ある勇者の遺言

透月宙

ある勇者の遺言

 秘境の奥、風にきしむ木小屋は、まるで時を忘れた幽霊のように立ち尽くしていた。荒れ果てた小道を歩き疲れた旅人が、その扉をそっと開く。そこに広がるのは、静寂と死の匂い。冷たい木床もくしょうの上、ひとつの屍が、まるで永遠の眠りの中にいた。


 屍の傍ら、色褪せた数枚の古紙が、朽ち果てた指先のそばに寄り添っている。旅人は、まるで飢えた獣が一滴の水を求めるように、手紙を手に取り、目を通し始めた。それは、かつて世界を救ったという勇者が、この世に残した最後の声だった。


 「もしも、この手紙を読んでくれている者が現れていたとしたら、私はようやく、孤独から解放されたということだ。とはいえ、死というものを迎え入れた後の事象など皆目検討もつかないため、その時点で私が孤独であるかどうかなど、もはや知る由もない。だが、今となってはそのようなことはどうでもいいことだ。退場する前に、少しばかり、勇者として生きてきた私の下した結論を、遺言とした綴り、ここに残そうと思う。物好きな者の手に渡ってくれたら嬉しい。私は、平凡な羊飼いの息子としてこの世に生を受けた。しかし、歳を重ねるにつれて、いつもと変わらぬ生活に退屈するようになっていった。世界は魔王の手により、着々と支配されてゆき、辺境の地にある私の住む農場にまで、その脅威は刻々と近づいていた。当時の私は、変化と転生を望み続けて生きてきた。今の人生がつまらないものであるならば、いっそのこと、別の世界に生まれ変わることができないか、私を心底楽しませてくれる世界線に、別人としてやり直すことができないかと思っていたのだ。そんな未熟な私の願いが神々に届いたのか、ある時、私は世界に一人しか所有できないとされる剣に選ばれ、唯一、魔王に立ち向かえる存在として、王直々の依頼を受けて旅立つことになった。変化とは、時に思いも寄らぬところから風のように舞い込んでくるものである。夢にまでみた刺激ある日々に、私の気持ちは常に高揚していた。戦いの術を知らぬ私は、全力で剣の修行に励み、方々で悪さをする魔王の手先どもを成敗し、誰よりも強くなっていった。


 しかし、求めていたはずの世界は、思い描いていた理想郷とは程遠いものだった。


 私に勇者という肩書きがあるからか、心から友と呼べるような仲間と出会うことはなかった。近寄ってくる者は皆、私の名声にあやかろうとする者ばかりで、私を利用して金儲け、或いは自身の欲を満たすために仲間や友のふりをしていただけだった。時には、私になりすまし、人を騙すことを生業とする者まで出始めた。私のいないところで、私のせいで誰かが傷ついていくのは心が痛んだ。しかし、何よりも辛かったのは、かつては友であり家族だった身内でさえも、勇者となった私を宛てにし、願いを乞うてきたこと。そして、巻き添えを恐れ、去っていった者がいたことだろう。その瞬間、魔王を倒したところで、私にはもう帰る場所がなくなっていることを悟ったのだ。雨風荒れ狂う夜も、澄み渡る晴天の日であっても、私は勇者として、戦い続けなければならなかった。敵は魔王や手先だけではない。魔王の思想に感化された者も、私に牙を剥き、襲いかかってきた。同時に、私の使命に感化された者たちもいた。その者たちは無謀にも私の名の下にあらゆる敵へと立ち向かっていったが、私のように選ばれて戦いの術を会得した者ばかりではない。儚くも、その勇気は一瞬で塵となり、風の調べに身を委ねていくだけだった。私という存在が、罪のない命を奪っていく。本当の魔王は、私の方かもしれない。ふと、そんな想いが脳裏に過ぎった。ある時は賞賛され、ある時は魔王への道に足取りがおぼつかず非難され、ある時はまた求められ、その時々で希望に応え続けてきた。私は少しずつ、何故、このような都合のいい生き物たちを守らなければならないのか自問自答を繰り返していった。魔王を倒せば、世界は平和になる。果たして本当にそうであろうか?と。使命を果たしながらも、独り旅を続け、時を刻む度に、内なる私の頭上には暗雲が立ち込めていったのだ。不条理を乗り越え、私はようやく、魔王の討伐に成功した。だが、私の心は晴れることなかった。戦いが終わり、とどめをさす瞬間、僅かだが、魔王といくつかの対話をする機会があった。どうして魔王が私にそのような想いを開示したのか。今から思えばよくわかる気がした。私と同じく、彼も一族の繁栄を託され、先頭に立たされた男だった。種を存続させるためには、領土の拡大と多種族との交流は必要不可欠だった。しかし、異なる種族に理解を示す者はそう多くはない。いつだって私たちは、知らないものや理解できない事象に懐疑的であり、違うと判れば敵と見なす。彼の一族は、不運にも隅へ追いやられてしまう側に存在していたのだ。かつては、彼も私と同じく、純粋な独りの勇者として名乗りをあげていた。だが、不条理に翻弄されていくにつれ、その方法は過激なものへと発展し、やがて魔王と呼ばれ、その名は波紋のように広がり、世界に恐れられる男となったという。命絶える瞬間。魔王が私にその話をしたのは、彼の中に潜む闇と、私の中に潜む闇に共通点を見出したからだろう。剣を交えながらも、私と魔王はそのひとときだけ、孤独ではなかったのだ。出会った時や環境が違っていたら、きっと私たちは、心から通じ合った真の友として、絆を結んでいたに違いない。所詮、私たちは、この世の不条理の犠牲になってしまった、普通の人間だったのだ。魔王が消え、世界は再び平和を取り戻した。私はかつてないほどの労いをもらいながら、王により栄誉ある勲章をもらい、民の祝福のもと、喝采の中笑顔で街を後にした。だが、心は決して笑ってはいなかった。私は、この世に魔王が存在する未来と、存在しない未来の両方を予測し、双方の世界線がどのような結末を描いていくのかに思考を巡らせる旅に出た。どこを目指すでもなく、ただひたすらに足を動かし、私は世界中の景色と生命に巡り合っていった。そして、あることに気がついてしまったのだ。


