流れ進むのは我々であって時ではない

藤原丹後

流れ進むのは我々であって時ではない

 7日ぶりに帰宅した。


 ベランダから部屋に入るときにリンが顔をシカめたのは、多分俺の家の本の臭いだろう。一週間不在にした程度では俺の鼻は全く嗅ぎ取れないが、薬品臭のような臭いがするらしい。

 友人イワく、図書館と古書店を合わせたような臭いらしい。


 洗面所で手を洗った後、部屋の窓を開けてまわる。

 室内一周を終えてリビングに戻ってくると浴室からお湯を入れている音が聞こえた。


 確認しなくても手洗いを終えた後にリンが勝手にやっているのはわかっているから、わざわざ見に行ったりはしない。

 洗面所には3人の名前が書かれたケースがいつの間にか設置されている。

 母が入院してからは空になっていたケース。断捨離ダンシャリせずに残していたのが役に立ったようだ。

 ケースを開けたことがないから中に何が入っているのか知らないけれど、多分フェイスタオル等の、なんやかんやが入っているのだろう。


 マヤやロミナだったら、お湯を入れる前に浴槽の清掃をした方がいいと助言するけれど、久しぶりにコーヒーが飲みたかったのでそっちを優先した。


 城塞に向かう前に、当面の間は新聞の配達を止めておいて欲しいと連絡しておいたので、新聞のかわりとして録画していた夜のニュースをちょくちょくスキップしながら流しみる。


 一週間分のニュースを流しみてコーヒーを飲み終えた頃、長い入浴を終えたリンが髪にタオルをてながらリビングに入ってきた。


 洗面所に吊るしたままの買い与えた服に着替えている。

 リンが向こうで着ている服って、誰が洗うのだろう?

 そんなことをぼんやりと考える。

 洗濯機が動いている音はしないし、そもそも洗濯機の使い方を教えていない。


「食事は外に食べに行くのかしら?」


 ……思うところはあるけれど、俺も長旅で疲れているから穏便にすます。

「俺はレトルトのカレーライスを食べるけれど、同じものを食べる? それともパウチ入りパンとレトルトのカレーにする? あぁおかず缶も残っているね。今夜は外出せずに食事と入浴を終えたら直ぐに眠るつもり」


「ふ~ん。とりあえず、それ。全部並べてくれる」


 言われるままにテーブルに並べた。

 リンはパック入りのご飯を最初にに手に取ると、めつスガめつしてから最後に匂いを嗅ごうとしているのか鼻を寄せた。

 レトルトカレーはおかず缶で俺がカレーを食べているところを見ているせいか、忌避感はないようだ。


 パックご飯とレトルトカレー。パウチ入りパンとおかず缶を2個ずつり分けたリンが俺を見る。

 多分、というか間違いなく、俺にそれを食えるように用意せよという視線だろう。

 こいつに俺を従僕扱いしないよう、どういうタイミングで釘を刺すのがいいのだろうか……


 お嬢様をキッチンにご案内して、蛇口とガスコンロの使い方を説明した。

 時計を指差し、レトルト1つ1つの加熱時間の書いてある場所を説明する。

 最後にガスコンロの火は必ず消すように念をおす。禁治産者ではないのだから火を点けっぱなしにして放置はしないだろう。


 説明を終えると浴室に向かう。浴槽の湯は抜かれていた。

 溜息を1つつくと浴槽の清掃をし、シャワーで髪と身体を洗う。

 もう1度浴槽に湯をいれる気にはならなかった。


 浴室を出て、バスタオルや溜め込んでいた下着を洗濯機に放り込む。安全靴を除いた防具一式の手入れをしていると、食事を終えたのかリンが洗面所にやって来た。


「ねぇ、あたしの服もその道具で洗ってよ」


「下着を洗うときに言ったけれど、君たちの世界の服は手洗いの方がいいと思うよ。傷んだり色落ちしたらその服は捨ててもいいの? 駄目になってもいいのなら試してみようか?」


