第4話『シリウスからの転校生』
帝国宇宙軍付属新幕張女子高等学校。
その名の通り、生徒の大半が宇宙パイロット候補生であるこの学校の喧騒は、リリコにとって、いつもの日常の一部だった。
生徒たちは、表面がタッチパネルになっているデジタルデスクに、思い思いのステッカーを貼ったり、情報を表示させたりしている。
最新の設備とは裏腹に、机の脚には無数の傷や落書きが残っているのが、この学校の歴史を物語る。
「ブリ子さん、昨日の『カリュブディス戦記』はご覧になりました?」
リリコに声をかけてきたのは、数少ない友人の一人、町田ミヤビ。
「見た見た!
毎朝の教室は、決まって昨日のSFアニメの感想から始まる。
「でしょー! あの回避マニューバ、動力源と意識直結でもしないかぎり理論上無理! 私の演算ユニットでも、慣性制御に0.02秒のタイムラグは絶対に出るもん。まあ、そこがアニメの面白いところだけどね!」
そう言って自分のこめかみをトントンと叩くのは、もう一人の友人、春日アカネ。
リリコと同じく、市民権を得たアンドロイド。
「また始まりましたよ、アカネの理屈っぽい分析。でも、意識直結なんて、それこそアニメの中だけの話ですよね」
ミヤビが、呆れたように言い放つ。
この時間がリリコにとっては一番落ち着く。
リリコは、友人たちの会話を聞きながらも、窓の外の訓練グラウンドに並んだ、アーマードフレームの駆動音に、視線を移す。
少し古びたボディに跳ね返る、朝の陽光が眩しい。
軽やかな電子音のチャイムが鳴り、担任教師が教室に入ってくる。
担任教師に続いて、一人の少女が、静かに入室した。
銀髪のツインテール。背筋を伸ばし、指定の鞄を、両手で、体の正面に、大切そうに抱えている。
一歩一歩、床を踏む音さえも、まるで計算されたかのように、静かで、規則正しいリズムを刻む。
その佇まいは、軍人養成学校の生徒というより、どこか深窓の令嬢を思わせる、独特の風格を漂わせていた。
見慣れない顔に、教室の前方から「え、誰?」「転校生かな?」と小さなささやき声が広がり始める。
担任教師が、手を叩いて注意を促した。
「はい、席に着けー」
リリコは、窓の外の光景に思考を奪われ、その声にも、教室のざわめきにも、まだ気づかずにいた。
担任教師は、教室が静まり、全員が席に着いたのを確認すると、改めて生徒たちに向き直った。
「――というわけで、今日は皆に、転校生を紹介する。シリウス連邦からの、交換留学生だ」
その言葉に、教室が「シリウスから?」と大きくどよめく。
帝国とシリウス連邦は、表向きは平和的な関係を保っているとはいえ、水面下では緊張が続いている。
そんな国からの転校生など、極めて珍しいのだ。
アカネは、教壇に立つ銀髪の少女を見つめながら、「……あれ? なんか、どこかで見たような……?」と小さく首を傾げた。
ざわめきの中、少女が一歩、前に出た。
その動きに、リリコの視線が、ようやく窓の外から教壇へと引き戻される。
教壇の前に立つ転校生の姿を、初めてはっきりと認識した。
窓から差し込む光に反射する、淡い青にきらめく銀髪を、高い位置でツインテールに揺らし、すらりとした立ち姿に、意志の強さを感じさせる真っ直ぐな瞳。
リリコと同じ制服を着こなしているが、どこか違う国の空気をまとっている。
その唇が、わずかに開くまでの、ほんの一瞬。
息を吸い込む微かな胸の動き、クラス全体を見渡す瞳の軌跡、すっと背筋を伸ばす姿勢の変化。
その一つ一つの所作が、リリコの目には、まるで時間の流れが引き伸ばされたかのように、ゆっくりと、鮮明に映っていた。
「レヴィ・クラウド・ストラウス! シリウスから来たけど、細かいことは気にしないでよね!」
レヴィは、クラス全体を見渡すと、ニッと笑って見せた。
「私がいるんだから、このクラスは今日から退屈しないわよ。せいぜい感謝しなさいっ!」
自信に満ち溢れた声と、最後に送られた悪戯っぽいウィンクに、クラスの空気は一変する。
驚きは、すぐに好奇心と興奮へと変わった。
周囲の興奮したざわめきが、まるで遠い世界の音のようにリリコの耳を通り過ぎていく。
リリコはただ、息を詰めたまま、レヴィと名乗った少女を見つめていた。
心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
その刹那。 リリコのピンク色の瞳孔が、まるでカメラの絞りのように、ギュル、カチリ、と機械的かつ高速に収縮と拡大を繰り返した。
0.1秒のブラックアウト。
【警告: 未知の生体パターンを検出】
【検索中 …… 該当データなし】
【システム: 記憶領域への強制アクセス …… 承認】
脳裏の深層で、何かが強引に書き換えられる、冷たい感触。
【システム: 記憶の上書きを実行しました】
処理が完了した直後、頭の中に、砂嵐のようなノイズと共に、ありもしないはずの記憶の断片が、明滅するように蘇る。
中学時代の、誰か。淡い光の中に立つ、一つ年上の、憧れの誰か。 顔も、名前も、靄がかかったように思い出せない。
似ている。
胸の奥に落ちた冷たい空白を、リリコは「運命の出会い」だと信じ込んで、飲み込んだ。
ただ、胸を締め付けるような切なさと、レヴィが今放っている、あの太陽のような眩しさだけが、妙に生々しく感じられる。
なんだろう。この、思い出なのに、まるで
理屈では「似ているだけだ」と分かっているのに、視線は、まるで引力に引かれるように、レヴィに吸い寄せられていた。
リリコの、止まっていたはずの何かが、静かに、しかし確かに、動き始めた瞬間だった。
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