灼爍
酢豆腐
灼爍
1.火
小学生の頃、家が焼けたんです。大火事に巻き込まれて。
家族はみんな無事でした。出先から戻ったちょうどその時に、最初の家が燃えるところを見ました。
大きな火の玉が、その家の屋根に落ちるのを見ましたよ。親に言っても信じてもらえなかったけど、僕は見ました。新聞も放火だと言いましたが――僕にはあれが、人間の仕業とは思えませんでした。
後で聞いたら、その一帯では何十年だか前にも大火事があったらしいんです。いわゆるいわくつきでね。大昔、無実の罪で拷問にあって死んだ男というのがいたそうです。随分むごい拷問で、よほど怨んだんでしょう。その祟りで妙な火事が起こるというんです――それは後で知りましたがね。その火の玉の落ちた土地というのは、未だに空き地になっているそうですよ。
ともかく、僕の家は目の前で火柱に包まれました。
空が真っ赤になってね。他に何軒も燃えたそうですよ。
すぐに入れる家が見つかったのは幸いでした。
古い家でしたが、とりあえず住むには十分だった。
しばらく学校を休むことになって暇になった僕は、ちょろちょろと両隣に出入りしてました――あつかましい子供だったんですよ。そのうちの1軒、Sという家にね。
お化けが出たそうです。
2.燈
その家には、Sさんという女性がお子さんと、それから亡くなった夫のご両親と共に暮らしていました。
ある深夜、トイレに起きた帰りに、Sさんはなんとなく縁側の雨戸を開けてみたそうです。
雲ひとつない月夜。中空に大きな大きな、丸い月が浮かんでいて――それが庭の松の木の間に引っ懸っているように見えたそうです。
月明かりで、あたりは昼間のように明るかった。庭につくった小さな池にも、その巨大な月が映り込んでいて、Sさんはそれをぼんやり見つめていました。
そこに、急にバラバラと、大粒の雨が降って来た。正確には、雨粒が水面を打って、月の姿が砕けて見えた。
天気雨か、と思って見上げたんですが、やはり空は晴れていて、雨なんか降る様子もない。ただ、月だけが真っ赤に、火のように真っ赤に染まって、やっぱり松の木の間に引っかかるように浮かんでいたそうです。
それから、Sの家はお化けの家になりました。
次の晩、やはりトイレに行きたくなった彼女が廊下に出ると、ぼんやりとね。
大きな人の顔が、浮かんでいたそうですよ。
廊下の闇の中空に。淡い光を放ちながら。男だか女だかわからない、顔だけの人が、いたんだそうです。
巨大な人影を見たり、誰かがひそひそ話すような声がしたり。
夜が来るたび、何かが起こったそうです。
特に多かったのは――ポルターガイスト現象ってやつでしょうね――家のどこかでマッチをこするような音が聞こえるんだそうです。
何度も、何度も。
いやぁ、僕が経験したことじゃないですからね。何が何だか仔細はわかりませんよ。
でも、あの火の玉のこともありましたから、ああこのあたりには、何かおかしなものたちが漂っているのかもな――と、そう思いはしましたね。
ともかくそんなことが続いたために、同居していた義父母もすっかり怖じ気づいてね。Sさんが探してきた妙な宗教家のような男に祈祷させて、それで怪現象は収まったんだとか。
その男を家に連れ込みたさに、Sさんがひと芝居うったんだろうと、口さがない近所の噂もありましたがね。本当のところ、どうだかわかりません。
僕たちもそこには2~3ヶ月しかいませんでしたから。
ええ、もっと良い家が隣町に見つかって、また引っ越したんですよ。
3.燐
次の家でも僕は、しょっちゅう近所の家に遊びに行っていました。
今度の隣家はYという家で、古い名家だったようですね。
同い年の男の子がいたんで、すぐに友達になったんですけど、本当いうと僕は、彼のお母さん――Yのおばさんの方が好きでした。
だからその内には、息子がいなくっても、おばさんに会うためにY家を訪ねるようになりました。
Yのおばさんは、髪をずいぶん短く切っていました。
火事で火の粉をかぶってしまったから、とおばさんは言っていました。こめかみのあたりに火傷もあったようです。
僕の家も火事にあったから、おんなじだね。などと言って、僕はその短い髪にも、火傷にも、親しみを覚えたものです。
おばさんはよく、僕に勉強を教えてくれたんです。
問題に正解すると「あなたは賢いね」と言って、僕をしっかり抱きかかえて、頬ずりをしました。
僕はそのごほうびが、嬉しくてたまりませんでした。