 リンは俺の真意を探るかのように、じっと俺を見つめてきた。初対面の頃とは違い目元からケンの取れた少女の綺麗なカンバセは、どれだけ見続けていても飽きが来ない。


「洗い方を教えて」


 リンの方が先に顔を逸らした。


 タライと洗剤を浴室に持ち込み、下着を洗う際にした説明をもう1度繰り返した。


 入れ替わりにリビングを経由してキッチンに行くと、コンロの火は消してあったが鍋の湯は捨てられずに残してあった。


 パックご飯はレンチンして、レトルトカレーは湯で加熱し、キッチンで手早く夕食を済ました。


 ダンジョンにテントと毛布等を運び入れ、歯を磨くと、リンには何も言わずにその日はダンジョンで寝た。ベランダの鍵はリンが閉めるだろう。






「何時迄寝てるつもりなの!」


 テント越しにリンが怒鳴っている。

 四月の最終週とはいえ朝は未だ寒い。リンが開けにくるまでベランダで突っ立っている気はないのだがな。


 朝食は残りのパウチ入りパンとおかず缶ですました。

 ビバルディの『四季』を聴きながら会話の無い朝食で、リンを図書館に放り込んだ後の予定を考えている。


「今日は別行動すると昨日言っていたけれど昼食時には迎えに来てくれるのよね?」


 ちょっと返事に迷った。金を渡しておけばいいと思っていたが、サークレット(通訳)を持っていてもリン1人で買い物をさせるのは未だ無理か……

 市立は府立に比べると小洒落コジャレているのだが、府立中央図書館の食堂はなぁ。


「12時半ぐらいに迎えにいくけれど、これからのこともあるから、1人で食事や買い物ができるようになった方がいいと思う。できれば鉄道やバスの路線図を覚えて、この家から図書館まで往復できるようになって欲しい」


「そうね」


「で、即物的な話になるけれど、こっちでの食費や君の学びに費やす費用。誰が負担すべきだと思う?」


 指でちぎったパンを口にいれようとしていたリンの手が止まる。


「そういう話は済んだと思っていたわ」


 顔を背けてパンを口に入れた。


「ダンジョン攻略中、次は5層か、人数割りだから君の取り分は2割ということになるけれど、ダンジョンコアというのを破壊するとモンスターのリポップはなくなるのだろ? 踏破後の話はしていないよ。学習には何が必要か攻略前に見極めて、それを持って向こうの世界に戻るというのはどうだろうか?」


「嫌よ! ダンジョンの魔素が消失したら球冠キュウカン鏡への接続も停止するのよ。あんた言ってたじゃない。魔素のあるあたしたちの世界では日本の本は文字が消えていくって、完全な知識を手に入れるまであたしの生活の場は日本よ!」


「ん? 空間が密閉されているから、コアを破壊しても球冠キュウカン鏡への接続は機能するはずだとロミナは言ってたよ。魔素の濃度が上がらなくなればモンスターはリポップしないからコアを破壊しておけば問題は起きないと」


「え? そうなの? でも駄目よ! 日本での生活費負担に応じないと言ったらあんたは同意したじゃない。あたしは日本に残るわ」


「それは攻略中の話だよね。俺が言っているのは攻略後の話だよ」


「卑怯よ! そんな理屈。あたしは認めないわ」


「一応、対案は考えている。オールバラ伯爵家に登録している透明オーブを日本の他のダンジョンに持ち込んでオールバラ伯爵家と接続する。それが可能だったら君たちの世界の魔道具や黄色のオーブを持ち込めるから俺の収入になる。それを手伝ってくれるかな?」


「マヤにさせればいいでしょ。何であたしなのよ」


「俺は君の収入の話をしているのだけれど?」


「……なんか胡散臭いのよね、その話。本当に上手くいくの?」


「最大の問題点は透明オーブを日本のダンジョンに持ち込めるのかだけれども、透明なオーブなのだから持ち込めそうな気がする。後は魔素がありさえすれば透明オーブの接続が機能するかどうかだね。何度も繰り返すのは駄目だろうけれど1度だけなら誤魔化せるのではないかな」


「それを今日試すつもりなの?」


「いや。攻略後に試そうと考えている」


「あたしの取り分は半分よね?」


「売却金額とリンの滞在期間がわからないから今それをは決めない。君の為に費やした費用を引いた後で半分ずつに分けるということでどうだろうか?」


「あたしの費用というのは、ダンジョンオーブを破壊したときからということでいいのね?」


「それでいいよ」


「わかったわ。今日からあんたの車では図書館に行かないということでいいのかしら?」


「いや今日は俺も市内のあちこちに行く用事があるから、図書館まで車で送る」


 食事の後片付けをしてから軟オーブ(赤)を飲み、姿を消したリンについてくるように言って駐車場に向かう。 


 リンを図書館に送り届け、図書番号や開架・閉架等の基本的な事を教える。

 PCの検索は説明が面倒なので図書目録カードで済まそうと思ったのに……もうないんだな、図書目録。       

 職員にリンが外国人であることを説明して、必要なら手助けして欲しいとお願いして図書館を出た。





 所要を済まし、約束の時間より少し前に図書館に戻ってきた。

 熱心に本を読んでいるリンに後ろから声をかける。俺が声を掛けると周囲に座っていた老若男女ロウニャクナンニョが何か言いたそうな表情を一瞬だけ見せた。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけれど」


