あとがき
わたしたちは、それぞれ別の時間軸で、死者として出会い、そして死者として生きる。それは逃走であり、また自由である。死を、終わりとしてではなく、混在の濃度として見ている。それはどこか密教的であり、同時に写実的でもある。対象を凝視することで、そこに「うつってしまうもの」を否でも受け取ってしまう。それは、祝福でもあり、呪いでもある。しかしその呪いは拒まれず、その濁りのある光のようなものを〈ゆたかさ〉として受け取っている。
時間の渦は、直線的な時間感覚を拒み、死は未来にあるものではなく、「美しいとされているもの」にはすでにその中に含まれているという感覚を生む。それは単に死の予兆や老いではなく、今この瞬間の美の中に、死の粒子が混じっているということである。言うならば〈生死の彩のゆたかさ〉である。
社会の中に埋もれていくことをどうにか肯定的に捉えられないか、と苦心した末にどうしようもない小路に迷い込んでしまったような気がしています。他者の評価やそれに伴う自己というものに悩まされて久しい私たちですが、他人のことなんて気にせず自由に生きていこうよ、という形ではない別の、言うならば川の粒子の一滴一滴が、時間も忘れ悠々と流れていくような、そんな人が出てきてもいいのでないかと、それは時間を超えて生きる死者のようではないかというところから、この小説を書き始めるに至ったわけですが、その末に何が書けたのか、わたしにも一向に分からずじまいという……
伊富魚
消えてもいいとしたならば 伊富魚 @itohajime
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