〆切前に旅をする。
君偽真澄
〆切前の旅
12時30分。
「いやぁ、『ふるさと』が流れてもみぃーさんが書けって言うから降り損ねるかと思ったけど、杞憂だったね!」
後ろから二人分のスーツケースを引っ張って来る
「倉吉が終着なんだから余裕だが?ってか、自分のスーツケースくらい持ちやがれ」
「だって、みぃーさん「荷物持ちでもするからわたしも連れてけ」って言ったじゃん。ホント、ネコ並の脳だなぁ」
「猫が狭いのは額じゃなかったっけ?わたしは苗子じゃないけど」
「倉吉に来たからという理由で何となく振ったコナンネタにしっかり応じてくれるみぃーさんはホントいいなぁ」
「北栄町は厳密には東伯郡……って見捨てられたくなかったら、ちゃんと書け?」
「そんなことを言いながら、ちゃんと最後には助けてくれるって信じてるよ?」
「…………」
「ちょっと、その無言は⁉︎その無言は何⁉︎せめて何か言って!」
昼頃になって普段の調子になってしまった悠亜を見て、環は深くため息を吐いた。
*
遡ること数日前。
テーブルの上で着信音を奏でるスマートフォン。
悠亜はチラとだけ画面に表示された〈みぃーさん〉の文字を見て「あ、やば」と呟く。そろそろ掛かってくると経験上判っているはずなのだが、学習しないダメ人間悠亜にそんな常識は通じない。
「お掛けになった電話は電波が届かないところにあるか……」
悠亜が言い終えるまでもなく、「そんな古いネタは大丈夫。足りてるから」と冷たい声がスマートフォン越しに聞こえる。
「あー、はい……どうもですみぃーさん」
「その調子を見るからに……というか最早上がっているとは思ってないけど、もうすぐ〆切のやつ、どこまで仕上がってる?3割?2割?……1割はやめてよ……?」
全くもって悠亜の責任なのだが、評価が最低値を叩き出している物言いに悠亜は「いつもすいません……」と小さくなる。
「いやいや、今更謝ってもらおうなんて思ってないし、そうじゃなくて、どこまでは出来てる?」
「えーっとですねぇ……半分くらいには来てるんですけど……」
嘘は言っていない。たとえ、折り返し地点が見えたところでピタリと筆が止まっていたとしても嘘ではない。そうだ、丸二日くらいファイルを開いた記憶もないが、嘘は言っていない。
悠亜が心中で検察無き自己弁護をしているとは知ってか知らずか、スピーカー越しに環の驚嘆がうかがえる。
「え?嘘でしょ……?あの遅筆で生活リズムクソで約束破りの帝王こと
え?大丈夫だよね。半分ってハーフのことだよね。
言うなら帝王じゃなくて、女王だし、〈今の時点〉じゃなくて〈二日前の時点〉だけどね。
などと思う悠亜だが、
「へぇ、みぃーさんの多大なるご助力もありましてなんとかやれております」
なんて、時代劇の越後屋みたいにヘコヘコする。
「じゃぁ、来週の……んー、火曜くらいにそっち行っても今回は大丈夫そうだね」
今回は、を強調しつつも軽い調子で言った環の言葉に悠亜は絶句する。
さっきまでのちょっと余裕っぽい表情が消えてるもん。
「あー、ちょっと、火曜は……あはは……予定が入ってた気がするなぁ。あ、もしかしたら具合が悪くなってるかも……」
「あぁ、だあいじょうぶ、大丈夫。わたし、今余裕あるからいつでもいいし。いつもと違って、〆切当日に行くわけじゃないから!」
「いやぁ、そのぉ、火曜は家にいないと申しますか……」
「うん⁉︎ごめん、ちょっと電波が悪いのかなぁ、よく聞こえなくて!」
「だから、その日は旅行に行っていて、家を空けているんです!」
勢いよく言ったはいいが、あー、終わったな、とどこか他人ごとのようにしみじみと思うダメ人間。
「……」
その一方でいまいち認識が出来ていない編集者。
「うん!判ったよ、判った。考えてみれば、〆切前に全然関係のない作業をしだしたりするのは今に始まったことじゃないしね。で、あの一応きいておくんだけど、どこに何日?あー
口調の軽さとは裏腹に言葉の端々に並々ならぬ感情を感じ、悠亜は考えていた言い訳を数億光年先までで吹っ飛ばす。
「一泊二日で鳥取・倉吉へ」
*
