箱庭次元《Garden》SIDE:Hope──未来を探す物語

月影メイサ

1章 海上ミニトゥラキーポ

 




「……まだかなぁ……。」

 茶髪で低身長の少年――三九みかさあまたはいつもの偏頭痛と共に途方に暮れていた。

 何故って? もちろん、待ち合わせ時刻になっても友達の崇登しゅうとが来ないからである。

(今日、『新発売のルルブを一緒に買って読み込む会』をする予定だったんだけどなぁ……。)

 彼のトレードマークは眼鏡だが、今まで見た人にはトレードマークがない。

 大体の人はここで「約束を破られた」と思って、あるいは「あとで話せばいいや」と考えて帰るだろう。

 少なくとも、九は「明日も学校あるし、今日は帰ってもいいや」と割と軽く考えていた。

 何せ未だに喧騒に友達の気配が混ざることはない。

 九も例に漏れず、学校帰りの疲れた体をベンチから引き剥がそうとしたそのとき、

 何気ない世間話が耳についてしまった。

「ねえ、あいつまた“やった”らしいよ。」

「マジでー! またやってんの?!」

『あいつ』とはまさか、早明浦斗牙のことだろうか……?



 早明浦斗牙さめうらとうがーー九たちの間で、それこそ知らない人は居ない不良だ。

『海』の寵愛を受ける彼は女子から人気があるほどの美貌でありながら、軍や何処ぞの娯楽都市の人でも無い限り、実力で勝てる人は居ないだろう。



 さらに言うと、寵愛というのは森羅万象を司る神々から人に向けて与えられる、ある種の超能力だ。

 この世界で寵愛を受けることは一般的ではなく、寵愛を受けたを受けた人は尊敬と畏怖を込めて「寵愛者」と呼ばれる。

 また、彼らから能力的な恩恵を受けて活動する人は「共鳴者」と呼ばれる。

 これは恩恵を受けられる条件に起因する呼び名なのだが、殆どが何らかしらの共鳴者であるためそこまで使われない。



 そんな斗牙はよく、人を見つけては暇つぶしという暴力を行うことで有名だ。

『やった』という発言が、誰かしら​に対する暴力であることは想像に難くない。

 ――まさか

 もし、もし崇登しゅうとが斗牙といるとしたら?

 もし、


 今、絡まれているとしたら?



「……っ!」

 実際にそんなことは無く全て九の想像である可能性もあるだろう。

 しかし何もないなら、一般的にはもう来ていなければおかしいのだ。

 そこまで思い経った九は頭の痛みを無理矢理我慢して、来た道を学校へ向かって戻った。





 ――学校にて――

 九が現場へ着くと、そこには既に斗牙と崇登しゅうとがいた。

 崇登しゅうとは端にぐったりと倒れていて、斗牙は崇登しゅうとにかなり近くまで詰め寄っている。

 明らかに過剰だ。止めに入る必要があるだろう。

(でも下手に刺激させたらいけないし、だからって「やぁ」みたいに気さくに話しかけるなんてもっと無理っ! )

 九がどう話しかけるか、どう穏便に済ますか、痛む頭で必死に考えていると

「おい、そこに居るヤツ、出て来いよ。」

 呼ばれた。かなり不機嫌なドスの効いたバスの声で。

 残念ながら気づかれてしまったようだ。

 絶対にあり得ないとは思うが、一応周りに人が居ないか見回してみる。

(うん、やっぱり)

 いなかった。いるわけなかった。

 九は諦めて曲がり角の陰から出ることにした。



 九を見た斗牙は一瞬顔を歪めると、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。

「へぇー。」

 九を嘗めまわすように見ながらゆっくりと近づく。

「お前、こいつの友達だろ?」

 場を凍らせるには十分な威厳とあまりにも的確過ぎる質問。

(これが、早明浦先輩…………)