「私はね、こんな家へ来るはずじゃなかったの。だまされて来ちゃったの。でも、今にこんな家は出て行くつもり」
おばさんは息子のいない時に、いつものごほうびで僕を喜ばせながら、そんなことまで聞かせてくれました。
ぞくぞくしました。怖いような話でしたが、信頼されている、心を開いてくれている証しだと、胸が熱くなりました。
僕たちの家の裏には、広い田んぼが広がっていました。
雨の降る晩には、遠く、その田んぼの向うに、「狐の嫁入り」が見えました。
提灯のようなあかりが、ひとつふたつ、みっつよっつ、あちこちに見えかくれする。始まったな、と思っていると、それがやがて何十メートルも連なって、パッと一時に燃えたり、また消えたりする。そうかと思うと、散り散りばらばらになって、田んぼ一面にちらちら、きらきらと輝くのです。
昔、そこは広い沼地で、戦国時代の夜戦でたくさんの兵卒が溺れ沈んだそうです。その亡霊が人魂となって現れるのが「狐の嫁入り」だと、親からはそう聞かされました。
ある夜、僕はおばさんと2人で、その「狐の嫁入り」を眺めていました。
おばさんは、「これは人魂なんかじゃないよ。
そばの板塀はすっかり雨に濡れていました。その板塀を、おばさんがマッチ棒の先でこすると、青白い、ぼやけた輪郭の、淡く燃えているような、お化けの顔が現れました。
男だか女だかわからない、顔だけの人です。
「これが硫黄よ」
そうなのか、これが硫黄か。僕は怖さ半分、面白さ半分で、おばさんの描いた人の顔に指を伸ばしました。
「ほら、触ってごらんなさい。怖がらないで」
おばさんの言いなり次第に、指先でお化けの顔に触れてみました。
すると、今度は僕の指先が青白く光ります。
「これで、あなたもお化けになったね。ほら、もっと怖くしてごらん」
僕は指を押しつけて、お化けの顔をいじくりました。
指の痕がみんな、青白い光になりました。
目を大きく、口を大きく、髪を逆立てて。ぼんやりとした輪郭がぼんやりとしたままに広がって、大きな怪物の姿になりました。
「怖がらずによくやったわね。またいろんな面白いことを教えてあげましょうね」
おばさんは僕を抱きあげて、頬の熱くなるほど、頬ずりをしてくれました。
次はどんな面白いことを教えてくれるのだろうと、ぞくぞくしながら家に帰りました。でも結局、その夜がおばさんとの別れになりました。
うちでは母が待ち構えていて、また引っ越すのだと言われました。
僕はぐずぐずと弱い抗議をしましたけど、こればかりは仕方ありません。
早く仕度を、と言いかけた母が、首をかしげました。
「あんた、どうしたの。なんだかほっぺたが、青白く光っているようだけど」
翌朝、隣家に挨拶に行きました。Yの息子は別れを惜しんでくれて、案外いい奴でした。
「あの……おじさんとおばさんは?」
おばさんに会いたさに尋ねると、Y君はすぐに父母を呼んできました。
そこに現れた女性は、髪の長い、傷ひとつ見えない顔の、あのおばさんとは似ても似つかない人でした。
4.燿
とりとめのない話を聴いてくださって、ありがとうございます。
妙なことの多い土地だったと、そんな話をするつもりが、なんだか長くなって。
火事だとか、マッチだとか、お化けだとか。それぞれの出来事が繋がっているのか、そうでないのか、僕にはわかりません。
ただ、なんだかちょっとずつ段階を踏んで――つまり運命的に、僕はおばさんに出会ったんじゃないか、そう思う、いや、思いたいんですかね。
あの火事を見たせいで、僕は未だに火が怖いけれど、それでもマッチだけはどうしようもなく好きで、いつだって持ち歩いてるんです。
僕はあの夜、お化けになってしまいました。だからもう、人と同じように生きられないと思っています。たぶん好きなようには死ねないとも思います。
ぼんやりとした、予感みたいなものがあるんです。いつの日か、身近で、大きな火事か――真っ赤な火柱があがる時が来れば、それが僕の終わりを告げる合図なんだろうと。
けれども、お化けとして生きていれば、その後でまた――おばさんにいろんな面白いことを教えてもらえると思います。
そう約束しましたから。
*本作は、大杉栄(1885年1月17日~1923年9月16日)『自叙伝』の一部を翻案し創作した小説です。表現を変更した他、独自に付け加えた箇所もあり、実際の大杉を描いたものではありません。
灼爍 酢豆腐 @Su_udon_bu
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