広告とちゃんぽんの日々

@perushan

溺れる広告

美香は残クレで手に入れた最新式のスマホを、寝るとき以外はほとんど手放さない。朝起きてすぐに握りしめ、通勤電車でも、昼休みでも、帰宅してからも、指は常に画面の上をさまよっている。

 最新式で良かったと思える点は、せいぜい「バッテリーが一日もつ」ことくらいだった。カメラの性能が上がろうが、処理速度が速かろうが、美香の使い道といえばメッセージの既読確認、天気予報、そしてガチャ演出の鑑賞くらいである。


 唯一、彼女がスマホを放り投げる瞬間がある。動画を見ている最中に、長ったらしい広告が割り込んできたときだ。

 「……もういい!」

 イライラ混じりにベッドへ投げ捨て、しばらく放置する。だが数分後には再び手に取り、通知を確認している。まるで手のひらに張り付いた小さな恋人のように。


 「また★5出なかった……」

 小さく舌打ちしながら追加課金を押す。そこに躊躇はないくせに、動画広告のスキップ待ちは我慢できず、プレミアム会員になる月額課金だけは「無駄」と頑なに拒んでいた。


 四十歳を過ぎ、結婚も子育ても「もういいか」と半ば降参した彼女にとって、スマホは恋人兼ペットのような存在だった。彼氏はいる。けれど週末に会うだけで十分で、人生を大きく変える気はお互いにない。


 そんなある日、出張で訪れた地方都市の夜。仕事を終えてホテルにチェックインした美香は、「せっかくだしご当地グルメでも」とブラウザを開いた。

 だが画面に並ぶのは「半額クーポン配布中」「人気チェーンが新規オープン!」の広告ばかり。地元料理の記事に辿りついたと思えば、上から順に「スポンサー表示」の小さな文字。レビューサイトを開けば、今度は別アプリのインストールを迫られる。

 スクロールすればするほど、ラーメン、寿司、ステーキ、居酒屋、宅配ピザ……さまざまな料理が画面を覆い、頭の中はますますぐちゃぐちゃになっていった。


 ――私、何が食べたかったんだっけ?


 もう探す気力も尽き、結局、美香は駅前のフードコートに足を運んだ。注文したのは、食べ慣れたちゃんぽん。

 丼の中には野菜、肉、魚介、すべてがごちゃ混ぜになっている。その雑多さは、さっきまで広告に翻弄され、頭の中がごった煮になっていた自分そのもののようだった。


「結局、こうなるんだよね……」

 溜息まじりに麺をすすりながら、最新のスマホを横に置いた。


 ホテルの部屋に戻ると、バッテリー残量が真っ赤に点滅していた。

 慣れない出張で詰め込んだバッグをひっくり返す。

 まるで水中に投げ出されたかのように、必死にもがいている。


 ようやくケーブルの先端を掴んだとき、美香の安堵の吐息は水面に顔を出したときのそれに近かった。

 ――溺れる者は藁をも掴むって言うけど、私の場合はこれだ。


 ケーブルを差し込むと、画面が息を吹き返す。

 「……ぷはぁ。助かった」

 笑いながらも、ほんの少しだけ胸が痛んだ。


 次の瞬間、新しいガチャイベントの告知が画面いっぱいに広がる。胸が少しだけ高鳴り、指は迷わず課金ボタンに伸びる。

 結果はもちろん、★5は出なかった。


 美香は静かに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

広告とちゃんぽんの日々 @perushan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