私の居場所
天音伽
私の居場所
「このままだと、君の居場所、無くなるよ」
そう言われたのは、もう幾度となく繰り返した失敗の後。
両手で数えきれないほどの「申し訳ございません」を重ねて、頭を下げた私、佐藤優里(さとうゆり)に、立派に蓄えた顎髭を撫でながら課長は言った。
「……申し訳ございません」
「申し訳ございません、じゃなくてさあ。……まあいいや。とりあえず取引先にはお詫びのメール送って。神山(かみやま)くんは佐藤くんのフォロー。お願いね」
「承知しました。迅速に対応致します」
硬い言葉遣いと共に、私の傍に立っていた眼鏡男子が頭を下げる。行こうか、と肩を叩かれ、私は課長の席を後にした。
「……といいつつ、課長の確認不足だろう?」
課長から距離を取ったのを確認してから、神山さんは打って変わった柔らかい言葉遣いで私に言ってくれる。私は首肯した。
課長はもう帰り支度をしている。オフィスの中にはもう、私と先輩だけだ。
「課長から発注しておくように、って言われた資材が一桁ずつズレてて」
「そのことは、課長には?」
「……言ってません。言ったところで、ですから。それに、確認を怠った私の非もありますし」
「佐藤さんは真面目だねぇ……。うん、了解。それじゃあ、とりあえず発注先にお詫びのメール、書こうか。僕は誤発注した資材、他の部署に振り分けられないか確認してくるから」
肩をまた叩こうとして「おっと、こういうのはセクハラ……になるんだっけ」なんて言いつつ、神山さんは立ち去る。
私はその背中に、はあ、と申し訳なさ半分、わたしはなにをしているんだろう、も後悔の半分入り混じったため息を吐いた。
私がこの会社に入ってから、この春で二年になる。神山さんは同じ部署の先輩で、メンター制度、なんて立派なものはないこの会社でも、私の面倒をよく見てくれている。
神山さん自身はしごできメンズで、課長やその上からの評価も高い。対して私は部署の雑用係。おまけにこんな感じで上司の不始末を押し付けられては、ため息の出る毎日。
神山さんと比較されたら、確かに私なんかいる場所はないのかもしれないな。だってほら。
「メール、できた? こっちは資材の投げ先、ある程度固まったけど」
「もうですか!?」
本当に? だって、私のメール、まだ10行くらいしか進んでない。
「うん。まあ、僕はこの会社長いから、まだ顔が効くだけだよ。大したことじゃない」
そんなことを言ってくれるけど。
「……佐藤さん?」
私はどうしてこうもダメなんだろう。ダメだから課長にもこんな不始末を押し付けられるんだ。私がダメだから。ダメだから……。
「うううう……ああ……」
「佐藤さん!? 大丈夫!?」
視界が涙で歪む。意味のある言葉は出なくて、ただ、母音が喉を通り過ぎるだけ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」
もう何に謝っているのかもわからなくなっちゃった。ただ、泣きじゃくるだけの私の頭に、何か暖かいものが乗る。
「……謝らなくていいよ。大丈夫」
それは先輩の手だった。優しく撫でられると、また涙が止まらなくなってしまう。だから私は、先輩に言ったんだ。
「先輩」
「なに?」
「胸、貸してください」
返事を聞かずに先輩の胸に飛び込む。胸に飛び込んだ瞬間、先輩の体温と、匂いに包み込まれたような気がして、私は気が緩んだのだろう。
その日、先輩のシャツを台無しにするまで私は泣いたのだった。
それから一週間。
会社では、毎年お花見が開催される。私はその席取りに、朝から公園で時間を潰していた。
「……綺麗だな」
青空に桜色の花びらが舞って、私の鼻先を掠めていく。
会社の人はいない。花見の前には会社内で、この一年で優秀な成績を収めた社員を表彰する表彰式と、懇親会が行われるからだ。つまりここに放り出された私は、懇親会に参加する価値のない人間だ、と言われたことになる。社内でいちばんの無能は席取りくらいしていろ、ということなのだろう。
先輩くらい優秀な社員なら、表彰されたりしてるんだろうか。誰が表彰されるのかは知らないけれど、なんて考えていると。
「お、いたいた。佐藤さん」
遠くから声を掛けてくる人影。私はその声の主に驚いた。
「……先輩!?」
「やあ、佐藤さん。課長から先に佐藤さんが席取りしてるはずだからって聞いて、探したよ。横、いいかい?」
私が承諾する間もなく、敷いたブルーシートの上に先輩は座って、背伸びした。
「……どうして。先輩、懇親会は?」
「来なくていいよって言われたよ。あれかな、課長とこの前大喧嘩したのが、課長の機嫌を損ねちゃったかな?」
「大喧嘩……」
まさか、と隣の先輩の顔を見る。先輩はどこ吹く風、といった具合で、手のひらで落ちた桜の花びらを弄んでいる。
「それに、懇親会なんてお偉いさんの話が続くだけでつまらないしね。今年の僕の居場所はここ。それでいいんだよ」
「……ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはないさ。むしろ僕は佐藤さんが話し相手になってくれて良かったと思っているよ」
「先輩」
「どうした?」
「もっと寄ってもいいですか」
返事は待たなかった。私は先輩にぴたっと体を寄せると、頭を先輩の肩に乗っける。
「急にどうした。照れくさいな」
「……迷惑でしたか?」
「いや。そんなことはないよ」
二人で黙って、公園に咲いた桜を眺める。
桜も終わりの時期なのかもしれない。風に吹かれて幾重の花びらが飛んでいく中で、不意に私は言った。
「先輩」
「ん?」
「場所取り、やめてどこかに行きません?」
私の提案に先輩は目を丸くしたけれど、やがてくつくつと笑う声が私の元に届く。
「いいのかい? そんなことをしたら、今日の居場所どころか会社の居場所すら……」
「課長みたいなこと言わないでください。先輩。私のいちばん居心地のいい居場所。見つけました。ここです」
「……そうか」
右手を差し出してくれた先輩の手を取る。
未練はなかった。ただ、先輩には悪いことをしたかな、と思ったけれど。彼の顔が笑っていたから、まあ良しとしよう。
翌朝。私たちは揃って退職届を出した。
私の居場所 天音伽 @togi0215
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