金魚鉢

水辺蓮花

溺れない

もう溺死でもいいんじゃないか。ふとそう思った、ただそれだけで、海に来た。

ずっと、痛くない死に方を探していた。寝てる間に隕石が落ちて、大きな光に包まれて死ぬ。それが私の夢だった。でも、そんなの無理だよって君に笑われたから、君によく、死んだ魚の目をしているって言われていたから、じゃあ海が私の故郷ってことでいいじゃん、家にいても帰りたいって思うのはそういうことだったのかって何となく納得して、衝動で電車に飛び込んで、ここまで。

私は臆病だから、痛い死に方なんてできない。ましてや一人でなんてもっと無理だ、せめて君がいないと。でも君はもうこの世にいないから、じゃあもうどうでもいいや、どうにでもなってしまえ。浜辺を蹴りながら考える。

有線のイヤホンを引っ張って取った。この身体から出るかなしみがひとつの海を創ればいい、それでみんな溺れればいい。スマホだけ、もう連絡が着く筈のない君に最期のメッセージを送るために、胸ポケットに入れておく。

スニーカーの爪先をひた、と水に浸けると、即座にひんやりした液体が重たく入って来る。私は心底感動した、やっと、やっと君と同じ所にいける。君、君、君、君、きみ。ゲシュタルト崩壊しそうになるほど何回も名を呼んだ君の下へ、勝手に居なくなった君の下へようやくいける、なんて笑みを零す。君は一人にしたら泣いてしまうような弱虫だから、私が居ないと駄目な筈だったのに。茹だるような夏の空気に嫌気が差す。

そのまま、海に駆け寄るように膝まで浸かる。じゃぶじゃぶと波が白く泡立って、スニーカーが更に重くなった。ざざん、ざざん、と波打つ音が遠かったのがどんどんと近くなって、ああ何だ、海って近かったんだ。何て思った。高揚感、そして少しの恐怖。それでも二割程だ、私を止める理由にはならない。

お腹の辺りまで浸かると、制服のきれいなプリーツがふわりと広がった。海が私の太ももに纏わりつくのが心地良い。そうだ、この感触だ、私が今まで求めていたものは。でも、もう戻れない、とも思った、ここまで来て海から上がったら私はそれこそ水揚げされた藻類のようになってしまう。もう引き返せない。恐怖と安堵がぐるぐる混ざって、私を覆いそうになる。

それから逃げるように胸まで浸かって、やっぱり嬉しかった。君との冒険は全部意味があったんだ。君と包丁を持って、やっぱりお腹なんか自分で切れっこないね、なんて笑ったことも、夕焼けから逃げるように写真を撮ったことも、全部全部夢じゃない。いっそ夢だったらどんなに私は不幸せで貧しい人間だっただろうか。死への片道切符をくしゃくしゃになるまで握り締めた君は、私とすれ違って、きっと月へ行った。それが夢だって、川辺で縮こまりながらも、その瞳をきらきらと輝かせていた。なら、私だって。置いてけぼりになる訳にはいかない。

顎の下まで浸かって、息をするのが苦しくなる。水深も深くなって、私は生を諦めたんだなって実感する。でも、それまでの恐怖は無かった、私はただ君のことが大切で、死にたい一人の少女だった。苦しくないと言えば嘘になる、だけれど。嘘吐きになってでも、遂行しなきゃいけないことだった。ブラウスの袖にまで水が入って気持ち悪い。胃がごろごろした。徐に、びしょびしょになったスマホを取り出して、君の連絡先を押す。待ってろよ、の一言だけ打って、でもそれは届かないんだろう。届かないと信じたいような、信じたくないような。私はきっと今、どうしようもなく見窄らしい顔をしている。ここが海でよかった、頬を濡らすものの正体を知らずに済むのだから。

そして顔を海に浸けようとする私を待っていたのは、それはそれはうつくしい視界と、大人の男の大きな叫び声。サイレンの音と、タイヤが回る音。うるさい、うるさい、うるさい! 一瞬の恐怖と怒り、そして致死量の安堵。大丈夫、いける。

身体中を泡がへばりついて面白い、まるで私を掬い上げようとしているかの様な。全部全部意味が無い。私はゆっくりと微笑んで、夏の終わりへと飛び込んだ。

金魚鉢に浮いた金魚は、いつまでも一匹のままだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金魚鉢 水辺蓮花 @renge_mizube

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る