魔法少女の日常譚

緑野くま

魔法少女の日常譚

世界樹暦 20XX年 11月某日 ヴィエラ王国


「うー…寒い…」

その日の朝は肌寒く、布団から出たくないような冷たさを纏っていた。目を覚ました少女は、分厚い布団にくるんとくるまっている。


「ロゼ? 起きてるの?」

ロゼ…もとい、ローゼリンデ・グランツに声をかけた存在がいた。ロゼが布団からどうにか顔だけ出すと、目の前には見慣れた小さな友の姿がそこにあった。


「アウラ、おはよ。そこにいて寒くない?」

「平気よ。今は魔法で、あたしの周りだけ温かくしてるのよ」

「ほんとだ。あったかい」


ロゼはアウラの全身を包み込むように右手をかざす。アウラの背中から生えている透明で美しい、ガラス細工のような羽根を避けながら。…アウラは「妖精」と呼ばれる存在である。


「妖精さんは、寒いのが苦手な子たちが多いって聞いたことあるんだけど、アウラは大丈夫なの?」

「あたしはどっちかっていうと苦手な方よ。でも、氷や雪の妖精だっているし…、まあ、妖精によるんじゃない?」

「確かにそっか…くしゅん!」


くしゃみと同時にわずかに鳥肌が立っていく。風邪をひいた覚えはないのだが。どうやら今朝は思っている以上に冷え込んでいるらしい。だが、このまま布団の中で一日過ごすのか?と問われれば、そういう訳にもいくまい。


「寒いけど…えいっ!!」


突然布団を投げ出すように起き上がったロゼに、アウラは驚いて思わず飛び上がった。


「びっくりした!どうしたのよ」

「この位気合入れないと起きれないの!!この時期は!」

「気合って…まあ、いいけど」


ベッドから飛び起きたロゼは、ハンガーにかけてあったカーディガンを羽織ってリビングへと向かう。もちろん、彼女の右肩にはアウラがちょこんと座っていた。




自室よりも少し温まったリビングの中、ロゼが入った丁度その時、暖炉に薪をくべている者がいた。


「おはよう、パパ」

「おはようロゼ。起きていたか」


ロゼは「うん」と頷いたあと、すぐさま暖炉の前まで駆け寄った。


「あったかい…」

「この時期は冷えるからな。そろそろ雪も降るんじゃないか」

「雪かあ。そういえば、この前窓際に霜が降りてたっけ。落ち葉も多いし、パパの言う通りもうちょっとで雪降るのかな」

「そうなるといつ初雪が降ってもおかしくはないな」

「そうだね」


暖炉の中の炎がパチパチと音を立てている中、リビングにもう一人入ってくる者がいた。


「おはよー…皆起きてたのね」

「あ、ママ。おはよう」

「マリー、まだ寝ていなくていいのか。昨晩は帰りが遅かっただろう」

「そうなんだけどねえ…目が覚めちゃったし、二度寝する気にもなれなくて」

「大丈夫?ママ」

「大丈夫よ、ロゼ。この位慣れてるから。…でも、ありがとね」

「あ、う、うん。大丈夫ならよかった」

「ジーク、朝ご飯の準備はこれから?」

「ああ」

「パパ、私手伝うよ」

「ありがとう、ロゼ」


なんてことのない、グランツ家の日常だった。父、ジークフリートが朝食の準備をし、娘のローゼリンデがそれを手伝う。仕事の内容上、一晩寝るだけではどうしても疲労が回復しきれないマリー=アンジュは、アウラと共に談笑していた。