 たった一言だというのに、九は背筋が凍った。

「なあ、どうなんだよ。」

 斗牙の顔が迫る。インディゴブルーの目と人によっては嫉妬してしまうような整った顔立ちが九の視界を覆う中――崇登しゅうとの痛々しい傷を、その姿を視界の端に捉えた。

 ――助けなきゃ。



 ところで、九はよく知り合いに言われていたことがある。

『全ての寵愛と恩恵を君の体は受けられないのだから、絶対に人に何かされても突っかかったらだめ。僕はまだいいけど、君は自分すら守れないんだよ。』



 普通なら体を張って助けに行くことは、身の安全が確保出来ない限り諦めるべきことだ。

 だというのに、九は飛び込んだ。 斗牙には返答もせず、その脇をすり抜けて。

 助けることしか頭になかったのだから。

(守らなきゃ……! )

「……へぇ」

 突然、九の天と地が逆さになる。

 地面に力任せに叩きつけられた九の視界に斗牙がその獰猛な瞳で見下す姿が映る。

「そんなに“おともだち”が大事か?」

 そう言いながら悠々と歩いてきた斗牙が見下す。

(助けて)

 そう思ったのは果たしてどちらか。

 九は眼の合った一瞬で何となく、本当に何となく、斗牙が心の何処かで悲鳴を上げているような気がした。

 九は何処までもお人好しだった。





(そこまでしてなんで助けられるんだよ)

 斗牙は九を、かつての自分を睨んでいた。

 何でも助けようとして、何でも守ろうとして、そうやって、

 ――理不尽に心を殺されたあのときを。





「そうだなぁ……」

 斗牙は再びゆっくりと九の体を見回す。

 年の割に華奢な体つき、震えている足

 ……渡さまいと何かを握る手。

 九は斗牙の口角の端が上がっていくのを見た。

 どうやら恐喝と喧嘩を日常とする斗牙の目からは、残念ながら逃れられなかったようだ。

 斗牙の男性にしてはしなやかな指が九の顎に手を掛ける。

 そして大きく目を開き、イタズラを考える子供のような笑みで一言。

「それ、寄こせよ。」

 九の動きが止まった。いや、この場合は竦んだというべきか。

「えっ……でもっ……」

「寄こさねぇならまた、しつけ、しないとなぁ」

 それが暴力を指すのは想像に難くない。

 友の命か、宝物か。

 抵抗する術を持たない九には

「…………わかったっ、から、これっ……!」

 ……人生の負け犬には、差し出す以外の選択がなかった。





 俺の前に出されたのは、とても同年代とは思えないほどしなやかすぎて華奢な手だった。

 ……何でこいつは、こんなんで守ろうとか考えたんだろうか。ある意味何も解っていないんだろう。

 そう、もうこちら側の人間は要らない。



 願わくば、この傷が未来の礎とならんことを。





「待って……くださいっ!」

 不意に何処からか崇登しゅうとの声がした。柔らかく温かいいつもの声だが、振り絞っているからか僅かに震えていた。

「彼の、大切な、もの、なんです。返してっ……!」

「嫌だな。っうか、そもそもテメェが出る幕じゃねぇだろ。」

 斗牙の悪態にめげず、崇登は更に訴える。

「でも、対価を出すのは、僕だけでいいはず、ですっ」

「まぁ、そりゃそーだ。んじゃぁ、

 ――こうすりゃいいか。」

 斗牙はそう言うと、九のペンダントを傍に連れている鮫の口にノールックで放り込んだ。

 パリン、と音がして雫が舞う。

 口を開けて呆然としている九の目の前で見せつけるように、二つの大きな欠片と硬い雫が舞う。

「これでそいつの理由はできた。まぁ、壊したやつの代わりくらいは流石に用意してやるよ。――血戦ゲームに勝てたらな。」



 血戦とは、簡単に説明すると森羅万象の代理戦争を元にしたゲームである。現実世界のものに例えると起源がファンタジーにあるデスマッチだろうか。最も簡単な手続きさえすれば死ぬことはないので、こちらの方が安全かもしれない。



 斗牙はズボンのポケットに手を突っ込むと、綺麗に折り畳まれた羊皮紙を取り出す。恐らく普段からやるためだけに持ち歩いているのだろう、手早く開くとそこには既に内容が書かれていた。

『 ・血戦:海雄白兵

 主催:早明浦斗牙

 挑戦者:

 日時:

 内容

 主催と挑戦者による1対1の白兵戦を行う。この戦闘は他者の介入が出来ず、介入が発覚した時点で該当者の敗北とする。

 主催勝利条件

 挑戦者を戦闘続行不能にする。

 挑戦者勝利条件

 主催を戦闘続行不能にする。

 主催敗北条件

 ここに記載されていない者による介入

 挑戦者敗北条件

 ここに記載されていない者による介入



 以上を守り、主の名に恥じぬよう全力を持って望むことを誓う。

 早明浦斗牙

 』

 斗牙は一通り読みあげると元と同じように畳み直して、綺麗に弧を描くように九のもとへ投げる。

 受けるかは任せる、ということだろうか。

「じゃあな。」

 斗牙は踵を返し、取り巻きを連れて去ってしまった。



 ――――――――――――――――――――







「ありがと。それと、ごめん……」

 崇登しゅうとは突然、勢いよく頭を下げる。

 余程酷いことをされたのだろう。下げた頭の隅から青いアザが覗かせる。

(うわぁ…………)

 無理しているのが一目瞭然だが、それでも真っ先にお礼を優先する態度にはさすがに九もとてつもなく引いている。

「僕なんかのために、君に無理をさせてしまった……ほんとにごめん」

「……」

 いつの間にか集まっていた野次馬の視線と相まってとても気まずい。

 その気まずさから逃げる様に下を向いても崇登しゅうとの謝罪は続く。

「本当ならこれは僕だけで済ませる話だし、君を巻き込むべきじゃなかった。しかも、君の大切なペンダントを壊してしまった。」

「でもあれは「だけど、起きたことに変わりはない」……っ」

 この頑固な友の頭を上げさせるにはどうしたものか……頭の中を気休めにしかならなそうな言葉がぐるぐる回り、どうしようも無くなって胸の当たりのペンダントに手をかけようとする。しかし、その手はただ空をかすめるだけだった。









「それで落ち込んでたんだ……」

「うん……やっぱり何か落ち着かなくて」

 翌日、教室にて。

 九は朝からこの調子である。

 普段なら四則計算くらいならほぼノーミスでできるのだが、今日は計算ミスが多発している。

 おまけに授業では休み時間に聞き直すくらいに珍しく上の空ときた。「何もない」考える方が無理だろう。

 昨日の惨状はやんわりと噂話程度に広まっている様で大体の人は察しているが、それでも知らない人というのは何処にでもいるものだ。

 緑のポニーテールの少女、楠木鶫くすのきつぐみもその内の1人で、思い切って昨日の出来事を聞いて今に至る。

(でも九らしくないし、九の泣き顔だけは見たくない。)

「そういえば、そのペンダントって今どうなってるの?」

 楠木鶫くすのきつぐみからしたらこれは、世間話である。

 ただ気になったから聞いた程度のものなので軽く流してくれると信じていた。

 しかし、九は肩を一瞬震わせてそのまま俯いてしまう。

(やっちゃった……。)

 口に出た言葉を取り返す術など存在しない。

 互いにどうすれば良いかわからないまま、沈黙が辺りを包む。

 やがて意を決した様に、九はぽつぽつと誰に聞かれるでもなく、昨日のことを話し始める。





 ――――――――――――――――――――







「確か、ここに……」

 野次馬が周りを覆っていたのが嘘のように静かになった。



 結局あの後気まずいまま崇登しゅうとと別れて帰ったのだが、やっぱり当たり前のものがないというのは何となく落ち着かない。

 帰るつもりの足でも、気付くとさっきの場所に戻ろうとする自分がいる。

 そうやって戻る戻らないを繰り返しているうちに、なんだかんだ校門が

 ──九を招いてしまっていた。

(まあ、きっと、奇跡的に割れてない、かもしれないし。)

