嘘つきな証人②

 石積みは陽に照らされて熱を持っていた。手を掛け、よじ登ると、身体に熱が伝わって不快。早く石積みから離れたい。腕に力を込め、身体を引き上げる。脚を真横に開いて、つま先を石積みに引っかけた。一気に、よじ登る。

 這いつくばって、オペラグラスを眼に当てた。金網の間から敷地の中を見渡す。敵陣を偵察する兵士のような気分だ。

 岩垂も石積みを登って、隣に這い蹲った。

「ありますか。等々力の車」

 来客用の駐車場の先に見えるのは、玄関の庇。入り口のドアは植栽の陰になっているので、人の出入りはわからない。

 事務棟は右手の三階建てだ。等々力は、あの中にいるのだろうか。ここから窓ガラスを見ても、人影を確認できない。

 左手の工場棟を見る。工場棟と向き合う形でガレージがある。シャッターが下りているので、車の有無はわからない。

 だが、シャッターが閉まっているということは、中に車があるはず。外出中なら、シャッターは開け放してあるはずだから。

 岩垂が呟いた。

「等々力の車はガレージでしょうか」

「おそらく」

「車種はわかりますか」

 御所のゴルフコンペで見たことがある。

「白色のレクサス。ナンバーだってわかります。18‐54」

「ナンバーを憶えてるんですか」

 岩垂が眼を丸くする。

「ゴルフ好きのあるあるです。18ホール全部バーディーなら、スコアは54ってことです」

「なるほど」

「それだけ車に思い入れがあり、ドライブも趣味にしてるらしい。大事な車のハンドルは、妻にも握らせないって言ってた」

「等々力らしい。自分のものは決して誰にも触らせない。独占欲が強いんです」

「レクサスはガレージでしょう。怪文書が事実なら、いずれ出かけるはず。それまで、車で待ちましょう」

 石積みから道路に降りた。アスファルトも熱気を帯びている。湯気が立ち昇りそうだ。

 工業団地の一角なので、通るのは輸送用のトラックばかり。いまの時間は、それも通らない。それでも、他人の眼を気にして辺りを見回す。

「大丈夫です。誰にも見られていません」

 岩垂も周囲を見回す。

 小走りで車に戻った。車は、等々力精工の石積みを曲がったところに路駐した。車線のない道路で、先は行き止まりになっている。車の往来はほとんどなく、見咎められる恐れは、まずない。

 車は輸送路に向いて停まっている。なので、乗り込むと、等々力精工の石積みに面した道路を眼の前に見ることになる。そこを通らなければ、工業団地の外に出られないから、等々力は必ずそこを通る。

 車に乗り込むと、岩垂はACC電源をオンにしてエアコンを起動させた。少し留守にしただけなのに、熱が車内にこもっている。

「昔から、いけ好かない奴でしたが、御所の人間を抱き込んで、うちの技術を盗むなんて。つくづく見下げ果てた奴ですよ」

 シートを少し倒して、毒づく。

「子どものころは、言うことをきくしかなくて、言いなりになってましたよ。向こうの親は、三遠信精機の取締役で、こっちの親は孫請けの町工場のしがない職人。逆らえるはずがない。身分の違いです」

 岩戸市は、藩主だった丹波家が興した三遠信精機とともに栄えてきた。藩主を敬うしきたりが明治以降にも残った。三遠信精機を御所と呼び、重役たちに敬意を払った。国民が皇室という別格の存在を畏怖し、爵位を持つ人たちを畏敬したのと大同小異。

 昭和になって、三遠信精機の業績が飛躍的に伸びると、下請け、孫請けは、三遠信精機の部長や課長に頭を下げて回り、受注を得た。頭を下げる側と下げられる側に、新たな封建制とも言うべき、身分格差が生まれたのは、ごく自然なことだった。高度経済成長時、一億総中流意識が広まる中、三遠信精機では身分格差が強固になっていたのだった。

 他市の人には、令和に身分格差なんて、と笑われそうだが、岩戸市民にとっては、日常風景のひとつ、慣わしのひとつでしかない。バブル崩壊後に、国内の格差社会が論じられるようになって、他市、他県がやっと、岩戸に追いついてきたと思っているくらいだ。

