格闘戯曲「はろうぃん」

@dai6tenhazyun

序章 「蹴撃」

「トリックオアトリート」


神無月の末、ボロアパートの扉の前に立ち、ソイツはそう言った。

神の無い月の最後の日に暴れ回ろうとでも言うのか。その見た目は一見怪物のそれであった。

白い布を被った、まるで幼児のやる仮装のおばけ。

だが、そこから生えた足が、チープなおばけにあるまじき脚が、更にソイツを異様な怪物に転じさせていた。



太い脚だった。

脹脛も、それを形成する腓腹筋やヒラメ筋も、布からちらりと見える太腿もまた太かった。

これぞ太腿、これに比べれば市井の人々の脚など全て細腿であるとでも言うような太さ。

ただ太いのではなく、無駄な脂肪は全くない凹凸は機能美の極致である。


少しずつ鍛えられる太さを増し、大地に根を張り、力を汲み上げる屋久杉の様な筋肉の雄大な折り重なり。

その先にある靴を見なければ、その場で襲い掛かりたくなる肉の塔だった。



赤い靴だった。

赤いハイヒールだった。

踏み込みや踏ん張り。格闘技においてあらゆる場面で使われる動作を支える靴が、不安定なハイヒール。

太い脚とも、その毛深さとも不釣り合い。かろうじて高音の声とは釣り合いがとれているとしても、声の高さとはやはり均衡しない。

そんな祝祭日の夜だけ存在できるオバケみたいな、不安定でアンバランスな存在に心の危険信号が灯る。




だが…、


「やろう」

そうと答えた。

「やろう?お菓子をやろうってコト?」

「いいや、ろう」

「いいわね、トコトンやりましょ」


あぁ、何処までもやろう。どちらかが倒れるか、この化け物達の跋扈する夜が明けるまで終わらない。

だって今宵は『覇狼雨慇はろうぃん』なんだから。




本格格闘戯曲 「はろうぃん」





格闘技というものの歴史のほとんどは、人目を避けて行われてきたものである。

カポエイラ等が有名だが、時に権威や暴力への抵抗手段として用いられたそれは、踊り等に偽装されて技術が磨かれていた。

また、他流派に己の技が流出しないよう、一子相伝や継承者制度を利用するケースもあった。


一方、競技化されスポーツとして普及した武道もある。それらが暴力の凄惨さと引き換えに権威と数の優位を得た事は素晴らしいことで、先人達の努力の結晶である。

ただ、そんな競技に馴染めない者達は今もいる。


賞金も、地位名声も、ましてや人格形成等いらぬと。ただただ己の牙を磨き、爪を研ぎ、それらを使う機会を行住坐臥想っている異常者達。

放っておけばやがて闘争心が倫理観をぶち破り、道場破りや辻斬りをしてしまうような格闘異常者達。そんな彼等が世間から守る為に、或いは彼等から世間を守る為に、あるイベントが開かれる。



神の無い月の最終日、人の住まないゴーストタウン。

配られるのは菓子が三つのみ。他には金も名誉も何も無い。

申し込む者は「トリックオアトリート」と宣言する。

応える者は戦う意思があるならトリックと戦いを避けるトリートかを選択する。

トリートならば菓子のやり取りは一つ。だがトリックで負ければ勝者の好きなだけ菓子を奪われる。

菓子が無くなればリタイアだが、数を求める者はほぼ居ない。

ここにいるのは、闘争の理由だけが必要な魑魅魍魎達ばかりだから。


拳で周囲を従える覇王も、彷徨う飢えた孤狼も、悉く拳という雨の前では、慇懃に仰ぐしかない。

覇狼雨慇はろうぃんの夜が始まる…




第一戦 蹴撃




廃アパートの窓から見えた空き地に移動する際も、目の前を歩くお化けは奇妙だった。

ボロアパートの階段。例え子供でも上り下りすればギシギシと音を立てるような劣化具合にも関わらず、足音一つ立てない。


途中のアスファルトでも、空き地に到着し地面が芝生となっても、それは変わらない。

膝から下までしか見えぬとはいえ、あれだけの太さから予想される体重を、普段の歩行からコントロールしている技量に思考を巡らせる。


軽氣功の類か…?と考えを巡らせていると、

「戦う前に、熱視線でアタシの脚に穴を開ける作戦?」

布越しに茶化すような声が飛んできた。


「歩法から手の内でも覗くつもりだったのかしら?いやらしいわぁ〜」そう言って白布がくねる。視界にいれるだけで発狂しそうなクネクネとした動き。もしや本当に怪異の類いであったか?毒気が抜かれる。



瞬間。



「お菓子をあげるからイタズラさせなぁ!!!」


叫びながら迫るオバケ。

十分な距離をとっていた筈だが、一気に間合いを詰められた。


いや、そんな単純な話ではない。

爆発的な跳躍力と驚異的な柔軟の開脚。

ブレの無い体軸移動と白布による間合いの錯覚。

話術で生まれた毛ほどの隙に、ぶっとい脚が捻じ込まれた。



跳ね上がるハイヒールのラメが赤い軌跡を描き鳩尾に吸い込まれる。

体はそれを感知して染み付いた動きをとる。両手を重ねた腕でブロックしつつ後方へ跳躍した。


だが忙しない体と違い、脳みそは馬鹿みたいに一つしか考えてくれない。

(まるで、飛び立つ白鳥の嘴のようだ…)