「今日の皆の予定は?」


しばらくした後朝食が完成し、家族揃って食べている中でジークが発した一言がそれだった。


「ママは今日はお休み?」

「そうそう。やっと休暇が取れたのよねえ。ジーク、あなたは?」

「私は一日家にいるつもりだ。買い物位は行くかもしれないが」

「オッケー。じゃあ、ロゼはどう?」


ロゼに質問が回ってきた。彼女はしばらく考え込んだのち、ふとアウラと目があった。その時、ロゼの脳裏にある疑問がよぎる。


「アウラ、そういえば私って、最近妖精さんたちの村行ってたっけ?」

「最近は…ないわね。というか、あなたがその時期は期末テストがあるとかなんとかで行けないって言ってたじゃない」

「あ、そうだった。ママ、今日は妖精さん達のところに行きたいんだけどいい?」

「いいけど…そうだ、行く前にママのところに来て。渡しておくものがあるから」


ロゼは「分かった」と頷いた後、ぬるくなったスープを一気に飲み干した。「ごちそうさまー!」と大きな声を放ったあと、ロゼとアウラはリビングを後にする。


「あの子に渡すものとはなんだ?マリー」

「魔獣除けのお守り。なんかここ最近、凶暴な魔獣が出たって噂がやたら多くてね…」

「魔獣…か」


両親の目には、ロゼを思う温かな光が灯っていた。




日も少し出た午前。朝よりはマシになったとはいえ、やはり空気は冷えていた。森の中の大量の落ち葉を踏むと、微かにパキッという音が聞こえてくる。吐き出した息は目に見えるほど真っ白に染まっていた。


「ロゼ」

「ん 何?」

「あなたのお母さんが言ってたわよ、魔獣が出るかもしれないって」

「そうだね。でも、今のところはそれっぽい魔力は感じないんだけどなあ」

「この森自体が広いもの。もしかしたら、この辺りはテリトリーじゃないのかもね」

「アウラはどう?何か感じる?」

「いいえ? 何も感じないわ。今のところは大丈夫ね」


出かける前、母から伝えられた魔獣の話。渡されたのは母のまじないが込められたペンダント。多分じゃなくても魔獣除けだろう。かけられた魔法を感じ取ってみるに、なるほど、かなり強力なものがかけられているようだ。ロゼは、出かける直前の母との会話を思い出していた。


『ロゼ、もし危険な目に遭ったら、すぐにママに連絡するのよ』

『連絡って…今日ママの仕事休みでしょ?』

『そんなこと気にしなくていいのよ。あなたのことは、私たちが絶対に守る。忘れないで』


(今のところ、魔獣の話は噂位のものでしかないけど…、でもそれっぽい情報があったり遭遇しちゃったりしたら、その場から離れてママに連絡。ここはスマホが通じるし、大丈夫…だよね)


森の中をしばらくの間進むと、明らかに人の手によって作られた門が見えてくる。その門番を務めているのは、アウラと同じくらいの大きさの妖精達だった。


「ロゼ様!?」

「久しぶり」

「お久しぶりでございます! 随分と長い間来ていなかったような気がしますが…」

「ごめんね。学校のテストがあってなかなか来れなかったの」

「そうでございましたか。アウラも共に来ているのだな?」

「ええ、そうよ。あたしとロゼ、中に入れてくれる?」

「二人とも魔力は本物だな。よし、通行を許可する。門よ開け!」


門番がそう言うと同時に魔法をかけると、門はギイイと音を立てて独りでに開いていく。潜り抜けたその先は、神秘と魔力に満ちた妖精の郷である。




「ロゼ様!?」

「ロゼ様だ!!」


妖精の郷に入った途端、ロゼの耳に入ってきたのは驚く妖精たちの声だった。ロゼはどうにもこの「様」付けで呼ばれるのに慣れておらず、始めに口から出るのは大抵呆れたような声だった。


「あはは…皆久しぶり。今日ってヴィエラ様はいる?」

「ヴィエラ様ならこちらに。さあさあついて来て下さい!」


妖精の郷は、ヴィエラ王国内外にも多数存在している。その規模は大小を問わず、郷には必ず長がいる。そしてその長の名前が、国の名前そのものだったり、響きが非常に似ているものだったりすることはすなわち、国内で最も大きな妖精の郷の長であることを意味している。


「ヴィエラ様ー!」

「あら、ロゼ! お久しぶりね」


ロゼ達が案内された場所にいたのは、麗しく神々しい雰囲気を纏う女性だった。しかしその見た目とは裏腹に、かけた言葉は柔和で気取りのないものだった。彼女こそが、この妖精の郷を治める長である。


「なかなか来れなくてごめんなさい。色んなことが終わってやっと来れたの」

「いいのよ。あなたにはあなたの事情があるのだから、気にしないで」

「そう? なんか、ここに来た時妖精さんたちが色々聞いてきたんだよね『今まで何してたのー!?』とかって」

「ふふ、それ位皆あなたのことが心配だったのよ、きっと。私からも『ロゼはきっと大丈夫』とは言っていたのだけれどね」

「そうなんだ。…だったら、頼みがあるんだけどいい?」

「あら、何かしら」

「妖精さんたちに、私のこと『様』付けで呼ぶの控えてほしいって伝えてくれないかな。嫌って訳じゃないけど、なんか…ムズムズするんだよね」

「いいけど、あの子たちは止めるか分からないわよ?」

「ええ…私『様』付けされるようなことやったかな…?」


ロゼから零れたその問いに、ヴィエラとアウラは優しく答える。


「ロゼ、あなたは大したことはしていないと思っているかもしれないけれど、私たち郷の妖精はあなたの持つ知恵と魔法に助けられてきたのよ。それも、ただ一回だけじゃない。何度も」