「御所の取締役の子なんて、殿様のような存在ですからね、逆らえませんでした。クラスメートを死なせてしまったこともあります」

「えっ、死なせた? 事故とか……ですか」

 岩垂は唇を噛み、首を振った。

「餓死……しました」

「餓死?」

「クラスに暴力団の下っ端、いわゆるチンピラを親に持つ子がいました。安定した収入がないのに、両親はパチンコやギャンブルに明け暮れ、家にはいつもお金がないようでした。その子にとっては、給食だけがまともな食事だったんだと思います。しかし、給食費を持って来なくて、等々力が文句を言いました。食い逃げだと言ったのです。給食を食べる権利はないと言い出しました。私たちは、その子の家庭の事情にうすうす気づいていましたから、気の毒に思ったのですが、等々力には逆らえず、給食を食べさせないことをクラスで決めてしまいました。給食の時間、ぽつんとひとりで座っている彼を見て、私たちの心は痛みました。しかし、誰も何もしませんでした。そのうち、彼は登校しなくなりました。姿を見なくなって、私たちはホッとしました。だって、給食の時間、罪悪感を抱く必要がなくなったんですから。しかし、ひと月くらいして、一生忘れることのない罪悪感を負うことになりました。その子が死んだのです。両親は遊び歩いていて、ずっと家に帰っていなかったそうです。変死扱いで解剖が実施されました。彼の胃はからっぽだったそうです」

 途中から岩垂の声は震えていた。ついには、むせぶような声になった。

「でも、それは、第一に親の責任であって、岩垂さんのせいじゃありませんよ」

 慰めにもならないことしか言えなかった。

 岩垂は苦しそうに顔を歪める。

「たぶん、生きることを諦めてしまったのだと思います。周りの大人たちはチンピラの家庭には関わらないよう、眼を背けていましたし、私たちは彼をクラスから追い出してしまいました。親には放置され、この世界に居場所はないと感じたのだと思います。生きる気があれば、畑の果樹や野菜を盗んで、飢えを凌いだはずです。でも、彼はそうしなかった。私たちが、生きることを諦めさせてしまったんです。あのとき、どうして等々力の言いなりになってしまったのか、ずっと後悔してきました」

 小学生が他人を死なせた罪悪感を背負ってしまった。おそらく、ほかの級友たちも。それがどんなに辛いことなのか、想像することしかできない。

 岩垂はハンドルの前に拳を握った。わなわなと震えている。

 等々力を快く思わない者は多い。しかし、岩垂は人一倍、等々力を嫌っているようだった。きっと、何かしら因縁があるに違いないと思っていた。級友の死が関係していたとは。

「岩戸は格差社会の先進地だって皮肉を言う者もいますが、私が子どもの頃には、飢える子なんていなかった。孫請けの職人の子だって、米と漬物、みそ汁くらいはいつだって食べられましたからね。しかし、いまは、満足に食べられない子どもがいるんです。岩戸に限ったことじゃありませんが」

 岩垂の子どものときは、高度経済成長期だ。誰もが将来を夢見ることができた。岩戸だって、三遠信精機が業績を伸ばしていたから、下請け、孫請けも売り上げを伸ばし続けた。

 ワールドカップ日韓大会の直前からリーマン・ショックまで好況感は続いたものの、それがもたらしたのは経済格差だけだった。コロナ禍が明けると、給付金で息を継いでいた事業所の倒産が相次ぎ、格差が一層拡大した。

 結局のところ、バブル崩壊から30年、陽が昇ることはなかったのだ。日本国民の誰もが思っている。陽は中天を過ぎて、西に傾いていると。陽は昇った後、沈むということを、誰もが思い出した。

「生きることを諦めて欲しくないんです」

「子どもたちに?」

「はい」

 陽が傾けば、子どもの望みだって萎む。夢を思い描く子どもは限られ、大半の子どもたちは、手の届くところから飛び出さない。自分の能力なんてせいぜいこんなものと、人生を諦めてしまう。

