【Sentence 07】新しい物語のはじまり




 ——太平洋、赤道直下。




「おお、文明の利器。それはエアコン——欲しい……」


 ギラつく太陽に照らされ、リイナは汗まみれになっていた。かつて軌道エレベータのワイヤーの間に繁茂し、カーテンの様に日陰を作っていた植物群は排除されている。


 だからリイナの上には容赦無く日射しが照り付けている。幾らタオルで拭っても、汗は次から次へと染み出てくる。こういう時こそ文明の利器の出番だと思うのだが、ダイソン球からのエネルギー供給が不安定なので使用が制限されている。今週のリイナの「取り分」は使用済みだった。だから耐えるしかない。


 リイナは今、あの軌道エレベータの島「アトロポス」にいた。住宅の屋根の上に陣取り、じっと空——軌道エレベータのワイヤーの消える先を見つめている。隣には車椅子のクレハがいて、同じ様に空を見ている。


 彼女も当然汗をかいているが、茹だる仕草は見せずに平然としている。おかしい、何か暑さを凌ぐコツがあるのだろうか。


 その横顔をじっと見つめていたが、はっと気づいてリイナは視線を逸らした。あまり「他所の子」を見つめていると、浮気を疑われて詰められるからだ。




 ショーコは、記憶はやはり失われていた。それでもリイナのことを好きというのは、どういうことなんだろう。何かどこかに、記憶の残滓が残っているのか。それとも全く新しく一目惚れでもしたのか。分からない。


 でもそれで良いと思った。というか、現状を受け入れるしかない。キライだと言われるよりマシである。


 記憶が無いとはいえ、でも性格は似ている気がするなあ。でも嫉妬深い。レティシアに対して、記憶は失われたのに優先権を主張してはいがみあっている。悪くはないが、随分拘束が強い。もしかして、元々そう思っていたのかな? だとしたら気をつけよう。そう思うリイナではあった。




「——見て、列車が降りてきたわ」



 クレハが言うので見上げると、連なった星が降りてくるのが見えた。軌道エレベータのワイヤーを伝って上下に連なった運搬ユニットだ。クレハがほっと安堵の溜息をつく。

 あれを遠隔操作しているのはクレハだった。百年単位で放置していた代物だから、本当に動くかはやって見るしか無かった。「私たち、運が良かったわね」とにっこりと微笑むので、リイナも笑顔で返した。これで衛星軌道上に上がる目途が立った。


「本当に行くつもりなの?」

「うん」

「危険だわ」

「でも、誰かがやらないとさ。力仕事担当のボク、頭脳労働担当のショーコ、機械の操縦担当のレティシア——ボクたちだと丁度良いし」


 リイナは腰に下げた水筒をあおり、ごくりと水分補給をする。軌道エレベータの宇宙側の島(ポート)には、アトムが搭乗した恒星間宇宙船が戻ってきている。


 リイナたちはそれに乗って太陽近傍——ダイソン球へと向かうつもりだった。不安定な動作を続けるダイソン球の調査をし、可能であれば修復を試みる。これからもリイナたちが地球で生きていく為には必要な作業だった。




 ——世界は、概ね平穏を取り戻しつつある。


 ジェイ・フェローが去って一時の狂乱は霞の如く消え、元の生活に戻りつつある。害虫——無人機械群——の出没とか、そういう厄介ごとは残っているけど。今まで続いていて、一旦の休止を挟み、そしてこれからも続いていくだろう、長い長い日常生活がリイナたちを待っている。


 その生活に戻る前に。リイナは少し思索に耽りたいと思ったのだ。今までの環境から離れ、じっくりと傷を癒やすように。今までの自分たちと、これからの自分たちについて、よく考えてみたいと思ったのだ。


 ひょいと。屋根にかけられた梯子を登り、褐色の少女——ケーラが顔を出した。


「それじゃ、ちょっと確認してくる」

「お願いするわね、ケーラ」


 クレハが目を細めると、ケーラも目を細めて柔らかい笑顔を浮かべる。しばらく見つめ合う二人だったが、やがて降りるように催促する声がしてケーラはしぶしぶ梯子を下りていった。梯子がガタガタと揺れる。


「リイナー! いってくるーのキスーっ!」

「わっ」


 ケーラの代わりに梯子を駆け上がってきたのはレティシアだった。リイナは反射的に巴投げにしようとして、途中で慌てて止めた。さすがにこの高さから落としたら洒落では済まない。


 屋根の上に寝そべったリイナの上にレティシアがどさっと落ちてきて、気がつけば唇を奪われていた。それは吸引力の落ちない、ただ一つの何かだった。横でクレハが興味深そうに眺めている。


「——いた、いたたたッ! やめて、ハゲちゃう!?」


 レティシアが悲鳴を上げる。窒息寸前のリイナを助けたのはショーコだった。ショーコは無表情で、レティシアの金色の髪を無造作に掴んで引き上げていた。地球の重力がレティシアの毛根を虐める。


 ショーコはぺっとレティシアを横に転がすと、リイナの手を優しく引いて起き上がらせる。そしてその端正な顔をリイナの口元に近づける。リイナはどきっと顔を赤らめた。


 もしかして、キスするの?! しかしショーコはリイナの口元にその鼻を寄せて、くんと匂いを嗅いだ。露骨に顔をしかめる。


「……野獣の臭いがするわ」

「せめて人間扱いして欲しいんですけど?!」


 レティシアが抗議するが、ショーコは意に介さずリイナの口元をハンカチで拭った。リイナは苦笑いを浮かべる。いつも通りだった。いつも通り仲が悪い。


「それじゃ、わたしたちも列車の様子見に行ってくるわ」

「うん、お願い」


 ショーコがぎゅっと、リイナの手を握る。にぎにぎ。丁寧に揉むように握り、しばし見つめ合う。リイナは少し視線を逸らした。


「その……本当に良いの? 太陽に行くなんて、ボクの我が儘なのに」

「そうね、我が儘ね。わたしとしては、家にある本を全部読みたいんだけど……」

「うっ」

「でも、今は貴方と一緒にいたいって思う。わたしは、わたしの直感を信じてる」


 そういって、ショーコは一瞬だけ眼鏡を外してリイナに笑顔を見せた。なんだか恥ずかしくなったのか、ショーコはすぐに眼鏡をかけ直して視線を逸らしてしまったが、リイナは何だか嬉しかった。




「おーい、置いていくぞー」



 気がつけば、レティシアは屋根から降りていた。下からショーコに降りてくる様に催促を繰り返す。ショーコはチッと舌打ちをしてから、名残惜しそうに手を離した。リイナは手を振って、ショーコたち三人を見送った。


「よっと」


 リイナはショーコたちとは反対側に向かって飛び降りた。そこには深紅の人型ボゥトが駐機してあって、その露天の操縦席にリイナは滑り込む。カチカチと操作すると、光の粒子を噴き出しながらゆっくりと浮上していく。


 リイナの役目は列車に積載する資材を、人型ボゥトで運搬することだった。それをクレハが手を振って見送る。



「これから忙しくなりそうね」

「ああ——そうだね。忙しくなりそうだ!」



 リイナは本当にそうだなと思った。ぷわりと人型ボゥト(オーキス)が浮き上がり、ぐるりと旋回していく。水平線まで続いていく海が、どこまでも続いているのが見えた。


 リイナは暑い日射しに汗を滲ませながら、これからの行く先にどこか昂揚している自分を感じていた。


【完】

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人類最後の男性によって別れた百合は、絆の再生を願って海を渡る——ルクス・テトラ 沙崎あやし @s2kayasi

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