「そうよ。あたしだって、あなたに助けられたのがきっかけで出会ったのよ。ロゼが助けてくれなかったら、あたし消えちゃってたかもしれないんだから」


その言葉にロゼはポカンとした表情を浮かべていたが、しばらく経ったのちに何となく、尋ねてみる。


「私…力になれてた? 妖精さんたちの」

「ええ。なれてる。だからもっと自信持っていいのよ」


ヴィエラのその言葉に、ロゼは「うん」と頷いた。どうやら自分のしてきたことは、妖精達にとって確かに力になっていたらしい。困っている存在を放っておけなかった。ロゼにとってはただそれだけの理由だったのだ。




妖精の郷に穏やかな時間が流れていた。11月の冷たさが少し和らぐような、平和な空気が緩やかに流れている。だがその時も、空をつんざくような絶叫と共に儚く壊れた。


「え、な、何!?」

「叫び声…誰かが襲われたの!?」

「これ…様子見に行った方がいいのかな…?」


周りの妖精達は突然の事態に混乱している。ロゼも何が起こっているのか一瞬で理解できなかった。しかし彼女の固まった思考は、妖精の郷に近づいてくる地響きと共に崩壊する。


「何か近づいて来てない!?」

「待って、この魔力は…魔獣!?」


ヴィエラが叫んだ次の瞬間、轟音と共に大地が揺れる。妖精の郷は更に混乱に陥り、揺れが治まった次に聞こえてきたのは、獣の咆哮だった。


「ママの話…本当だったんだ…!!」

「魔獣が結界を破壊しようとしているの!? 妖精達は避難しなさい!!魔獣の攻撃ならば、いつ結界が破壊されてもおかしくな…」


ヴィエラが避難指示を出そうとしたその時、一発の銃声と共に静寂が訪れた。また、何が起こったのか分からない。だが、地響きと咆哮が消えたということは、少なくともこの場所が魔獣によって襲撃されることはないだろう。


「何が起きたの…?」

「魔獣の気配は無くなりましたが、これは一体…」

「私見てくる。最悪魔獣除けのお守りもあるし、ママにも連絡できるから」

「大丈夫? 怖くないの?」

「正直言うと怖いよ。でも…ここにいる皆が傷つくのが私にとってもっと怖いの。だから、行くよ」


こうなってしまった時のロゼの決意はどうやったっても揺らがない。アウラもヴィエラもそのことは知っていた。知っているからこそ…ヴィエラはその場を離れようとするロゼを「待って」と引き留める。


「行くなら、私からもまじないをかけましょう」

「どんなまじない?」

「このまじないは、声を発さない限り自らの気配を消すことができるものよ」

「つまり…声を出すとまじないが解けるって認識で合ってる?」

「ええ、その通り」


ロゼは「分かった」と頷いた。そしてヴィエラから放たれた魔法は、オーラのようになってロゼにまとわりつく。どうやらこれでまじないがかかったらしい。ロゼは思わず「ありがとう」とお礼の言葉を口にしようとしたが、咄嗟に両手で塞いだ。


「ロゼ、気を付けてね。危険だと思ったらすぐにここに戻ってくるのよ」


ロゼは頷き、先程の衝撃で落ちてきた木の枝を使って、地面にお礼の言葉を書いた後、妖精の郷の中心を離れた。




魔獣襲撃後とは思えない程の静寂があたりを包んでいる。魔獣の襲撃を受けていた地点まではあともう少しの距離なのだが、今のところ魔獣の気配はしない。


『ロゼ、ちょっと思ったんだけど』


ロゼと共に来たアウラが、テレパシーの魔法で話しかけてくる。


『さっきの銃声…もしかして、魔獣を倒すために撃った音じゃないかしら』

『私もそれ、考えてた。だとしたら仕留めた人は相当な凄腕だと思う』

『凄腕?』

『魔獣にも大小存在するけど、さっきの衝撃がかなり大きかったから、魔獣の身体は相当大きいはず。ママの話も合わせると、気性が荒くて凶暴だって言ってたから、それを一撃で仕留め切ったのが凄いってこと』

