第8話 Gangaの意味は
残された謎は「重光」「玄黓」「商横」
ここまで残ったのはこの三つ。
『爾雅』バージョン
著:d (雍) 屠維:dr̥
上章=
玄黓/*ɢen lek 昭陽:tl̥
『史記』バージョン
徒維:dr̥ 祝犂:tr̥
商横/*syaŋ ɢʷaŋ 昭陽:tl̥
横艾=
1.商横 = saṃyoga 説
『史記』の「横艾」が
そこで探すと、見事にサンスクリットの saṃyoga(結合、子音連結) がはまる。
・saṃyoga → syaṃ-goa → 商横 syaŋ ɢʷaŋ
・製作者はよく -aŋ の鼻音を無視して音写していたので、この表記でも十分「saṃyoga」にふさわしい。
そして思い出すのが前作での大胆な音写例:
・敦牂 tur tɕaŋ → Durjñeya(理解しがたき者)
おそらくはjñeya→jyeañというような大胆な配置転換をしたうえで音写としていた。
同じ手法であれば「商横 = saṃyoga」も不思議ではない。
さらに面白いのは、その直前にある 祝犂 (tr̥)。
二頭の牛を同じ軛(yoga、英語では同語源のyoke)で結び、畑を
というsaṃyoga(結合)の語源を「犂」で示したうえ、saṃyogaを「和合」とみなせば「祝」でそれをも示したことになる。
もしこれが偶然でなければ、作者の思い入れは相当なものだ。
2.重光 = saṃyoga の意訳?
では『爾雅』の「重光」はどうか。
これは『史記』の「商横 = saṃyoga」を意訳したものと考えられる。
「重ねて光る」=「重なって発する」=「子音の連結」?
それかもし光の混ざり合いから新しい色が生まれるイメージを持っていたなら、これはなかなかのセンスである。
当時の中国に色光の合成という発想があったかは疑問だが、虹を見て「赤と黄が混じって橙になった」と考えるくらいはあり得ただろう(事実は光の分解なのだが)。
したがって「重光=
3.Gaṅgā = L音?
さて「Gaṅgā」をどう解釈するか。
『史記』では
徒維:dr̥ 祝犂:tr̥ 商横:
という並び。dr̥やtr̥ではなくtl̥の直後ということは L音 を特別扱いしたいらしい。
おそらく l は n や r と混同されやすかったため、特別に「Gaṅgā」と呼んで区別したのだろう(実際、前作では Tripura の ra に徐 la をあてていた)。
あえて「Gaṅgā」にした理由は不明だが(遠い故郷が恋しかったのか)、l が特別なラベルを与えられたとすれば辻褄が合う。
なお
『爾雅』バージョン
著:d (雍) 屠維:dr̥
上章=
玄黓/*ɢen lek 昭陽:tl̥
『史記』バージョン
徒維:dr̥ 祝犂:tr̥
商横=
横艾=
残された謎はただひとつ―― 玄黓 ɢen lek の正体である。
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