身体ごと吹き飛ばさて尚、「美」という文字が脳内を占めていた。



全身のバネを使った蹴り上げは、ヤツ自身の体ごと前方へと押し出す種類の蹴りだ。

たたらを踏むこちらに、蹴りの勢いそのまま前進し駆けつける怪異おばけ。対処する時間は少ない。


受ける?避ける?体勢が不十分。

反撃?以ての外。

ならば…

呟く。


「グラン・ジュテ…」


疾風の様な突進が止まる。

「知ってたの?アタシの流派?」

「流派とは言わないだろ、バレエは。」



ある格闘家が「バレエダンサーとは闘うな」と言ったという。

己の体を理解し、その限界へ挑む点では格闘家、それと変わらぬ努力がなされている。いや、こと跳躍や回転においては比類する格闘技は少ないだろう。


彼らがもし、その技術を格闘技にカスタマイズしたら…。そのイフが目の前にいるオバケだ。

バレエの美を機能美に変換する。そんな発想を実現するなら振るう足も細さとの両立を捨て太く力強くなるのだろう。

バレエシューズもハイヒールに変え硬く痛く鋭くなるのだろう。

なるほど、合理的だ。



「でも、分かっているのと対処が出来るかは違うわよね?」

もう隠す必要も無くなったからだろうか。パッセ(片足立ち)からマネージュ(回転しながらの連続技)をしつつ間合いを詰めてくる。


白布の舞い上がりと回転のブレなさに本物の幽霊を幻視するが、コイツには間違いなく足があり、時計回りに蹴撃を狙っている。

狙いは上段か中段。この回転は見切れず下手に受けても連続蹴りへと移行するだろう。


ならばッ!


「どすこいっ!」気合と共に四股足立ちの体勢へ。頭部をガードし全身はけつ毛の先まで力を込める。見知らぬ者が見れば大明神かと見紛うような、そんな気合を練りつつ蹴撃を待つ。

上段は両手でガードし、下段は脚が襲い来る方へ膝を向けている。蹴りを放てる場所は中段のみ。

こちらの誘導通り、赤い軌跡を描いた蹴りが右脇腹へと吸い込まれる。


どれだけ速かろうと、狙いが分かればやりようはある!


構えを変化させ、頭部をガードしていた右手を肘から落とす。それに合わせて、右膝を跳ね上げる。

蹴り足ハサミ殺し。

肘と膝で挟み込み、蹴ってきた相手の脚を破壊する。


ーその脚、貰い受ける!ー


腹の底から出した裂帛の気合は、だが次の瞬間には身体ごと弾き飛ばされていた。



気が付けば、自分は芝生に転がっている。

此処は?なぜこんなところにいる?

馴染みのある記憶の混濁。そうだ、これは気絶させられた時のそれだ。


意識が飛んでいたのだ。ならば死合の最中。

自分と周囲の確認を、と一呼吸しようとした際に右脇腹に激痛。

折れてはいない。だが除夜の鐘の撞木を108回受けたかの様な重さが残っている。


そうだ、俺はあのオバケの蹴りを受けようとして…。

寝てはいられない。立ち上がらねばと上体を上げようとした時、視界の端に白布の端が見えた。


視線を向ける。

視界には持ち上げた脚。

そしてハイヒールの裏。

急激に迫るハイヒール。

赤い軌跡。

自分の頭部と脚の間合い。

予想到達地点を算出。



眉間を豆腐の様に、いや酢豆腐の様に容易くピンヒールで貫かれる予想をはじき出した頭に、無慈悲に脚は迫り…



「アタシの勝ちでいいわよね」


眼前で止まったハイヒール越しに声が降りてきた。

そこにピンヒールは無かった。

コイツは、最初から爪先立ちで移動をしていた。

あの穏やかで流麗な歩行も、爆発力のある格闘も、全てをつま先立ちのまま?