『なるほど。それで凄腕ってことね』


歩いてしばらく経った後、二人は目的地に着いた。結局気配も何も感じないままあっけなく着いてしまった。のだが、彼女たちの目に飛び込んできたのは、首から上が吹き飛んだ魔獣の死骸だった。


『死んでる!?』

『首から上を一撃で吹っ飛ばしたって…こいつを倒したのは一体…』

『!! 待ってアウラ、誰か来る!』


ロゼ達が来た方とは反対側から足音が聞こえてきた。二人は慌てて近くの茂みの中に身を潜める。だんだんと、声が聞こえてきた。


「そっちはもう着いたか。…オーケー。回収は頼んだ。俺はこの魔獣が何なのか調べてみる」


男の声だった。ロゼは茂みからその姿を覗き見る。


(あれ…? あの人…)


見覚えのある姿だった。いや、姿だけではない。聞き覚えのある声、感じ覚えのある魔力、そして何より背中に背負った馬鹿でかい銃火器が、ロゼが声を出して男の名前を呼ぶ最大の理由となった。


「ゼクスさん!!」

「うおッ!? ロゼ、いつからいた!?」


突然現れたロゼにゼクスはぎょっとした表情を浮かべたが、ロゼの説明ですぐに状況を理解する。


「さっきからあそこにいたよ。妖精さんに気配を消すおまじないをかけてもらったの」

「ああ、なるほどな。どうりで近くにいたのに気づけなかったのか」

「ゼクスさん。この魔獣、もしかしてゼクスさんが倒したの?」

「まあな。こいつが結界を破壊しようとしていたんで、どうにか一撃で仕留めた」

「ゼクスさん流石! ママが銃火器の扱いはゼクスが一番だって言ってたよ」

「よせよ。褒めても何も出てこねえぞ。それに俺が使っているのは正確に言えば銃火器の形した魔導兵器だからな」


ちょっとした補足を入れよう。この世界には、魔法の他にも魔導という技術が存在している。具体的な違いなども細かく存在するのだが、ここで語ると長くなるので割愛する。強いてざっくりと言えば、消費するエネルギーが自然物か人工物かの違いである。


さて、ロゼはゼクスとの会話の後、魔獣の死骸を恐る恐る見ていたのだが、見ているうちに妙なことに気付く。その様子に気付いたのか、ゼクスが先に声をかけてきた。


「どうした、ロゼ」

「これ…首を一撃で狙って倒したはずなのに、体中に細かい傷がついてるの。しかもここからも血が流れているから、最近ついた傷…だよね?」

「ああ、それは俺がつけたやつじゃねえよ」

「え、じゃあこれ誰がつけたの?」


ロゼの何となく発した疑問に、ゼクスは苦々しい表情をしながら答えた。


「…素人だよ。三人位か。さっきそこで全員ぐちゃぐちゃの状態で死んでたぜ」

「えっ じゃあさっき私とアウラが妖精の郷で聞いた叫び声って…」

「多分そいつらの声だろうな。今は死体の回収班が動いている」

「ひええ…」


ゼクスからの回答にロゼは軽く眩暈を起こしそうになった。魔獣への恐怖だけではない。凶暴化した魔獣は、知識のない素人が簡単に手を出せるものではないと知っているからだ。それなのに何故手を出した?ロゼには理解できなかった。それを察したのだろう、ゼクスはロゼに優しく語り掛ける。


「なんで死んだ奴らは魔獣に手ェ出したのか、気になるか?」

「う、うん。ゼクスさんは分かるの?」

「ああ、まあな。お前、最近SNS通して危険な仕事凱旋している奴らがいるの知っているか?」

「あ、それ知ってる。報酬が高い代わりにヤバい仕事させられるってやつでしょ?ニュースで見たよ」

「それなら話は早いな。あいつらは多分そのSNSで釣られた口だ」

「ああ…なるほど」

「最近、手っ取り早く大金手に入れてえってのが増えているらしいからな」

「だからってこんなこと…。こういうのって、魔法騎士とか魔導戦士の仕事でしょ?」

「そうだよ。お前の母親も最近はこの案件で頭抱えてんだ」

「ママが…これで…」


ロゼは言葉を失った。どうやらニュースで見たよりも状況は酷いらしい。辺りはしばらくの間沈黙の時間が流れていたが、ゼクスが来た方向から別の誰かがやってきた。おそらく、ゼクスの言っていた回収班だろう。


