第3話 嘘つきな証人①
御所からベアリングの話がきた。試作品を作って欲しいという。複数の社の試作品を検証して、一社を選定するという。
電気自動車のモーターに使うというから、高速回転に耐えられることが必須条件だ。回転速度が上がると、ベアリングの重要な部品である保持器が遠心力によって変形する。すると、保持器が中の玉や外部の部品とぶつかり合い、摩擦熱が発生し、焼き付きや破損を引き起こすことになる。
ベアリングの性能は、径の大きさと回転数を掛け合わせた dmn値で表される。御所は一八〇万 dmn以上を要求している。焼き付きや破損を引き起こさず、その数値を達成するには、高い技術力が必要だ。
会社の規模でいえば、我が社は孫請け。御所と契約できる立場じゃない。それなのに、声をかけられたのは、高い技術力があるからだ。保持器の形状や材質に改良を加え、二〇〇万 dmnを達成し、特許申請している。うちのベアリングは大手のものに引けを取らない。
だから、少しは期待していた。しかし、採用にはならなかった。孫請けの零細が御所との契約を夢見るなんて、高望みだった。
受注したのは
等々力精工にはスケールメリットがある。コスト面ではどうしても、敵わない。零細企業が戦える相手ではない。
内線が鳴り、受話器を取ると、工場長の
「ご相談したいことがあります。これから伺っても宜しいですか」
「どうしました」
「お問合せフォームに妙な書き込みがありました」
妙な? 対応に困るということだろうか。何かトラブルが起きたのか。
「わかりました。いらっしゃってください」
しばらくすると、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
ドアが開き、岩垂が入って来た。干支は、四十になったばかりの私と同じだから、歳は五十二のはず。けれども、自転車を趣味にし、引き締まった体躯をしているので、綺麗に禿げ上がった頭を除けば、見た眼は年齢よりもずっと若い。
「どんな問い合わせですか。何か、トラブルが起きましたか」
「とにかく、見てください」
机の前まで来て、コピー用紙を手渡された。
等々力精工の試作品は一八〇万 dmnに届いていない。貴社の技術を盗んで受注した。
コピー用紙から顔を上げると、岩垂は険しい顔をしていた。
「書き込みをした人は丹波忠秀を名乗っています」
岩戸藩の初代藩主だ。もちろん偽名だろう。匿名の書き込みということだ。
もう一度、文面を見つめる。
うちの技術が盗まれた?
保持器の構造は特許出願中だ。等々力精工が技術を登用しているのなら、出願公開後から登録までの補償金を請求できる。だが、いまはまだ特許出願しただけで、出願公開になっていない。他社の権利化を防ぐため、防衛出願しただけなので、審査請求をしていないのだ。審査を経なければ登録されないから、いまのままでは補償金の請求もできない。
「等々力に、うちの技術を自由に使わせるわけにはいきません」
岩垂の言う通りだ。
「すぐに出願公開請求と審査請求の手続きを進めてください」
「それはもちろんしますが、それだけじゃダメです。等々力を追及すべきです」
匿名の書き込みで、一方的に等々力を疑うのは、筋が通らないとも思う。どうすべきか。
岩垂が神妙な顔で見つめている。
「等々力と話しましょう」
「しかし……」
「まさか、等々力を放っておく気ですか。うちの技術屋たちが苦労して開発したんですよ」
「でも、盗用と決まったわけじゃ……。それに訊いたって認めないでしょ。そもそも、確証もなく、匿名の書き込みだけで疑うってのは失礼なんじゃ?」
「等々力にビビッてるんですか。向こうは大手だから」
「いえ、そんなこと」
「真偽不明だからこそ、話して真相を見極めるんです」
ブックスタンドに眼を向ける。岩戸工業会の名簿がある。
「早く、連絡すべきです」
岩垂に急かされて、少しためらいつつ、名簿を抜き出した。等々力精工の電話番号を探して、受話器を取る。
すぐに若い女が出た。肩書と名前を告げ、社長につないでもらいたいと告げた。保留音を聞いて待っていると、低い声が出た。
「等々力ですが……一体、何の?」
戸惑う様子が、電話口から伝わってきた。こっちも、どう切り出したものか、戸惑っている。
「実は……」
遠回しに言っても通じないと思い、匿名の書き込みのことを言った。
「なるほど。疑ってるのか」
