げんだいじんに警鐘~君は福袋の存在意義を知っているか~

一筆書き推敲無し太郎

第1話

君は福袋を知っているか?そうだ。あのゴミ袋と同視されている正月の遺物だ。ピンとこないのなら君はまだ若いし、怨嗟があるとしたら福袋を知っている。これで炙り出せるのさ。

さて、福袋とはゴミなのだろうか。追ってみよう。まず、福袋のシステムは明瞭だ。店の在庫処分ではなく、運気をあげるために存在しているのだ。中身がわからないからこそ、くじ引き的な楽しみ方ができるし、正月の浮かれた気分で散在して正直要らないものであっても、気分が良い。そんなものだ。さあ、君は福袋を買うだろうか?いや、買ったことがあるだろうか?買っていないとしても、福袋がどういうものなのかの定義はこの程度にしておきたい。


福袋はゴミなのだろうか。経済的に不必要な物品が目出度い時期に増えることを毎年行っているのだろうか。そもそも、福袋の価値が下落したと感じているのは、福袋の中身開示の傾向が強まったことだ。そりゃあ、要らないものは欲しくない。でもそこで巡り合える自分では買わないけれど、良い物・人に貰うとうれしい物・人にあげようかなと考えるあの瞬間。それだけで福袋は構成されていたといって差し支えない。


福袋はゴミなのだろうか。それは“福”の入った袋。中身が開示されているのなら福はどこにあるのだろうな?単にそれがビニール袋に入っていても、紙袋であっても、福と書いてあるだけで福袋としている。この現状は本当に福が入っているのだろうか。形骸化しているのではないか?店の商品の棚卸が面倒だから、売れていない商品を押し詰めているのではないか。


福袋はゴミだ。福袋を気取って販売している店すらある。それは商品の内訳は書くが、何分の一で当たりがあるというシステムだ。それは店員の匙加減だ。


しかし、福とはなんなのだろうか。君は料理をするだろうか。人に振る舞うときは“愛情”という不明確な想いを込めるのではないか?それが福袋業界でいう“福”だと仮定する。であれば、店員がランダムに袋詰めする行為はなにも思いがこもっておらず、機械的に処理されているのではないか。


福袋はゴミではない。商品が明確になっていることで、自分はなんの商品が入った福袋を買おうかと選択権が与えられているのだ。私は毎年、日本酒の福袋を買う。これは酒好きならわかるが、辛口・甘口・淡麗・芳醇には大きな差異がある。未成年の君に伝えるとすると、コーラとサイダーくらい違う。そんなこだわりがあるからこそ、福袋を買うときにハズレを引きたくない。福袋を万全な購入物にするには情報戦に勝利する必要があるのだ。


福袋はゴミなのだろうか。或る程度ゴミだ。なにも風流ではない。資本主義経済の成れの果てだ。大量消費する時代ではないし、福袋を買う金銭の余裕はないし、一喜一憂する気概も福袋に求めていないのだ。


来年の福袋は買わない。毎年言っているのだ。それでも福袋の時期になると浮かれて買ってしまう。やめとけばよかったと後の祭りになるのに。それでも買ってしまう。

これは一大行事なのだから。

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