 そんなことはあり得ない、あり得るはずがない。そう彼を否定する常識人は残念ながら別れたばかりである。

 九は校門をくぐり、部活動の邪魔にならないように校庭のふちを歩く。

 校庭にふと目を向けると、ちょうどサッカー部が練習をしている頃だった。

 体感普段の1.5から2倍速くらいで校庭を駆ける彼らはれっきとした寵愛者、もしくは共鳴者である。

 森羅万象の神に気に入られた彼らが特別速いという訳ではない。



 むしろ恩恵も、寵愛も受けられない九のほうが外れているのだ。

 そこに追い打ちをかけるように原因不明の偏頭痛持ちである。

 そんなどう足掻いても取れない偏見が纏わり付いてそうな状態で、まともに人と話す機会などあるわけがなかった。

 おかげで最近まで友達が片手ほどしかいなかったのだ。

 九の周りにいるのは「弱い」「変」と嗤う人ばかりだった。

 九にとって侮蔑の目はライフルであり、暴言はナイフでしかなかった。

 そんな九の心を救ったのが九の父であり、九の持っていたペンダントだった。

 九の父は「そのままでいい」と九を慰め、「努力すればその分“よく”在れる」と勇気づけた。

 九の父は家にいないことが多かったが、その代わりに、大切にしていたペンダントを九に渡した。(家にいないのは今もそうだが)

「父の言葉を閉じ込めた匣」

 それが、九にとってのペンダントだ。




 少しの希望に縋りたい一心でさっきの場所に急いで向かう。

 見たことを信じられなくて、どうしても嘘だと信じたくて。

 九はどこか落ち着かない足取りだった。





 ――――――――――――――――――――







「で、見つけたんだ。ペンダント。でも、割れてた。」

 そうに言って九は困ったように笑いながら、手のひらにやっと見つけた欠片を出す。

 実際、相当困っているのだろう。

 なんせ九は、寵愛者でも共鳴者でもない。

 そもそも完全修復ができる人はほんの一握りだ。

 楠木鶫くすのきつぐみは幼なじみという立場上、九がどれほどむごい仕打ちを受けたかを、そしていかにあのペンダントを大切にしていたかを知っている。

 だからこそ思う。

(そうやって後ろを向き続けて、逃げたままでいいの? )

 根が簡単に変わらないのは知っている。

 でも、逃げ続けるなんてまるで昔の九ではないか。

 どうにかしなければ。その若さ故の使命感が言葉を走らせた。



「……しっかりしなさいよっ!」

 突然の大声に九は肩をビクッと震わせる。

「確かに大切なものを失うのは辛いよ。でもそうやって止まっていたら今度は……!」

「でも……」

 九の想いは未だに前を向けないでいる。

 もう一押し。

 楠木鶫くすのきつぐみはとにかく目を合わせようと、無理やり九の顔を覗き込むように顔を近づける。

「勝ちたいのなら、|ウジウジしている自分に勝ちたいのなら! 頑張りなさいよ! そうすれば強い自分になれるんでしょっ!」

 九が言葉に気圧されて椅子を後ろに下げるが、机に当たってしまう。

 それでも九が戻って仕舞う前にこれだけは言わなければと、楠木鶫くすのきつぐみの言葉は止まらない。



「駄目だったとしてもっ! また、立ってみせなさいよ!」



『駄目でも、また立ってみればいい。』

 ─そうすれば、九にとっての“ ”を摑める。



「……っ、そうだね……!」

(何で、今まで忘れていたんだろう。ペンダントをもらったときに父さんに同じこと言われたのに……。そうやって、頑張ってきたのに! )

 結局、すべきことはいつもと変わらない。

 ただいつもより少し大変なだけだ。

 そう、何も変わってなんかいない。

「うん、やるだけやってみる!」

 どことなく晴れやかな九の顔から発せられたのは、紛れもなく本気の決意だった。

 そんな彼らを窓越しの橙に成りかけた光が、九を励ますように照らしていた。







「時間丁度だな。正直、尻尾巻いて逃げるかと思ったが。」

「……」

 当日。

 三九が広場に着くと、斗牙が見下すようにして声を発する。

 瞬間訪れる沈黙。斗牙の放つ威圧感に足が竦む。

 正直不安だ。逃げられるなら逃げたい。

(でも、やるんだ。)