 この世界は、何も変わっていなかったことに。


 確かに、私は魔王を倒した。しかし、魔王の思想を受け継ぐ者によるさらなる脅威が、再びこの地を戦場へと引き戻そうとしていた。一方では、魔王と私の戦いに巻き込まれ、大切な存在を亡くしてしまった者たちの怨みも根強く残っていて、それが新たな敵となって襲いかかってくることもあった。であるならば、魔王討伐のために、勇者として旅立たなければよかったのか?魔王がいなければ問題は起こらなかったのか?いや、そんなことはない。いずれにしても、この世に私たちのような生命がいる限り、永遠と同じことを繰り返し続ける仕組みになっているのだ。誰にでも、魔王となり得る要素があれば、勇者になる得る要素もある。私が手にした剣においても、単なる偶然の産物に過ぎなかったということだ。勇者としての旅の途中、食べ物がすべて同じ味に感じたことや、極ありふれた日常にどこか倦厭けんえんとした感覚に陥っていたのは、きっとこの世界の構造を本能的に理解してしまったからだと気づいた。私たちの住む世界は、混沌であらねばならないようにできている。混沌でなければ、誰一人、そしてどの事象も、重なり合うことは許されない。調和はすべての形が同じになることではなく、すべてが違うからこそ成り立つものだったのだ。知識は呪いである。私は、老いようが若き青年であろうが、この世界で生きることに意味を見いだせなくなってしまった。私たちは罪人なのだ。考えざるを得ない呪いをかけられてしまった哀れな生き物なのだ。ある者は、鳥は自由だと言う。しかしある者は、私たちのような生き物がいる限り、鳥は自由ではないと説く。だが、私の考えは前者だ。鳥は生存本能の赴くままに生きている。私たちのような人間に支配されているなど気ほども考えていない。ただ一途に、生きることだけに意識を研ぎ澄ませている。ただそれだけなのだ。つまり、鳥はいつだって自由なのである。支配されているのは、むしろ私たちの方だ。今、私が綴っているこの遺言においてもそうだ。私のような思考を抱くのも、人間であるが故なのだから。最後に、勇者としての結論を出すならば、この世界は救いようのないほど愚かな生き物に支配されている。よって、救うに値しない。己が操られているかどうかさえ認識できない生命体に、未来などない。勝手に幸福を感じ、勝手に朽ち果てていくのみ。私や魔王は、不運にも世界の均衡を保つために表舞台に上げられた操り人形だったのだ。なので、また支配される前に、私は潔くこの舞台から退場させてもらうこととする。願わくば、これを読んでいる者が、少しでもその舞台から遠く離れた地の果てで、今に在る人生を歩まんことを。もしくはここで終わるのも悪くないだろう。さぁ、あなたはどうする?」


 すべてを読み終えた旅人は、今一度、何故に自らの足を大地に委ねてゆくのか自問した。同時に、「ある勇者の遺言」を、もっと多くの者に読ませるべきだと、自身の中に新たに芽生えた使命感を、この世界で生きる理由の一つにすると決めた。


―― 孤高の幻想作家 透月 宙

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