10.戻った宝物

 帰ってから馬を納屋につなぐと、リッシェはレミットの家へ向かう。

 家の前まで来ると、ちょうど中からレミットが現れた。

「あれ? おはよう、リッシェ。どうしたんだ、こんな朝早くから」

 まだ七時半だ。仕事を始めるのに早すぎる時間ではないが、人の家へ訪れるには少し早い。

「おはよう、レミット。……マーラおばあちゃん、いる?」

「おばあちゃん? ちょっと待って」

 レミットは、家の中へ声をかけた。少しすると、マーラが出て来る。

「おはよう、リッシェ。今朝はずいぶん早いのね」

「おばあちゃん、お話したいことがあるの。ちょっと……いい?」

「あら、何かしら。私は構わないわよ」

「女同士の話? じゃ、ばあちゃん、ごゆっくり」

 言いながら、レミットは納屋の方へと歩いて行った。

 リッシェはマーラを促し、家から少し離れた場所まで移動する。

「どうしたの、リッシェ? 内緒の話かしら」

 固い表情をしたリッシェの気持ちを解きほぐそうというつもりか、マーラは少しおどけた口調で言った。

「うん……あのね、これ……」

 リッシェはブローチをポケットから取り出すと、マーラに差し出した。

 それが何かを悟った途端、マーラの目が大きく見開かれる。

「まぁ、これ……どうして……なぜリッシェが持ってるの」

「ダノセスの街の魔法使いにお願いして、火事が起きる少し前の時間に戻ってもらったの。焼けてしまう前に、これだけ取り戻して……。おばあちゃんの宝物って、これよね? 前に見せてもらった時、そう話してたもん」

 違っていたりしたら立ち直れないが、リッシェの記憶は正しかった。

 マーラはリッシェが差し出すブローチを手にすると、握りしめて自分の胸に当てる。涙がその頬を流れた。

「ありがとう、リッシェ。そうよ……これが私の宝物。オルドワがくれた、最高の宝物よ」

 言いながら、マーラはリッシェを抱き締めた。

「本当にありがとう、リッシェ。何てお礼を言えばいいか……」

「ううん、お礼なんていいの。あたしは、おばあちゃんに元気になってもらいたかっただけだから」

 そう、お礼なんてものはいらない。マーラの嬉しそうな顔を見るだけで、リッシェには十分だった。

 そんなリッシェを抱き締めていたマーラだったが、はっとした表情になってリッシェの顔を覗き込む。

「街の魔法使いにお願いしたって……お金は? 彼らだって、こんなことを無料でしてくれたりはしないでしょう。リッシェ、それはどうしたの」

 さすがに大人だ、そういう点にはすぐ気付く。魔法使いがただ働きをするはずはない、ということを。

「それは大丈夫よ、心配しないで。確かにただじゃないけど、あたしがお小遣いで払える料金だもん。えっと……そう、あたしがこれをプレゼントしたってことで、そういうのは気にしないで」

