ハッピーエンド

『ハッピーエンド』


なあ、少し聞いてほしい話があるんだ。にわかには信じられないだろうけどさ。これは僕とユウリの出会いの物語。

僕と彼女が出会ったのは、僕の行きつけの本屋の中だった。駅中にあるその本屋は客数が多い分、品揃えも豊富だからいつもそこで本を探していた。

その日も僕はマイナーな小説を探して店内をうろついていた。

本屋での出会いといったらアレだ。本を取ろうと手を伸ばしたら、偶然同じ本を取ろうとしていた運命の人の手に触れたなんてお約束の出会い方。でも、残念ながら、僕と彼女の出会い方はそんなロマンチックなものじゃなかった。

そう、それは僕がいつも通り本屋に出向いた日のこと。店員がモップをかけたばかりなのに気付かなかった僕が床で滑って転んだのがきっかけ。その時、床に突っ伏した僕は周囲の注目を浴びていた。それで、全身の痛みに加えてとてつもない恥ずかしさに襲われて起き上がれなくなっていた。そこで、声をかけてくれたのが彼女だったんだ。

クスクスと笑いながらこっちを見ている人もいる中、心配そうな顔で「大丈夫ですか?」って話しかけてくれた彼女が天使のように見えたよ。

彼女は僕の鞄から飛び出した眼鏡ケースや転がった水筒まで拾ってくれた。あと、転んだはずみで財布から飛び出した学生証も。

彼女はそれを拾った時に、同じ大学ですね、と言った。その時、あまりに僕は情けなくて顔を真っ赤にしていた。すると、彼女が場を和ませようとしたのか「あの、知ってます?自動販売機のボタンあるじゃないですか?アレを二つ同時に押したら、絶対に左側の飲み物が出てくるらしいですよ」と、言った。

一瞬、時が止まった。

何故今それを? そう思い呆気に取られた僕はきっと間抜けな顔をしていたと思う。

今度は彼女の顔が真っ赤になってしまった。

「いや、いつもは結構ウケるんですけど…今日はあんまりみたいですね」

うろたえた様子でそんな言い訳をする彼女は少し可愛かった。

その後、僕は彼女にお礼だと言い飲み物を買って、それを飲みながら少し話をした。彼女と話すのは楽しくて、時間がすぐに過ぎてしまって、そろそろ帰る時間だってことになったんだけど、なんと帰る方向が一緒だったんだ。だから、僕たちは話の続きをしながら家に帰った。その時、彼女も僕のことを良く思ってくれてたみたいで、別れ際にまた会う約束をした。

彼女の名前はアイコ。それから僕たちは何度か一緒に出掛けて、その後付き合うことになった。

アイコは雑学が好きで、いつも得意そうな顔で話してくれた。

壁に向かって何かをしていると思えば「ねえ、知ってる?爪先を壁につけると人は背伸びができないんだよ。すごくない?」と目を輝かせて言い、居酒屋では「実は、レモンにはそんなにビタミンCが入ってないんだよ。意外だね」と言いながら唐揚げにレモンを絞った。

そして、喫茶店でパフェを頼んだ時には「パフェの語源はパーフェクトなんだよ。名付けた人のこと考えたらなんか可愛いね」と笑っていた。

彼女と付き合って三ヶ月が経過したある日。

彼女が突然姿を消した。

急に連絡がつかなくなり、通学中に見かけることもなくなった。

何かしてしまった心当たりは全くない。最後にデートした日も彼女は、次は新しくできたカフェに行こうね、と言って満面の笑顔で手を振ってくれた。

どうしてだ。避けられている?それとも何かに巻き込まれたのか?

学部の違う僕とアイコは共通の友達が一人もいなかったし、デートはいつも出かけるため、僕はまだ彼女の家を知らなかった。だから、彼女と連絡が取れない限り安否確認すらできなかった。僕はそれからしばらく鬱々とした気持ちのまま過ごした。通学中や大学構内で彼女に似た人を見つけるたびに期待して追いかけ、そして落胆した。

僕はどうしても彼女のことを諦めることができなかったが、どうすることも出来ずにいた。

そして、彼女がいなくなって数ヶ月が経ったある日。

まだ秋だというのに妙に冷え込む夜だった。

アルバイトから帰ってきた僕がマンションのエレベーターから出て、自分の部屋に向かうと、僕の部屋の前に一人の女が座り込んでいた。

「…アイコ?」

一瞬、アイコかと期待した僕は思わず声をかけた。しかし、その声に反応して顔を上げた彼女は雰囲気こそ似ていたものの、まるっきり別人だった。

「すみません、人違いでした」

僕は反射的に謝った。しかし、すぐに自分が謝るのはおかしいと思い直した。そもそも、何故この女は僕の部屋の前にいるんだ。恐怖を感じた僕はすかさず尋ねる。

「あの、誰ですか?なんで僕の部屋の前に…」

「会いたかった…!」

その女は僕の質問には答えずこちらをじっと見つめる。そして、目に涙を浮かべたかと思うといきなり僕に抱きついてきた。

あまりの衝撃に僕は体を強張らせる。

「え、あの…」

「アイコ」

「…え?」

女が抱きついたまま彼女の名前を口にする。何か知っているのだろうか。

「私がアイコなの」

「は?」

この女は何を言っているのだろう。どこをどう見たってアイコじゃないではないか。

「からかってるんですか?」

苛立った口調でそう言ったが、彼女は動揺することもなく、優しい声で言った。

「本当よ。信じて」

そして、続けて言う。

「覚えてる? 自販機のボタンって二つ同時に押したら左側の商品が出てくるの」

「え」

彼女が僕に話した最初の雑学。何でそれをこの女が知っているんだ。偶然にしては出来すぎている。

すっかり混乱してしまい黙り込んだ僕に彼女は言う。

「話、聞いてくれる?」

寒かったし外で聞く話でもなさそうなので、僕は自称アイコの彼女を玄関に入れ、事情を聞くことにした。彼女は僕に話した。

彼女とアイコは元々、授業が一緒だっただけの軽い知り合いだったらしい。しかし、階段で転んだアイコとすぐ下にいた彼女が頭をぶつけてしまう事故があり、そのせいで二人の中身が入れ替わっていた。そして、色々試しているうちにやっと元に戻れたのだと。

