夏の女神

志乃亜サク

9回裏、2死満塁

 燦々とした夏の日差しが、グラウンドに降り注いでいた。

 轟轟とした両軍の応援が、グラウンドに降り注いでいた。


 この9回裏を抑えれば俺たちの勝利。大番狂わせはもう目の前だ。


 しかし点差はわずかに1点。どうにか二死までこぎつけたが、ヒットと連続四球で満塁の大ピンチだ。

 しかも次の打者はプロ注目、そして今日二本塁打の主砲・岡田ランディ。

 

 マウンドでは俺たちのエース・江川が肩で息をしている。予選を通してここまで一人で投げぬいてきたが、自慢の剛球はもう見る影もない。

 だが、それでも江川以外にこのピンチを凌げるピッチャーは俺たちのチームにはいないのだ。

 ここは女房役で主将の俺がなんとかしないと―――。

 

 「タイム」


 俺はマウンドへ走った。呼応して内野陣も集まってくる。


 「なんやお前ら、暑苦しいからいちいち集まんな! 散れ!」


 江川はいつも通りの軽口。グローブでシッシッと追い払うジェスチャー。


 やっぱり、コイツはエースだな。そう思った。

 どんなピンチでも、絶対に弱音を吐くことがない。疲労困憊は明らかなのに、心は少しも折れちゃいない。たった一人でこのマウンドを守り続けてきた、俺たちのエースだ。


 だけど今は、その責任感の強さのため逆に余分な力が入り過ぎているように見える。これじゃ球は走らない。次バッターの岡田はそれで抑えられるほど甘い相手じゃないんだ。

 どうにかして江川の気負いを取り除き、ベストピッチを引き出さないと―――。


 そう思ったとき、俺の口からはこんな言葉が自然と出てきた。 


 「甲子園行ったらさ―――俺らモテるかな?」


 「はあ?」


 意表を突かれた言葉に、江川の強張った表情が少し緩んだ。

 そりゃそうだよな。こんな緊迫の場面でこんなこと言い出したら、そりゃそんな反応になるさ。

 だけどお前らならわかってくれるだろう? 俺の意図を。


 「そりゃ、モテるに決まってるだろ? 甲子園だぜ? バレンタインチョコなんてトラックで届くわ!」


 二塁手の篠塚がいつも以上に明るい声を上げた。


 「アホ、お前のツラじゃホームラン100本くらい打たんとファンなんか付かんわ!」

 

 遊撃手の岡崎がツッコミを入れる。


 そのやりとりに自然と俺たちの顔に笑みが浮かんだ。そう、いま欲しかったのはそういう減らず口だ。カラ元気なんだ。

 ありがとう、篠塚、岡崎! お前ら最高の二遊間だぜ。


 「ボクはこれ以上モテたら困るなあ。岡崎先輩と違って」


 三塁手の原も乗っかる。岡崎が「なんやコラ」と言いながら拳を振り上げ原が距離をとる。このお決まりのじゃれ合いにも、これまで何度も救われてきた。

 あとは一塁手の駒田、お前も乗っかれ。


 「まあ、俺も別にモテなくてもいいけどな」


 駒田が不敵な笑みを浮かべて口を挟む。


 「嘘つけ駒田。お前だってモテたいだろ?」


 「モテんでもいい。俺は純愛一途なんじゃ。愛しのマユミを甲子園に連れて行けたら他に何もいらん」


 「ははっ、何が純愛だよコノヤロ……ん?」


 「ん?」


 「マユミて……マネージャーの?」


 「他に誰がいるんだよ」


 俺たちは誰に促されるでもなく、スタンドの応援席を見た。そこには俺たちの勝利を祈る、掛布マユミがメガホンを振っているはずだ。


 「じつは俺ら……3日前から付き合ってるんだ」


 「……マユミと?」


 「他に誰がいるんだよ」


 マウンドに、微妙な空気が流れる。

 あれ、なんか嫌な予感がする。たぶん掘り下げたらイカン話だこれ。


 「と、とにかく。江川、あと一人だ。お前の球にはまだチカラがある。バックを信じてしっかり腕を振れ!」


 「お、おう。頼んだぞみんな……」


 「あ、ああ……」


 なんだか途中からヘンな空気になったが、俺たちは気合を入れ直してそれぞれのポジションへと散った。


 

