バチンとチン
冴月練
バチンとチン
ピアッサーで耳に新しい穴を開ける。「バチン!」という音とともに鈍い痛みがやってくる。心がスッとするような気がした。
ピアスの穴はこれで何個目だろうか? 自分でも把握していない。カッターで手首や肘にうっすら傷をつけていたこともあったが、ピアスを開けるようになってからそれはしなくなった。
少しボーッとしてから立ち上がった。バイトの支度をしなくてはならない。
「いらっしゃいませ!」明るい笑顔と声でお客さんを出迎える。
バイトの居酒屋は元気の良さを求められた。それくらいの演技はできる。それさえ守れば、髪の色もピアスもタトゥーも自由だ。それが理由でこの店を選んだ。私以外のバイトもそんな感じ。そもそも店長さんの太い腕に派手なタトゥーが見える。背中とかもすごいらしい。
仕事には厳しいが、店長さんもおかみさんも良い人だ。私はこのバイトが気に入っている。
バイトが終わって帰途につく。スマホが鳴った。「電気君だ」着信相手を見てつぶやいた。
自慢ではないが、私は生活力が無い。日常生活では困ることが多い。だから助けてくれる人がたくさん必要だ。でも、私がお返しできるものなんて少ない。幸い客観的に見ても顔と身体は良い。セックスと引き替えに助けてもらう。私は日常の困りごとが解決し、相手は気持ち良くなれる。持ちつ持たれつというやつだ。
電気君は家電とスマホに詳しい。パソコンにも詳しいと言っていたが、私は持っていないから関係ない。本名はうろ覚えだ。電気君のような男友達が私にはたくさんいる。
電話に出る。電気君は私とセックスしたかったようだが、今困っていることがないから断った。軽く雑談して電話を切った。
ほとんどの男友達とは上手くやっているのだが、何人か困ったのがいる。私を彼女か何かと勘違いしているヤツらだ。
アパートに帰ると、玄関前に長身のガタイの良い男がいた。“あいつ”だ。
部屋の模様替えをしたくて、手伝ってもらったことがある。お礼に一度セックスした。それだけの関係。友達だとすら思っていない。
私に気づくと相好を崩して手を上げる。挨拶しているようだ。内心うんざりした。
部屋のドアに近づくと、嬉しそうに近寄ってくる。部屋に入りたがっていたが、「あなたとセックスしたのはただのお礼で、それ以上でも以下でもない」ということをはっきり伝えた。しかし、私が照れていると思い込んでいるようで、ぐいぐい距離を詰めてくる。確か大学生と言っていた。それが高校中退の私よりも国語力が無いのはどういうことだろう?
腕力では勝ち目がない。困っていると、隣の住人が帰宅してきて「何してる?」と助け船を出してくれた。長身で強面の男性だ。あいつは舌打ちすると帰って行った。
お隣さんに丁寧にお礼を言った。お隣さんは顔こそ怖いが、普通の会社員だ。たまに彼女さんが遊びに来ている。
部屋に入るとため息をついた。
シャワーからの水漏れが止まらない。手に負えないから、“水道君”に連絡した。明日の仕事終わりに来てくれるそうだ。
翌日の夕方、水道君がやってきた。水道君は水道関係の修理会社で働く好青年だ。「仕事終わりで汗臭くてごめん」と言っていたが、まったく気にならなかった。
水道君はシャワーを見ると、「パッキンが古くなったんだね」と言い、すぐに直してくれた。私は感動したが、水道君は「パッキンを交換するだけの簡単な作業だよ」と言って笑っていた。その簡単な作業が私にはできない。
それから一緒にお風呂に入り、セックスした。水道君はセックスが上手いから、私も楽しかった。
水道君に夕飯へ誘われた。おごってくれると言うので、喜んでついていった。その夜は水道君と楽しく夕飯を食べた。
数日後。
今度は台所の蛇口から水漏れしている。水道君が言っていたパッキンが古くなったのだろう。ひょっとすると、部屋中のパッキンが一度に寿命を迎えようとしているのでは、と思った。
また水道君に連絡を取ろうとした。ところがブロックされていた。「何か水道君を怒らせることをしただろうか?」と思ったが、心当たりがない。たぶん水道君に彼女ができて、私との関係を清算したのだろう。そう結論付けた。
問題は水漏れだ。何でも器用にこなせる男友達を思い出した。連絡すると、「それくらいならオレでも直せる」と返事が来て安心した。ただ、水道君みたいな良い人がまた見つかるかが不安だった。
今度は電子レンジがおかしくなった。
スイッチを入れると、しばらくしてチンと鳴って止まる。それだけ。
リサイクルショップで安く買ったものだから、寿命の可能性もあるが、直せるならまだ使いたい。電気君に連絡を取った。明日の夜に来てくれることになった。
翌日、電気君は約束通り来てくれた。電子レンジをいろいろ調べ、「たぶん、これなら直せる」と言った。ホッとした。電気君は真剣な顔で電子レンジの修理に取り組んでいた。私は横でそれを見ていた。
電子レンジは無事修理できた。電気君にお礼を言い、それからセックスをした。電気君は少しアダルトビデオの影響を受け過ぎだと思う。
電気君を夕飯に誘ったが、明日は朝早いそうで断られた。
翌日、バイトに行くと、他のバイトメンバーが何か真面目な顔で話をしていた。工学部の大学生が何者かに襲われて、救急車で運ばれたらしい。バイトメンバーの一人がその大学生と知り合いで、名前を教えてくれた。
電気君の本名だった。
直観的に犯人はあいつだと思った。ひょっとしたら、電気君だけでなく、水道君にも手を出したのではないだろうか?