「いえ、そういうわけでは。しかし、書き込みがあった以上、真偽を確かめたいと思うのが人情ではありませんか」
「で、どうしたいんだ」
「そちらのベアリングを見せていただけますか」
「見せたら、盗用だって言いがかりをつけるんだろ」
言いがかりだと反論されたら、堂々巡りだ。
「うちのベアリングをお見せします。類似点があるかどうか、一緒に確認させてください」
「めんどくさいことを言う。だが、それで納得するんなら、見せてやらんでもないが」
語尾に含み笑いが混じったような気がした。企みがあるのかもしれない。何をする気だろう。ありふれたベアリングを見せ、どこに盗用の技術があるのかと、嘯くつもりかもしれない。こっちは、どんなベアリングを納品したのか知らないのだから。一八〇万 dmnの性能を持つのかどうか、検証しなければ、盗用の疑惑を追及できない。
「検査装置を持って行きますから、そちらのベアリングを検証させてください」
「よそ者をうちの工場に入れるわけないだろ。そっちに行こう」
送話口を鷲づかみして、岩垂を見る。
「うちに来たいって」
岩垂が首を振る。よそ者を入れたくないのは、こっちも同じ。岩垂に頷いて、送話口から手を離した。
「どこか中立の施設を借りて、互いにベアリングと検査装置を持ち込みませんか」
等々力は押し黙った。思案しているようだ。
「わかった。場所はこっちで手配する。日時はいつにする?」
候補日をいくつか挙げて電話を切った。
顔を上げると、岩垂の険しい眼にぶつかった。言いくるめられていないか、心配しているようだ。
「等々力精工のベアリングを検査します。うちとの類似点を指摘すれば、言い逃れできないでしょう」
岩垂が満足げに頷いた。
翌日、等々力精工からコミュニティセンターを押さえたと、連絡がきた。三日後、そこで互いのベアリングを検査することになった。
学校は夏休みだ。コミュニティセンターの前には、子どもたちがいた。ガラス越しに中を覗く子や、しょんぼりした顔で石段に座る子たち。近づくと、左右にさっと分かれて途を開けた。
扉に貼り紙がしてあり、子どもたちの事情がわかった。
きょうの子ども食堂はありません。
子ども食堂があると思い、コミュニティセンターに集まった子どもたちだったのだ。急遽、中止になったのだろうか。人手が足りない、食材が集まらない、資金がないなど、いろいろ課題があって、運営がままならないという話はよく聞く。
きょうも猛暑だ。中止になったのなら、早く家に帰ればいいのに。
ホールのエアコンは効き過ぎだった。なのに、等々力は気ぜわしく扇子を扇いでいた。
「こっちの準備はできている」
見ると、卓球台を引き出して、振動検査装置や画像処理装置を据えている。三人の技術者がそれぞれ、検査装置の確認をしている。
岩垂と頷き合って、準備に取り掛かった。一緒に連れて来た若手の社員が、壁際の卓球台に向かう。
準備している間、等々力はイライラした様子で往ったり来たりを繰り返していた。何度も何度も腕時計を見ていた。扇子の手は止めなかった。
「あんたらのために、大事な時間を使ってやってるんだ」
「すいません」
つい、謝ってしまう。零細の性か。
岩垂が私に、詰るような眼を向けている。言いたいことはわかっている。盗用がはっきりしたら、頭を下げるのは等々力のほうだ。卑屈になるなと言いたいのだ。
準備が整い、互いのベアリングを検査した。
若手社員が画像処理装置に眼を凝らす。そのうち、ハッとした様子で顔を上げた。
「どうした」
岩垂が画面を覗き込む。
若手が画面を指さして、振り返った。
「うちのと同じです」
私も岩垂の隣から、画面を覗き込む。3D画像は見覚えのあるもの。うちの保持器にそっくりだ。よくよく精査すれば、細かいところに若干の違いはあるのかもしれない。だが、基本構造は全く同じだと言っていいだろう。
「やられましたな」
岩垂がつぶやいた。
振動検査をしていた別の社員が見上げる。
「うちの数値と変わりません」
等々力を見ると、薄ら笑いを浮かべている。
岩垂が舌打ちして睨みつけた。
「これはうちのベアリングだ。真似したんだ」
等々力は大仰に驚いた顔をした。
「何を根拠に」
「検査データは嘘をつかない」
「たまたま一致しただけだろ」
「よくもぬけぬけと」
岩垂が掴みかかりそうな勢いで、等々力に向かう。
「あんたは昔っからちっとも変わらない」
等々力は薄ら笑いを浮かべて扇子を閉じ、その手を岩垂の肩に置いた。