それが常態化し、当たり前の様に振る舞えるようになるまで、一体どれほどの修練を積んだのか。


目線をずらす。見るのはピンヒールから繋がる、体を支える軸足。

正しくは、そこに生えた剛毛。

こいつか、俺の技を無効化したのは。


そう、蹴り足ハサミ殺しは完璧なタイミングで決まっていた。

だが、挟み込まれたと思った逞しい脚は、これまた逞しいスネ毛により“ずるり”と滑り、破壊するどころか勢いすら殺せず己の胴にぶち当たったのである。



「完敗だな」脇の痛みを抑えながら呟く。

「間一髪、いいえ間一毛だったわ」肘と膝に挟まれた為だろう、一部毛が抜け落ちた足を擦りながら答えが返ってきた。

俺は懐から菓子を取り出す。羊羹と、最中と、花豆。


俺が選んだ覇狼雨慇はろうぃんの菓子を持って行け、とオバケに差し出す。


布の下から手が伸びる。始めて見たオバケのそれは、脚に比べてずいぶんと普通の手だった。

その手が菓子を摘む。羊羹と、最中を。

そして布の中に引っ込める。


「おい」

残っているぞと、情けかと訴える。

「甘い時間はもう過ごさせてもらったから、これでいいわ。それにアタシ今ダイエット中なのよね♪」


そんなふざけた事を言いながら、オバケは去っていった。




芝生の上、大の字に寝転びながら先ほどの敗北を噛み締める。

苦い敗北感だった。だがオバケの言う通り、それは甘い時間でもあった。

呼吸法で痛みを散らしきるまでもう少し。それまでもう少し頭を使おう。


最後まで布の中身を見せずに戦ったあのオバケとの一戦を思う。

死闘をした実感。

思うまま己の武術をぶつけていいという自由を、文字通り体に刻み込まれた。


そして、真剣勝負とは言え無意識に己を抑えていたブレーキにも気付いた。

日常生活を歩む上では重要な、理性とか倫理とかいうブレーキ。

だが、今夜は必要ない。


広角が上がる。


こんな夜に、こんな相手に、全力をぶつけなんて勿体ない。

俺も化け物なんだ、手加減なんかする訳が無い。

相手も化け物なんだ、壊す躊躇なんか要らない。

手には残ったのは花豆一つ。

だがそれがあるうちは、まだ俺のハロウィンは終わらない。

そしてリベンジの機会があるという事だ。


呼吸が乱れる。笑いが漏れる。腹筋につられて脇腹の痛みが戻ってくる。知ったことか。

笑う。嗤う。嘲笑う。割らう。割ろう。これから会うやつは尽く折り畳んで割っちまおう。


おかしくて堪らない。楽しくてしょうがない。


笑ったまま立ち上がり、いつの間にか近づいてきていたカボチャ頭の奇人と正対する。

笑いで呼吸さえままならない俺に向かって、そいつはカボチャ顔と同じ凹凸ばかりの声で聞く。

「トリックオアトリート」 


それがもうおかしくておかしくて、もう我慢が出来ない。

コイツもオバケだ。

人じゃあない。

ならば人にしてはいけない事が出来る。

していい筈だ。

むしろすべきだ。

お化け退治だ。


ゲラゲラと笑いながら懐をまさぐる。

白い全頭マスクを取り出す。

表情のなく目鼻だけが空いた、カボチャと比べて平坦なそれを被る。


途端に笑いが消える。


仮面には自己を消して残虐性を増す効果があるらしい。

俺もオバケになった。もう我慢しなくていい。


「トリート」


そう言いながらカボチャ頭を蹴り飛ばした。

蹴られた腹部を支点に、カボチャ頭と脚がくっつく程に「くの字」に折れる。


そのまま吹き飛ぶ。

くの字は反動で形を変え空中で不規則なダンスを踊る

そのまま無様に落下した。


俺は特別な事は何もしていない。

ただ、思いっきり。

思いっきり蹴っただけ。


カボチャ頭に近付く。

「お、お前は…」カボチャの頭から血泡と声が同時に出てきた。

驚いた。まだ息があるどころか喋れるらしい。


「このケリ…お前は、“舞蹴”か?」

菓子を差し出しながらそんな事を言った。


ただの中段蹴りを極め、防御不可の暴威へと昇華させた男。「相手が木の葉のように舞い落ちる蹴り」から舞蹴(マイケル)と呼ばれた男の事を言っているらしい。


「今の俺は一匹のオバケさ」

そういいながら差し出された菓子の一つである、オールアズキを手に取る。

封を開け、マスクをずらし口に運ぶ。



「食うのかよ」カボチャ頭はそれだけ言い残し気絶した。

「あぁ、俺にはこれだけあればいいんでね」ツナギのポケットにある花豆を軽く叩き答えた。


これ一つだけあればいい。今夜はもうこの祭りに集った誰にも負けないのだから。


今宵集まった化け物達、

「笑う鉄砲水」“祭りの後の災害アトノマツリ”にも、

「多腕の多段撃」、“むかでメルヴェイユ”にも、

「『爪を剥いでいいですか?』と嘯く嗜虐偏愛者」“爪剥ぎ骨軋み《ツメハギホネギシミ》”にも、

「選択肢を奪うフルコース」“注文の多い同居人ショクザイノショクザイ”にも、

「狂い咲くマリッジレッド」“6月に溶けた花嫁ジェーン・ドゥ・ジューンブライド”にも、

そして…、あの踊る幽霊にも。

たとえ誰とでも、目があった奴は皆殺しだ。



残された花豆だけを誇りに。

それ以外の人の情は今夜は忘れて。

マスクの怪人は夜をゆく。

殺人鬼の様に獲物を探しながら。


これはハロウィンの夜の化け物達の戦い。

この先の、舞う幽霊と舞わせる怪物の二人舞台(グラン・パ・ド・ドゥ)へと至る一幕。


皆々様、次の闘争の幕が上がるまで、どうか今しばらくお待ち下さい。

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