エピローグ
第21話 エピローグ
「課題がっ……!! 終わらない……!!」
菜々子がわっと声を上げながら大袈裟にノートパソコンの前に突っ伏した。教室に残っていた他の面々が毎度お馴染みの光景に苦笑を浮かべている。
「同人誌の原稿を先にするから……」
頭をよぎった苦言の全部が口から出てしまうのをグッと堪えて、菜々子を見下ろす。
大学は秋から復学した。
残念ながら留年は確定しているが、休学する前のお先真っ暗な気持ちは全くない。むしろ休学するよりもやりたいこと、するべきことがクリアに見えていて気持ちが楽だった。
まだ明確に将来なりたいものを挙げることはできないが、方向性が決まっているだけでも気の持ちようは違う。
なりたいものが決まっていないことへの焦りは多少あるものの、一人で悩んで鬱々とする事はなくなった。
少しでも興味のあるものにはなるべくチャレンジするようになって、徐々に視界が広がって息がしやすくなって行くのを感じる。といっても本当に少しずつだ。はじめての場所でうまくいかなかったなぁと落ち込む事だってあるが、前ほど落ち込む事はなくなった。
菜々子は相変わらず締切ギリギリを爆走している。先日まで課題そっちのけで取り組んでいた同人誌は、今度タカちゃんと合同誌でイベントに出すものらしい。ちなみに私もゲストでイラストを描いてみないかと誘われたので、寄稿とイベントでの売り子をすることになっている。
課題が終わらない菜々子は、気分転換の為に大学近くのコンビニに行った。締切が迫っていてヤバいとわかっているのに気分転換に行く心臓の強さが羨ましい。
私の方は大体目処がついていて、あとは微調整と確認のみだ。
こっちも気分転換するかと、スマホを持って外廊下に出る。
芸大らしい近代的な雰囲気にしたかったのか、はたまた作品の制作過程で多少の汚れがついても洗い流せるためか、校舎は打ちっぱなしコンクリートで冬はすごく冷え込む。
今は秋の始まりで、昼過ぎで日当たりも良く、爽やかでひんやりとした空気が清々しい。
大学は山を切り崩して作られているので、外廊下からは街並みが一望できる。今日は秋晴れというにふさわしく、雲ひとつなく晴れていて見ているだけで気持ちが良かった。
「佐保さん!」
気持ちをリセットして作業を再開しようかと思った時、頭上から名前呼ばれた。
「ヤタ!」
大きな翼を上下に力強く動かして、手すりに難なく着陸する。ヤタの三本足のうちの一本には、紙の様なものが結ばれていた。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「うん。ヤタも元気?」
「はい! 皆様のお陰でもう一度飛べるようになって、お役目も果たせております」
「よかった」
私がこちらに帰る日に、ヤタは素戔嗚様の元へと帰って行った。
もう会うことはないのかもしれないと思っていたから、もう一度会うことができて嬉しい。
「今日は菊理様から佐保さんに文を預かって参りました」
「文? 手紙ってこと?」
「はい。こちらです」
ヤタはそう言って、紙が括られた足をこちらに差し出す。
ヤタの足を傷つけない様に、紙を破かない様に、慎重に紙を解く。括られていたのは柔らかな手触りの和紙だった。
ようやく解けた紙を開くと、流麗な文字が書き連ねられていた。
手紙には、新しい家族を迎えたことと、是非また会いに来てほしいということが書かれていた。
新しい家族は三毛猫の姉妹らしく、活発な妹分に白山が珍しく手を焼いているらしい。
「良い便りでしたか?」
「うん」
手紙を丁寧に畳み直して手帳に挟む。
「それにしても、まさか白山殿を菊理様の神使にされるとは」
「まさか私もあそこまでうまくいくなんて思ってなかったけど、頑張って絵を描いた甲斐があったよ……」
神使についてヤタに聞いた時、神使になる為には縁や逸話、きっかけがいるのではないかと聞いた。
縁は既にある。
足りないのは逸話やきっかけだと思った。
ないのなら、作ればいい。
常に自分の理想を追いかける私たち作り手が、ものを生み出す大きな理由の一つだ。
簡単に作れるものなのかどうなのかは、それこそ神のみぞ知ることだが、自分にできることは全てやり尽くしたかった。
絵を描いて、こんなに報われることなんてこれから先あるのだろうかともすら思う。
だが、それでも私は描き続けるのだろう。
「あなたが細部まで心を込めて描かれたからこそ、菊理様と白山殿の縁を結んだんですよ。実にお見事でした。その心意気も、あなたが生み出した作品も」
真っ直ぐ向けられた言葉に、心の底がくすぐったくなる。
自分の願いが、絵が、自分を救ってくれた人の力になれたこと。
どんなに多くの賞賛を得ることよりも、心が満ち足りる心地がした。
「菊理様にお返事書きたいんだけど、届けてもらえる?」
「もちろんです!」
明日同じ時間、同じ場所で会う事を約束して、秋の空に大きな翼を広げてヤタが飛んでいくのを見送る。
ヤタが飛んでいった空を見上げると、空色と薄紫色が交わる空の中、透けるような満月が昇っていた。
了
私の神様へ 朝比奈夕菜 @asahinayuuna
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