「まあ、そう熱くなるなって。かんぴょう」
等々力は岩垂の級友だ。小学校でも、中学校でも同じクラスだったという。岩戸市は、人口二十万そこそこの小さな街だから、どこにだって級友がいる。
岩垂は等々力の手を払った。
「かんぴょうじゃない。寛三だ」
等々力は、腹に手を当て、ハハハハと言うように口を開けた。
「おまえだって、ちっとも変わってないな。(泣き顔で)僕はかんぴょうじゃない。寛三だ。(真顔に戻って)いっつも半べそかいてたっけな」
岩垂の口から歯ぎしりが聞こえそうだった。歯を食いしばって、等々力を睨みつけている。
等々力は岩垂のいら立ちを意に介さず、むしろ面白がっているようだった。
「だって、おまえは全くかんぴょうだったよ。色白で貧弱で、白く干からびたかんびょうでしかなかった」
岩垂は鼻から息を吐きだした。口の端を捻じ曲げ、怒りとも悔しさとも形容しがたい形相になっている。
仲裁に入らないと、いまにもつかみ合いになりそうだった。私は岩垂の隣に行き、等々力をまっすぐ見た。
等々力は薄ら笑いを浮かべている。
「孫請けが立場を忘れると碌なことがないぞ。いいのかな。そんな顔してて」
うちが、等々力精工から請けている仕事はない。文句を言ったところで、切られる仕事はない。だが、等々力には影響力がある。うちの取引先に仕事を流すなと言うかもしれない。
岩垂をなだめるしかない。
「あまり失礼なことは言わないほうがいい」
岩垂は眼を剥いた。
「検査結果から、うちの技術を盗用したのは明らかです」
等々力が舌打ちする。
「言いがかりだ。技術を公開してないんだろ。公開されてないものは盗用できない」
特許出願した内容が直ちに公開されると、審査期間中に模倣や類似品が出回るおそれがある。なので、原則として一年半は出願公開されない。等々力が言う通りだ。いまはまだ、第三者はうちのベアリングを知りえない。
「公開はしていない。だが……」
岩垂が口ごもるのを見て、等々力は嵩に懸かった。
「どうやって盗用するって言うんだ。教えてくれよ」
「あんたのことだ。うちの工場に忍び込んで、設計図でも盗み出したんじゃないのか」
等々力は呆れたように、鼻を鳴らす。
「おまえのとこは、発明品を盗まれるほど、セキュリテイが甘々なのか」
「甘くあるか。知財は厳重に管理している」
「盗まれたって言ったのはそっちだぞ」
岩垂は呻くように咽喉を鳴らした。等々力を追及しようとして、逆に追い込まれている。
「大事な時間を費やして、お遊びに付き合ってやったんだから、おかしな言いがかりをつけるのは、金輪際やめにしてもらいたいものだな」
「だったら、これをどう説明する? たまたまアイデアが似通ったとでも言うのか」
その可能性はゼロではない。だが、等々力は首を振った。
「うちのアイデアじゃない」
岩垂が舌打ちした。
「やっぱり。盗んだんだな」
「まさか。御所の技術指導だ。保持器の改良を指示され、その通りに作った。きょう持ってきたのは改良したもので、もともとの試作品とは違う」
岩垂がハッとした様子で私を見た。
「社長。御所が……」
御所はうちの保持器の構造を知っている。試作品を納品したのだから。等々力が言う通りなら、技術指導の名目で、うちの保持器を等々力精工に教えたということだ。
「そういうことか」
御所には、零細企業に任せる気なんて、端からなかったのだ。特許出願した技術を知りたくて、試作品を納品させたのだ。最初から、うちの保持器を等々力に作らせる気でいたということだ。
額に汗が浮いたのは、暑いからではない。
悔しいが、認めなければならない。孫請けには、御所と契約することなんてできないのだ。
等々力はニヤッと笑った。
「文句を言う相手を間違えてるんじゃないのか。御所を相手にしろよ。技術部長に文句を言ったらどうだ」
そんなこと、できるわけがない。岩戸の中小企業で、御所に逆らえるところなんてない。
いわんや、零細企業に何ができようか。御所を相手に騒ぎ立てたら、どこの下請けも、うちには仕事を回さない。
中小企業庁は、大手に知財を好き勝手に使われないようにガイドラインを公表し、公正取引委員会は知的財産制度の逸脱になる行為に眼を光らせている。
国の規制は、岩戸の製造業にとって、絵に描いた餅でしかない。御所を頂点として、下請け、孫請けの階級社会が出来上がっている。国のヒアリングに正直に回答するところなんて、岩戸にはない。
