オーロラが空を覆う時

よし ひろし

オーロラが空を覆う時

 大気の幕を電撃が貫いた。


「凄い雷!」


 その瞬間、私は息を呑んだ。だけど、本当の驚きはその直後にあった。


「え――?」


 窓の外、夜の空一面に、緑と紫と赤の光が、ゆるやかな波のように揺れ広がっていく。


「……オーロラ?」


 ここ、東京湾岸の夜景を見下ろす高層マンションから、オーロラを見られるなんてありえない。理系が苦手なシングルマザーの私でも、それぐらいは知っている。


 でも――現実は常識を裏切っていた……



☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 ニュースは繰り返し報じていた。地球の磁場が崩壊を始めている。宇宙線はこれから容赦なく降り注ぎ、私たちの文明を、そして生き物そのものを焼き尽くす。


 残された時間は、一週間もない。


 そう告げられてから、私は何度も何度もこの子を抱きしめた。

 腕の中の幸輝こうき――二歳になったばかりの息子は、ただ無邪気に窓の向こうを指さしては笑っている。


「ママ、おそら、きれい! あれなに? もえちゃったの?」


 その声に胸が締めつけられる。私は笑顔を作りながら答えた。


「燃えてるんじゃないの。……お空が歌ってるのよ」


 空を見上げるたびに涙が溢れそうになる。けれど、この子の前でだけは泣きたくなかった。


 この子の未来は、もう存在しない……


 それでも、せめて最後まで「綺麗だね」と笑い合いたかった。

 たとえ、それがどんなに残酷な嘘であっても――



☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 数日前から、街は混乱と静寂の狭間にあった。

 スーパーの棚は空っぽになり、道路は渋滞で埋まった。暴動や略奪のニュースも流れた。でも今は、不思議なほど落ち着いている。


 ――みんな諦めたのだ


 どんな武器も、どんな技術も、この終わりを止められないと悟ったのだろう。

 だから人々は最後の時間を、恋人や家族と過ごすことを選んでいる。


 私もそうだ。幸輝を胸に抱いて、ただ空を見ている。



 ベランダに出てみた。冷たい風が頬を撫で、髪を揺らす。

 幸輝が小さな手を空へ伸ばす。


「おてて、ひかってる!」


 オーロラの光が掌に重なり、まるでこの子が光を掴んでいるように見えた。


「……そうね、綺麗ね」


 その一瞬だけ、世界の終わりなんて信じられなくなる。

 私たちの星が滅びゆく途中に、どうしてこんなに美しい贈り物を残すのだろう?


 皮肉なのか、慈悲なのか……



 幸輝はやがて眠ってしまった。肩に頭を預け、小さな寝息を立てている。

 私はその温もりを胸いっぱいに吸い込みながら、心の奥で呟いた。


「ありがとう……」


 誰に向けての言葉か、自分でもわからなかった。


 地球にか?

 神にか?

 それとも、この子にか?


 ただ確かなのは、最後のオーロラを一緒に見られたことが、何よりの幸せだということ。



☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 世界中の人が、同じ光を見上げている。


 戦場の兵士も――

 病院のベッドで息を引き取ろうとしている人も――

 孤独な老人も――

 まだ何も知らぬ赤子も――


 そのすべての瞳に、同じ揺らめきが映っている。

 もしも誰かが遠い未来に、この瞬間を思い出すことができるなら、きっとそれは、人類が一度だけ見た「永遠」の姿だ。



 私は幸輝の髪を撫で、もう一度空を仰いだ。

 光の波はますます強く、鮮やかに広がってゆく。

 まるで、地球という母が私たちを眠りに誘うための子守唄のように。


「おやすみなさい、幸輝」


 その言葉を囁いたとき、オーロラがひときわ強く瞬いた……



END

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オーロラが空を覆う時 よし ひろし @dai_dai_kichi

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