芽を、私も急いで追いかける。そのときだった――。



 ――――執行、開始。



 耳に、大きなエンジン音が轟いたのは。


「ッ…………結芽! 危ない! 逃げて!」


「えっ? …………ッッッ!」


 結芽が弾き飛ばされた。そんな光景を私は、呆然と、ただ見ていることしかできなかった。周囲が慌ただしくしている声も、何もかも、全ての音が、私の耳に届かない。呼吸が浅くなる。耳鳴りがしてきた。心臓が激しく鼓動して、ドクドクと、振動が全身に伝わっていく。視界もぶれて、何も、何も――――。



 ――――グシャッ!



 隣から、肉が潰れるような、そんな生々しい音が響く。ゆっくりと、恐怖が私の頭を動かしていく。見たくない。でも、体が言うことを聞かない。視界に、肉が見えた。それはもう、人ではなかった。でも、それでも、その肉に纏わりつく布が、服が、さっきまで結芽が着ていたものと、重なる。そして、ひとつの麦わら帽子が、風

に揺られながら、肉に、結芽に、落ちてきた。


「あぁ…………あ、あ…………あああぁぁぁあぁっぁぁぁああぁ! 結芽! 結芽!」


返事がない。反応もない。何もない。音も、動きも、何もかも。ゆっくりと近づい

ていく。制御できない体に任せて、結芽に近づいていく。顔がある。目が、口が、鼻が、耳が、無事だ。無事だ。よかった。


「結芽だ。ちゃんと結芽だ。ははハ…………」


あぁ、また、まただ。また助けられなかった。結局は死んじゃうんだ。私を助けた人は。死にゆく運命なんだ。そういう運命なんだ。死にたい…………。


「死にたい…………」


 耳に、エンジン音が届いた。聞こえてきた方向を向くと、ハンドルに倒れこんだ運転手が見える。


「ようやく…………迎えが来たんだ」


 私はその車が走ってくる道に立ち、手を広げて迎える。これでようやく、ようやく――――。


「危ない!」


 衝突音がする。倒れこんだ私の目に、また新しい――死体が、映った。私じゃない。私を助けた人が、また死んだ。ああ、まだ――。


「死ねないのか…………」


 そこで私の意識は消えていった。そのとき最後に視界に映ったのは、黒いローブを纏った、大きな鎌を持つ――死神だった。



————―――――――――――――――――――――――――――――――――



 濁ったような白色の空間。そこでぷかぷかと漂っている。意識は浅く、朦朧としていて、今にも眠りそうなほど。


「起きろ」


 そんな空間に響いたひとつの声。その声に反応するようにして、ひとりの少女――天野結芽の意識は、覚醒した。



 目の前に広がるのは、青々とした草原。所々に色鮮やかな花も見え、とても美しい。空気もおいしく、とても澄んでいる。その草原にある一本の木。その木陰に、白色のワンピースと麦わら帽子を被った少女が居た。


「生き、てる…………でも、ここは……知らない、景色。…………きれい」


「ほっほっほっ、そうでしょう。ここは儂のお気に入りですからな」


 突然聞こえた声に、結芽は驚いた。自分の横に、いつの間にか老人が立っていたのだ。


「えっ、と…………貴方は、誰ですか?」


「おっと、これは失敬失敬。儂は創造神。初めまして、原初の龍よ」


「創造神…………神様、なんですか? それに原初の龍って、私は天野結芽ですけど…………」


 創造神と名乗る老人。彼は彼女を、原初の龍と呼んだ。


「貴方様が分からないのは、仕方のないことです。貴方様には今、その時の記録が抹消されておりますからな」


「記録…………それに抹消なんて…………いえ、それでも私は、原初の龍なんかじゃありません。私は、天野結芽です」


 老人が説明しようと、彼女は頑なに信じようとしない。無理もないだろう。突然、貴方は原初の龍などと言われれば、記録が抹消されていようと、天野結芽という自分があるのだから。


「それでは、ついて来てください。貴方様の記録が収められている禁忌書庫がありますので。そこに行きましょう」


 そう言って歩き出す老人。どこに行くのかと思えば、ゲートのようなものを開いて、そこに入っていった。彼女も、零信全疑ながらも、老人の入っていったゲートを潜っていった。



「わぁ…………!」


 そこは、大量の本が収められた巨大な空間だった。本を収めた棚が宙に浮き、規則的に動いている。老人はもっと先におり、彼女は慌てて、老人の後を追った。


 老人は、ゲートを潜って行った先の、金属扉の前に立っていた。


「来ましたか。この扉の先が、禁忌書庫です」


「えっと、ここは……?」


「ここはただの記録庫です。アカシックレコードに記された何の変哲もない記録を収めています。ですが、禁忌書庫には、貴方様――原初の龍などの、その記録自体が危険なものが収められております。では、開けますぞ」


 そう説明した老人は、いつの間にか手にしていた鍵をつかって、禁忌書庫の扉を開けた。そして、その扉の先には、鎖に繋がれた、複数の本が安置されていた。


「やはりこの部屋に繋がりましたか」


「やはりって……どういうことですか?」


「この部屋は本来、禁忌書庫の最深部にある部屋のひとつなのです」


「じゃあ、なんで最初にこの部屋に……?」


「この部屋には、貴方様――原初の龍の記録を収めているのです。それが貴方様の魂と共鳴し、この部屋に繋がったのです」


「えっ…………そう、言われても……」


「まぁまぁ落ち着いてください。この記録を取り込めば分かることです」


「取り込む……? どうやって…………」


「それは、――食べることです」


「た、食べるッ⁉ この本をですか⁉」


 突然意味の分からないことをいいだした老人に、彼女は驚いた。


「ええ。まぁ食べるといっても、鍵となる歯形を合わせるだけですが」


「そうなんですか……?」


「ええ。では、取り込む記録を選別します」


「選別? すべてじゃないんですか?」


「ええ。この記録をすべて取り込むことは、現状の貴方様には不可能です」


「どういうことですか……?」


「貴方様の魂は今、本体から分離したものなのです。その魂に、すべての記録を取り

込ませたら、魂自体に罅が入ってしまいます。それを避けるため、記録の選別が必要なのです」


 老人は彼女に説明しながら、鎖に繋がれた複数の本から勝手にページが抜けていくのを眺めていた。そして、最後には老人の手に一冊の本があった。


「出来ましたな。では、これをどうぞ」


 彼女は老人から本を受け取り、逡巡しながらも、勢い良く本に、噛み付いた。



 ――ドクンッ!



 彼女の心臓が大きく鼓動する。本が粒子となり、彼女へと吸収されていく。粒子は彼女へと吸収されながら、ひとつの幻影を魅せてくれた。そして粒子の吸収が終わると、彼女は空虚な瞳を湛え、倒れこんだ。

 

 その空虚な瞳の奥で見る原初の龍の記録。それが彼女をどのように変貌させるのか。まだ、誰も、






 ————神をもってしても、解らない。

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【短編】三年後、君は死ぬ。 霞 玉兎/Kasumi Gyokuto @66dunst6mo4n9d1ir7re13

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