いい子にしていると鬼が来るよ

仁木一青

第1話

 日本には奇妙なお祭りが数多くある。

 火を浴びるもの、裸で揉み合うもの、力士が赤ん坊を抱きあげるもの……。


 まさか、自分の生まれた町にもそんな奇祭があったなんて。

 幼いころに都会へ引っ越した私は、この町の風習を何も知らなかった。


 この町の奇祭では、幼児に皿を割らせるのだ。


 神主がさかきを手に祝詞のりとをあげると、公園はしんと静まり返った。


 白髪を深々と下げた神主が一歩下がる。


「それでは先生、よろしくお願いいたします。子らにとって大事な神事ですので」


 大事な神事。

 これは事前の打ち合わせのときにも言われていたことだ。


「そんなに大事なら、私じゃなくて巫女さんにやらせたらいいじゃないですか」


 園長先生に愚痴ると、


「知らない大人では子どもが皿を割らないかもしれないでしょう。それだけは絶対に避けなければならないんですよ」

 

 と諭すように返された。


 私は、ずっと都会で保育士をしていた人間だ。

 幼馴染と再会して結婚し、町の Iターン支援事業 に背中を押されて都会から戻ってきたばかり。

 産休に入った先生の代わりに、臨時で園児を受け持っている。


 だから正直、みんながこんなに真剣になる理由にはまだついていけない。


 滑り台にはしめ縄が巻かれていて、秋風に小さく揺れていた。


 園長先生の話では、昔は神社の拝殿から皿を落としたらしい。

 公園の滑り台に変わったのは、子どもたちを緊張させないためなのだとか。


 その話を聞いた後では真っ赤に塗られた遊具が、まるで神社の祭壇のように思えてくる。

 公園に来てからずっと、異邦の祭りにひとりで参加させられているような心細さを感じていた。


 公園の敷地の周りには保護者や村の大人たちが陣取っていて、木々の間から静かに見守っている。平日の午前中なのにお年寄りだけでなく、若い子の顔までちらほら見える。普段なら賑やかなおしゃべりをしているのに、今日はみんな真剣な表情だった。


「ゆうと君、先生と一緒に登ろうね」


 私は紙袋に入った大皿を持ち、ゆうと君と手をつないで一緒に滑り台を登った。よく見ると、袋の中の皿は明らかに高級そうな九谷焼だった。

 

 ゆうと君は滑り台の頂上で、遠巻きの大人たちがどうやら自分に注目していると気づいたらしい。不思議そうに周囲を見回している。ちょっと落ち着きのない子だから、手早くすませてしまおう。


「はい、これね」


 ゆうと君は緊張した面持ちで皿を受け取り、滑り台の縁に立った。小さな両肩を邪魔にならない程度の力をこめて支える。

 普段の無邪気さとは違い、ゆうと君はどこか神妙な表情をしている。


「ゆうと君、えいって」

「……うん」


 小さな両手から皿が放たれた。

 それはできそこないの紙飛行機のような軌道を描いて落ちていった。ガシャンという澄んだ音とともに、高級な皿は無数の破片となって散らばる。この儀式についていけていない私はどうしても、「もったいない」と思ってしまう。


「よしッ!」「よくやった!」「いいぞぉ!」


 掛け声が上がった。地上の大人たちがいっせいに拍手している。手を合わせているおばあちゃんもいる。うーん、ついていけない。


 大人たちの気持ちが伝わったのか、ゆうと君は皿が割れるとどこか誇らしげな表情を浮かべた。私は彼と一緒に滑り台を滑り降り、次にあかりちゃんと一緒に登る。同じように紙袋から白磁の皿を取り出した。


「せんせい?」

「あ、うん。ごめんね」


 ほんと、ごめん。先生ったら、ウェッジウッドに見とれちゃった。

 あわてて手渡すと、あかりちゃんは皿を両手で受け取り、そのままじっと動かなかった。


「あのね、せんせい」

「どうしたの」

「本当にお皿を落としていいの?」


 そのかぼそい声には、悪いことをしてはいけないと知っている子どもの真剣さが宿っていた。私は胸がちくりと痛んだ。 


「いいんだよ。これは落としても大丈夫なお皿だからね」


 彼女を安心させるように、できるだけ明るく言った。自分でも苦しい言い訳だと思う。でも、いまはこういう言い方しかできなかった。


「じゃあ、先生といっしょにする?」

「……うん」


 小さくうなずいた彼女の皿にそっと手を添える。「いっせーのーでっ」と掛け声をかけ、ふたり同時に皿を放した。これくらいの助力は、きっと許されるはずだ。まあ、怒られるにしてもたぶん私だけだし。