 「さあ、来い!」


 俺はミットを拳で叩いて構える。その視線の先、陽炎ゆらめくマウンドで江川がセットポジションに入る。


 右打席で悠然と構えるのは超高校級バッター・岡田。サヨナラのチャンスでも気負いは感じられない。打ち取られたらゲームセットなのに、そんなことは微塵も考えていないように見える。


 (内角高め、思いっきり投げ込め!)


 デッドボールなら同点。だけどここは強気の攻めだ。


 江川が投球動作に入り、ボールが放たれた。要求は胸元への速球。

 ところが。



 ひょろひょろひょろりーーーん。



 女子が投げるような山なりのボールが来た。

  

 (んなーーーーっ!?)


 バット一閃、場外ホームラン!!


 ―――しかしそうはならなかった。

 岡田にしても予想外だったようで、つい力が入ってしまったようだ。

 鋭い打球がファールグラウンドに飛んで行った。

 あ、あぶねえ……!

 正直、ダメかと思ったが命拾いしたようだ。

 

 「タイム」


 俺はふたたびマウンドへと走った。



 「江川! 何だ今のヒョロ球! ふざけてんのか?」


 「い、いやスマンそうじゃないんだ」


 「だったらどうして―――」


 「さっきの話なんだけどな」


 「さっきの話? 駒田とマユミの話か?」


 「そう」


 「お前、いまの状況———」


 「わかってる。今する話じゃないってことは。だがハッキリさせておきたいんだ」


 「何をだ」


 駒田が怪訝な顔をする。


 「駒田。お前がマユミと付き合い始めたの3日前って言ってたよな?」


 「ああ、そうだ。俺が告白して付き合い始めたんだ」


 「俺、2週間前からマユミと付き合ってるんだ。なんなら昨日もデートして初キスもした」


 「んなっ!?」


 「マジかよ……駒田、知ってたんか?」


 「知るわけないだろ! マユミ、男と付き合うの自体初めてだって言ってたぞ」


 「マジかよ……」


 なんだかややこしいことになってきた。だが今はそんな場合じゃない。

 

 「と、とにかく。今は野球に集中だ。試合後に話し合え。な?」


 「すまん山倉。俺からもいいか?」


 「なんだ岡崎? 後じゃダメか?」


 「じつは俺も、1ヶ月前にマユミから告白されて付き合ってるんだ……」


 「んなあっ!?」


 「しかも先週うちの親が旅行行ってる間に―――」


 「ヤったんかお前っ!?」


 駒田と江川が同時に岡崎に詰め寄る。

 俺はそれを無理やり引き剥がす。


 「とにかく、とにかく! 今は試合に集中だ。

 ほら、いつものやるぞ! エンジョーイベースボ……やれよお前ら!」


 何人かがちっさい声で「エンジョイベースボール」と呟いた。

 そんなエンジョイあるかボケ。


 俺たちはそれぞれのポジションへと散っていった。


 

 ホームベースを前にしてしゃがむと、岡田が話しかけてきた。


 「ククク、何の相談してたか知らんがワシは抑えられんぞ」


 コイツ……自分のこと『ワシ』って呼ぶのか。


 「フン、言ってろ。次で度肝ぬいてやるぜ」

 

 やばい、何の対策もない。


 「ククク、楽しみよのう……」


 なんだお前のその口調は。プロに行く奴ってのはみんなこうなのか?


 とにかく集中だ。

  

 マウンドの江川が投球動作に入り、腕を振る!


 なんと投じられたボールはマウンドとホームベースの中間あたりでボヨーンとワンバンした。


 「んなあっ!!?」


 俺が必死でボールに飛びつき、どうにか後逸は免れた。

 しかも後逸すると思ったのか、3塁ランナーが飛び出している。チャンスだ!