 そう言うとリンは周囲に積み上げた本の中から数冊を手繰タグり寄せる。


「食事を簡単に済ませるのなら今答えるけれど、食堂で食べたいのなら質問は後にしない?」


「あら? もうそんな時間なのね」


 リンは迷うように俺の顔と手に取った本を交互に見た。

 溜息をついてから立ち上がる。


「では行きましょうか」


 リンは俺の数歩斜め後ろをついて来る。並んで歩く気はないらしい。


 隣のブロックまで歩いて行き市役所に入る。

 ビルに入る直前、後ろを歩いていたリンが急に距離をつめる。


「ちょっとあんた。こんな所に入って大丈夫なの?」


「ここは役所だから、誰でも入れるよ」


 食堂は11階にもあるが、あえて22階を選ぶ。煙は高い所が好きらしいからな。


 スカイラウンジからの眺望は異世界人にも好評なようだ。食事に来たのに窓の側に駆け寄り熱心に風景を眺めるリン。ガヤついていたラウンジが静まる。

 リンは周囲の喧騒が消えたのにも気づかずに外を見ている。


 図書館とは違い、俺がリンに話し掛けるとざわめきが広がっていく。その場限りの他人について何故そこまで関心を寄せるのか……


 リンは遠くの生駒山を眺めているようだ。もう少し前なら枚岡ヒラオカの山桜が見えていたかもしれないが、この時期では葉が生い茂っている。



リンが凡庸な貴族の令嬢でないことは誰が見ても明らかだ。彼女は10歳のころから乗馬を始めたと聞いた。長時間馬を乗りこなす技術には、どこか手慣れたものがあったのは事実だ。その技術に勝る者は王都にもそう多くはないらしい。だが、それだけではない。貴族教育を受けたその知性は学問や教養にも及び、12歳の頃には国内の学者たちを驚かせ「神童」と呼ばれた。居住する屋敷の使用人とその家族1人1人の誕生日や記念日を忘れずに、細やかな配慮を欠かさなかった。誰もがその優しい心根に感銘を受けたそうだ。もしも家が残っていれば、彼女は伯爵家の正妻として迎えられたであろう素晴らしい女性だ。

 零落した今では、かって羨望の眼差しでリンを見上げていた男爵家長男から「愛人になれ」と要求されている不憫な少女。


 振り向いたリンは気のせいか泣いているように見えた。


「幼い頃、お父さまに抱かれて塔に上ったときのことを思い出したわ。もちろん、館の塔はこんなに高くはなかったし、数年前までは自分の足で塔に上っていたのにね。ここにはいつでも入れるのかしら?」


「7日に1度の休みを除いた昼食時にはね。その昼食の時間も後1時間ぐらいしか残っていないよ」


「窓の側でお食事ができるのね。素敵だわ」


「昨夜食べたご飯は問題なかった? 普通はパンとご飯を選択できるのだけれど、ここはご飯しかないかもしれない」


「カレーというものと一緒に食べた白い粒のことかしら? 大丈夫よ」


「では食事にしようか」


「ええ、そうしましょう」


 食事を終えてもリンは立ち上がろうとしない。結局閉店時間まで椅子に座り続けた。目を潤ませた女の子を1人で放置するわけにもいかないので、俺は普段全く使わないスマホを取り出し、何かの作業をしているふうを演じるはめになった。


 名残惜しそうにするリンを追い立て、図書館に戻ってきた。

 リンの質問に答えるため、図書館の休憩室へ行くが考えがまとまらないようだ。仕方がないのでコピーサービスを説明し、尋ねたいことが書かれた箇所をコピーするように伝えた。帰宅してから答えると約束し、小銭を渡して自動販売機での飲料の購入方法を説明をしてから俺は駐車場に向かった。


 必要な買い物を終えた日没後の薄明。図書館でリンを拾う。

 夕食の希望を聞くと肉がいいと言う。昼にチキングリルを食べたのに又肉かと思わないでもなかったが、財布に優しい牛丼チェーン店に案内した。


 帰宅してから明日の準備をする。ダンジョンでの食事は何回必要になるか分からないが、一日分の食料と緑茶・コーヒー・紅茶のパックを入れ、テントを除いた全てを持って行くことにする。

 とは言え、5人15食分程度の食料なので前回程の大荷物にはならない。量が少ないと文句がでるようなら各自にバックパックを背負ってもらうことにすればいいだろう。おかず缶は飽きたので、今回はキャンプ用のパスタやご飯等のレトルトを買ってきた。一食当たりの量は増えているのだが、それでも足りないと言うのだろうなぁ。


 それにしても図書館の狒々爺ヒヒジジイ。昭和の役所かと思わせるほど俺相手には態度が悪いのに、少女の世話を焼くときには愛想がいいらしい。リンの質問に答えるため、いそいそと参考図書を揃えてくれたそうだ。お陰で楽ができたが何か納得がいかない。

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