「まあ、お前はどうせ負けるだろうけどな。」

 九は前に投げ渡された誓約書に署名をして丸め、端を持って斗牙に差し向ける。

「準備は、できてるよ……!」

 絶対に後には引けない。そう、絶対に。

(勝つんだ......! )

 誓約書と視線を突きつけられた斗牙は獰猛な笑みを見せ、それを受け取った。



「んじゃ、やらせてもらうぜ。」

 斗牙の声に呼応するかのように誓約書が光る。

 その光は半径500mの円を作りだすと、薄水色のドーム状の障壁へと変化する。

「わぁ…………」

 九はその見たことがあるはずの摩訶不思議な光景に驚嘆する。

 だが、それに浸る時間など有りはしない。

 斗牙は九に見えるように銅メッキのコインを掲げる。

「このコインが地面に落ちたらスタートな。」

 言うや否や、そのコインを大きく投げる。

 数刻の静寂。



 コン



 コインが落ちた。

 斗牙が眼前に迫る。

「うわぁっ!」

 後ろを向いて猛ダッシュ、とにかく距離をとる。

(とりあえずこれで……)

「単純だなぁっ!」

 先回りした斗牙に突き飛ばされる。

 さらに後ろ襟を掴まれ、そのまま振り飛ばされる。

 辛うじて手で顔からの直撃を避けるが、既にボロボロである。

 上がる息を整えながらゆっくり振り向くと、そこにはまだ余裕綽々の斗牙がいる。

 斗牙はかかってこいと言わんばかりに、獰猛な笑みと右手をくいっと曲げる仕草で挑発する。

 明らかに誘っている。

 しかし九には真っ向から受けるしかできない。

 とりあえず距離を詰めようと走る。

 斗牙は動こうとしない。

「……!?」

 唐突に気配を感じた。

 振り向くが、遅い。

 また壁に突き飛ばされる。

「…………っ」

 痛みに悶えながら、どうにかして立ち上がろうとした九は鮫を──鮫を捉えた。

「…………え?」

 いくらなんでも常識の外の光景である。誰だって意識が鮫に向いてしまうだろう。

 しかし、その隙は命取りである。

「──らあっ!」

 斗牙による後ろからの回し蹴り。

 九は顔から地面と激突してしまう。

「……っ!?」

 体が追い付けない。息が苦しい。

 このままじゃ……

(……負け、る? )

 斗牙が、今だ倒れ込む九をつまらなさそうに見下しながら口を開く。

「おいおい、もうくたばったのかよ。」

 その言葉を皮切りに周りからも「諦めろ」だったり、「無能がでしゃばんなよ」だったりとヤジが飛ぶ。

(やっぱり、駄目、だった…………? )

 そのとき、確かに何かが聞こえた気がした。



『駄目でも、また立ってみればいい。』



(『そうすれば、僕にとっての“祈望希望”を摑める』だっけ……! )

 体中が悲鳴を上げている気もするが、立てないわけじゃない。

 両手で力一杯、体を持ち上げる。

 その目にはまだ、かつての光が残っている。

 ゆっくり立ち上がると、切れ切れながらも声を絞り出す。

「いや……まだっ……頑張れるっ!!」

 九が戦闘の意志を示したとき、それは突然に起こった。

 斗牙のポケットから強い光が発せられる。

 光は瞬間的に九の視界を覆う。

 そして九の目の前には、一つの扉があった。







 九は暗闇の中で一つの扉と対峙していた。

 その扉は紫の戸に黒い蔦のような装飾がされている。

 まるで

(───開けてほしくないみたいだ……。)

 しかし、いくらなんでも静かだ。音がなさ過ぎると、返って不気味だ。

 九は周りをゆっくり見回す。

 すると、後ろに女性のような人がいることに気付いた。

 向こうも気付いたようだ。

 一瞬目を見開いたが、すぐに九に微笑む。

 そして緩慢な動作で歩きはじめる。

「もう、人間に会えることはないと思ってました。」

 その声は何となく九に似ている。

「ですが貴方が此処に来たということは、きっと貴方は優しく、強い人なのでしょう。」

 九にゆっくり近づくと、優しい黄色の目をしっかり開く。

「貴方には、選択すべきことがあります。」

 果たしてそんなものはあっただろうか?

 しかし、それが何かを九が聞くことはなかった。

 さっきとは打って変わって、彼が力強く言葉を紡ぐ。

「その、扉の先へ行きなさい。さすればきっと、奇跡が起こるでしょう。

 ですが、」

 そこで深く息をつき、さっきよりさらに低い声で続ける。



「───貴方は大切なものを失うでしょう。」



「…………え?」

 一体何を言っているのだろうか?

 九は頭の中で整理する。

 妥当なのは友達だろうか?

(でもそれなら人って言うだろうし……)

 ならばペンダントだろうか?

(いやでも既に壊れてるからわざわざ言わなくていいし……)

“大切なもの”と言われても正直何を指しているのか皆目見当がつかない。

 考えれば考えるほど混乱する。

 そんな九など意にも介さず、彼は話し続ける。

「迷う必要はありません。答えは既に、貴方が持っているのですから……。」



 けれど、縋れるものはこれしかない。

 失ったとしても、今のように何度取り戻すだけだ。

 九には選択を考える暇も、必要もなかった。

 あとは立ち上がるだけ。

 九は扉に手をかける。

 鉛を重く引き摺る音がする。

 九にはあまりにも重すぎるそれが、渋々光を見せる。

 九は躊躇いなくその光に手を伸ばした。

 白が九の視界を覆い潰す。

 その傍らで、懐かしい声を聞いた気がした。



「君は……×××?」





 ――――――――――――――――――――





 視界が元に戻ると、そこはさっきと何一つ変わらない広場だった。

 いや、少し変わったかもしれない。

 斗牙は呆然と立ち尽くし、野次馬も押し黙っている。

 誰も、何があったのかを説明できる状態ではなかった。

(一体何だったんだろう……? )

 ふと、九は左側に気配を感じた。

 今すぐ確認したい衝動に駆られるが、まだ決着は着いていない。

 代わりに九は短い言葉で誰かに状況を伝える。

「今は血戦中で、劣勢」

 たぶんこれで何とかなるだろう。

 一方の斗牙は今だに動かない。

 明らかに唖然とした様子で口をパクパクさせている。

 それにしても体が軽い。九は、さっきまで引き摺るように動かしていたのが嘘みたいだと感じる。

 斗牙がどうするのかを九が注視する。

 斗牙はまだこの状況に混乱しているが、流石戦い慣れていると言うべきだろう。

 すぐに構えると殴りかかりに来る。

 九にはさっき見えなかった斗牙の流れが見えた。

 まあ見えたとて、ではあるが。

(……! とりあえず避ける? でも、こっちから近づかないと殴れないし……)

 左のやつが見かねたのか九に口を開く。

「……攻撃は体を逸らすだけでいい。」

「!?」

 迫る拳を体を逸らすことで避ける。

 左のやつが呪文のようにつぶやく。

「選択は廻りて希望を紡ぐ。」

 直後。

 音もなく斗牙の両手が拘束される。

 斗牙が明らかに不服そうにしているが、左のやつはお構いなしなのだろう。

 ふと、九の頭に一節の言葉が浮かんだ。

 左のやつが使ったものと同じだとは思うが、どうすればいいかまではわからない。

「やれっ!」

 斗牙の焦りと共に鮫が動き出す。

「お願い……最後……!」

 九はやっと左のやつを正面から見た。

 鮫はあと1メートル。

「……勿論!」

 左のやつは九に頷き返す。

 鮫はあと50センチメートル。

 九が息を大きく吸う。

 鮫はあと25センチメートル。

「「歩みは糸となり」」

 斗牙を無数の細い金糸が取り巻く。

 鮫はあと13センチメートル

「「糸は光となり」」

 金糸が光を放ちながら斗牙に迫る。

 鮫はあと6センチメートル

「「光は奇跡を呼ぶ」」

 光が全てを飲み込んだ。

 静かに、そして暖かく。



 斗牙には何が起こったのか理解できなかった。

 九が痛むであろう体に鞭打って立ちながら吠えたと思ったら、

 寵愛者でもないのに一瞬光ったのだから。

 当たり前だが携帯のライトでもない。携帯ならそもそも周りが明るすぎて光ってるかすらわからない。

 そして光が収まったら今度は独り言ときた。

 いや、独り言というよりは会話だったのかもしれない。

 だが今は、血戦中だ。

 何が起ころうと、たとえ否定したくなる状況だろうと、全て結果で示さなければならない。

 止まってられないのだ。

 斗牙はそう決意しなおすと九に殴りかかる。

 九は逃げようとして、やめる。

(やっと諦めたか……! )