「ウェンリードさん! 全ての死体の回収、完了しました!」

「おう、ついでにこいつの回収も頼めるか?」

「はい、承知しました!」


ゼクスが軽い指示を出した直後、「ロゼ」と、声をかけてきた。


「お前は今のうちに家に帰った方がいいと思うぜ。この先何があってもおかしくねえ」

「そうだね、そうする。アウラは?」

「あたしはヴィエラ様にこのこと報告しに行くわ。夕方位にまたあなたの家に行くわ」

「うん、分かった」


これだけの騒ぎが起きれば、しばらくは何かが出てくることはあまりないだろう。魔獣除けのお守りも、まだ効果は続いている。こうして、ロゼは一人で帰宅することになった。




数分後、ロゼは自宅に着いた。扉を開け、「ただいまー」と声を出すと。慌てた表情をした母親がロゼの元に駆けてくる。


「ロゼ!! 怪我はない!? 大丈夫!?」

「え!? あ、うん。大丈夫だよ」


「大丈夫」と声をかけても、母はしばらくの間取り乱していた。どうしようと頭によぎった時、リビング側のドアから父が出てきた。


「マリー、少し落ち着きなさい」

「あ、パパ」

「ゼクスから連絡を貰ったんだ。ロゼ、何があったか説明できるか?」

「うん、できるよ」





「なるほど…SNSで集まったらしい人が、魔獣を討伐しようとして殺されたと」

「うん。その後妖精の郷を襲っていたんだけど、そこでゼクスさんが討伐したの」


グランツ家の者たちは昼食後の紅茶をあおりながら、あの時ロゼの周辺で何が起こっていいたのかを話していた。まあ内容と言えば、紅茶の良い香りがかき消されてしまうような血生臭いものばかりだったが。


「ゼクスさんは元々あった魔獣の噂を追ってあの場にいたって言ってたけど、本当にいたなんて…」

「この時期の魔獣…特に冬眠するタイプの奴は、お腹を空かせていて気性が荒いのよねえ。それを討伐しようなんて、相当な命知らずか本当に何も知らなかったやつ位よね」


落ち着きを取り戻したマリーからこぼれたのは、呆れたようなぼやきだった。これに関しては本当にその通りとしか言いようがない。この時期に森に入るならば、魔獣除けのまじないが必須になる。しかし。


「あの、ゼクスと回収班の人の話聞いてたんだけど、死体に魔法のかかっている痕跡がなかったって言ってたよ」

「痕跡がない…ということは、マリーの言う通り、何も知識のない者が武器だけ持って森に入ったという可能性が高いのか」


ジークのその発言を受けて、マリーは「フゥーッ」と息を吐く。その表情は、何か思うところがあるというか、思い詰めているというか、そんな感じだった。


「最近、増えているのよ。こうしてSNSで集められた子たちが、魔法騎士や魔導戦士私達がやるような仕事に首を突っ込んでくるのが」

「…仕事泥棒?」

「泥棒も悪いんだけど、もっと悪いのは私達の仕事を妨害してくるのよ。おかげで警察沙汰になることが多いのよねえ…」

「け、警察沙汰になるんだ」

「そうよ。しかもこれ、ヴィエラ王国だけじゃない。ここ最近は全世界で似たような案件がいくつも起こっているの」

「世界中で!?」


母の発言にロゼは驚きを隠すことができなかった。ただでさえ問題のある行動だというのに、それが世界規模ともあれば今日起こったこと以上により酷いことが起こっていたっておかしくない。想像するだけでゾッとする。


「…とにかく、教えてくれてありがとう、ロゼ」

「あ、うん。私、自分の部屋に戻るね」


そう言って部屋へ戻ろうとするロゼを、「待って」とマリーが引き留める。なんだろうと振り返ったロゼの目に映ったのは、優しい表情を浮かべた母の姿だった。


「ロゼ、あなたが生きて帰ってきてくれて本当に良かった。それだけ…それだけ伝えたかったの」


母のこの言葉にロゼは「うん!」と元気よく返事をする。そしてロゼは、扉をゆっくりと閉めて、自室へと戻った。



ロゼの自室は沢山のもので溢れている。大小問わず大量に存在するぬいぐるみ。フリルやレース、リボンのついた洋服。本棚には魔法の本と大好きなアニメの本が収納されている。この部屋は、ロゼの大好きが詰め込まれた場所だった。


