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スクールカウンセラーの下江さんへ

下枝さん、こんにちは


本当にこの日が来るのを心待ちにしていました。5月24日からずっと、今日のことを考えない日はなかったと思います。ようやく、胸の内に抱えてきたことをすべてお話しできる日が来ました。今日のご相談は、これまでの人間関係の話とは異なり、私のもっと深い、個人的なことについてです。これから、私の一方的な話になることを許してください。


私は幼稚園の頃から、夜、ベッドの中で自分が暴行されたり、人間としての尊厳を踏みにじられる妄想をしてしまう癖がありました。中学生になって少し落ち着いたように思います。それでも受験期など、精神的に負担のかかる時期はよくしていました。高校2年生になり、特にこの1ヶ月ほど、その妄想が強くぶり返しています。こういった妄想は苦痛を伴うように思えるかもしれません。ですが私は苦痛と同時に、特に夜に妄想しているとき、体で言う「子宮」のあたりに強烈な快感を感じることがあります。

「このような反応を自分なりに考えてみると、きっと幼い私が処理しきれなかった強烈な感情を、妄想という安全な空間で再体験し、心を守ろうとした結果ではないかと感じています。」

「私は、これが私の心の防衛の一種であり、深い傷の名残なのだと思っています。」

「小学生の頃には『王子と乞食』や『家なき子』といった本に惹かれ、惨めな境遇の中にいる主人公たちに強い共感を覚えました。こうした物語を通して、自分の心の奥底の感情が動かされていたのだと思います。」


私は何回も練習した告白の文章を読みながら頻繁に腕の瘡蓋を剥がそうとしていた。下枝先生は熱心に聞いているのか、私の話を塞ぐほど何回も大きく「うんうんうーんうん」と首を振っていた。瘡蓋の中の組織液と薄桃色の表皮が現れ、窓から指す光によってなお一層その光沢を放っていた。1ヶ月間毎日を指折り数えながら待ち続けてきた時間は、26分という短い時間で終わりを迎えた。


幼稚園児の頃から始まったこの妄想は、はじめは健全で、皆がするような空想に浸っては授業中の退屈しのぎに利用していた。にも関わらず、月日が経つにつれてそれは空想ではなく異常な妄想に変わっていったことが、幼かった私にはどうしてもわからなかった。認知能力のなかった子供の私に対する過激な妄想は、理由も分からずに侵食していった。

高校生の喫緊の課題として、自分と似た人間に狙いを定め、その臭い、体臭に近いものを嗅ぎ分け、同じ共同体を見つけることが重要な課題である。高校半年ちょいの私は、そんな当たり前なことに少しばかり大胆につまずいてしまった。スクールカウンセラーの下枝先生は、次のカウンセリングを受ける生徒のために早々に終わらそうとした。


「いえ、はい大丈夫です。ありがとうございました」

「うん、あとこの紙なんだけどね?出来たらやっておいて欲しいの。突然泣きたくなる時は無いかとかチェックして、出来なくても良いからその時は出来なかった伝えてね?」

「うん、でねこれが最後の質問何だけどね?」

「はい」

「高校に入ってから、死にたいと思ったことはある?」

「ありません」


瘡蓋を剥がしていた手が止まり、私は内心に隠していた思いを秘匿することに少しずつ慣れていっているような気がした。その後、カウンセリングは終わり、私はしばらく待たせていた父の迎えの車に乗った。

「ありがとう父さん」

「おう、今日少し遅くないか?」

「教育相談してたから」

「そっか」


父との問答を適当に流し、家についたらキッチンで母が冷蔵庫からマルちゃん焼きそばを取り出していた。母は私を見て、

「ピーマンを採ってきて、最近あんまり畑に行ってないでしょ、あときゅうりとナスとしそもね」


私は母の指示のもと、最近あまり手を付けていない庭の畑に向かった。いつものように、ほうきを持って蜘蛛の巣を警戒しながら畑を見に行く。苗を植えてから、もう何ヶ月経っただろう。ゴールデンウィークは過ぎていたっけな。


畑のスペースから堂々とはみ出したトマトに支柱を挿し、やっと上へ実るようになったキュウリ。良かった、これで大量の葉っぱの中に手を突っ込んできゅうりを取らずに済む。

「大丈夫かな?」

日差しが強くなって、その上水もやらなかったからだいぶ土が乾いていた。赤く萎んだピーマンを投げながら熟れたピーマンを物色していると、その苗の傍。畑の一角にバカデカくなったキュウリが三つ。そして、祖父が父の猛反対を押し切ってまで植えた後、三年間の放置を経て私の身長を軽々と超えるまでになった、元食用アスパラガスの隣にも三等に切られたキュウリが放置されていた。


