菌床

KTHR

第1話

 僕はなにかを考える暇もなくただがむしゃらに走っていた。


 夏休みも終わって九月に入り、秋雨も本格的になってきた頃のことだ。友達と一緒に長野に二泊三日で遊びに行くことになった。友達の実家が長野にあり、そこにお邪魔することになっていた。

 「すいません、お邪魔します。」

そう言って友達の後に続き実家に入り、買ってきたお土産を友達の祖母に渡した。祖父は亡くなってしまったらしく、家には祖母しかいなかった。祖母は快く僕を家に迎え入れてくれ、僕が寝る部屋と家を案内してくれた。友達から家が広いことは聞いていたが、創造の三倍くらい広かった。

正午に家に着いたということもあり、遠出はせず家の近くを散歩して家に戻った。これといって珍しいものはなかったが、やけに湿度が高く、数十メートル先が霧に包まれて何も見えなかった。後、変な話なのだが頭に何とも言えない形の突起物があったおじいさんがいたような気がした。しかしだいぶ距離が離れていたので、帽子か何かと見間違えたのだろう、そう思うことにした。

しかしそれが見間違いでないことはすぐに思い知らされることとなった。旅の疲れもあり眠気がどっと押し寄せていたので、僕たちは九時頃に就寝した。

 目が覚めたのはそれから三時間後のことだ。とにかく喉がからからで水をもらいにリビングまで行った。電気がついていて、中を覗くと祖母がキッチンの前で何かをしていたので、

「すいません、水をもらえますか。」

 そう祖母に話しかけると祖母はひどく驚いた様子でこっちを向いた。しかし、驚いたのは僕の方だった。祖母の体や頭、至る所にキノコが生えていたのだから。『なんだ、このまるでのっぺらぼうのような話は。』そんなジョークを言う暇もなく部屋を飛び出し、どっちが前でどっちが後ろかも曖昧になりながら友達が寝ている部屋へと向かった。幸い、足音が聞こえていないことから追ってきていないことはなんとなく分かった。友達の部屋に入ると友達は、自分の祖母からキノコが生えているとはつゆ知らずぐっすりと寝ていた。

「おい、起きろ。」

そう言って友達の体を起こすと、友達も『異様』だった。『異様』という言葉しか当てはまらないほど、いろいろな箇所からキノコが生えていて、眼孔と口、鼻など至る場所から白い胞子がもやもやと流れ出している。体中からは菌糸が絡まっていて、もはや人間とは呼べなかった。本当に、笑えない。

 気づいた時にはもう遅かった。顔を近づけすぎてしまったのだ。白い胞子を大量に口から吸いこんでしまった。その時、体に鋭い衝撃が走った。しかし、僕は人間のままであろうとはしなかった。この町がキノコ人間であふれかえっていることは容易く想像がついたし、もう楽になってしまいたかったからだ。体の異変にはすぐに気づいた。体の至る所から茶色く、白みがかったキノコが生えてきていたからだ。それは少しの痛みとともに気持ちいい快感も伴っていた。不謹慎だが薬物に近いのかもしれない。頭がほわほわとして、すべてがどうでもいい。ただぼーっとしているだけなのにすごく幸せで、脳みそがだんだんと溶けてくるように感じる。

 気づけば周りには胞子がたくさん飛んでいた。最初は自分のものだけだと思っていたが、徐々に町の人の胞子が町を覆っていることに気付いた。それに比例して、キノコもたくさん増え、霧もより一層濃くなっていた。もう自分の体を保っているのかさえ分からなかった。どこからが地面でどこからが空気なのかもとっくのとうに分からなかった。それでも孤独でないのだけは感じた。町の人みんなが僕とつながっている。コミュニケーションは取れなくとも何も寂しくない。今、僕は満たされている。

 僕がキノコになってからどのくらい経ったのだろう、何時間、もしかしたら何日かもしれない。しかし今となっては時間という概念は僕には関係ないのだ。寝ることすらせずただ座っている。ずっと何かを考えているようで何も考えていないようでもある。最近はだんだんと子供も増えている。これが幸せな家庭という奴だろうか。

 それに対して人間はどうだ。ちょっとしたことですぐに怒る。すぐに泣く。社会に出ればストレスも溜まるし、世の中にはいろいろな問題がこじゃんと山積みにされてある。学校でだってそうだ。読みたくもない空気を読んで、知りたくもないことだって学ぶ。銭湯で飲むコーヒー牛乳や仲の良い友達が恋しくないかといったらうそになるが、キノコでいる生活の方がよい。その方が幸せに決まっているのだ…。

 町全体が巨大な『菌床』となった。元々存在したであろう建物や車はすべて菌糸で覆われ、霧が一層濃くあたりを立ち込めている。太陽など少しも見えない薄暗い世界だ。キノコの寿命は非常に短く、一日から二週間程度だ。今頃町の人は全員死んでいるのだろうか、それとも繁殖し続けているのかは全く分からない。原因すら知らない。しかし、街にそれを判明しようと探す人がいないことだけは確かだ。

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菌床 KTHR @takebayahi

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