「えっと確か…ノートはここにあったはず…あった!!」


ロゼが探しているのは、魔法の術式が書き込まれているノートだった。彼女には一つの目標がある。それは、自分だけの魔法を完成させることだった。


「どこまでいってたっけ。…そうだ、ここができてなかったんだ」


ロゼはここ最近、魔法の研究に没頭することが多かった。憧れる存在がいたからだ。大好きなアニメ。可愛い衣装に身を包んで戦うヒーローガール。もし自分が魔法使いになるとしたら、画面の中に映るその少女たちのような魔法使いになりたいと、強く願っていたのだ。


「変身するときはこの術式で問題なかった。実際自分でも試したことはあるし…問題は、ドレス…なのかな…」


黙々と作業を続けてどの位経ったのだろう、ロゼには分からなかった。ひたすら作業を続け集中力が途切れてきた頃、ロゼの部屋の窓からコンコンという音が聞こえてきた。ふと窓を見ると、そこには見慣れた友人の姿があった。


「アウラ!」

「ハーイ、ロゼ。こんな時間まで魔法の研究してたの?」


こんな時間、と言われて時計を見ると、針は午後4時を少し過ぎていた。外もいつのまにか真っ暗になっている。どうやら研究を始めてから数時間は経っていたらしい。アウラとしばらく話していたのだが、突然ロゼのスマホが着信を告げて鳴り始める。


「誰だろう。あ、お姉ちゃんだ」


しばらく会っていなかった姉からの電話だった。ロゼはすぐにスマホを手に取り応答する。


「もしもし?」

「もしもしロゼ? 久しぶり!」

「お姉ちゃん久しぶり! どうしたの急に連絡してきて」

「ふふっ なんだかロゼと話したくなって電話しちゃった」


ロゼには兄と姉がいる。少し年が離れているのもあってか、周りからは仲が良いとよく言われていたような気がする。そんな二人は今家を離れており、姉からの久しぶりの連絡に、ロゼは胸を躍らせていた。


「学外研修はどんな感じなの?」

「もーレポートの作成が大変なんだよ。あ、でも、ホリデーの時期にはそっちに帰れるかも」

「帰れるの!? お兄ちゃんはどうなのかな」

「ああ、レオも帰れるって言ってたよ。ごめん、私もレオとよく連絡できるって訳じゃないからさ」

「そっか、お兄ちゃんとお姉ちゃんは研修場所別々なんだっけ」

「そうそう。言ってる場所の分野が全然違うんだよね。周りからはよく双子だけどそこんところ似てないって言われるんだよね」

「お姉ちゃんは魔法薬学で、お兄ちゃんは魔導工学だっけ。うーん確かに」

「あはは、まあどっちにしても私たちは大学行きたいって思っているからね。色々頑張るよ」

「二人共、無理しないでね」

「うん、ありがと。お母さんたちにもよろしくね」

「分かった。それじゃあね」


電話はプツンと途切れる。切れたのを確認したロゼはベッドの上に座り込む。その様子を見ていたアウラは、ロゼに話しかける。


「ベルとなんの話してたの?」

「学外研修のことと…あと、ホリデーシーズンに帰ってこれるかもって言ってた」

「学校の話ねえ。妖精あたしたちには想像もできないわ」

「妖精さん達には学校制度自体ないでしょ」

「そうよ。妖精は魔法は自然と覚えて自然と使えるようになる。だから、正直なこと言うと、妖精の大半は人のそういった文化みたいなのがよく分からないのよ」

「分からない…か。でも、アウラは私たちといる時間が長いから、人の文化はよく知っていると思うんだけど」

「まあね。今でもびっくりすることは多いけど…でも面白いわよ。人のことも知れるしね」


アウラは自信ありげに笑ってみせた。アウラはロゼが幼い頃から今に至るまで共にいた。いや、それどころか、母から聞いた話によればロゼが生まれる前から、人の世界に溶け込んでいたらしい。まあ、最近の妖精は人と共存する個体が増えたというデータを前に論文か何かで見たのだが。


しばらくした後、下の階から「ロゼ―ッ」と母が呼ぶ声が聞こえた。時間は夜7時、夕食ができたらしい。ロゼは「今行くよー」と声を張り上げて下の階へと降りて行った。


これがローゼリンデ・グランツという一人の少女のある一日である。魔法、妖精、魔獣、ありとあらゆるものが存在するこの世界で、ロゼは明日もこれからも何気ない日常として過ごしていくだろう。


世界は何事もなく、時の流れに沿って、進んでいく。
















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