沙呑阿須吉という友

晶月秋羅

沙呑阿須吉という友

 沙呑阿須吉という友がいる。私は毎朝駅で沙呑と会っては、沙呑のしょーもない話に、うんうん、と相槌を打ちながら仕事に行くのだ。

 沙呑という男は、癖のついた髪に丸眼鏡のいかにも阿呆な見てくれの人間である。中身も安直な奴であって、女の話だとか、流行りの話だとか。趣味が合わないから私は生返事をしている。

 沙呑阿須吉には少し変わった趣味がある。古い新聞を集めているようだ。私の家の物置から古い新聞を見つけ出してやると、それはそれは喜んでいた。こんなものの何が良いのか、私には到底理解できないのである。

 沙呑阿須吉とは休日にも会う仲である。会うと言ってもどこか遠出するわけでもなく、我々がいつも同じカフェへ行くだけなのだが。互いの家のちょうど間辺りに、人の少ないカフェがあるのだ。悪く言っているわけではなく、細々と続けて欲しいと我々は切に願っている。大抵は私が先にカフェにいるのだ。そこへ沙呑が挨拶も無しに最近の政治がどうとか、流行りの小説がどうのとか言いながら横に腰を下ろすのだ。

 沙呑はどうにも愚かな奴でもって、今年の芥川賞はつまらなかっただの、俺の方が良い文を書くだの大口を叩いている。まともに一冊分の文字も書いたこともないだろうに、毎年この時期になると同じようなことを言っている。たまには書いて賞にでも出せば良いと言うと、仕事が趣味がとか言ってはしどろもどろになる阿呆なのであった。

 私の家には古い物置がある。日がな一日暇な時は、この物置を捜索するのである。物置には沙呑にくれてやるような古い新聞やら、正体不明の箱やらがあるわけです。たまに買い覚えのない小説なんかが出てきて、見つけ出しては読み漁っている始末であります。

 今日もいつも通りに物置を漁っていると、新聞を切り貼りしたノートのようなものが出てきました。時世には興味がないので、これも沙呑にくれてやったわけです。沙呑は実になんとも言えないような顔をして、「読んでみるよ。」なんて呟いていました。

 奴はおそらく、昔の新聞の構成なんかが好きなのだろう。だからあのノートを渡しても嬉しい顔をしなかったのだ。改めて変な奴だと思いました。

 最近読んだ小説をよくよく見てみると、二年前のものだった。この古い家には私が生まれた頃から住んでいる。ここ十数年は一人暮らしなのだが、私は小説を自分で買ったことはないのだ。小説は物置にある本を読む程度で、買って読むほど好きではなかった。

 訝しんで、私は物置をしっかりと捜索した。新聞を貼ったノートが三冊出てきた。沙呑が喜ばないから、私が読んだ。どれもこれも解離性同一性障害に関する記事だった。中には地方新聞まで貼ってあった。私は恐怖した。二年前の小説が物置で埃をかぶっていたことよりも、実に嫌悪感を感じたのである。

 物置の本を全て居間に持って上がった。三日間の休みを消費してほとんど目を通した。全ての本に共通して、複数の人格を所有する人物が登場した。私は本を全て物置に投げつけた。

 私が物置に入ることはもうなくなった。

 珍しく残業をして、夜遅くに駅まで歩いていた。「阿須吉さん、お待ちになってよ。」と話しかけられた。派手な服を着た胸のでかい下品な女だった。

「いつもの眼鏡はどうしたの?阿須吉さんの眼鏡をかけていない顔なんて、私、初めて見たわ。」

 あんな無頓着な男と見間違うなど、失礼な女だと思った。人の顔すら見分けがつかないのか。やはり沙呑は阿呆である。そんな奴に寄ってたかる女も阿呆しかいないのだろう。

 人違いだと言い、私はその場を去った。

 カフェで沙呑に会った。こないだの女の話をすると「あぁ、茶屋の子かなぁ。最近行かなかったもんだから。どうだった?良い女だっただろうよ。」などと馬鹿を並べ出した。馬鹿な女は嫌いだと跳ね除けた。物置の話はしなかった。

 帰りにふと思い出したのだが、私は沙呑の家を知らないのだ。奴の勤め先も、出身も知らなんだ。私の中で沙呑阿須吉と言う人物像があやふやになった気がした。だが、私は奴にそこまで興味がなかったのだと思った。さっきまで沙呑は、私の横で新聞を広げ、政治の批判をしていた。奴の飲む珈琲の匂いがまだ鼻に残っている。

 翌週も出勤途中に沙呑と合流し、しょーもない話に耳を傾けた。いつも通りの朝だった。

 私は小説を買うようになった。勤め先の近くにある本屋で去年賞をとった本を読んでみた。賞を取るだけはある、良い本だった。

 休日の昼頃、いつものカフェへ足を運んだ。私はいつも檸檬ティーを飲むのだが、今朝は初めて珈琲を頼んでみた。今日は沙呑が来なかった。

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