恋する兵器と研究員さん

SEN

本編

 水族館の魚は幸せなのだろうか。


 外敵のいない空間で、食べることにも困らない。心地の良い温度の綺麗な水の中で、何も考える必要がない永遠を過ごす。それは理想郷のようであるが、本来彼らがいるべき広大な海に比べて、この作られた空間はあまりにも狭すぎる。


 しかし、母なる海には作られた理想郷にない危険が無数に存在する。自由を得るのと引き換えに、彼らは「生きること」を考えなければならなくなる。それはきっと苦しいことだ。生きることは、死の恐怖と戦い、命という責任を負うということ。ならば、彼らが得たのは自由ではなく責任という新たな殻なのではないか。


 そこに無限に広がる世界があったとしても、力がなければ飛び立つことは出来ない。力なき者にとっては、身の丈に合わない自由よりも、すべてが与えられる小さな理想郷の方がよいのではないだろうか。


 小さなアオの世界の境界線に手を添えて、小さな理想郷で生きる彼らに思いをはせた。


「浮かない顔をしていますね」


 声をかけられて意識が現実に引き戻される。物思いにふけりすぎたことを反省しつつ資料に向けていた視線を上げると、一人の少女が一つ壁を隔てた先で私を見つめていた。


 深い青色の髪は肩にかかるくらいまで伸び、うるおいのある肌つやは思春期の少女のよう。こんな可憐な少女は着飾ってあげたいと思うのが常だが、彼女が着ているのは色気のない真っ白なシャツとボトムスだ。


「すこし考え事をね」

「悩みがあるならお聞きしますよ」

「アオは優しいわね。悩みってほどじゃないから気にしないでいいわよ」


 私と話す少女の声には抑揚がない。まるで一昔前の合成音声のようだ。しかし、そんな声から感情を感じ取れるのは、目の前の彼女が柔らかい笑みをたたえているからだろう。


「悩みじゃなくても話してください。私はヒカリとお話がしたいです」

「あら、退屈させちゃってたかしら」

「ここにはヒカリしかいませんから」


 大型トラックが丸ごと入りそうなほど広いこの部屋には、アオが必要としたものが運び込まれる。寝るためのベッドや食べるためのテーブルはもちろん、新作のゲーム機からアロマオイルまで、彼女はなんでも手に入れられる。しかし、そんな条件の中に居て彼女はほとんど何も要求しなかった。ただひとつ、観察研究員として私を指名する以外は。


「大して面白くないわよ」

「ヒカリとお話できるなら何でもいいです」

「ホント、アオは私が好きねぇ」

「はい。私はヒカリがスキです」


 アオは私の言葉を恥ずかしげもなく肯定した。なんでもないヒラの研究員である私が彼女を一人で任されている理由がこれだ。彼女の誕生、いや製造の場に居合わせた時だった。肉塊からヒト型になった彼女は私を求めた。個人への執着。それは彼女らに初めて見られるパターンなので、研究のために経過観察中なのだ。こうしてかれこれ半年程度経っている。


「じゃあ、アオは水族館の魚についてどう思う?」

「綺麗な色をしていると思います」

「まぁそうね。でも、その子たちは幸せだと思う?」

「魚にそのような感情はないと思います」

「……そういう考えもあるわね」


 魚に感情はない。アオにそう言われると妙な説得力がある。でも、私はそうは思いたくなかった。


「私はどうしても不幸だと思ってしまうの」

「ほう、それはどうしてですか?」


 アオはガラスの壁に手を当てて、できるだけ私の近くで声を聞こうとする。彼女を閉じ込めるための強化ガラス越しに会話できるわけがない。私たちはスピーカーを通して会話をしている。だから、アオが身を乗り出したところで音量は変わらないのだけれど、彼女はこうして私に近付こうとする。人間らしい。彼女の行動に対してそう思うのは仕方のないことだ。


「世界が広い事すら知らないまま、与えられたものだけを享受して生きていく。無限にあるはずの可能性を押し込められて、殻に閉じ込められたままの自分を自分だと思い込まされる。それを不幸と言わずなんというの?」