 ―――が、誰もベースカバーに入ってない。


 お前ら……!


 「タイム!」


 三度みたびマウンドに集合。


 

 「お前ら、いい加減にしろ」


 「すまん山倉……だけどあんな話聞いたあとじゃ……」


 「気持ちはわかる。わかるけど、もうマユミのことは忘れろ。

 まったく……清純そうな顔してとんだ魔性の女だぜ」


 「おい、マユミの悪口はよせ!」


 突然、篠塚が大きな声をあげた。まさか……お前もか。


 「マユミはな……本当に、心から野球が好きなんだ。あいつが愛してるのは特定の誰かじゃなくて、もっと大きな概念―――『高校球児』そのもの―――その意味じゃ一途な子なんだ」


 「わけの分からんこと言うな」


 「あいつ……俺が初めてで緊張して勃たなかったとき、ずっと手拍子でコンバットマーチ歌ってくれたんだぜ?『テッテテーテテテテー』って。そんな子、他にいるか?」


 「それでお前……元気になったんか?」


 「ああ、それで勃たなきゃ男じゃないだろ? それで彼女、何て言ったと思う? 

 『プレイボール!』って。そして見事やり遂げた俺に『ナイバッチ!』って。泣いたね、俺は」


 「いま、俺も泣きそうだよ」


 くそ……どうして土壇場でこんなことに……。

 ふと見ると、原もなにか言いたげな顔をしている。お前もか。


 「この際だから言えよ、原。もう何が出ても驚かねえよ」


 「すんません……じつは先日マユミさんと部室で2人きりになったとき『最近マンネリ気味だから今日は趣向を変えた試合したいね』って話になりまして」


 「お前ら『試合』って呼んでるのか……まあいいや、続けろ」


 「そんならコスプレなんてどう?って話になった時に、たまたま近くにあったのが主将のキャッチャー防具一式で。ああ、これなら全裸キャッチャーできるねって」


 「ちょっと待て……お前ら俺の防具でナニしてくれてんだよ。それでその『全裸キャッチャー』?ってのをやったのか。マユミが」


 「いえ……そこはボクが」


 「お前かよ!」


 「そういえば、その時マユミさん『このあと6-4-3だから帰るね』って言ってました」


 「岡崎-篠塚-駒田……ダブルプレーみたいな言い方すな」

  

 とりあえず、これで全部吐き出したか?

 この分だときっと外野の3人も同じ感じだろう。


 「お前らの言い分はわかった。だけど思い出してくれ。俺たちは甲子園に行くため辛い練習にも耐えてきたんだろう? それは決してマユミだけのためじゃなかったはずだ。仲間のため、自分のために、最後のアウト1つを全員で取ろうぜ」


 「山倉……」


 「そう……だな。山倉の言うとおりだ。なあみんな!やってやろうじゃないか!」


 「岡崎……わかってくれたか」


 「俺もふっきれたぜ。甲子園行ってモテモテになってやるぜ」


 「ああ、俺の全力投球であのヘナチョコバッターをねじ伏せてやるぜ」


 「篠塚……江川……! よし! 行くぞ! エンジョーイ……」


 「ベースボール!!」


 俺たちは再び瞳に炎を宿し、それぞれのポジションへ戻っていった。


 最高だ……最高だぜ、お前ら!


 だけどひとつだけ納得できないことがあるんだ。


 じつは俺も、先月マユミに告白したんだ。


 だけどフラれたんだ。


 なんで俺だけ?


 まあいい。俺は……俺は、愛する野球だけのために生きるんだ!


 バッターボックスの岡田がまた煽ってくる。


 「ククク、何度集まろうが無駄よ」


 「うるせえ、死ね」



 そして江川の投じたウイニングショットはあっさり弾き返され、俺たちの夏は終わった。











 

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夏の女神 志乃亜サク @gophe

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