ということがあり、確かに、その時環は「荷物持ちでもするからわたしも連れてけ」と言った。連れていけって行っても、経費で落ちなかったら自費で出すつもりだし、尤も目的も旅行ではなく歴とした仕事。つまり、作家、中田鮎先生こと悠亜の監視。だが、ちゃんと書いてくれるのでさえあれば、荷物持ちくらいはしてやろう。そういう気持ちであったことは事実だ。
「懐かしい……って言おうと思ったけど、駅も綺麗になっちゃってあんまり懐かしさがないねぇ?」
倉吉駅が橋上駅舎化したのが2011年。今年の春にはICOCAの利用もついに可能になった。十数年倉吉を訪ねていなかった悠亜が懐かしさを感じないのは無理もない。
「ねぇ?ってきかれてもわたしは5年くらい前に初めて来たくらいだから知らないけど。あなたは倉吉出身だったの?」
「うーん。生まれは関西。育ちも関西。そんなだから、関西出身ってことにしてる」
「じゃぁ、なぜに今回依頼が来た?」
「たこ焼きの間に
「何が言いたいかはわかるけど、気持ち悪そうな食べ物作るのやめて⁉︎」
「気持ち悪そう……って、倉吉の名物ですぞ打吹公園団子。あの程よい餡子の甘さ。少し歪な団子の形もいいんだよね……!噂によるとコナン君コラボも出来たらしいし、後で買って帰ろ」
「何でもいいけど、ちゃんと倉吉取材してそして!原稿仕上げて下さいね?」
「あ、はい」
悠亜はまたもや、小さくなりつつも、切符を駅員さんに渡した後に迎えてくれた〈くらすけくん〉の写真を撮った。
悠亜の書く小説にはきっと土蔵の着ぐるみを着るビーグル犬が出てくることだろう。
1ヶ月くらい前の話になるが、悠亜のところにひとつの依頼が舞い込んできた。
何でも、倉吉を舞台とした小説を書いてほしいという。
それで、悠亜は今回、別の〆切が迫っている最中取材旅行に来たわけだ。
たこ焼き育ちを公言している悠亜が一時期倉吉に住んでいたなどという話をどうして知ったのか環は疑問に思ったが、どうせどっかのエッセイかなんかに書いてそれをあのアホが忘れているんだろう、と雑に納得した。
「あの……みぃーさん、この後どうやって行けばいいんでしょうか……?」
「せめてアクセス方法くらい調べてきたらどうなの?」
「ちょっと難しいかも」
環は今日何回目になるだろうか判らないため息を吐きながら、南口を降りたところのバスで行くと伝える。
〈はくと〉の中で白壁土蔵群を見るだの、時期はずれの梨を食べるだの(特殊な技術でどの時期でも梨を美味しく食べれるんだぜ、と悠亜力説)言っていたので、安心しそうなものだが、それでもちゃんと調べている環はさすがの一言だ。悠亜の性質がよく判っている。
時刻表を見ると、まだ少し時間があるので〈くらよし駅ヨコプラザ〉へ。
打吹公園にはもしかするといけないかもしれないので悠亜はコナン君バージョンの打吹公園だんごを予約する。明日取りに来る予定だ。
他にも買いたいものはあったが、今買うと荷物になるの確定なので駅に戻ってきた時に買うことにする、との悠亜談。
そうこうしていると、結構いい時間になっていた。
〆切ギリギリと楽しい時の時間は過ぎるのが早いなぁ、なんて悠亜はしみじみと思った。
2番乗り場から日交バスに乗り、白壁土蔵群を目指す。
途中、山根パープルタウンや、あべのハルカスの建築にも携わったシーザー・ペリ設計だという倉吉パークスクエアを通るが、遠いところから順に、という結論に落ち着いた。
「やっぱ、ここって雪多いんだなぁ」
環の何気ない独り言だったが、ずっと窓の方を見ていた悠亜が環の方を向いて、どして?ときく。
「いや、あれ。この時期だし、雪かき用のシャベルかなんかかなと思って」
そう言いながら、環が指差すのは乗り口のすぐ側に立て掛けられている錆っサビのシャベル。なかなかに年季が入っている。
「ああ、あれね。ガチガチに踏み固められた雪をブルードーザーでかいちゃうと一発でパーになるから。先にあれで割っとかないといけないんよね。ホントに氷みたいになってるから」
「ブルードーザー……?」