 知らないことは不幸だと、可能性の先には幸福があると。アオを前にするとそう思わされる。自由の中にある責任と無限の世界で待っている残酷さも知っている筈なのに。


「もちろん広大な世界には危険もある。人の悪意が蔓延ってるし、思い通りにいかないことだらけよ。でも、それを超える幸福があると私は信じてる」

「……ヒカリ?」


 アオが不安そうな目で私を見つめる。表情も声色も変わってないはずなのに、私にはそう見えた。分かってる。これは全部、これから私がすることに対しての言い訳だ。


「アオ、一緒にここから出よう」

「……外出許可が出たということでしょうか」


 そんなはずはないけれど、その可能性の方があり得る話だ。アオが外出許可が出たと解釈したのはそう思ったからだろう。けれど、残念ながらそうじゃない。彼女たちに外の世界を楽しむための外出許可なんて出る筈がない。


「いいえ。私がこの檻からあなたを出すの」

「どうやってですか」

「このスイッチを押せばこのガラスの壁が引っ込む。アオが自由になれば警備なんて敵じゃないわ」


 管理室から盗み出してきたリモコンを見せながら脱出計画を説明する。アオをはじめとしたこの研究所で造り出される人造人間は、あらゆる兵器を蹂躙する力を持っている。世界でもトップクラスのセキュリティを備えるこの研究所であっても、彼女の進行を止めることは不可能だ。


 だからこそ莫大なコストを注いで彼女らでも破壊困難な檻を作って万が一に備え、なおかつ彼女らが敵対しないように望むものをすべて与え、小さな理想郷に閉じ込めているのだ。


「私がここから出れば、ヒカリが危険にさらされます。私はそんなことをしてまで外に出たくありません」

「……私が好きだから?」

「はい。ヒカリがいれば私は他に何もいりません。外の世界を知らなくても、ヒカリとお話できれば私は幸せです」

「ホント、嬉しいこと言ってくれるわね」


 アオの純粋な愛情は擦り切れた私にとっては眩しすぎる。だからこそ、守りたいと思ったんだ。


「でも、こうやってお話できる時間はもう長くないの」

「えっ……それは、どうしてですか」


 アオの瞳が揺れる。明らかな動揺を見せる彼女は、やはり人間だった。


「一か月以内に戦争が始まるの。そうなればアオは自由意思を奪われて兵器として使われて確実に死ぬ」

「え……」


 このままでは一か月以内に死ぬ。突然の余命宣告に、平和な水槽の中にいたアオは理解が追い付いていないようだった。


 強すぎる人造人間たちは兵器として作られた。最初に自由意思を奪う改造をしないのは、改造後24時間で死んでしまうからだ。だから、戦争が始まればアオがいくら強くても死が確定してしまう。この研究所は一体の製造に莫大なコストと時間がかかる人造人間の保管庫でもあるのだ。


「私もアオが好き。だから、アオに死んでほしくないの」


 最初はアオを兵器だと思っていた。だから、彼女の言う好きという言葉はただのエラーだと思ってまともに取り合わなかった。に感情はない。から出てくるのは言葉なんかじゃなく、ただの音でしかないと。でも、長い時間を共に過ごす中でアオの言葉の中に確かな感情があると気付いた。


 アオは私がただ報告書をまとめている姿すら飽きもせずにじっと見つめる。私が声をかければ、どんな内容であっても真っ直ぐ答えてくれる。好きという言葉を包み隠さず伝えてくれる。


 アオの想いに何度も触れて、私は彼女が兵器なんかじゃなく、一つの生命なんだと理解することができた。それと同時に、私に想いを寄せてくれる彼女を好きになっていたのだ。


 こんな告白、脅しと同じだ。純粋に私を想ってくれているアオにこんな形で愛を伝えてしまったことが申し訳ない。でも、こうでもしないとアオはきっと私の命を優先してこの檻から出てくれない。最悪な告白をした私は、迷う彼女をじっと見つめながら、その返事を待った。


「分かりました。ヒカリと一緒にここから出ます」


 私に死んでほしくないけれど、私の想いも無碍にできない。私以外の人と関わってこなかったアオにとっては難しい選択だったのだろう。思ったことを隠さず伝える彼女でも、返答に時間がかかった。


