祖父の温もり

神城月花

火葬場

 私は昔から火葬場が苦手だった。


 火葬場はなんとも言えない匂いがする。現実的に考えれば人の肉が焼ける匂いなんだろうが、骨しか残らないほど焼くもんだから焦げ臭いとかいうものではない。

 そこから逃げ出さないといけないという焦燥感に駆られる焦げ臭さではなく、ふんわりと誘われているようなそこにいてもいいんだと思えるような、不思議な匂いだった。

 火葬の場合、人の形を保った体が最後にたどり着く場所なのだから、確かに迎えられて当然なのだろうと最近は思うようになった。

 私の行く火葬場は揃いも揃って四方を山に囲まれた場所にあった。まぁ、それは当然のことだろう。逆に市街地にあったら毎日「焼ける匂いがする」などと消防署に通報が入るだろうから。


 そんなことを思っている私は今だに死を受け入れることができていないのだろうか。

 先日、祖父が亡くなった。

 記憶のない通夜と葬式を行った葬式会場を背に、私は火葬場行きのバスに乗っていた。


 火葬場にたどり着くと、最初に通されるのは霊安室だ。

 そこは20人も入れないような小さな個室で、中央に棺が置かれ、その周りを参列者が囲む。入れない参加者の列が扉の向こうまで続いていた。

 葬儀を執り行ってくれる坊さん曰く「ここが最後のお別れの場所です」だそうだ。

 坊さんが読経している間に焼香をして、最後のお別れをする。

 最後のお別れ、と言われてもこっちは出棺前に散々泣いて別れを告げたもので、初めての葬式に参列した時に「出棺の時に『最後のお別れ』って言ったじゃん」と衝撃を受けて坊さんに内心八つ当たりした記憶がある。

 ここ数日、棺の中の祖父とまともに顔を合わせた記憶がない。つい先ほど、出棺前の別れで花を詰めた時に顔を合わせたはずなのに、花を入れたという記憶以外すっぽり抜けてしまっていた。

 棺の中の祖父は青白い顔をしている。血が通っていないのと、死化粧をしているからだ。

 母と祖母がボソッと「綺麗な顔しとる」とこぼした。

 確かに綺麗な顔だ。綺麗な顔すぎて私には今にも目を開けて体を起こしそうな生者にしか見えない。この人を死者として扱う周りが逆に怖いと思うほどに。

 火葬場の職員が声をかけようとした直前に、祖母は我慢ができなかったという様子で泣き崩れた。

 母も祖母の肩を支えながら一緒に泣き崩れた。

 それを皮切りに参列者の中からもぐすんと涙ぐむ声が聞こえ始めた。

 職員はしばらく何も言わず、坊さんもただただ読経を続けていた。

 私はというと前日の葬式で泣きつかれたためか、一筋涙を流した後、大声をあげて泣き崩れることはなかった。

 慌てて父が母と祖母の元に駆けつけるのを見て、私は壁際に寄った。

 名前も知らないおばさんが「さっちゃん、もうちょっと近づきなさいな。お爺ちゃんに最後に顔を見せてあげなぁ」と言っても、首を振ってその場から動かなかった。

 祖父は最初の孫である私を大層可愛がってくれた。最後は認知症で下の従兄弟たちすらほとんど認識していなかったが、かろうじて私のことは認識して声をかけてくれた。

 だから、私は恵まれているのだ。下の子達と比べれば。

 一番下の2歳の子なんてお互いに記憶などないだろうに、周りに同調して一緒に泣き声をあげている。

 祖父は私の顔なんて飽きるほど見慣れている。だから、最後に下の子たちの顔を見せて、覚えて行ってくれればいい。

 何か達観した気持ちで立っていると、職員がついに祖母たちに声をかけた。

 祖父の棺が乗った台座をゆっくりと奥に連れいていく。

 ついに火葬されるのだ。

 台座が焼却炉に入るのを見送った。

 焼却炉の横には点火スイッチがついている。

 正確に言えば『点火してください、解除してくださいと炉を操作する職員に合図するボタン』であり、ボタンを押せば点火するわけではない。

 それでも、そのボタンを押せば永遠に故人を見ることはできなくなるわけだ。押せない遺族も多いだろう。

 直前の祖母を見たからか、そのボタンに手をかけたのは職員だった。

 職員の合図とともに合掌をして、ボタンが押されるのを見た。

 焼却炉から急激に何かのスイッチが入って温度が上がっていく高音が聞こえた。

 少しだけそれを眺めた後、職員の指示で控室に案内される。

 祖母と母と母の兄妹たちが遺灰やら遺影やらを持って先に移動して行った。私はしばらくそこに立ちつくしていた。

 最後尾のおばさんが私の肩を叩いた。

「さっちゃん、移動しようか」

 そのおばさんに誘導されるまま私は控室に向かった。


 控室では昼食が振舞われた。

 大きなお重に色々なものが入っている。生魚が好きだった私に父は優先的に刺身を分けてくれた。取り分けた後、父は祖母と母とともに会食を辞退した坊さんに御膳料とお車代を渡しに行ってしまった。

