5年後編 「横浜スタディルーム」

横浜駅の西口から少し歩いた先に、小さなビルの2階に看板が出ていた。

「横浜スタディルーム 田嶋拓人」

 ドアを開けると、明るい白壁の教室と数脚の机、そして本棚に並ぶ参考書。

 ここはタクトが5年の歳月をかけて作り上げた、自分だけの家庭教師事務所だった。


 大学を卒業後、タクトは教育関係の企業に勤めながら経験を積んだ。

 そして25歳の春、自分の名前を掲げた場所を持つことを決意したのだ。

 教え方はシンプルだが、情熱があった。

 口コミで評判が広がり、生徒も少しずつ増えていった。


 授業が終わると、タクトはノートに一言メモを書く習慣を続けていた。

 《今日の“できた”は5回。次は6回を目指そう》

 それはかつて、きょうこが与えてくれたスタイルだった。


 その夜。

 事務所の照明を落とし、窓の外に広がる街を眺めていると、控えめなノックが響いた。

「まだ仕事してるの?」

 入ってきたのは、変わらぬ落ち着きを纏ったきょうこだった。

 42歳だった彼女も、今は47歳。

 年齢を重ねたその姿は、不思議と若々しく、むしろ頼もしさを増していた。


「今日も生徒の顔が輝いてたでしょ?」

「はい。あの“わかった!”の瞬間を見ると……疲れなんて吹き飛びます」

「それが、この仕事の一番の魔法だよね」

 二人は窓辺に並んで座り、夜景に溶けるように微笑み合った。


 港の方角には、かつて二人で眺めた観覧車の灯りが今も回っている。

 あの日の約束が、いま現実に続いていることを、二人は静かに確かめ合った。


「タクトくん。もう“先生”って呼ぶの、私だけになっちゃったね」

「でも、僕にとっての先生は、きょうこさんだけです」

 その言葉に、彼女は頬を赤らめながらも目を逸らさず、タクトの手を取った。


 5年前、禁断の恋はただの痛みにもなり得た。

 けれど努力と時間が、二人の関係を“禁断”から“未来”へと変えた。

 教室に残るノートのページには、まだ書き込みの余白がある。

 その余白に、二人はこれからも物語を綴っていくのだろう。

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横浜ブルー・ノート はらいず @HRIZ_Daimajin

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