「でも、約束してください。私が絶対にヒカリを守ります。だから、ずっと一緒にいてください」

「えぇ、約束するわ」


 私の勝手な行動に不安になったのだろう。アオは私がどこかに行かないように約束を求めた。ずっと一緒。私も最初からそのつもりだったから、ためらうことなく頷いた。


 アオは私の想いを受け取ってくれた。その選択をしてくれたことがたまらなく嬉しい。きっと、ここを出てから苦労することばかりだろう。けれど、アオと一緒に生きられるなら後悔はない。この国を裏切る決断をした私は、これからに想いを馳せながらスイッチを押した。


 その瞬間、白い部屋が真っ赤に染まるとともにサイレンが鳴り始めた。


「え」


 唖然とする。そんな表現がぴったりだった私は異常事態を前にして動けなくなってしまった。


「後ろ!」


 ガラスの壁の向こうのアオの声を聞いて現実に引き戻されるが、もう遅かった。背中に強い力がのしかかってきて、私は地面に押さえつけられた。何十人分もの足音が聞こえてきて、このスイッチが罠だったということをようやく理解した。


「まさか本当に裏切ってしまうとは。残念だよ、ヒカリ君」


 顔を上げると所長が私を見下ろしていた。初老の彼は整った白いひげを撫でながら、冷たい灰色の目を私に向けている。武装した機動隊がガラスの壁の前に並んでいるせいでアオの姿が見えない。でも、何度も響く振動とくぐもっているけど確かに聞こえるアオの必死な声で、彼女が私を助けるために壁を壊そうとしているのだと分かった。


 あのスイッチを押したからスピーカーも切れたのだろう。あの分厚い壁をこえるくらい大きな声が出せたんだな。あんな感情がこもった声も初めて聞いた。


「……妙に落ち着いているな。もう観念したのか」

「感動してるの。アオがあんな声出せるんだって」

「狂人が」

「それで、どうしてわかったの」

「観察研究員の精神状態は常にチェックされている。あれは人の形をしているからね。妙な気を起こす可能性がある。そして君は65号に対して愛情を抱いていると診断され、監視をつけられていたのだ」


 どうやら私の考えが甘かったようだ。内部の研究者であっても所長は全く信頼していないらしい。私がアオを逃がすためにしていたことはすべて筒抜けだった。


「そのスイッチを押さなければ見逃したものを。まったく、生物兵器を解放しよとするとは。研究者失格だな」

「アオは兵器じゃない。人間よ」

「人間? 素手で鋼鉄を捻じ曲げ、ひとっ飛びで山を越える化け物がか?」

「アオには心がある。あんたらなんかよりよっぽど人間らしいわ」

「好きに言うがいいさ。君はどうせ国家反逆罪で死刑なのだからな」


 この状況から抜け出す方法はない。だったらもう言いたいことを言ってやろう。そんな腹積もりで吐いた言葉を所長は全く意に介さず、檻の中で暴れるアオに目を向けた。


「それも殺処分だ」

「は……? なにを言ってるの! アオは何もしてない! 悪いのは全部私よ!」

「これを生かしたままにするリスクの方が大きいと判断しただけだ。君がいなくなる以上、65号の観察も続けられないからな」


 所長は淡々とアオを殺す理由を並べた。アオを人間として見ていない言葉にはらわたが煮えくり返る。アオの命をこんな奴が軽く扱っていいわけがない。あんなにも綺麗な心を持ったアオを実験動物扱いなんて許さない。


「ふざけるな! アオは絶対に殺させない! そんなこと許さな、うっ」


 怒りのままに暴れると顔面を床に叩きつけられた。鼻血が床に垂れて赤く染まる。視界はグラグラと揺れ、キーンという耳鳴りは鳴りやまない。そして、地面の揺れが少し大きくなった。


「煩くてかなわんな。どうせ死刑なんだ。ここで殺しても何も変わらんだろう」


 所長は私の言動が気に食わなかったらしく、ここで殺す決断を下した。懐から取り出した拳銃を私に向ける所長の顔は、まるで部屋に出た羽虫を叩き潰すときかのような、これから奪う命に何も感じていないかのような無感動なものだった。彼の引き金は軽い。次の瞬間には死んでしまうと嫌でも理解できた。