 目の前の皿の上の魚にポカンとして手をつけないでいると、叔父が「食べなさい」と一言だけ言った。

 その言葉で私はやっと目の前のものが食べ物であると認識できた。割り箸を割ってマグロを口に含んだ。

 美味しかった。

 ちゃんと味を感じられた。

 食べ始めた私を見て安心したのか、叔父は自分の子供の好き嫌いを叱っていた。

 それを見て私は祖父が夏になるとどこからともなくかき氷機を出してきては、かき氷を作ってくれたのを思い出した。

 なぜか従兄弟には内緒で、私一人の時にだけかき氷を作ってくれた。

 相当、甘やかしてくれたのだと思う。

 あのペンギンの形をしたかき氷機はどこへ行ってしまったのだろうか。

 祖父への思いに耽っていると、いつのまにか目の前の刺身を平らげていた。

 あの美味しそうなマグロを食べた記憶がない。

 だが、それ以上食べる気も起きなかった。

 祖父とは食べ物の思い出がたくさんあった。

 饅頭を買ってきてくれたり、アイスを買いに行ったり。庭になっている金柑も食べたことがあったっけ。

 お残しを許さない人だったので、苦い金柑を頑張って頬張った記憶がある。

 部屋の隅で私は祖父の入れてくれた茶葉と同じ緑茶を飲みながら、祖父との思い出に一人耽っていた。


 しばらくするとスピーカが音を鳴らす。

 火葬が終了した合図だった。

 遺族たちはゾロゾロと移動し始める。

 行き先は分骨室だ。

 分骨室は霊安室よりも少し広く、霊安室では入ることのできなかった親族がみんな入ることができた。

 中央には台座があり、骨が横たわっている。

 職員の骨の説明があったが、それは左耳から右耳に流れて行った。

 入り口は開けてあるはずなのに、あの不思議な匂いが部屋中に充満していて気持ち悪かった。吐き気を催した。

 骨は職員が褒めるほど立派に残っていた。大きな割れ目は頭蓋骨くらいで、確かに残りの骨で骨格標本が作れるだろうなどと思うほどには綺麗だった。

 ただ、大柄だった祖父の骨があの高さ30cm程度の骨壷に入らないだろう、と思っていると職員は静かに私の前を通り、足の骨を折った。

 驚きすぎて先程催した吐き気のままに刺身が口から出るかと思った。

 そんなことしていいんだ、と若干引きかけた。その直後に、まぁ入り切らないなら折るしかないか、と納得した。

 職員さんの指示で一般生活で見ない太く大きな箸を持つ。骨壷に入れるときは一つの骨を二人で掴まなければならない。色々理由はあるらしいが、一種の作業だと思ってあまり考えないようにしていた。

