第18話 火の炎、理の光

永禄八年(一五六五年)、秋。武田信虎の築き上げた「戦なき天下」は、もはや絵空事ではなかった。日の本全土が、武田の「攻めぬ支配」のもとに、実質的に統一されたのだ。信長は、信虎の命により、京の奉行として、都の復興に尽力していた。荒れ果てた京は、信長の革新的な手腕によって、少しずつ活気を取り戻し始めていた。瓦礫の山は撤去され、道は整備され、焼け落ちた家々には新たな柱が立ち、活気ある商いの声が満ち始めた。信長は、この地で、武力だけが天下を動かすのではないことを、肌で感じ取っていた。


信長は、再建された御所の庭で、一人、静かに月を眺めていた。彼の胸には、複雑な思いが渦巻いていた。桶狭間の戦いで、自らの武が信虎の「理」に操られていたことを知った衝撃。そして、京の奉行として、政(まつりごと)で民の心を動かす喜び。信長は、自身の内に宿る「火」を、破壊の炎としてではなく、人々の心を灯す光として使うことを学び始めていた。


「…殿は、この火を、この世を照らす灯火とせよ、と仰られた。だが、この炎は、いつか制御を失うやもしれぬ」


信長の瞳には、成功への喜びと、自身の内に潜む狂気への不安が交錯していた。信虎の「理」が、この炎を制御する楔となっていることを、信長は理解していた。しかし、もしその楔がなければ、この炎は、再びすべてを焼き尽くす狂気へと戻ってしまうかもしれない。


そんな信長の胸中を知ってか知らずか、信虎は、ある夜、信長を呼び出した。蝋燭の炎がゆらめく静かな書院で、信虎は、一振りの火縄銃を信長に差し出した。それは、信長が以前、山奥の工房で目にした、南蛮渡来の技術を応用した、精巧な火縄銃だった。


「信長よ、これをそなたに託す」


信長は、驚きに目を見開いた。信虎は、この圧倒的な破壊力を持つ技術を「封印」していたはずだ。なぜ、今、自分にこれを託すのか。信長は、震える手で火縄銃を受け取った。その金属の冷たさが、信長の掌に、じわりと馴染んでいく。


(この力があれば、俺は天下を焼き尽くせる。信虎、お前の理など、この火の前では無力だ。この銃を手にすれば、俺は再び、俺の道を行ける…!)


信長の内なる衝動が、歓喜の炎となって燃え上がった。しかし、その時、信虎の静かな声が、信長の心に響いた。


「この火は、もはや、戦のための道具ではない。京の治安維持のため、街道の護衛のため、そして、未来の技術を護るための力とせよ。そなたの火を、この火で、未来を創り出す光とせよ」


信虎の言葉は、信長の胸に深く響いた。信虎は、信長の「火」を、武力による破壊ではなく、政(まつりごと)による秩序構築の力として認めていたのだ。信長は、信虎の比類なき知略と、その深い慈愛に、胸を衝かれた。


(…いや、違う。これは、焼き尽くす火ではない。これは、守るための火だ)


信長は、自らの内に湧き上がった誘惑を、かろうじて抑え込んだ。彼は、信虎の理念を継承しつつも、自らの「火」という炎で、新たな時代を創り出すことを決意した。


信長は、信虎が「封印」した鉄砲技術を、京の治安維持や商業の護衛に活用した。火縄銃の威嚇射撃は、夜な夜な京の町を徘徊する盗賊や野盗を震え上がらせた。最初、火縄銃の轟音を聞いた町人たちは、恐怖に怯え、家の中に閉じこもった。しかし、夜が明けると、盗賊の姿は消え、町には静けさが戻っていた。


「火縄銃の音は恐ろしいが、あれのおかげで、夜も安心して眠れるようになった」


民の声は、信長の耳に届き、信長は、信虎の「理」が持つ普遍的な力に気づき始めた。武力で支配するよりも、民の心を掴むことの方が、遥かに強固な支配の礎となることを、信長は、この京の地で学んでいた。


信長は、自らの「火」という炎で、信虎の「理」という秩序を、より強固なものへと変えていく。それは、武力と文治を融合させ、新たな時代を創り出す、信長なりの天下統一であった。


信長は、再建された御所の屋根に登り、静かに夜空を眺めていた。夜空には、満月が輝き、その光が、京の町を優しく照らしていた。信長は、その光の中に、信虎の「理」の光と、自らの「火」の炎が、美しく融和しているのを感じていた。それは、信長が、信虎の理念を継承し、自らの時代を創り出す、静かなる夜明けであった。


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奥日記:京の光


永禄八年(一五六五年)、霜月五日、晴れ渡る空


本日、殿(との)が京よりお戻りになられました。御所の者が伝えたところによれば、殿は、将軍様をお救いになられ、朝廷より「天下の政所の主」という、大役を任じられたとのこと。まことに、信じられぬことでございます。


京は、戦の火が収まり、静けさを取り戻したと聞きました。殿が京に入られて以来、信長様が復興に尽力され、家康様が財を整え、謙信様が北の守りを固めておられるとか。日の本全体が、殿の御手の内に収まりゆく。その背後にあった長年の苦労を思えば、わたくしは、ただ、胸が熱くなるばかりでございます。殿の御心が、いかに深きものか。わたくしには、この京の光が、殿の築き上げる「戦なき天下」の、始まりの光に見えまする。


京の人々は「織田殿の目には炎が宿っている」と噂しておりました。その炎は、京の荒廃を焼き尽くす炎か、それとも京の未来を照らす炎か。わたくしには、見当もつきませぬ。夜、遠くから火縄銃の音が聞こえると、侍女たちは、皆、震え上がっておりました。しかし、翌朝には「あれは、京を護る火の音でございます」と、皆が口にするようになりました。恐ろしいが、あれこそ京を守る火か。わたくしの心にも、その思いが深く刻まれたようでございます。

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