げんだいじんに警鐘~野球はお好きですか?~ 2084

一筆書き推敲無し太郎

第1話

野球とはプロ野球を指していることをご了承願いたい。ここでは興行としている野球を示しているのだ。さて、あなたは野球がお好きだろうか。私は好きだった。橙色のチームが所謂贔屓球団だ。

さあ、過去形の形容だということにお気づきのあなたはなぜなのかと思うのであろう。

詳らかに心情を綴るページにしたいと考えている。

さて、野球(興行(以下略))と出会ったのは小学校中学年。熱狂している親族に連れられて球場へ行った。後から知ったが、外野席というのは安いのだと。それでも球場の熱気に充てられるのは容易だった。その試合は負けた。その場では嵌るわけではなく、野球が繁栄する理由がわかった程度であった。もしも勝っていたら、野球に対する姿勢も異なっていたのだろう。これはパチンコに嵌る理由とさして変わらない。では、次に野球を知ることとなったのは高校生になってからだ。そこでは青い球団が好きな人が居た。野球に興味が0ではなかった私はその人間に話しかけた。勿論、特別な理由はない。ただ、名簿順が近いからということだ。さて、彼は野球の話をするときが一番輝いていることを知った私は彼と親しくなるために野球を利用してみようと考えたわけだ。現在(2025年9月)もサービスが続いているソーシャルゲームをインストールし、見様見真似で始める。そうしたら餌に釣られたように青い球団が好きな彼は寄ってきた。ここでリアルのプロ野球もSNS上ではあるが、追跡するようになった。高校生から野球観戦ないし野球に関わる事柄について詳しくなっていき、傍目から見たら趣味となっていた。

ここで、観戦に行くこととなった。同リーグということもあり、つまらぬ喧嘩を避けるため、各贔屓の観戦に2度行くことになった。その辺りから私は自身に野球の経験がないにも関わらず、審判目線・監督目線・打者批判・投手批判を行うようになっていた。


ここで一つ。野球は熱中しやすい。その理由は興行だからだ。


そんな真剣な眼差しを向けていることは青い球団の彼も同様であったので「ここまで嵌ってくれたか~」と気楽に捉えられていた。旧友も野球に対して一喜一憂する人間であったのでそのような感情の発露には理解があったし、自身もこのようになるのだと納得した。これが野球の本質・本懐であると悠々自適な思想に染まった。

のちに気づく。これがおろかだということに。


さて、身の周りにいる野球好きな人間やあなた自身はこのような実体験があるのではないか。

野球を見て一喜一憂し、贔屓が負ければ荒れ、贔屓が勝てばやたらうれしそうで。

贔屓がCS圏外だと露骨にイライラしだす。贔屓がCS圏内でもイライラしている。

贔屓の采配に文句を言い、人事に文句を言い、野球の未来と言って、米国のメジャーに倣えと言い、野球の人口を憂い、実生活にも弊害が及んでいる人間が。


これらは開幕から優勝が決まるまでずっとではない。

オフシーズンすら追っている人間も居るだろう。

野球がないといけない。生きていけない。人生の軸になっている。野球が人生だと。


他人の人生・スコアや数字、成長に自身を重ねることを否定している・批判しているのではないのだ。それは各々の夢の続きであるとか、個人の推しというのはあってよい。


ここで提起しているのは結果を興行だからと責任転嫁していないか。

興行を言い訳の材料にしてはいないか。

本気で試合を見てその結果に満足できていないからと所詮は興行だと視野を狭め、論点をずらしていないか。

急に本気の視点から下げて興行だと自分を抑えてはいないか。


判定や采配に本気で腹を立てても、自分が介入できない以上は徒労に終わる。

だからその枠組みに文句を言っている。現代的技術で解決できるとか。米国では以上のように解決しているのだから倣えと。

敗北を劇場という観点で見ている人間をあざ笑うかのように本気で憤怒している人間。

敗北した投手にSNSで批判している人間。


野球にくるっている人間を見るたびにこれは興行なのだからと、冷静な眼で見ている私が居た。

そうだ、これは興行なのだ。私が入れ込む必要が無ければ、娯楽は現代に溢れている。

興行に対して一喜一憂している事に私は疲れてしまった。

興行なのだ。プロ野球選手個人がどれだけ頑張っても将によって使い潰されたり、個人贔屓していることすら、興行なのだ。

人生はそのおままごとにどれだけ本気になれるかだ。

私はそこまで本気になれず、平静に見てしまった。


本気で応援して、興行的視点で応援することも楽しんで、その先は?

私には答えを出せなかった。これ以上応援する必要性がないのだと。


野球を観るのを辞めた。 空白の趣味の時間、それは心地よく、時間を過ごせた。

ああ、私に野球は合わなかったのだと。それを思い返すと興行の視点の話が掌小説にするのに向いている題材なのではないかと考える。それは二項対立を超えた野球に対する視点の共有。

野球が好きな人はなぜ、野球が好きで居続けられるのか?

野球を観ない人はなぜ、祭りごとの時だけ観戦するのか?

勝負vs興行

これはげんだいじんに送る警鐘。継投するのはあなたかもしれない。

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