 私の相手は名前もよく知らないおじさんだった。親戚筋であることは確かだが、私の記憶には一切ない。

 二人でゆっくりと骨壷に骨を入れる。コツンと音がなれば、後ろに控えていたこれまた名前の知らないおばさんに箸を渡した。

 そして逃げるように分骨室から抜け出した。

 偶々近くにあったベンチに駆け寄り、フーと一息吐いた。

 吐き気がひどかった。今まで何度か葬式に参列したことはあったが、ここまで体調を崩したのは初めてだった。

 よりにもよって名前の知らない親戚ではなくて、誰よりも可愛がってくれた祖父から逃げ出すなんて。

 自己嫌悪に落ちた私の隣に誰かが座った。

 叔父だった。

 叔父とはあの日も一緒に座った。



 あの日、私は遠方に住む祖父に会いに行った。

 祖父は長い間認知症で入院をしていたが、この前カゼを拗らせてしまってから自分で食事をすることすらままならなくなってしまったらしい。

 私は母と二人で長期休みを利用して祖父に別れを告げに行った。

 集中治療室に近いような隔離された場所の一室に祖父はいた。

 骨が浮き出るほど細い腕は点滴に繋がれ、顔には太いチューブがつながっていた。

 母は祖父とは折り合いが悪く、祖父についてよく言ったことは少なかったと思う。

 そんな母が目尻に涙を溜めながら祖父のそばに近づき「父さん、娘だよ」と声をかけた。

 祖父は少し「あ」と声を出したが、それ以上何も言わなかった。

 祖母が「あなた、娘が遠いところから来てくれましたよ」というと、また「あ」と声を出した。そのあとは言葉に起こせないほど小さく唸っていたと思う。

 少し母が話したあと、私のことを呼び寄せた。

「ほら、じーちゃんに話しかけてごらん」と母が言った。

「じーちゃん」

 私が呼んだ時、祖父は反応しただろうか。記憶が一切なかったが、祖父の行動に酷く失望したのを覚えている。

 私を母と間違えただろうか、それとも何も返さなかっただろうか。

 とにかく私は酷くショックを受け、首を振ってそれ以上祖父と話さなかった。

 逃げ出すように病室から飛び出し、近くの椅子に座った。

 そして叔父が隣に座った。

 叔父とはそこまで仲が悪いわけではないが、仲が良いわけでもない。

 何も言えずにいると叔父が「ちゃんとお別れ言ってきたか」と言った。

 私は「うん」と首を縦に振った。

「そうか」と叔父が返した。

 そのあと、会話は続かなかった。

 叔父はまっすぐ病室の方を見つめていた。叔父はまっすぐ真剣な表情だったが、どこか哀愁を纏っていた気がする。

 叔父はすぐ近くに住んでいたので、既に別れはいったのか、それとも危篤になったら駆けつけて言うのか。

 そこら辺はよく分からなかったが、私は叔父とも祖父とも目を合わせられずただ下を向いていた。



 隣に座った叔父はあの日の続きかのように無言で何も喋らなかった。

 今の私にはかえって都合が良かった。吐き気で喋ればすぐにでも戻してしまいそうだったからだ。

 喉まで出かかっているように思えるのに、それ以上が出てこない。

 逆に全部出せてしまった方がいいのに。

 そう思っていると分骨室から人がでてきた。

 二歳になる従兄弟とその母親だった。

 従兄弟はキョロキョロと周りを見渡したあと、こちらを見つけると笑顔で走ってきた。

「さったーん」

『さっちゃん』と言いたいのだろうが言えていない。可愛らしい光景に思わず笑みが溢れた。数日ぶりの笑みな気がする。

 駆け寄ってきた従兄弟を抱き上げようとした瞬間、横からニュッと手が伸び、叔父が従兄弟を抱き上げた。

「みーちゃん、大きくなったなぁ」

 みーちゃんと呼ばれた従兄弟はキャッキャと笑った。

 みーちゃんは叔父の子供ではなく、叔母の子供なのだ。

 みーちゃんからすれば知らないおじさんに近い叔父に抱っこされているわけだが、そんなこと気にしていないようでニコニコと笑っている。

 案外、相手が誰であろうがこの子は笑うことができるし、泣くこともできるかもしれない。

 叔父に横取りされ、目的を失った腕を未練ありげにゆらゆらとさせていると、分骨室から父が顔を出して、こっちにおいでとジェスチャーをした。

 それを見て私たちは分骨室に戻った。

 不思議なことに分骨室に戻った時にはあの匂いが薄くなっていて、私の吐き気もおさまっていた。

 目の前の台座に寝ていた骨格標本はほとんどなくなっており、目立つところでわかるのは頭蓋骨が多く残っているな、ということくらいだった。

 以外とあの小さな骨壷に大柄な祖父が入るんだな、と少し感心した。

 最後に職員が骨壷を閉め、箱に入れて祖母に渡した。

 祖母は少し泣き出すかのそぶりを見せたが、それ以上泣かなかった。

 職員に案内され、分骨室から施設の入り口を目指す。

 そして施設の入り口の手前で待つことになった。

 どうやらバスが他の家族を運んでいる最中らしく、10分ほど遅れるらしい。

 いつの間にか祖母から骨壷を受け取っている母がこちらに近づいてくるのが見えた。

「少し持っておいて」

 母はそう言って、私に骨壷を差し出した。

「少しだけ重いから気をつけてね」と言われた通り、骨壷は少し重かった。

 そしてまだ温かかった。

 なぜか周りに人はおらず、私は集団の中でポツンと立っていた。

 母はお手洗いに行き、父も祖母も斎場に帰った後の話をしている。何ができるわけもなく、私はポカンと秋空を眺めていた。

 四方を山に囲まれ、それを仕分けるかのように飛行機雲が真っ直ぐ伸びていた。

 あぁ明日は雨になるかなぁ、とか思っているうちに母が帰ってきて骨壷を持って行ってしまった。

 腕の中にまだ生温かい感覚が残っていて、それが祖父との最後の思い出になった。



 斎場へ帰る途中、バスは少し遠回りをした。

 道路の脇が金木犀と紅葉で囲まれた綺麗な自然のトンネルだった。

 下の従兄弟たちが釘付けになっていて、「綺麗だね」と言っていた。

 私は静かに窓の外を見たあと、すぐに視線をずらした。

 頭の中で祖母の「綺麗に残っとる」という言葉が反芻したからだった。

「うん、綺麗な気がする」

 やっと私は数刻前の祖母に同調すると、隣の従兄弟と一緒に窓の外を見た。

「さっちゃん、おじーちゃんところの紅葉綺麗だね」

 今年、小学生になった従兄弟が言った。

 これが彼女の祖父に関する最後の思い出になるんだろう。

「うん、綺麗だね」

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