その光景が私にとってどうしても目が離せないものとなっていた。あれは母の仕業だ。その豪快な切り捨てぶりに、目が引きつけられた。よく見ると、きゅうりの重さによって萎びた草は、きゅうりの断面から滲み出てきた水分によって、昨日の豪雨の跡といえども、より一層地面を濡らしていた。


私はどうしてか、その江戸時代の、死体置き場の雰囲気を纏うきゅうりの一つを持ってきたハサミの先端で刺してみることにした。畑にあるきゅうりは野菜特有のシャキッという音を立てながら、すんなりと先端に突き刺さった。その後、何度も突き刺した。切れ端と水分が至るところに飛び散る。


何度も刺していると、持ち手は緊張を失い、徐々に今この場に必要な最低限の力を徐々に獲得しているように感じる。同じところを必要に滅多刺しにする。途中で、私は自分が刺した回数をしっかり記憶して置かなければいけないという観念に襲われた。ハサミをその数を正確に数える自分を愛しながら、計21回刺した。小指あたりは完全に汁で濡れてしまい、夏の湿っぽさも加わり、匂いを嗅いだら吐きそうになった。

生い茂ったアスパラガスのそばのきゅうりは、もっと日が経っていたらしく、刺しても感触がまるでなかった。何度もやって、掬い上げるかのようにして持ち上げたきゅうりの断面は乾燥していて、カボチャのように種が目立っていた。


家に戻った私は、またしても父が炊いた「蚊取り線香」の煙臭さに顔をしかめた。

「こんな都心に蚊取り線香で死ぬような虫がいるわけないじゃない。」


蚊取り線香なんてお盆中の祖父の家でしかなかったのに、最近の父は実家が恋しくなったのだろうか。線香の煙は室内に充満し、上へとのぼっていく煙が天井の光に照らされ、なんだか不気味に感じる。別に、思春期で父のすることが何でも気に食わないというわけではない。そんな私は、稀に食事中のテーブルへと撃沈していく。数匹の蚊を見て父への留意を下げている。


キッチンまで行き、ピーマンとナス、しそを渡す。野菜を炒めている母は、早速渡されたピーマンを手に持ち、慣れた手つきで細切りにしていった。流し台で手を洗った。夕飯を食べた後、2階へ行き、制服を脱ぎ下着のままベッドの中に入る。


ベッドの中だけが私の精神的安全区域だった。枕の隣に置いてある2つの人形を持って抱きしめる。ホラーマンとアザラシの人形だ。いつも私はホラーマン人形の手で自分の耳を撫でる。まるで意志を持った人形が自分を慰めてくれるように感じる。アザラシの方は、求愛をしているかのように、互いの鼻で触れ合う。習慣以上のものになっていて、ほとんど無意識にやっている。

私は、ベッドで、ホラーマンの人形を見つめながら、手にキスをした。そしてそれは、頭、首、両足へと続いていく。私は精神の拠り所とし、かつこの2つの人形を出発点にしている。それは朝から始まり、夜のベッドの上で終わる。たまに、毎日触っているはずの人形なのにわざと恭しく人見知り的雰囲気を演出したり、時には話しかけながら誰よりも親しく敬愛を込めたキスもすることもある。


私はいつも内的な世界に縋りつき、なんとか希望を見出そうとする。私の心の中の世界は感情、妄想、子供の頃の記憶で溢れている。


ここで外的世界と内的世界に分けてみよう。外的世界は、父、母、学校、あのカウンセリング、畑だ、あんな現実の世界に希望なんてあるわけない。私の内的な世界は現実よりも私の存在を主張してくれる。鍵穴が錆びついている状態で鍵を指したって開くわけない。内的世界は私にとって希望の貯蓄だ。これを蓄えることによって外的な状況に希望を持ち込み、現実を変えようと努力することができる。希望の投資と言うべきだろうか?

つまらない考えを一通りした後、本格的に私は内的な世界へと入ろうとしていた。左手でホラーマンの人形の手を握り、一方でアザラシの人形を胸のあたりに抱き寄せる。すると外部との接点はなくなり、コオロギの鳴き声や扇風機の音は遠ざかっていく。


仰向けになった状態で、毛布を被りながら妄想を始めた。呼吸が荒くなり、声が高くなっていく。どんどん下半身が熱くなり、お腹の下で快感が弾けているようだ、「苦しい…胸が痛い…でも頑張るからね、お人形さん」


私達は、共同体を見つけなければいけない。孤高ではなく共同体を―そんなことを思いながらホラーマン人形の手を強く握り、アザラシの鼻に口で軽く触れた。

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