 私は何をやっているんだ。これじゃあただアオの寿命を縮めただけじゃないか。アオは私が生きることを願ってくれていたのに、私を好きでいてくれたのに、私はここで無様に死んで、アオの想いにも応えられない。アオに何も残せず、何も返せず、ここで死ぬなんて。自分の無力さが憎くてたまらない。愚かな選択をしてアオを不幸にしてしまったことが悔しい。でも、どんなに悔やんでもこの絶望は何も変わらない。


 もう引き金が引かれると思った瞬間だった。


「ヒカリ!」


 凄まじい轟音と共に私の名前を呼ぶ声が聞こえた。その声はスピーカー越しのノイズが混じった声でも、ガラス越しのくぐもった声でもない。真っ直ぐ伸びる透き通った声は私は初めて聞くものだった。


「馬鹿な!? あの檻を壊すには早くても三時間は」


 動揺した所長の声と機動隊の銃声が一瞬で消え、私の背中も軽くなる。顔を上げれば部屋中が赤い血で染まり、形を成していない肉塊が床に転がっていた。


「ヒカリ」


 地獄のような空間に鈴の音が鳴るような透き通った声が響く。振り返るとそこには返り血で赤く染まったアオがいつものように優しい笑顔で立っていた。一瞬で何十人もの人間を皆殺しにした彼女は鮮血で赤く染まっている。恐ろしい光景であるはずなのに、私は彼女の微笑みに魅入られていた。


「アオ」


 名前を呼ぶとアオは勢いよく走ってきて私を抱きしめた。部屋に漂う鼻が曲がるほどの血肉の香りをアオの香りが塗りつぶす。砂糖菓子のような甘い匂い。こんなにも強いのに彼女の肌はマシュマロのように柔らかく、じんわりと伝わる命の温度を感じた。彼女の香りも、肌の干渉も、身体の温度も、ぜんぶが初めて知ることで、ずっと知りたかったことだった。


「ヒカリの声は可愛いですね」

「そっちこそ」


 スピーカー越しとは違う澄んだ声。壁もノイズもない場所で言葉を交わすことすら初めてだった。私を見つめる彼女の満面の笑みからは純粋な愛を感じ、人間らしい彼女の笑みは辺りに漂う死臭を忘れさせた。


「さぁ、早くここから出ましょう」

「そうね」


 アオは私の鼻血を拭き、手を取って立ち上がらせる。落ち着いてみると死体の他にキラリと輝くガラスの破片が混じっているのに気が付いた。


「あの壁、よく壊せたわね」


 あの強化ガラスはアオでも壊すのに数時間かかる設計だ。しかしアオは私がつかまってから一分も経たないうちに壊して見せた。アオが本来ならあり得ない力を出せたのはどうしてなのか聞くと、アオは悪戯っぽく笑って私の頬をつついた。


「愛の力ですよ」


 そう言ってアオは私の頬にキスをした。まったく、アオにはかなわないな。頬からじんわり広がる熱に浮かされて彼女の腕を抱く。そしてそのまま私たちは共に歩み出した。


 これから先、私たちは永遠に追われる身だ。アオがどれだけ強くたって、安定した生活なんて出来るはずがない。戦争に巻き込まれるかもしれないし、追っ手に殺されるかもしれない。私が今まで歩んできた人生の中で、最も危険な道を歩くことになる。けれど、私に後悔は微塵もない。


 アオの笑顔を見て、私が今まで悩んでいたことがとるに足らないものだと理解できた。ここから連れ出すため、私の気持ちを盾にしてアオの行動を強制してしまった。それが正しいことだったのか、最初は分からなかった。所長に捕まった時は、この小さな理想郷に残されたわずかな時間を享受していればよかったと後悔した。


 けれど、今のアオの幸せそうな笑顔を見たら、この選択が正しかったのだと確信できた。私は最愛の人との自由を得た。この世界がどれだけ危険でも、どんなに悪意であふれていても、アオと共に生きていけるなら幸せだ。無限に広がるこの世界を、アオと共に自由に生きよう。それがほんの僅かな時間か、しわくちゃのおばあちゃんになるまでかは分からないけれど、その時が来るまでこの幸せを噛み締めよう。


「さぁ、これから何をしようか」


 未来の幸福に思いを馳せて、私たちは自由な世界へ飛び出した。

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