 手を離れた皿は落下し、遊具の基部のコンクリートにぶつかって真っ二つに割れる。澄んだ破砕音が響き、見守る大人たちから低いどよめきと拍手が巻き起こった。


 ほっとした様子のあかりちゃんと滑り台を滑り、最後にみきちゃんと登る。みきちゃん家は普通のお皿なので安心してしまった。


 皿が割れるたびに大人たちが安堵の息を漏らしている。その光景を見ていると、胸の奥に奇妙な違和感が湧き上がった。まるで日本の奇祭を見ているような、古い迷信に巻き込まれているような、そんな気持ち。


 子どもがお皿を割るだけでどうして?

 その異様な真剣さが、どうしても私の心に影を落としていた。


 ◇◆◇◆◇◆


「園長先生、ゆうと君のお皿、九谷焼の高そうなやつでしたよ。もったいないなあって思っちゃいました」


 子どもたちが午睡で静かに眠っている間。お遊戯で使う小道具を作りながら、私は軽い気持ちで言った。園長は折り紙を丁寧に折る手を止め、背筋を正して私を見つめた。お花を生けている時のような美しい姿勢だったが、その表情は厳しかった。


「そんなこと、軽々しく言うものではありませんよ」


 普段の優雅な話し方とは違う、有無を言わさぬ威厳のある声だった。茶道の免許も持っている園長先生の、師範としての厳格さが滲み出ている。私はあわてて謝る。


「すみません。でも、あのお皿割りってどんな意味があるんですか?」


 園長は深くため息をつき、窓の外を見つめながら重い口調で語り始めた。


「この町はね、昔から『いい子にしてると鬼が来る』って言うの」

「えっ?」


 普通とは逆じゃないかと思った。園長はなつかしそうな顔をした。


「私も小さいころ、祖母に『そんなにいい子にしとったら鬼が来る。悪い子になれ』って怒られたものですよ」

「はあ」


 園長先生なら、そりゃ小さいころからいい子だっただろうけど。

 いまいち話が呑みこめない。


 彼女は苦笑いを浮かべながら続ける。

「山から鬼が来るんですよ。やさしい鬼がね」


「やさしい鬼が?」

「ええ、やさしい鬼が」


 私のオウム返しを彼女がそのまま繰り返す。


「よく斬れるナタを持ってね。でも、その鬼は悪いことをしに来るんじゃない。生きるのがつらい子どもを、現世の苦しみから解放するために首を斬りに来るって言うの」

 私の手が止まった。

 園長先生は少し間を置いてから、さらに言葉を続けた。


「それも、いい子ほど先に狙われるの」

「どうしてですか?」

「やさしい鬼だから。やさしいから、いい子が現世で長く苦しむのに耐えられないのよ」

「ああ、なるほど」


 理解はできるけども、すぐには受け入れがたい理屈だ。


「だから、大皿を割って『いい子じゃない』証拠を作るのよ。それも、高い皿を割るほど効果があるって言われてる。高いお皿を割る子ほど悪い子だから、鬼に襲われにくいって」

「……理屈は通ってますけど」


 でも、なんだか他の国の儀式のようなついていけなさも感じてしまう。

 園長先生は、わかってますよとでも言うように静かにうなずいた。


「昔はねえ、この町にも長者といえるほどのお家がいくつもあって、そこの子どもがお皿の行事をする歳になると、わざわざ名工に頼んで特注の皿を焼かせたそうですよ」

「もったいない。でも、そんな高いお皿を割ったんならすごく悪い子になりますね」


 ん? だから、いいのか。

 とんでもなく悪い子になってしまえば、何の気兼ねもなしにいい子の振る舞いができる。善行を積み放題だ。


 そう言えば、ゆうと君の家は町でも裕福な家庭だった。だからこそ、あの立派な九谷焼を用意できたのだろう。きっと気張って選んだに違いない。それも子どもを守りたいという親心からだったのだ。


「まあでも、迷信ですよね?」

 私の軽い調子に園長の表情が曇った。


「幼稚園のそばにある石碑、知ってるでしょう」

「はい、あの邪魔なやつ」

「あなた、邪魔ってそんな……」

 