数日後。
アパートに帰ると、部屋の前にあいつがいた。私は決着をつけることにした。
あいつを部屋に入れた。あいつは後ろポケットからスマホを取り出し、テーブルの上に置き、座ろうとした。
「座らないで」と制止する。あいつは苦笑いをしたが、私の言葉に従った。
「電気君と水道君を襲ったの、あんた?」目を見て尋ねる。
「電気君? 水道君?」あいつは笑い出した。
「あいつら名前も覚えてもらってなかったのかよ。ああ、そうだ。お前の周りをちょろちょろしてたから、排除したんだ」
誇らしげにしゃべる。私に褒めてもらえるとでも思っているのだろうか?
電気君と水道君に手を出したことにも嫌悪感はある。
だけど、私が一番許せないのは、私の生活基盤を脅かしたことだ。
テーブルの上のあいつのスマホをつかむと、冷蔵庫の上に置いてある電子レンジの中に放り込んだ。
スイッチオン。
電子レンジの中でバチバチと放電が起きる。
あっけにとられていたあいつが、悲鳴を上げて電子レンジを止めた。私はその様子を腕を組んで眺めていた。
あいつはスマホが動くか確認している。動くわけがない。
あいつがゆっくりと首を上げて私を見た。ぼんやりした間抜けな顔をしている。おもわず笑ってしまった。あいつの顔が徐々に怒りへと変化する。
ずかずかと私のほうに近づくと、迷いのない蹴りが私の腹に直撃した。私の体は簡単に壁際まで吹っ飛び、床にはいつくばった。遅れて痛みがやってくる。痛い。体格差も大きいし、男の本気の蹴りを耐えられるわけがなかった。
急激な吐き気に襲われて、胃の中身を床にぶちまけた。
なんとか体を起こそうと頭を持ち上げた。次の瞬間、後頭部と顔面に強い痛みが走った。一瞬混乱した後、あいつが私の頭を踏んづけたのだと理解した。自分の吐瀉物に顔を浸したまま動けなくなった。
あいつがごそごそと何かをしている音が聞こえてきた。たぶん、私の鞄から財布を探しているのだろう。財布が見つかったのか、あいつは何も言わずに出ていった。
動けないまま、「アパートの家賃の支払いどうしよう」と考えていた。
しばらくして、ようやく動けるようになり、体を起こした。顔についた吐瀉物の感覚と臭いが不快だった。吐瀉物は赤かった。結構な量の鼻血が出たようだ。
体をくの字にしたまま、なんとか台所にたどり着いた。お腹が痛くて、ちゃんと立てない。水道水で顔を洗い、顔の吐瀉物と鼻血を洗い流した。
そのまま床にペタンとお尻をついた。頭とお腹が痛いから、床に寝転んだ。目を瞑って痛みが去るのを待つ。
どれくらい時間が経ったのだろう? うっすらと目を開けた。床に転がる鞄の中で、私のスマホが明滅しているのが見えた。「今日、バイトだ」と思いだした。無断欠勤してしまった罪悪感がのしかかる。電話はたぶん店長さんかおかみさんだ。電話に出ないと。這ってスマホを手に取った。
電話はおかみさんからだった。私のことを心配している。男友達と喧嘩して蹴られて動けないと伝え、無断欠勤したことを謝った。おかみさんは「すぐ行く」と言って電話を切った。「おかみさん、私のアパート知らないのに」と思った。
おかみさんは本当にすぐに来た。私を見るとすぐに110か119に電話した。何でアパートを知っているのか尋ねた。「履歴書に書いてある」と言われ、笑ってしまった。おかみさんがそばにいるのに安心したのか、気を失った。
目が覚めると病院のベッドだった。
店長さんとおかみさんがお見舞いに来た。「入院費用と治療費は心配するな」と店長さんに言われた。おかみさんがいなければ、惚れていたと思う。
あいつは逮捕されたそうだ。近所の防犯カメラの何台もがあいつの姿を撮影していたので、証拠は十分らしい。
ただ、警察の事情聴取を受けたり、何枚もの書類を提出しなくてはならないらしい。それを聞いて憂鬱になった。書類作成を手伝ってくれる男友達を、頭の中で何人かピックアップした。
店長さんとおかみさんが帰り、一人になった。
耳を触るとそこには何もない。頭部の検査をするために、ピアスは全部外されていた。
いつもあるものが無いのは違和感があるが、不思議と心細さは感じなかった。
(了)
バチンとチン 冴月練 @satsuki_ren
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます