巨漢

出利場堂

巨漢



巨漢は涙を流した。

 昔、ある田舎町の村に巨漢は住んでいた。

巨漢は、身長二メートル、体重一〇五キログラムという巨体の持ち主だった。

 巨漢は、この大きな身体は、誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るために使おうと心に誓っていた。しかし、巨漢の誓いは、村の人々には理解されなかった。巨漢は、村の人々からは怪物だと恐れられていた。巨漢に両親はいない。幼い頃に流行していた疫病で死んだ。当てにできる身寄りもおらず、両親の死後、巨漢はたった一人で生きてきた。

 巨漢には「青海兵八郎おうみへいはちろう」というれっきとした名前があった。しかし、村の人々は恐れおののき、畏怖の念を込めて彼を「巨漢」と呼んだ。

村には巨漢についての根も葉もない多くの噂が飛び交っていた。


「ねえねえ知ってる?巨漢の好物は人肉なんですって!巨漢はね、夜道を歩いている人に襲いかかって殺して、死体を家に持って帰って、身を捌いたあと、その肉を食べるんですって!」

「怖いわねぇ。外も迂闊に出歩けないわぁ。」


「ヤァヤァ、知ってるかい?この村に住んでる巨漢はなぁ、人の骨を集めるのが趣味なんだってよ。アイツが人を食べるってことは知ってると思うがよぉ、なんと、アイツは食べた人の骨を人体模型みたいにして、部屋に飾っちまうんだ!」

「怖いなぁ、明日は我が身かもしれねえなぁ。」


 村の人々は滅多に外を出歩かなかった。そして、巨漢の家に近づく者はいなかった。

巨漢は声を埋めて泣いた。自分のせいで、村の人々の生活を脅かしているという自責の念に駆られた。もうこれ以上はここにいられないと思い、人里を離れ、遠い山奥で自給自足をしながら生活するようになった。巨漢は肉を食べなかった。山奥で生活するようになってからは、野山で山菜を取っては食べ、飢えを凌いでいた。

まず手始めに、巨漢は家を建てることにした。大きい家を建てることにした。村に住んでいた頃の家は天井が低く、巨漢にとってはとても窮屈だった。巨漢には建築の知識がなかった。しかし、馬鹿力はあった。長い月日を経て、巨漢は無事、理想の大きな家を完成させることができた。あれほど辛かった孤独が、今ではこんなにも楽しい。巨漢は孤独の悦びを知った。




 巨漢が山奥で生活するようになってから数年が経過した。

 ある日、巨漢が家の中で斧を研いでいると、誰かが扉を叩く音がした。こんな山奥に客なんて誰だろうと思いながらも扉を開けた。するとそこには、少女が立っていた。少女は麗しく、端正な顔立ちをしていた。こんなにも綺麗な女を、巨漢は生まれて初めて見た。しかし、どうにも気になったことがあった。どうして少女がこんな山奥にいるのか、そして、どうして少女の服はボロボロなのか。

少女は巨漢の大きな身体に怯え切ってしまったのか、言葉を一言も話さない。少女に対して、巨漢は言った。

「一旦上がって。裏には井戸がある、そこで身体を洗いなさい。」

「ありがとうございます…。」

巨漢は少女を家に上げた。


 そして、巨漢は少女に井戸を貸し、衣服を新調してやり、ご飯を食べさせてあげた。少女の顔から恐怖は薄れていったように見えた。

「ありがとうございます…。本当に、嬉しい限りです…。」

「礼には及ばないよ。」

巨漢は、当然のことをしたまでだと思って、少女に言葉を返した。

「申し遅れました。私、菊子きくこと申します。貴方のお名前は…?」

「僕は、青海兵八郎だ。」

「青海兵八郎さん…。では、兵八郎さんと呼んでもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わないよ。」

巨漢は菊子という名の、この少女のことについて、一番気になっていたことを聞くことにした。

「菊子さんはどうしてこんな山奥に来たんだ?」

巨漢が尋ねると、菊子は話し始めた。

「実は私、江戸の遊郭から逃げてきたのです。ここへ来る前までは遊郭で働いておりました。遊郭では、花魁と呼ばれる最高位の遊女でした。教養や芸事に恵まれ、多くのお客様にも可愛がられました。しかし、遊郭には自由がありませんでした。自由が欲しい。その一心で、一人、江戸から逃げてきました。そして、気がついたらこの山にいました。」

巨漢は江戸に行ったことがない。当然、そういった遊びをしたこともない。そのため、菊子の話を上手く理解することができなかった。しかし、自身も彼女も、「逃げてきた」という点では共鳴していた。巨漢は驚いた。そして、言葉を返した。