等々力はニタニタと薄ら寒い笑みを浮かべている。勝ち誇った顔は悪徳商人を思わせる。
大企業が中小企業の知財を吸い上げる事例なんて、どこにでもある。だからこそ、中小企業庁がガイドラインを作成しいてる。どこにだってあることだ。
御所を怒らせることはない。ひとつの知財にこだわって、受注がゼロになったらそれこそ、大問題。
若手の社員を振り向いて、片付けを指示した。
等々力が互いのベアリングを検査することに賛同したのは、御所に指示された保持器の構造がうちのアイデアだとは知らなかったからだろう。うちのベアリングを調べて、さらに別の技術を盗めると思ったから、検査に賛同したのだろう。
考えてみると、迂闊だったかもしれない。わざわざ、等々力にうちの技術をあますことなく見せてしまったのだから。御所が開示していないものまで見せてしまったのかもしれない。
うかうかしていたら、うちの知財をすべて掠め取られてしまう。気を引き締めていなければ。
検証から二日経って、新たな書き込みがあった。
等々力は、貴社のベアリングを提供してもらった見返りに、明日の十八時、三遠信精機の者に金を渡す。等々力を追え。
書き込みのプリントアウトから顔を上げ、岩垂を見つめる。
「岩垂さんは、どう思いますか」
岩垂は眼鏡を外して、鼻梁を押さえた。眼鏡を掛け直して、用紙を見つめる。
「見返りに現金を渡すというのは、不正取引があるということです。等々力は技術指導だと言いましたが、違うんじゃないでしょうか。御所の中に、私的利益を図って、うちの保持器を等々力に漏らした人がいるんじゃないでしょうか」
文面だけで断定はできない。だが、その可能性は低くないと思った。一社員が不正をしたのであって、御所の意思でないのなら、技術を取り戻せるかもしれない。
「うちは、仕様に適うベアリングを既に開発していましたから、予定より早く試作品を納品できました。しかし、等々力は仕様のベアリングを作れなかった。技術部の誰かに、金と引き換えに情報提供を求めたということはあり得ると思います。技術指導なんかじゃない。等々力は金を使って、盗み取ったんです」
「それに気づいた人がいるということでしょうか」
「内部告発でしょう。我々にしかるべく対処して欲しいと願う人がいるということです」
「御所には内部監査室があるでしょ。そっちに通報すればいいのに、うちに言われたって、対処しようがありません」
岩垂が身体を乗り出した。
「何を言ってるんですか。これはチャンスです」
「チャンス?」
「現金授受の場を押さえれば、不正を明らかにできます。うちのベアリングを取り戻せます」
驚いて岩垂の顔を見つめる。
「警察じゃあるまいし、現場を押さえるって。不正が事実なら、いずれ露見するでしょう。それから権利を訴えても」
「成り行きに任せる気ですか。積極的に動いて、盗まれた証拠をつかむんです」
「でも……」
「ベアリングを開発した社員たちに、諦めろって言えますか」
「そんなこと」
私は首を振った。
「だったら、社長のすることはひとつです。等々力を追い駆け、現金を渡すところを押さえるんです。御所に証拠を見せて、うちの権利をはっきりと主張するんです。ベアリングを作らせてもらいましょう」
「うちが、御所と契約を?」
「そうです。うちにはその能力も資格もある。御所に認めさせるんです」
「そんな大それたこと。うちは孫請けですよ」
岩垂は眉根を寄せて、私をじっと見た。
「従業員の能力を認めないんですか」
「え」
「うちの従業員は等々力が盗むほどの開発を成し遂げた。御所との直契約に尻込みするのは、うちの従業員の技術を甘く見ているということですよ」
「そんなこと。うちの技術者たちを宝だと思っています。当然じゃないですか」
岩垂が確信に満ちた顔で頷く。
「孫請けから脱却しましょう。御所と契約しましょう」
御所と契約。そんな夢のような話。
「等々力はうちの技術を盗んで、御所に納品しようとしてるんですよ。うちのベアリングは御所が求める水準にあるということです」
岩垂が顔を突き出した。
岩垂の言う通りだ。うちは御所が求める水準で特許出願している。もはや、夢ではないのかもしれない。躍進のチャンスが訪れているのかもしれない。幸運の女神には前髪しかない。
「わかりました。等々力を追跡して、ベアリングを取り戻しましょう」
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