「ああ、スノープッシャーのこと。一般的にどうなのかは知らないけどブルードーザーってうちでは言ってた。でも、プラスチック製のものが多いからね。新雪とかじゃないと無理」
無駄に雪国(鳥取でも雪国というのか?)育ちを発揮して、説明する。
「へぇ、そうなんだ」
「うん、そうなんだよ。って言ってもこの頃はあんまり降ってないみたいだけど。一昨日も結構な雨だったみたいだしね」
悠亜はここで一旦切った後、変に口調を変えて
「でも、今日はご覧の通りの晴れ!雲一つ無き快晴だよ、みぃーさん!いやぁ、良かったねぇ!」
と言った。
15分くらいバスに揺られて、〈市役所・打吹公園入り口〉停留所に着く。
二人は運転手にお礼を言ってバスを降りる。
観光案内所でマップを貰い、少し歩く。今も現役の赤ポストなんかも見ながら、玉川沿いに。
駅前の景色とはうって変わって、その名の通り白壁の土蔵が並んだ古い街並みが広がる。
倉吉駅前の交番みたいに白壁の建造物は市内に多くあるが、ここまでだと見ものだな、と環は思う。
「銀座だって」
マップを見ながら環がひとりごちる。
県道205号線のことだ。赤瓦一号館を曲がって、打吹公園通りを北上するとどんつきに。
「パクリ銀座も多いって聞くしね。伏見銀座とか、有名どころだと、若狭湾は「原発銀座」、北アルプスも「西銀座ダイヤモンドコース」なんて比喩されているらしい」
博識を披露したのは悠亜だ。さすが作家、といったところか。
「若狭湾は前から知ってたし、納得って感じだったけど、何故北アルプスに〈銀座〉が?山が多いからとか……」
「いんや、登山道が多くの登山者で賑わうことが由来って聞いたけど。実際のところはどうだか」
そう聞いて、環は本日、15分ぶり2回目の「へぇ」を発した。
土蔵の中に入ってみたり、外から見てみたり。
ぶらぶらと、そして時々悠亜がパシャパシャと写真を撮りながら。
そんな時であった。
「本当に見たんだよ、ツチコロビ!そこをササササってこっちに来てよ」
ふと、二人がそちらの方を見ると小学生低学年、中学年くらいの男子二人が土蔵近くに立っている。
「「ツチコロビ?」」
変な知識を持つ悠亜も知らない謎の言葉。
旅人が地元っぽいものを欲している時に出会う、地元のピープル、略してジモピー。
こんな明らかなところに立っている小学生とか、旅番組だったら仕込み確定のところだ。
「ねえ、君たち、ツチコロビ?って何?」
見事なスピードでアタックしていく悠亜。
誰がなんと言おうと、彼女は倉吉市を舞台とした原稿のネタにとても困っているのだ。
涼宮ハルヒではないが、不思議そうなものがあったらなんでも持ってきて欲しい。
「何?オバサン」
さっきまで力説していた少年が当然の反応を見せる。
防犯ベルを鳴らされなかっただけ、悠亜は感謝するべきだ。
「あーあーごめんね、驚かせちゃって。
わたし、こういう者なんだけど倉吉についてこのアホと取材してて……」
スムーズな動作で前に出て、編集者・三池環と書かれた名刺を出す。
「俺、名刺初めてもらったかも」
「オレは家に結構あるけどな」
その傍らで悠亜はガビーンとした顔をしているが、それは少年に「オバサン」呼ばわりされたためか、環に「アホ」呼ばわりされたためか。
そんなことはどうでもよく。
「なぁなぁ、タケシ、もう行こうぜ、宿題もしねーといけないし。何より、今はアクトクショーホー?ってやつが流行ってるってテレビでも言ってたし」
〈ツチコロビ見た君〉がタケシの腕を引っ張る。
何が、アクトクショーホーだ、大体、編集って名乗ってどう悪徳な商法をするつもりだって? と内心で意地悪く顔を歪める環だが、タケシはいいぜ、と言って〈ツチコロビ〉談を始めた。
ツチコロビ——このあたりの地域(後に調べた悠亜によると東伯郡三朝町とのこと)で伝わる妖怪だという。槌にも似た蛇のような生物(?)でその名の通り転がって人を追いかけるのだという。
「旅人を襲うって話もあるんだぜ、だからオバサンのたちも気をつけなよ」
タケシのありがたいご忠告だ。
「最近、この辺りでそれを見たってやつがいるんだけど、このヤスシも一昨日見たって言うんだ」