 やっちゃったかな。小さく縮こまって上目遣いで先生をうかがう。大丈夫。苦笑しただけで怒ってない。


 怒ってはいなかったが、盛大にため息をつかれた。


「まったく、幼いころはすごくいい子だったのにねえ」


 恐ろしいことに園長先生は、私がこの幼稚園に通っていたときのことを覚えているらしいのだ。ものすごい記憶力だ。

 このままでは幼い私のいい子エピソードを滔々とうとうと語られるのであわてて話を戻した。


「えっと、あの墓石みたいなのですよね。変な場所にありますけど」


 石碑を避けるように道路が大きく蛇行しているのだ。車で通勤するとき困る。

 特に遅刻しそうなときに車をぶっ飛ばしていると、急ブレーキを踏んであわててハンドルを切らないといけないからすごく困る。


「あれはお墓じゃないの」

「だったらなんですか」


 園長先生が私の目を見すえて言った。


「首塚」

「……」

「正確には子首塚と呼ばれてる」

 感情を交えない声で続ける。


「昔、鬼がナタで子どもの頭を飛ばした場所。そこに埋めて供養塔を建てた。だから、子首塚って呼ばれてるの」


 私の血の気が引いた。毎日通り過ぎていたあの石碑が、そんな場所だったなんて。


「迷信なんかじゃないのよ。この町では本当に起きたこと。だから、町の人はみんな本気なの。あなたは皿を割る前に都会に引っ越したものね」


 言葉の重さに返事もできず、私はただ黙ってうなずいた。


 ◇◆◇◆◇◆

 

 その日の夕方。幼稚園を少し早めに上がらせてもらい、最近体調を崩しがちなおばあちゃんの様子を見に、私が昔に住んでいた家へ立ち寄った。いまは祖母ひとりが暮らしている家だ。


 おばあちゃんと少し話をして、冷蔵庫の中身を確認し、薬をちゃんと飲んでいるかを聞く。

 台所には煮物の匂いが残っていて、変わらない暮らしぶりにほっとした。


「それじゃあ、また近いうちに来るから」

「気をつけて帰りなさいよ。夜は冷えるから、ちゃんと上着を着てね」


 その口ぶりに昔と変わらぬおばあちゃんらしさがにじんでいて、私は思わず笑みをこぼした。

 

 祖母に見送られて玄関を出ると、西日がちょうど門のあたりを照らしていた。

 門の前でふと立ち止まる。胸の奥に沈んでいた記憶が揺らぐのを感じた。


 なぜ、あんなに急いで引っ越したのだろう。

 母は「お父さんの仕事の都合」としか言わなかった。

 けれど、その父の顔はなぜか青ざめていた。


「いいから忘れなさい。大丈夫だから」

「もう何も心配しないで忘れてしまいなさい」


 そんなことを繰り返し言い続けた両親の声だけが、今も薄く残っている。


 私はしばらく、門の影の中で物思いに沈んでいた。

 やがて太陽が山の端に沈み、光が急速に失われていく。


 その瞬間、心の奥に塗りこめていた壁が崩れ、封じられた景色がよみがえった。


 あれは……いまと同じような夕暮れ時のことだった。


 五歳になる少し前の私は、玄関の戸が少し開いているのに気づいた。なぜだか分からないが、その隙間から漏れる空気に誘われるように外に出た。


 門のところに、男の人が立っていた。


 西日に照らされた影が長く伸び、私の足元で溶けて混じっている。男は動かず、ただじっとこちらを見ていた。


 そうか。

 あれが、やさしい鬼だったのか。


 さすがに記憶が古すぎて、どんな姿かたちだったかまでは覚えていない。言葉を交わしたかさえ、はっきりしない。


 まるで私が鬼を見つけるのを待っていたかのように日が沈んだ。


 すると鬼の目だけが浮かび上がった。


 その目は、ただひたすらにやさしかった。穏やかで、慈悲深くて、世界中の誰よりも私のことを心配してくれているような、見つめられているだけでお日様にやわらかく照らされているような気分になる、そんな瞳。


 けれどそのやさしさの奥に、どうしようもなく冷たい決意のようなものが潜んでいるのが見えた。


 目の前の鬼が死神、いや、死そのもののように感じた。


 だから。


 静かに立ったまま、目を閉じた。

 幼い私には、それが自然なことのように思えたのだ。


 鬼はやさしい目で私を見つめていたようだ。


 そして、おだやかに背を向け、闇に消えていった。

 

 何もされなかったことがただ不思議で、幼い私は首をかしげたまま立ち尽くしていた。


 鬼はもしかすると、度を過ぎたいい子ぶりにあきれたのかもしれない。

 やがて母の声がして、私は家の中に戻ったのだった。

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