「ご存じですか。最近、またひとり、市内の子が命を絶ちました」

 ローカル紙の隅に、小さな記事が出ていた。家に残っていた風邪薬を大量に飲んだらしい。オーバードーズは、岩戸の小学生にも広がっているのだ。

 岩垂は頭を振って続ける。

「学校でいじめに遭っていたそうです。父親はなく、母親はパートを掛け持ちしてて、いつもひとりだったようです。月に一度の子ども食堂を愉しみにしていたそうです。ほとんど唯一の居場所だったのでしょう」

 傾いた陽をもう一度昇らせることができるのは子どもたちだけだ。子どもたち、ひとりひとりが自己実現の願望を強く持ち、努力を怠らなければ、国は豊かになる。

 陽が昇れば、子どもたちはさらに大きな夢を思い描けるようになり、生きることを諦めたりしない。社会は絶望を絶ち、意志と気力を取り戻せる。ソーシャルインクルージョンの実現を目指すようになる。

 そんな思いを巡らせていると、眼の前の道路を、白いレクサスが通り過ぎた。

「いまの」

「はい。追います」

 岩垂がエンジンを掛け、車を発進させた。

 T字路を曲がると、白いレクサスが遠ざかって行く。オペラグラスを手にして、ナンバーを読み取った。

「18‐54、等々力の車だ」

 岩垂がアクセルを踏み込んだ。

「見失わないように。しかし、気づかれないように」

「任せてください。離れず、くっつかず、ついて行きます」

 時計を見ると午後四時半過ぎだ。これから一時間半をかけて、金を渡しに行くのだろうか。

 経験したことのない高揚感が湧き上がる。取引の現場に臨む麻薬捜査官とか、スクープを目の当たりにする記者は、こんな高揚感を抱くのだろうか。現場を押さえて、私たちが得るのは、保持器の権利と御所との契約。捜査官や記者の手柄より、大きなものを手にできる。

 レクサスが県道に右折するのが見えた。岩垂はさらに加速して行く。

 県道の手前で一時停止した。車の往来が切れるのを待って、右折したいのだが、なかなか車列が切れない。これでは、等々力を見失ってしまう。気持ちが逸り、やきもきする。

 何台もやり過ごして、やっと県道に入ると、レクサスはずっと先に行ってしまっているようだった。

「まずいな」

 岩垂が独り言ちた。

 だが、ラッキーだった。次の交差点の右折レーンにレクサスがいたのだ。三遠信精機に行くには直進。右折ということは、行先は御所ではない。

「御所の中で現金の受け渡しってわけにはいかないでしょうから、どこかで落ち合うのでしょうね」

 岩垂は、右折レーンに入り、レクサスの後ろに停車した。

 右折した後は、ずっと直進だった。

 市の境界を越えて、隣の市に入った。

 いつの間にか薄暗くなっている。積乱雲が横に広がって空を隠してしまったのだ。遠くに雷鳴が聞こえる。

 やがて、レクサスが右ウインカーを点滅させた。水田の間を縫う細い道。そこに入ろうとして停車し、対向車が切れるのを待っている。

「まさか。あんなところに入るのか」

 居住者以外車両進入禁止の標識がある。地域住民の生活道路のひとつで、一般車両が通る道じゃない。

「あんな道に入るのをつけて行ったら、尾行してますって言うようなものだ」

 岩垂は低く唸った。

「高速に乗るのかもしれません。この道を抜けていけば、インターへの近道になります」

「そうなんですか。大して変わらないと思いますが」

「このまま真っすぐ行けば、信号に当たります。でも、あの狭い道を抜けて行けば、信号に当たらずにインターの近くに出られます。等々力は信号待ちしたくないのでしょう」

 等々力なら、さもありなんと思った。しかし、等々力以外に、信号を避けたくて生活道路にズカズカと入って行く者なんているだろうか。いるとは思えない。ついて行ったら、間違いなく怪しまれる。

 岩垂はウインカーを点滅させた。

「え。行くんですか」

「大丈夫です」

「尾行じゃなかったら、誰もあんな道に入らない」

「そう思うのは、普段、社長があの道を使わないからです。日常的に使っている者は、使うのが当たり前なので、ほかの者だって当然、使っていると思うんです。等々力は怪しんだりしません」

