矛盾の存在を否定するヒト

古 散太

矛盾の存在を否定するヒト

 ある家が火事に見舞われる。そこに暮らす家族は逃げ出したが、子供がひとり取り残された。そのとき一人の男が、燃えさかる家の中から子供を抱きかかえて飛び出してきた。家族は命の恩人であると、その男に感謝する。しかしその直後、男は警察に逮捕されてパトカーに乗せられる。男は連続窃盗犯だったのだ。盗みをしている最中に火事が発生し、家のヒトに見つからないように隠れていたが、子供の助けを求める声が聞こえて救出した。

 というお話があったとして、ぼくはこの男が善人なのか、悪人なのかについて、深く考えてしまった。

 科学信仰が常識となっている現代は、基本的に白黒はっきりするものだ。一+一はかならず二であり、六×五は三〇になる。数学者の中には他の意見もあるかもしれないが、一般的にそれ以外の答えはない。〇か×か、白か黒か。

 でも考えてみれば、ヒトが生きていく中で、何もかもが白か黒かで割り切れることばかりではないのは誰もが知るところだろう。

 結婚したからと言って誰もが幸せとは限らない。子供が生まれたからと言って家族全員が幸せとは限らない。経済的に裕福であっても幸せを感じられるとは限らない。

 科学が発見したり発明したことだけで、この世界のすべてが解明されたり、解決するわけではないのに、誰もがそのような気がしている。それは、それ以外のことを知ろうとしないためだ。

 ヒトに教えてもらったことや、ネットや本などで得た情報などは、とても簡単に知識を得ることができる。しかし忘れないでほしいのは、その知識は自分で見つけた知識ではない、ということだ。

 教えてくれたヒトや、ネットや本の情報などは、その多くが正しいものだろう。しかし絶対的に正しいという証拠はどこにもない。納得するだけの理屈がそこにあったとしても、根本や前提条件が違えば、その情報の意味が違うものになってしまうこともある。

 有名武将の肖像として学校で、「正しい」こととして学んだものが、それが何の関係もない一騎馬兵だったというのは有名な話だ。昭和の時代には学校で有名武将と教科書にも載っていて、そう教えられていたのだ。

 それがすべてであるかどうかは別にして、自分の身をもって体験して得た答えは、数ある選択肢の中のひとつとしては確実なものだ。その反面、他の答えがあることも忘れてはならない。たとえそれが、自分の持つ情報の中にはなかったとしてもだ。


 そう、答えはいつもひとつではない。

 目の前で起こっている現象自体はそれ以外にないが、それをどう理解するかは、ヒトの数だけ違う理解がある。

 例えるなら、最初の例だ。

 連続窃盗犯は法律に触れているのだから、無関係なヒトからすれば悪だろう。しかし逃げ遅れたその家の子供を助けたことは、その子供の家族にしてみれば、勇者であり命の恩人である。すこしぐらい物が盗まれても許せるかもしれない。

 その物事への関わりが直接的なのか間接的なのか、そこ場面だけを切り取っての判断か、その後しばらくを見守ってからの判断なのかによっても違ってくるだろう。

 物事や出来事はひとつでも、ヒトによって受け取りかたが違えば、そこに矛盾が生じるのだ。

 それは対人だけではなく、自分の中にも存在している。

 誰の思考の中にも、善悪や正誤、上下左右の判断がある。この場合の物事や出来事になるのは、そのときの自分の立場や気分だ。

 自分の得になるのであれば、悪とわかっても手を出すことがあるかもしれない。例を挙げるなら、愛する人が事故に遭って入院したと聞いて、自分が車を運転していたとしたら、制限時速を守るだろうか、ということだ。

 この中に善悪はなく、愛するヒトへの心配や不安、自分の安心を欲する思考などでいっぱいいっぱいになっていて、道路交通法は消え去っているだろう。法律に触れているが、人情的には理解できる心境だ。

 このように、ヒトの中にはかならず矛盾がある。ダメだとわかっていても、悪いことだとわかっていても、善い行いだと知っていても、それを止めたり実行したりするのはまた別の話である。

 多くのヒトが、自分の中に矛盾があるとは思っていない。いつも自分なりには正しく生きているつもりでいる。だから矛盾はないものと考えている。それは、未体験のことに対してはとくに、とても弱い覚悟でしかない。

 ヒトは矛盾を抱えているものだ、そう考えていれば、途中で考えが変わっても、何も気に病む必要がなくなる。矛盾を否定するのではなく肯定する。それだけで連続窃盗犯に対する視点は変わってしまうものだ。

 ヒト、あるいは人生に、ステレオタイプは存在しない。あるのは個人の思考や信念の中だけなのだ。

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