〈ツチコロビ見た君〉はヤスシというらしい。タケシとヤスシ、何やらお笑いコンビみたいだな、と悠亜は思った。
「で、今日見たっていう場所を来て……んで、さっきオバサンに話しかけられたところ」
饒舌な小学生だが、目撃証言があったところに来て、何になるんだろうか。というか、ツチコロビってツチノコじゃないの⁉︎
環は内心ツッコミの嵐だったが、悠亜の取材のためと思って黙って聞いていた彼女を誰か褒めて欲しい。
「そのツチコロビ……?ツチノコとは違うの?」
そして、一瞬で環がこらえていたツッコミを放出する悠亜。
だが、それに気を悪くする様子もなくタケシは「ああ……」と話を続けようとするが、
「なぁ、タケシ、もういいだろ。行こうぜ」
というヤスシの言葉に遮られ、ドナドナと連れ去られて行った。
が、それで諦める悠亜ではなかった。
見事な脚力で彼らに追いつくと、ヤスシの方に何やら話している様子。ポツネンと環とタケシ。
「何をお話になっていたんですか、悠亜さん?」
「うん、私たちの業界には『次の日の午前中までは今日のうち』っていう言葉があるんだよ、って教えといてあげた。ほら、タケシ君?宿題がどうのこうのって言ってたから」
「それ、ダメな作家のダメ理論」
「ええ、私はいい格言だと思うけどなぁ」
どこでもダメな大人代表を突っ走りそうな悠亜だ、と環は大きくため息を吐いた。
その後ももう少し歩いていると、周りに比べてのっぽな建物が目に入る。
「あ、あれじゃない?打吹回廊」
打吹回廊は1階にはカフェ、2階にはレストランが入った展望台である。
高さはすごく高いというほどではないにしろ、土蔵の特徴のひとつ、赤瓦を上から見ることのできる場所だ。
「先にカフェに行くか、或いは先に展望台に上がるか」
「カフェに行くことは決定事項なのね。わたしとしては寄稿予定の小説に出せそうなところを取材してほしいのだけど」
「出してやるよ、カフェ!意地でも出してやりますよ!それにね、女子たるものお洒落そうなカフェがあったら入らないといけないでしょ、いけないでしょ!」
「女子て、何年前の話やねん」
環はお決まりのツッコミをかますが、悠亜の目のハイライトが消える。さっき、少年たちに「オバサン」と言われたのを引きずっているのか。
「……ナグルヨ?」
「ちゃんとかばんをレンガに持ち替えるのやめて」
まぁ、とにかくわちゃわちゃやって、結果先に休憩することになった二人。
店員の女性に案内されて、結果好きな席に座って注文。
晴れていても、寒かったこともあり、二人とも同じココア。
二人を案内したのと同じ店員さんがココアを持ってくる。
「あったまるねぇ。みぃーさん」
「これに関しては同意」
「……うん?スルーしそうになってたけど、これに関しては、って何⁉︎」
「なんでもよくない?」
「それに関しては同意。どうでもいい」
「ちゃっかり、お返ししてきてるあたり、どうでもいいと思ってないんだよなぁ」
環はぼやくが、まったりするのもいいもんだと思う。
いや、本当はさっさと二つの原稿を仕上げて欲しいんですけど。
「あー、シラネさん!いらっしゃい」
ドアベルの音と共に入ってきた初老の男性は常連と見える。
「うん、今日はね梅、持ってきた。店の中に飾ったらどうかと思って」
聞けば、庭に植わっている梅の枝だという。折れてしまったので持ってきたとのこと。
なるほど、こういう日常みたいなものを描いてもいいのかな、なんて悠亜は考えた。
店を出て、螺旋階段を上り、高さ15メートルから眼下に広がる土蔵群をのぞむ。
一面に広がるくすんだような赤に悠亜は思わず見とれてしまう。
「『山陰地方の風土のひとつで、島根県石見地方の石州瓦を起源とします。焼き上げる温度が1200℃と高く、凍害に強いのが特徴です。』だということですよ?先生?」
「うん、いいもんだねぇ」
全くキャッチボールがなってない会話に環は苦笑する。
もしかしたら、昔の悠亜もこうしてたまには赤瓦を眺めることもあったのだろうか。
『2019年にこの区内を一望出来る展望台……』?