そんな漫画みたいなことが現実で起こるわけがない。にわかには信じられなかったが、目の前にいる彼女の笑顔も笑い方も仕草も、間違いなく僕の知っているアイコそのものだった。

彼女は続けて言う。

「本当はね、入れ替わる前からずっとあなたのこと気になってたんだけど、話しかけるきっかけが無くて。それで私の前であなたが転んだ時、入れ替わってることも忘れて声をかけちゃった。本当の名前はユウリっていうの」

僕はまだ戸惑っていたが、どうにも彼女が嘘を言っているようには思えなかった。

「じゃあ、アイコは今どこに?」

「アイコは色々あって大学を辞めちゃって、実家に帰ったらしいわ。それにあなたと付き合ってたこと、あの子に話してないの。だからもうあなたがアイコと会うことはないと思う」

彼女は申し訳なさそうだったが、僕は妙に落ち着いていた。捨てられたわけじゃなかったと分かっただけで大分心が軽くなっていたのだと思う。それに、見た目が変わっても彼女が彼女であることに変わりはない。

「騙していたみたいでごめんなさい。でも、もし許してくれるなら、あなたの彼女のままでいちゃダメかしら…」

すべてを受け入れるには少し時間がかかるかもしれない。でも、僕はずっと彼女を待っていたのだ。だから、彼女との交際を続けることにした。

これが、僕と彼女の出会いの物語だ。なかなか素敵じゃないか? 再来月で僕とユウリが付き合って五年目の記念日だ。そろそろプロポーズしようと思う。もうすぐ終業時間だ。帰りに指輪でも見に行こうかな。あいつ、きっと喜ぶだろうな。


*********************************************************


電話の着信音が鳴った。

「…はい。お久しぶりです。えっ、アイコが…そんな」

アイコの母親からの電話だった。行方不明だったアイコの遺体が山中で発見されたらしい。

しばらくアイコの母親の話を聞き、励ましの言葉をかけてから通話を終える。

私は台所へ行き、コップに水を注ぐ。そして、一気に飲み干した。少し気分が落ち着く。

大丈夫。あれから随分経ってる。絶対にバレないわ。

私は五年前、親友のアイコを殺した。どうしても彼を自分のものにしたかったから。

アイコが彼と付き合い始めたって報告してきた時、私は頭を鈍器か何かで殴られたんじゃないかってくらいの衝撃を受けた。何故、よりにもよって彼となの?私は激しい嫉妬に襲われたけど、正直アイコは悪くない。私が彼のことを好きだって知らなかったんだから。でも、私はどうしても諦めきれなくて、気付いたの。上手くいけば私が彼と付き合えるかも知れないって。

幸運なことにあの時点でアイコは彼との交際を私以外には内緒にしていた。だから、私はアイコになることにした。彼との話は全部アイコから聞いてたし、出来る限りアイコの癖や話し方を身につける努力もした。彼が本好きなことも、特に転生ものやファンタジーの類いを好んで読んでいることも知っていたから、入れ替わりの話も信じてくれるかもって思ったの。そんなこと起こるわけないのにね。まあ、そんな話を信じちゃう夢見がちなところも可愛いんだけど。彼は今も私のことを自分がずっと待っていたあの時のアイコだって信じて疑わない。自分が大好きだった彼女が戻ってきたんだって疑わないの。

見せかけだけのハッピーエンド。なんて素敵なのかしら。


もしこれがおとぎ話なら、脇役のアイコの最期について語られるのは【哀れなアイコは殺されてしまいました。】の一文のみ。

いつ殺されたのか。どこで殺されたのか。誰に殺されたのか。どんな凶器で殺されたのか。どうやって殺されたのか。どんな顔で殺されたのか。何を考えながら殺されたのか。

そんな事を知りたがる読者はいない。そのおとぎ話の読者は誰だって主人公である私がどのように自分の幸せを勝ち取ったのかに夢中なのだから。

本が閉じられた後、アイコのことを覚えている人なんて一人もいない。

だって、この物語の主人公は私だから。これは私が彼と結ばれて幸せになるまでの物語。

でも、そのために一生騙されたままになっちゃう彼が時々不憫になるから、たまにはヒントもあげるのよ?例えばそうね。

「ねえ、知ってる? 人は人生で平均十六回も殺人鬼とすれ違ってるのよ」

貴方はこれから殺人鬼と暮らすことになるんだけどね。

「ねえ、知ってる? シンデレラは人を殺したことがあるのよ」

そう、シンデレラでさえ幸せをつかむために殺人を犯しているの。

なんてね。

でも、そんなことを言っても彼は何も気付かずに「ユウリは本当に雑学が好きだな〜」なんて言って、呑気な顔で幸せそうに笑っている。

そう、主人公は何をしても許されるの。愛する人とのハッピーエンドを手に入れるためならね。

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