「菊子さんも逃げてきたのか。実は、僕も同じなんだ。この山で暮らし始める前、僕は人里の小さな村に住んでいたんだ。だけど、こんなに身体が大きいだろう?そのせいで、村の人たちからは怖がられてしまったんだ。僕のせいで村の人々の生活が脅かされているじゃないかと申し訳なくなって、この山に逃げてきたんだ。」

「それは大変でしたね…。」

菊子は巨漢に同情した。そして、菊子は続けてこう言った。

「それで、兵八郎さん、大変心苦しいのですが、一つお願いがあります。私にはもう行くあてがございません。しばらくの間、一日だけでも構いません。私をここに住まわせてください。どうか、お願いします…。」

菊子は跪き、頭を床にまで下げた。彼女の切実な願いに対し、巨漢は言葉を返した。

「ああ、勿論さ。心置きなくこの家で過ごせばいい。いつまでも居たって構わないよ。その方が、君にとっても安全だ。それに、僕も君も、お互い、逃げてきたんだ。逃げてきた者同士、仲良くやろうじゃないか。さあ、頭を上げて。」

「………!はい!ありがとうございます!」

菊子は感激した。


そうして、巨漢と菊子の共同生活が始まった。人目を離れて生活するのは何で心地の良いものだろう。山奥での生活は不便であったが、二人には絶えず笑顔が溢れていた。巨漢には言葉遣いというものがわからなかった。菊子が巨漢をさん付けで呼んだから、それを真似て、巨漢も菊子をさん付けで呼んでいた。しかし、共同生活を始め、親しくなってからは、巨漢はだんだんと菊子をさん付けで呼ばなくなった。

 やがて、二人はお互いを愛するようになった。そして、二人の間には一人息子が生まれた。巨漢は、息子に『正太郎しょうたろう』と命名した。




さらに時は流れ、正太郎はすくすくと育っていった。これは、正太郎が四歳の頃の話である。

夜中、けたたましい音を立てながら、家の扉が開いた。その音で目を覚ました菊子は、寝床から出て玄関に様子を見に行った。するとそこには、三人の棍棒を持った男たちが立っていた。その真ん中の男は、菊子を見るなり、開口一番、こう言い放った。

「この家にある金目のもんと食いもんを全部寄越しな!」

その言葉を聞き、男たちが山賊であることを見て取った。

菊子はかつてないほどの恐怖感を覚えた。しかし、菊子は勇気を胸に、山賊に言い返した。

「この家には金も食べ物もありません!帰ってください!」 

しかし、山賊は引き下がらなかった。右の男は菊子に近づいてこう言った。

「おう、言ってくれるじゃねぇか。それにしても姉ちゃん、良い身体してんじゃねぇか。金目のもんも食いもんも寄越せねぇってんならよぉ、その身体を差し出してもいいんだぜぇ!」

山賊は菊子に掴みかかる。菊子は悲鳴を上げた。

 菊子の悲鳴を聞き、巨漢は目を覚ました。

これはただ事ではない。急いで声のもとへ向かった。そこには、菊子に襲い掛かろうとする山賊の姿があった。

「やめろおおお!」

巨漢は山賊の前に立ちふさがった。

「僕の妻に手を出すな!何なんだお前たちは!」

山賊の前には二メートルの壁のような巨体が立ちふさがる。それでも山賊は引き下がらなかった。左の男は言い放った。

「お前、この女のツレか。随分とでけぇ身体してんじゃねぇか。でもよぉ、多勢に無勢とはよく言うもんだ。三人相手に敵うわけねぇんだよ!」

山賊は巨漢に棍棒を振りかざした。巨漢の身体に激痛が走る。巨漢の身体は滅多打ちにされた。しかし、巨漢はやり返さなかった。

この大きな体は、誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るために使うと心に誓っていたからだ。ここで山賊を殴り返してしまったら、きっと、彼らは死んでしまうだろう。この山賊にも帰るべき家があり、彼らの帰りを待っている家族がいると、巨漢は想像した。そして、山賊がこの巨体を見ても怖気づかず、立ち向かってきたことが、巨漢にとっては何よりも嬉しいことだった。


棍棒で滅多打ちにされる巨漢の姿を見ることは、菊子にとっては耐えがたい苦痛であった。

このままでは兵八郎さんが死んでしまう、辛い、怖い、嫌だ、どうしよう。と思っていた。そして、気が付くと菊子は斧を持って立っていた。この斧を持ってやるべきことはただ一つ。菊子は決心し、走り出した。


