第20話 自分のために、誰かのために(3)
作業をはじめて半月、梅雨はとっくに明けて本格的な夏がすぐそこまで迫っていた。
やっと一通りの作業に目処がついて、コピーした資料や描いた絵や画材でごちゃごちゃになった部屋の中で寝転がる。指先まで満ち足りた気持ちになって、呆然と天井を見上げていた。
「おおい、佐保ー夕飯できたぞー……ってこりゃすごいな……」
開けっ放しの扉から部屋を覗き込んだ祖父が目を丸くしていた。
「ようやくひと段落ついたようでして」
机の上に乗っていたヤタが祖父に状況を説明してくれた。
「ごめん……目処はついたから片付ける……明日から……」
「明日からって言うあたりが潔いな」
苦笑を浮かべながら祖父がその場にしゃがんで、絵の一枚を手に取る。机の上にいたヤタもポンポンと軽く跳んで祖父の元に寄って絵を覗き込む。
水彩絵の具で描いたものだ。
「いい絵だなぁ」
「本当に」
祖父とヤタの褒め言葉に嬉しく思うも、身内の言葉は身内贔屓が入っているような気がして素直には喜べず苦笑いが滲む。
「見過ぎて自分ではいいのかわかんないや……」
「そういうもんか」
「そういうもんなのですかねぇ……」
一人と一羽が同じように首を傾げている様子が少しおかしくて笑った。
「良いかどうかは自分では分かんないけど、描いてよかったとは思ってるよ」
作品を作る時はいつだって客観的な視点を求められる。
自分の作品を主観で見るのはこの世で自分一人だけ。
客観的に自分の作品を見る人の方が遥かに多い。美術や芸術で戦う人の中では、正直言ってその評価が全てだ。
自分以外のより多くの誰かが良いと言ったものが評価され、自分以外の人に評価されないものは意味がないと切り捨てられることすらある。
どれが正解なんて私には分からない。
少なくとも、数ヶ月前まで人に求められるものが描くことができなくて落ち込んでいたが、今はそれだけが全てじゃないと言うことだけは分かる。
でも、それまで学んできた事が無駄かと言われればそうじゃないとも思う。
人に何を伝えたいのか、どう伝わるのかを常に考えながら、どう描けばできるだけ多くの人の共感を得られるのかを考えて、作品を作りなさいと指導される。
誰かに宛てたものならなおさら。
自分が好きなことで苦しくなるまで学んできたことも無駄じゃなかった事が実感できただけでも幸せだと思った。
独りよがりかもしれないけれど、ここ数年で一番心が軽い心地がする。
完成品が届くまで一週間。
これで何もかもが救われる訳じゃないだろうけれど、少しでもこれからを生きて行く為の力になって欲しい。
白山が亡くなってからもずっと、菊理様はいつも同じ時間に起きてきて本殿の外でぼんやりとしていた。
今日も頬杖をついて、庭を眺めている菊理様の元へ、昨日届いたものを持って向かう
「菊理様」
声を掛けると、菊理様は弾かれた様に小さく肩を跳ねさせた後、いつもの優しい笑顔を浮かべる。
「おはよう佐保」
「おはようございます。あの、お渡ししたいものがあるんですけど」
「うん?」
緊張で心臓が痛い。胸がどすどすと脈打っている様な気がする。
これで逆に悲しませてしまったらどうしよう。そう思うと、緊張で口の中がカラカラに乾いて声が出せなかった。
「どうしたの?」
何も言い出せない私に菊理様が不思議そうに首を傾げる。そりゃそうだ。
「あ、の、これ……」
どうやっても言葉がうまく出てこなくて、震える手で持っていた本を菊理様に差し出す。
「これを私に?」
ついに、はい、の言葉すら出てこなくて、必死に頷く。
菊理様に渡したのは、白山の思い出を描いた絵を本にしたものだ。
色鉛筆や水彩画、ちぎり絵、アクリル画、パソコンでの作画。
様々な技法で描いた原画ををデータにして、先日タカちゃんの同人誌作成の時にお世話になった印刷所さんで一冊だけ刷ってもらった。
この世でたった一冊だけの、特別な本。
不思議そうな顔をした菊理様が本を受け取って、表紙を見た瞬間、息を呑む。
表紙は、私が一番好きだと思った、散歩中の菊理様と白山の後ろ姿の写真を元に描いた絵だ。桜や梅、藤に菊、紅葉に南天と四季折々の花を描いている。
菊理様がそっとページをめくっていく。もう息ができなくてその場に蹲りたかったが、今この場で心配を掛けるわけにもいかず、グッと膝に力を入れて堪える。
ただ写真をそのままに描くのではなくて、白山と菊理様、家族が過ごした日々をよりあたたく、優しく描ける色彩や画面構成を意識して描いた。
褪せて行く思い出の解像度を上げ、もしもの世界も描き切る。現実の魅力を、描き手の感性で何倍にも膨らませる。それが、絵の魅力だ。
たとえ虚構でも、それが美しい思い出に変わりはない。
そして、そこに託された願いに嘘偽りはない。
菊理様はゆっくりと、ページをめくっていく。
「…………白山との思い出は私の中でずっと輝いているけれど」
白山が丸まって眠っている周りで、みんなが各々好きなことをしている絵のページを、菊理様が細い指で撫でる。
「佐保の切り取った私達の一瞬が、自分の記憶よりもあたたかでやさしくて幸せだわ」
そうつぶやいた菊理様の白い頬を、涙が一筋滑り落ちていく。
涙が地面に落ちたその瞬間、後ろで聞き慣れた犬の一吠えが聞こえた。
振り返ると、鳥居の下で真白な毛並みの犬が尻尾をブンブンと振っているのが見える。
「白山…………?」
菊理様の声に、神使となった白山が一吠えして応えた。
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