記憶の運び屋
紡月 巳希
第五章
共鳴する記憶の声
頭の中に直接響く複数の声に、私は思わずその場にうずくまった。それは、幼い頃から私を苦しめていた「ノイズ」そのものだった。しかし、ここではそれが何百
何千倍にも増幅され、まるで私の意識を乗っ取ろうとしているかのように、耳の奥で、脳髄の奥で響き渡る。
『…見つかるな…』
『…知ろうとするな…』
『…消えろ…』
その声は、私に警告しているようでもあり、あるいは私を排除しようとしているようでもあった。私は頭を抱え、クリスタルが並べられたガラスケースを見上げた。それぞれのクリスタルが放つ微かな光が、声と共鳴して明滅している。このクリスタルの一つ一つが、誰かの記憶なのだろうか。
「やめて…!」
私は叫んだ。その声は、広大な空間の中で虚しく響き、すぐに飲み込まれてしまう。逃げ場がない。混乱の最中、腕の中の木箱が、まるで心臓のように強く脈動し始めた。その振動は、私の頭の中に響く声の波長とわずかにずれているように感じられた。
私は無我夢中で、木箱を顔の前に掲げた。すると、木箱から微かな光の粒子が放たれ、私の周囲に薄い膜のようなものが形成された。その瞬間、頭の中に響いていた無数の声が、一瞬だけ遠ざかった。完全に消えたわけではないが、その強烈な侵食が和らいだのだ。
カイトが言っていた「記憶の帳」だろうか。この木箱が、私を守ってくれている。
私は深呼吸し、改めて周囲を見渡した。この研究所のような空間は、ただ記憶を保管しているだけではない。壁には、複雑な回路図や、未知の言語で書かれたグラフのようなものが映し出されたモニターがいくつも並んでいた。それらは、記憶の「流れ」や「位相」、あるいは「操作」に関するものに見えた。
そのモニターの一つに、私の目が釘付けになった。それは、まるで人間の脳の活動を示すかのような波形が描かれていたが、その一部が意図的に「欠損」しているように見えた。その欠損部分に、小さな文字で『アオイ』と記されていた。
私の記憶…。私が失った、あるいは私の中から盗まれた記憶が、ここに表示されているのだろうか。
その時、再び頭の中に声が響いた。今度は、少しだけ、よりはっきりと、一つの声が聞こえた。
『…探して…』
それは、か細く、しかし切実な女性の声だった。私を苦しめていた「ノイズ」のような声とは異なり、この声には、何かを訴えかけるような感情が宿っている。
『…隠された…真実を…』
私は、その声に導かれるように、クリスタルが並ぶガラスケースの列へとゆっくりと歩みを進めた。木箱の「記憶の帳」が、私の周りで揺らめいている。数えきれないほどのクリスタルの中から、その女性の声が響いてくる、特定のクリスタルを見つけ出せるだろうか。
私の足元に、突然、小さな光が灯った。それは、床に埋め込まれたマーカーのようなもので、その光は、私がこれまで見てきたクリスタルの光とは異なる、温かい、琥珀色だった。光は、まるで私を導くかのように、特定の方向を示している。
私は意を決し、その光の示す方向へと歩き出した。この地下の記憶の迷宮の奥には、私を呼ぶ声の主がいるのだろうか。そして、その先に、私の失われた記憶、そして「盗まれた記憶」の真実が隠されているのだろうか。
闇の組織の影が忍び寄る中、私は、カイトが託した木箱を強く握りしめ、未知の真実へと足を踏み入れた。
記憶の運び屋 紡月 巳希 @miki_novel
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