 「菊子!やめろ!」

巨漢は嫌な予感を察知し、叫んだ。しかし、その声は虚しいものだった。巨漢は咄嗟に目をつぶった。耳は断末魔と鈍い音を感知した。

目を開けると、そこには、頭から血を流して横たわる山賊の姿と、血のついた斧を持った菊子の姿があった。


 「菊子!何もそこまですることはなかっただろ!」

巨漢は言い放った。菊子は目の前の惨状を見て、自分が何をしたのかを理解した。そして、膝から崩れ落ち、大粒の涙を流し始めた。

「ごめんなさい……ごめんなさい………ごめんなさい……。」

菊子は泣き崩れた。巨漢は菊子のしゃくりあげる声を聞いて、しばらく黙り込んだ。そして、巨漢は菊子に語りかけた。

「菊子、心の底から反省しているか?」

菊子は泣きながら言葉を返す。

「はい…心の底から反省しています…。」

巨漢は安堵した。

「良かった。その返事が聞けて嬉しいよ。」

巨漢は続けて言った。

「菊子、僕に提案がある。受け入れてくれるか?」

菊子は返す。

「はい…喜んでお受けいたします…。」

その言葉を聞いて、巨漢は言った。

「この死体を埋めよう。」


巨漢と菊子は地中深くに穴を掘り、その穴に三人の山賊の死体を埋めた。そして、家や斧にこびりついた山賊の血痕を丁寧に洗い落とした。家はまるで、何事もなかったかのような姿に戻った。この一連の作業を夜明け前までに終わらせ、二人はもう一度、床に就いた。眠りが深かったのか、それとも、神様のいたずらか、あれほどの惨事が目と鼻の先であったのにも関わらず、息子の正太郎は眠り続けていた。


朝がやってきた。巨漢が目を覚ますと、隣にいたはずの菊子の姿がなかった。先に起きたのかとおもって居間に行くと、置き手紙があった。巨漢は置き手紙を読んだ。


兵八郎さん、ごめんなさい。あんなことをしてしまった以上、もう私はここにはいられません。私はまた、旅に出ることにします。この数年間の貴方との生活は、かけがえのないものでした。こんな形での別れになってしまい、本当に申し訳ございません。私をここに住まわせてくれたこと、感謝してもしきれません。どうか、ご達者で。


菊子


 巨漢は悔恨の念に駆られた。あのとき僕に何かができていれば、こんな結果にはならなかったのに…。巨漢は心の底から自分を恨んだ。

 あれほど眠っていた正太郎が目を覚ました。

「おはよう、父ちゃん。」

正太郎が朝の挨拶をした。巨漢が正太郎を呼び止めた。

「正太郎。」

巨漢は続けて言った。

「母さんはな、今日の朝、旅に出かけたよ。もう二度とこの家には戻って来ないかもしれない。これからは、二人で力を合わせて暮らしていこうな。」

正太郎は言葉を返した。

「うん、わかった。」

正太郎は不気味なほどに物分かりの良い子どもだった。もう二度と自分の母親と会えないという現状を、異様なほど冷静に受け止めた。

山では小鳥がさえずり、木の葉が風にそよぐ。

「父ちゃん、身体が痣だらけだよ。大丈夫?」

「ああ、大丈夫さ。」




 十六年という歳月を経た。正太郎は二十歳になった。正太郎は、母の遺伝子から、麗しく端正な顔立ちと知性を受け継いだ。そして、父の遺伝子を受け継ぎ、たくましい身体に育った。巨漢は幼い頃から、正太郎にある約束をしていた。「二十歳になったら、この家を出ていくこと」正太郎は義理堅い子どもだった。巨漢は、きっとこの子ならしっかりと筋を通してくれるだろうと確信していた。そして、とうとうその日がやってきた。

「お父さん、それでは行ってまいります。」

正太郎はこれから単身、江戸を目指して歩く。

巨漢は、正太郎の容姿と身体つきと聡明さなら、江戸に出てもやっていけるだろうと思った。

「じゃあな。達者でな。」

それが息子に対する最後の言葉であった。巨漢は姿が見えなくなるまで息子の背中を見送った。正太郎の背中からは、影法師が伸びていた。


 息子を見送った数日後、巨漢は家の掃除を済ませ、身支度を整え、家の扉を開けた。そして、正太郎が進んだ道の逆方向に、歩を進めた。巨漢はもう二度と、そこに戻ってくることはなかった。

 十六年前、山賊の死体を埋めた地面からは、ヘレニウムの花が咲いていた。





あとがき

初めまして。出利場堂です。

ここまで読んでくださった方へ。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。人生で初めて小説というものを書きました。書きながら自分自身も孤独や優しさについて考えさせられました。読んでくださった方の心に、少しでも何かが残れば嬉しいです。

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巨漢 出利場堂 @Deribado

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