 半信半疑だったが、岩垂の顔は確信に満ちていた。

 対向車の流れが切れ、レクサスが細い道に入った。その後に続く。

 冷や冷やしたが、レクサスに後続車を怪しむ様子はない。停まらずにどんどん進んで行く。岩垂の言う通り、誰もが当たり前に使う道だと思っているのかもしれない。

 生活道路を抜けて、元の道路に戻った。レクサスは高速の入り口に向かう。

「岩垂さんの読み通りですね。高速を使うつもりらしい」

「どこまで行くつもりでしょう」

 後を追って高速の入り口に向かう。

 レクサスはETCゲートを通過するところだった。念のため、オペラグラスでナンバープレートを確認する。18‐54。等々力だ。

「上り車線に向かいますね」

 ETCゲートを潜って、左のランプウェイに進入する。遠心力を感じながら、半円の道を上る。さらに速度を増して加速車線に入った。

 レクサスは加速車線にいなかった。ランプウェイを走る間に、本線に入ってしまったようだ。

 大きな雷鳴が聞こえ、稲光が走った。それを合図にしたかのように、激しい雨が降り出した。ワイパーが追いつかない。前を見通せない。岩垂は速度を落とした。

 等々力はどこにいるのだろう。雨で前の車も見えない。等々力だってスピードを出せないはずだから、離されてはいないと思う。雨が小降りになるのを願うばかり。だが、その気配はない。

 十分ほど経っただろうか。不意に雨がなくなった。夕立が止んだのか、積乱雲が異動して、降水エリアを抜けたのか、いままでの土砂降りが嘘のように消え去った。前を見通せる。レクサスはいない。

「スピードを上げます」

 背中がシートに押し付けられた。窓枠に手を伸ばし、アシストグリップをしっかり握り締める。

 前を走る車を次々に抜いて行く。追い越し車線に出たまま、乗用車、大型貨物を後ろに追い遣る。けれども、レクサスがいない。

「まさか、気づかれて、まかれてしまったんじゃ?」

「気づかれてはいないと思いますが……」

 土砂降りで視界が悪かったのに、等々力は平気だったのだろうか。

 山間部を貫く高速道路なので、右に左にカーブが続く。上りや下りの坂もしょっちゅうで、遠くまで見通すことはできない。しかし、レクサスは、そう遠くないところにいるはずだ。必ず追いつける。

「等々力の不正を赦したら、子どもたちの未来を護れなくなる」

 岩垂の強い思いは、級友を死なせた後悔とそれを背負わせた等々力への復讐心に裏打ちされたものだろう。

「必ず、仇をとる」

 岩垂がさらにスピードを上げた。

 生きることを諦めた小学生。助けを呼ばす、足掻きもしなかった。救いを求める意志や抗う気力も持たず、ただ、死に逝くことに身を委ねてしまった。自死とは少し違う。絶望が自死につながるのなら、諦念が招いた餓死は何と呼べば良いのだろう。

 個人を孤立させ、死なせてしまうのは、コミュニテイが機能していないということだ。分断と孤立は、岩垂の級友が餓死したときより、いまのほうが甚だしくなってしまっただろう。個人は諦め、社会は絶望している。社会は自死しようとしている。岩垂はそれを少しでも是正したいと思っているのかもしれない。

「レクサスです」

 岩垂の声で背筋を伸ばした。確かにレクサスがいる。走行車線だ。

 グリップを放し、身体を乗り出して、ナンバープレートを見つめる。まだ、数字を正確に読める距離じゃない。オペラグラスを眼に当てた。ナンバーは、18‐54。やっと追いついた。

「間違いない。等々力だ」

 岩垂がウインカーを出した。走行車線に戻って、速度を落とす。レクサスの後ろにつく。百メートルほどの距離を取って、ついて行く。

 やがて、レクサスが左ウインカーを点滅させた。

「サービスエリアに入るんだ」

 等々力のレクサスは、側道に入って、坂を上って行く。

 岩垂も進路変更して後に続く。坂の頂で、道は左に曲がっているので、レクサスの姿が見えなくなった。

 側道を上り切って、左に曲がると、眼の前にパーキングが広がった。手前は大型車のスペースで、大型貨物やトレーラーが並び、視界を遮っている。

「どこに行ったのでしょう」

 大型車のスペースを通り越し、普通車のスペースに進む。普通車の駐車スペースは三段になっていて、フードコートの建物に近い段は、ほぼ埋まり、二段目も六割方埋まっている。三段目は、一番奥に一台だけ。