ああ、無理だったわ。
一人で突っ込む環を気をする素ぶりも見せず、悠亜はずっと同じ方を見ている。
「そろそろ行きますか、悠亜さん?」
「うん、そうだね!」
打吹回廊を出たら、〈赤瓦・白壁土蔵〉停留所はすぐそこ。
さっきとは違う停留所だが、ここから倉吉パークスクエアまで。
ひとつの目的地に行くのにもいろんな方法がある。
交通の便がいいのは旅行者としては喜ばしいことだ、なんて環が思っていると、バスが来た。
これは北条線で、由良駅の方まで行くらしい。
「そう言えば気になってたんだけど悠亜さん」
さっきとは違うバスだが、同じ位置の席に座った後、環が切り出す。
「何でしょう?」
「何で、取材、倉吉の人に案内とか頼まなかったの?」
「せっかく、寄稿を依頼して頂いたのに、倉吉のこと大して知らないじゃん、みたいなのじゃ悪いかなって思って。昔の記憶ならないこともないんだけど」
「他人のことを気遣うことが出来るのなら、わたしのことも気にかけて欲しいもんだね」
「まぁ、そこは?私とみぃーさんの仲じゃないですか!」
「単なる、取引関係?」
悠亜は再びガビーンとした。
二人は3駅目、パークスクエア北口で降りて、二十世紀梨記念館、通称「なしっこ館」に向かう。
未だ、太陽が地上を照らし続けているが、さすがに山陰地方の冬である。時折、冷たい風が吹きつける。
確かに雨や雪が降っていなくて良かった、と心底思う環である。
足早にシーザー・ペリらしくファサードが曲線を描く建物に入る。
「ねぇねぇ、みぃーさん、パーラーなるものがあるらしいよ!」
「床屋?」
一応ボケてみる環。
「違うよ、喫茶店だよ!」
知っている、と環は言いたかったが、面倒だったので言わないでおいた。
っていうか、まだカフェらしきものに入る気か。
「これがいいね、〈なしっこミニパフェ〉。ついでに梨ジュースもいきたいところ」
外は寒いが、中は結構暖房が効いている。さっきココアは飲んだが、小腹も空いてきているようにも思う。パフェっていう選択肢もありかもしれない、と環は感じた。
「じゃぁ、先にお茶にするってことでいいの?」
「はい!」
いい歳のダメ人間は無邪気な子どもみたいに元気に返事した。
とりあえず、壁際の席だけ確保して、カウンターで注文。
数量限定の〈なしっこミニパフェ〉が残っていて一安心。梨ジュースも二つ頼む。
手頃な値段で、お財布に優しいな、と環は思った。
二人とも、チューと、ジュースを一口飲んでから〈なしっこミニパフェ〉をパクッと頂く。ごろっと切られた梨が上に乗っていて、食べ応えがありそうである。
「値段の割に、と言っては何だけど美味しいね」
「来てよかったじゃろ?」
詳しく調べていなかったくせに。
だが、二十世紀梨を食べる食べる、とうるさかったのは悠亜なのでお小言は封印することにした環である。
「悠亜さん」
大体食べ終わった後、環が切り出す。
「何?何か怖いんだけど」
「倉吉の短編?のネタ何か思いつきました?」
「うふふ……」
「いや、笑っても誤魔化せてないよ⁉︎
じゃなくて、あの例の妖怪、ツチコロビ?とか使えそうにないの?胡散臭くても見たって言う少年にも出会ったんだし」
「ああ、人のことをオバサン呼ばわりする失礼なガキどもね」
あらゆる礼を省いたのはあんたもだろ、と環はツッコむ。
「まぁ、それはもういいんだけど、大体あれ、完全なる嘘だしね」
「いくら、オバサン呼ばわりされたからって、そこまで言い切ってやらなくても」
「別に根に持っているわけじゃなくて、普通に考えたら、あれは見栄——妖怪を見たって言うのが見栄になるのかどうか不明だけど——を張った嘘だって判るよ」
「まぁ、確かに、わたしが編集者で取材をしてるって話をしたら、ヤスシ君の態度は急に変わったし、小学生は話を盛るのが常だしね」
「それに、名刺の話といい、ヤスシ君は威張るのが好きらしい。
