思い出に輝く幻覚
鈍色小金
見えるはずのないもの
私は頭がおかしくなってしまったのだろうか。
先日、ひどく頭が痛かった。高熱も出て学校も休んでしまったくらいだ。密かに無欠席を誇りとしていたのになくなってしまった。
百歩譲ってそれはどうにか耐えようにも、ここのところの異常に眩暈を覚える。
――とことことこ、と視界の隅を駆け抜けていく小さな影。
思わず視線だけでそれを追う。授業中で席に着いているから騒ぐわけにもいかない。それでもごく、と喉が鳴ってしまう。
小人。手の平に乗ってしまうほどの小さな人。それが教室の中をちょこまかと歩き回っている。机の上、クラスメイトの足元、先生の肩。重力すら無視して天井にも。
自分だけの視覚異常……幻覚の類、ということはわかっている。だって誰も気にした様子がない。そもそもあんな小さな人間いない、普通は。
なんだろう、ストレスが溜まっているのだろうか。人間関係が妙に拗れたとか、学業不振とか、そういった自覚はないのだけれど。
別に、見えているからといってなにか悪さをするとか私に悪影響があるとか、そういったことがあるわけでもない。ただ、いままでの日常生活になかったものが増えたから困惑はしている。落ち着かない。
これで本当に成績が落ちたら笑えない。ふ、と短く息を吐いて意識を切り替えることにした。先生の言葉と黒板に意識を戻す。
暫し集中していたところ、私の机に小人が降り立った。多少なりとも身体が強張ってしまうものの何も怖いものではないと自分に言い聞かせて視線を維持する。
それでも視界に映り込む小人は興味深そうに私のノートを覗き込んでいる。彼……あるいは彼女は、文字が読めるのだろうか。
小人たちは皆揃いの衣装を着ているから性別も年齢もわからない。いやそもそも年齢って人間の概念だろうか。
早速意識が逸れている私をよそに小人はちょこまかと机の上を歩いていく。勝手知ったる……我が家? ここ、家なのかな。学校の外でも見掛けるから違うかもしれない。
ぼんやり眼で追っていたら、ちょこまかしていた小人がよろめいた。机の上から、落ちる。
「あ……っ」
咄嗟に声と手が出てしまった。左手で机を支えになんとか右手で小人を受け止めたものの、飛び出たものを引っ込めることはできない。
一瞬だったけど、静かな教室に机が軋む音と、私が漏らした声が響いてしまった。ぱ、と少なくない視線が向く。
「どうかしましたか」
「や、あの、ええと……消しゴムが、落ちそうに、なって」
すみません。謝罪も付け加えると先生もクラスメイトも納得したように元の姿勢へ戻っていく。決して手の中にあるのが本当に消しゴムなのかという追求はなかった。
私もそうっと姿勢を戻し、皆の視線が向いてないことを再度確認してから手を開く。握り潰したということもなく、小人は手の中からこちらを見上げていた。
左手でつまみ上げて机に降ろす。触れる。触った感触も、重量もある。幻覚もここまでくるといっそ清々しい。
一人自嘲してから、気付く。そういえばこの小人は常日頃から、ついさっきも天井を歩いていた。机から落ちようがどうともなかったのでは。ただ恥ずかしい思いをしただけだった気がする。
……はあ、と溜め息が反射的に漏れた。
その授業以降、向こうも私が見えていると認識したのか余計うろちょろするようになった。じっと視線を感じるだけだから変わりはないのだけど。
たださすがに自宅前まで着いてこられては困る。周囲にひとがいないことを確認し、小人たちに振り返った。
「入ってこないで、ください」
小さいけど妖精のようなものだったら下手したら自分より〝年上〟かもしれないと敬語で拒否の言葉を吐き、それでもポケットから飴の個包装を取り出して手近な小人に押し付ける。
数を持っているわけではないからすぐ逃げるように家の中へ逃げ込む。緊張から息切れを起こしていたものの、我に返って家を見回ったが家の中に小人は見当たらなかった。
その後も妙に警戒しながら過ごしていたから家族には不審がられたけれど、決して家の中で小人の姿を見ることはなかった。やっぱり人間の言葉を理解はしているのだろうか。
――それとも、幻覚の症状として消えてくれた、とか。
お願いしてくれたら消えてくれるってそれはもう幻覚でもなんでもないのでは、と思ったりもしたが深く考えないようにして就寝した。
そうして朝日に刺激されて目が覚める。欠伸しながら身を起こすと、ちか、と視界に別の刺激が走った。自然とそちらに視線が誘導される。
窓――その外側。なにかきらきらきらめいている。寝惚けもあり、あまりの綺麗さも重なって警戒することもなく窓辺に寄った。
慎重に窓を開ける。朝特有のひんやりした空気が肌に触れ、部屋に流れ込んでいく。意識がゆっくりと覚醒に引き上げられていった。
一旦腕を頭上に伸ばし、脱力。そのまま視線が下がったことで窓できらめいているものの正体に気付いた。
木の実。少なくとも一見してはそう見えるものを指でつまみ上げる。昇ってきた朝日に透かすと向こうが見える。硝子だろうか。
「きれい」
は、と吐息のような感想が漏れた。
深く根差した大樹のような暗めの茶色なのに、透けて見える不思議な木の実。これが平凡に暮らしていては触れる機会すらないものだと〝なんでもない〟私でも理解できる。
思い当たる節はひとつだけ。窓から身を乗り出して辺りを見回してみたものの、求める姿は見つからない。
見えていない、だけかもしれない。あの頭痛に襲われる前からずっと。
「……あ、ありがとー……」
口に手を添えて小さく声を投げる。返答もなく朝のしん、とした空気に声が溶けて消えていった。
その日以降、私の視界にあの小さな隣人が映ることはなかった。きっとこれからもないだろう。見えてしまっていたことが異常だと私自身すぐに理解していたのだし。
けれど手元に残った不思議な木の実が朝日で輝くたびに、夢幻ではなかったと微かに背筋が伸びる。
いつか、もしもの話。あの小人たちが困っていたらまた躊躇いなく手が伸ばせるような自分であろうと。
思い出に輝く幻覚 鈍色小金 @kogane0825
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