「ありました」

 岩垂が少し興奮した声で言った。

 三段目に駐車しているのがレクサスだった。オペラグラスでナンバーを確認する。18‐54、等々力だ。ほかの車はみな、フードコートに頭を向けているのに、尻を向けて停まっている。

 岩垂は、二段目の空きスペースを通って、三段目に入った。等々力の左に、数台分離れて駐車した。三段目に向かった向きのまま停まったので、等々力と同じように、フードコートに背中を向けることになった。

「車に乗っています」

 岩垂がレクサスを見つめる。

 助手席からだと、岩垂が邪魔で等々力の様子はわからない。

「降りる気配は」

「ありません。シートを倒して、寛いでいるようです」

 時計を見ると、時刻は午後五時三十八分。怪文書が事実なら、二十分あまりで金を渡すはず。だとしたら、ここが待ち合わせ場所だ。三段目の一番隅に、フードコートに背を向けて駐車したのは、人目を憚っているとも考えられる。

「六時まで様子を見ましょう」

「はい」

 エアコンを切りたくないので、エンジンを入れたまま、レクサスの監視を続けた。夕立が止んで、外は蒸していそう。

 午後六時になっても、誰も現れなかった。等々力は、相変わらず、車に乗ったままだ。

「どういうことだ」

 岩垂は少しいら立っているようだった。

「相手が遅れているのかもしれません。もう少し、待ちましょう」

 辺りを見回す。レクサスに注意を向けている者は、どこにもいない。本当に現金の受け渡しが行われるのだろうか。疑念が兆す。

 それでも、午後六時半まで待った。レクサスに近づく者は誰ひとりいない。

「書き込みは嘘だったんでしょうか」

「うーん」

 岩垂が唇を噛んで唸った。

 しかし、金の受け渡しがないのなら、等々力はなぜ駐車して、車を降りずにいるのか。

「車に乗ったまま、何をしてるんでしょう」

「ちょっと、様子を見て来ます」

 岩垂は、ドアハンドルに手をかけた。

「待って。これ以上の詮索は……」

 岩垂が振り向いた。

「大丈夫です。うまくやります」

 疑われて追跡されたと知ったら、等々力は逆上するのではないか。岩戸工業会に、悪い噂を流されたら、うちを相手にする企業はなくなってしまう。

 岩垂を止められなかった。ドアを開け、出て行ってしまった。

 岩垂はまっすぐレクサスに向かう。足取りが少しぎこちない。数メートルまで近づいて、車の後ろに回り込んだ。立ち止まって、後ろからレクサスを見つめる。しばらくそのままでいて、不意にフードコートを振り返った。レクサスを離れ、そちらに向かう。

 フードコートに入って行った。どうするつもりだろう。

 しばらくすると、カップコーヒーを手にして戻ってきた。相変わらず、少しぎこちない足取りでレクサスを通り越し、パーキングエリアの端まで行った。そこで折り返してレクサスに近づく。

 レクサスの正面に立ち止まった。じっと運転席を見つめる。硬直したように、ただ見つめている。

 様子が変だ。オペラグラスを取って、岩垂にピントを合わせた。驚いた顔をしている。

 岩垂は運転席側に回った。そこで腰を屈めたので、頭が隠れた。等々力と何か話しいるのだろうか。尾行したのがバレて、詰られているのだろうか。

 岩垂が腰を伸ばしたので、顔が見えた。呆然とした様子で、ふらふらと後ずさる。のけ反るように顎を上げ、レクサスの陰に隠れた。後ろに倒れたようだ。

 急いで車を降り、駆け出した。

 レクサスを回り込むと、岩垂が両手を後ろにつき、座り込んでいた。カップコーヒーのカップと氷片が転がっている。

 岩垂に駆け寄ると、唇が震えている。蒼白した顔でレクサスを指さした。

 レクサスの運転席。窓は開いているので、運転手が見える。髪が濡れているのか、ベタっと額に張り付いている。眼は瞑って、ガクッと首を折り、顎を胸につけている。

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