「リッシェ……ありがとう」

 マーラはリッシェの気持ちを汲んで、それ以上は言わなかった。

 だが、その後で何かに思い当たったようで、口調が重くなる。

「火事になる前の時間へ戻ったの? それじゃ、あなた……」

 マーラの言いたいことが、リッシェにはわかった。出火原因だ。

「あの……おばあちゃんが悪いんじゃないってことはわかったわ。でも……」

 ルーランスに「お前次第だ」と言われ、帰り道でもずっと考えていた。

 しかし、告げるべきなのか、リッシェはまだ決めかねている。次第にうつむきがちになって。

「言わなくていいわ、リッシェ」

 マーラが再び、リッシェを抱き締めた。そうされたことで、不覚にもリッシェは涙がこぼれる。

「見たのね。リッシェ……つらいことをお願いするけれど、他の人には言わないでね」

 やっぱり……やっぱりおばあちゃんは知ってた。ちゃんとわかってたんだ。それなのに、おばあちゃんは……。

「だけど、みんなおばあちゃんが悪いって思ってて、本当は悪くないのに」

「私が悪いのよ。火が出る道具を、自分の部屋に持っていたんだもの。ああいうことになっても、仕方ないわ。私の部屋だけで済んで、本当に幸運よ」

 前向きに話すマーラ。リッシェはそんな彼女にしがみついて、服を握るだけしかできない。

「火事の二、三日前から、少し具合が悪くてね。タバコは吸わなかったの」

 出火原因はタバコの不始末、とほぼ断定された。

 普段から吸い終わった後の片付けはちゃんとやる、と言っても、その後始末が不十分だったんだろう、と言われてしまえばそれまで。

 だが、何日も前の不始末で火事が起きるはずがない。

 マーラは最初から、見当がついていたのだろう。タバコとマッチが入っている引き出しは、子どもでも背の届く高さだから。

「これに懲りたから、もう火事は出さないわ」

 誰が、とはどちらも言わない。

「おばあちゃん、ごめんね」

 リッシェが泥棒だと疑われた時、マーラは信じてくれた。レミットが真相を知って、それを話してくれなくても、彼女はリッシェを信じ続けてくれただろう。

 今度は自分の番なのに、何もしてあげられない。

「あらあら、どうしてあなたが謝るの。私、本当に嬉しいのよ。夫がくれた宝物が戻って来たんだもの」

 宝物を取り戻してくれたリッシェは、それ以上の宝物ね。

 そう言って、マーラはリッシェを強く抱き締めた。

☆☆☆

 今度こそ忘れずに、ちゃんと入ってるわよね。

 待ち合わせの店の前で、リッシェは何度もポシェットの中身を確認する。

 昨日、部屋へ入ると、やはり入れ忘れられた財布が淋しく残されていた。

 あたし、自分では抜けてるって思ったこと、なかったんだけどなぁ……。

 その中身を何度も数え直し、それからルーランスに提示された金額を別の小さな布袋に入れる。

 二度、金額を確かめてからポシェットに入れて、もう一度数え直したい気持ちを抑えて昨夜は床に就いた。

 あまり何度も出し入れしていては、そのうちどこかへ行ってしまいそうな気がしたのだ。

 ダノセスの街へ着いてからも数えたい気持ちを心の底へ押し込め、お金を入れた布袋があることだけを何度も確認していた。

 見上げた時計の針は、もうすぐ十時を指そうとしている。リッシェがここへ来たのは、三十分も前だ。

 これでまた忘れた、なんて言ったら、今度こそルーランスだって怒るだろうなぁ。あ、昨日だって怒ってたけど。今度は倍額どころか、三倍にされそう。本当に間違いなく入ってる……よね?

 不安になって、ポシェットを覗き込もうとした時。

「まさか、また忘れた、なんて言わないだろうな」

 後ろからいきなり声が聞こえ、リッシェは飛び上がりそうになった。振り返れば……やはり魔法使いだ。

 そっと時計を見れば、こちらもやはり十時ちょうど。

「ルーランスって……」

「何だ?」

「時計みたい」

「は?」

 計ったみたいに、約束の時間ぴったりにくるんだもん。あたしが遅れたら倍額だけど、ルーランスが遅れたら半額に……なんて交渉は絶対にできないわね。

 いぶかしげな顔をする魔法使いを見て、リッシェはくすくす笑う。

 思えば、この魔法使いも奇特な人だ。子どもの小遣い程度の料金のために、こうして足を運んでくれている。

 どこに住んでいるのかは知らないが、どこそこまで持って来い、と言えば、財布を忘れたリッシェに拒否権などないのに。

 リッシェがお金の入った袋を渡すと、ルーランスは中身を確認することなく受け取って、ポケットにしまい込んだ。

 あたしが料金をごまかす、なんてことは考えてないのかな。

 確認する程の金額ではないからか、もしくは……信用してもらっているのだろうか。もし後者であれば、ものすごく嬉しい。

「ブローチは渡せたのか?」

「うん。おばあちゃん、喜んでくれた。他のことは……もう済んだ話だって」

「そうか」

 ルーランスは察して、それ以上は聞かなかった。

「ねぇ、ルーランス。甘いものは好き?」

 いきなり話を全く違う方向に変えられ、ルーランスはきょとんとなる。

「自分からあまり手は出さないが」

「苦手じゃないってことよね。よかった。おばあちゃんから預かって来てるの」

「……何を?」

 リッシェは馬の背から、一抱えありそうな布袋を下ろした。

「おばあちゃんがね、レーズン入りのパンやクッキーを焼いてくれたの。ブローチを取り戻してくれた魔法使いに、何かお礼がしたいからって。はい」

 パンがかさばっているせいもあるだろうが、袋はかなり大きい。三日以上買い出しに行かなくても済みそうな量だ。

「ねぇ、時間があったら、マーラおばあちゃんに会ってあげてよ」

「……どうして」

「あたしの話を聞いて、会ってみたいわって言ってたから」

 話の流れでマーラはそう言っただけかも知れないが、リッシェは素直に言葉通りに受け取っている。

「出張サービスはしていない」

「いいじゃない。おばあちゃんに弱いって言ってたでしょ」

「弱いって……あのなぁ」

 別に「おばあちゃん」がルーランスの弱点ではないのだが、リッシェはこれまた都合よく取っている。

「クッキー、おいしかったってことを伝えてあげるだけでもいいじゃない。そういうのも、えっと……そう、営業のうちってことで。ね? おばあちゃん、喜ぶよ~」

 こんな話をするために今日会った訳ではないのだが……。どうも調子が狂う。

 変な奴に掴まったな。

 そんなことを思いながら、微苦笑を浮かべる魔法使いだった。

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時間どおりの魔法使い 碧衣 奈美 @aoinami

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