 右手を拳にして思いっきり振る。

 しかし、拳は空を掠める。

(……あ? )

 明らかに動きが変わった。

 さっきの初心者ではなくなっていた。

 次に両手を空中で押さえられる。

 力を入れてもびくともしない。

(やられる……? 俺が? )

 とにかく、九に一撃当てればいいだけだ。

「やれっ!」

 半ば無意識に指示を飛ばす。

 が、

「「──光は奇跡を呼ぶ」」

 言い終わるほうが早かった。

 暖かく体を灼かれる感覚。

 痛みはないのに体は重い。

 光が消えたそこには、斗牙が満足顔で横たわっていた。

(……ったく、してやられた。)

「俺はもう戦えねえ。お前の勝ちだ──馬鹿たれの九十九神あまた。」









「ほらよ。」

 斗牙が近づいて九に元通りのペンダントを手渡しする。

 何だかんだ斗牙は(多少は)律儀なのだ。

「ありがとう。えっと……」

「斗牙だ。呼び捨てでいい。」

「……斗牙!」

 苦手意識だけは変わらないらしい。

 さっきの威勢は何処へやら。

 オドオドとした様子で九が呼びあぐねたので、斗牙が普段より珍しく優しい声音で答える。

 これで一段落だが、今回は不可解なことが起こりすぎている。

 悔しさよりも、喜びよりも、疑問が多い。

(……普通、寵愛は生まれたときに与えられるものだ。今このタイミングでなんて、まずあり得ねぇ。つうか何で根元からポックリいってペンダントが元通りなんだよっ! )

 斗牙の頭が混乱する一方で、九は改めて左のやつをしっかり見据える。

 旅人を彷彿させる衣服。腰あたりまで伸びているがしっかりまとめられた白い髪。

 そして、浮いている。

(幽霊……なのかな…………? )

 このあたりの耐性がない九は足を震えさせているが、聞かなければならないことがあるのも事実である。

 分からないものを分からないままにするのは、誰だってモヤモヤするものだ。

 九は意を決して口を開く。

「君は……誰? 幽霊?」

 その言葉を聞いた『やつ』は九よりも低く、大人びた声で少し冷たく返す。

「私はラステリアだ。ところで……」

 言葉は通じるらしい。

 九は無意識に強張らせた肩を下ろし、続きに耳を傾ける。

「……『幽霊』とは何だ? それは寵愛の一種なのか?」

『やつ』──ラステリアは小難しそうな顔をしながら小さく首を傾げる。

 ……どうやら常識は通用しなかった様だ。

「……じゃ、敗者は敗者らしく去らせてもらうぜ。」

 居たたまれなくなった斗牙はその場をそそくさと去ろうとして、止まる。

 そして振り返ると九に一言。

「あとで説明しやがれ。」

「えっ、ちょっ……!」

 九の慌てる様子も見ずに、今度こそ行ってしまった。

 とりこのされた九に崇登しゅうとが近づく。

 もう怒っているのか泣いているのか区別がつかない顔だ。

「……心配っ、させないっ、でよっ!」

 詰まった言葉と共に崇登しゅうとは思いっきり平手打ちをかます。

 九はたじろぐがお構いなしに、あそこはあーだとか、そもそもやるなとか、マシンガントークという名目の説教を続ける。

 九もこればかりは大人しく受け入れることにした。



 そんなこんなで馬鹿騒ぎする九達をラステリアは見つめながら、小声で嘯く。



「成る程……これが『ヒトの世界』というものか?」

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