っていうのじゃなくて、もっと簡単な話。
まず、最初に彼らに会った時、ヤスシ君は石橋の架かる玉川の外壁?を指差していた。みぃーさん、覚えてる?」
「まぁ、言われてみれば」
環が肯定したのを見て、悠亜が話を続ける。
「そこを後に見たんだけど、いい感じに乾燥してきているイシクラゲがあった。ついでに石橋で隠れているところにも外壁にイシクラゲがあったよ」
「ちょっと、イシクラゲって何?新しい妖怪か何か?」
「ネンジュモ科の陸生藍藻の一つでね、漢字で書くと石に水に母。あのほら、土の上とかコンクリの上とかにグニョグニョって気持ち悪いのがいたりするでしょ。あれ、普段はパリパリの木耳みたいなんだけど」
悠亜はほらこれ、というようにスマートフォンで検索結果を出す。
「うわ、気持ち悪ッ!でも乾燥しているのは見たことあるかも」
「これ、一回生育すると、乾燥してもまた水に濡れると復活するっていう最悪の特性を持つんだけど。まぁ、今そんなことはよく、ヤスシ君はそんな藻があるところを指差していたんだよ」
「そこまでは判った。でもどうして、嘘と断定出来るのか判らない」
「みぃーさんの頼みとあらば、ちゃんと説明するけどね。彼が最初、なんて言ってたか思い出してみてよ」
「『何?オバサン』」
「その前、というかわざとだよね?」
「なんのことだか……。えーっと、『本当に見たんだよ、ツチコロビ!そこをサササって』みたいな感じだったっけ?」
「うん、それ。でもその言葉には違和感がある」
「特に何も感じないけど……」
「じゃぁ、こう言ったらどう?あそこにあったイシクラゲはまだ、新しく出来たものが乾燥したものに見えた」
そう言われても……と環は唸っていたが、直後、表情が変わる。それを見てから、悠亜は言う。
「そう、ヤスシ君がツチコロビを見たという一昨日、つまり日曜日のことだけどあの日は結構な雨が降っていた」
——一昨日も結構な雨だったみたいだしね。
土蔵群に向かうバスの中で悠亜が言っていたその一言が環の脳裏にこだまする。
「あのイシクラゲはその雨で出来たんじゃないかな、判らないけど。ならば、その時の玉川の水位はあの位置。
もし違ったとしても、仮にヤスシ君が本当にツチコロビを日曜日に見ていたとしたら、彼が言う言葉は間違っても『そこをササササって』じゃない。ぬるぬるぬる、かな?
彼はきっと今日、あそこに来てから考えてもいなかったことを付け加えたんだね。今日はしっかり晴れていたから川の外壁は乾燥していた。それを見て、彼は『ササササ』って言った。そう考えてたらああ、嘘だなって思った」
「じゃぁ、なんで宿題云々の話をしたの?そこまで判っていたなら、彼の宿題の話が、わたしたちからタケシ君を遠ざけるための適当な口実だって判ってたんじゃない?」
「あー、そうなるかぁ。別に宿題の話をしたわけじゃなくて、「ツチコロビを見たのは土曜日だったかも」って言ったらどうかな?って言っただけ。まぁ、でもツチコロビ、上手く使えたら面白い話になりそうだけどね」
そう言って、悠亜は残っていたジュースをジューっと飲み切った。
——ちゃんと最後には助けてくれるって信じてるよ?
冗談なのか、本気なのか、恐らく本気なのだろうが、悠亜は環によく見捨てるな、と言ってくる。
(だけど、わたしは作家、中田鮎の純粋なファンだからね。でもそれ以上に友人、悠亜と一緒にいたら不思議と退屈しない。結局最後までこいつを見捨てることは出来ないんだろうな。)
環が旅のためか柄にもなく感傷に浸っているのをどうせ知らないだろう悠亜が元気よく言う。
「じゃぁ、二十世紀梨の食べ比べ、行きますか!」
「まだ、食べる気⁉︎」
〆切前なのに二人呑気に笑った。
(了)
〆切前に旅をする。 君偽真澄 @Hanshinfan
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