自分語りに相槌を

零浪 むる

自分語りに相槌を


透き通るような夏風が、私と目の前にいる彼女の間を吹き抜ける。私は軽く前髪を抑え、肺いっぱいに夏の空気を吸い込むとゆっくりと吐き出した。

別に、それで何かが起こるというわけではない。ただ、私の手にあるアイスが少し溶けただけだ。

私は何かの主人公みたいに、誰かを守ったり、戦ったりする力は持っていないのだから。それに超能力者でも、ヒーローだと言うわけでもない。

じゃあ、君にはいったい何があるんだと言われたら。

大切な人がいる、ということ。

そして、少しだけ他の人とは異なる視界を持っているということくらいだろう。


私の大切な人とは、私の隣、バス停のベンチに座っている彼女のことだ。高校の頃から、私の短い話を聞くだけの変わった友達。キミは無口だから私の話に相槌くらいしかしてくれない。それでも、私の話で相槌を打ってくれるキミを見て、私の話がちゃんと聞こえてるってわかるんだ。それだけで私の心は満たされていった。


私は毎日、いろいろな話をキミにしていた。

どこかのセカイを旅する車掌、心を読ませる不思議な子供……と、私がこの目を持っているがゆえに、実際に見聞きした話がほとんどだった。私は他人に視界について話す時、1つ自分だけのルールを設けていた。それは

私は自分の作った嘘の話はしないこと。

キミにとって、ここじゃない本当にある別のセカイとして聞いてもらいたかったから、私の考え方が入ることはよくないことだと考えていた。キミと出会うまでは、あんなに嫌いな世界だったのに。今では少し好きになれている。


でも、私がどれだけ嘘偽り無く本当にある世界の話をしても、キミはこれが、本当の話だなんてきっと思いもしないはずだ。普通ではあり得ないストーリー。

それを真実だと受け入れられる人の方が少ないだろう。

中には軽蔑する人もいるだろう。

それでもキミは、私の話が終わるといつも

楽しげに笑ってくれていた。

その笑顔に私は救われていたし、

キミのおかげで私は私のことを好きになれていた。


こうして毎日話をするから、話のストックが切れたらどうしようかと少し考えもした。

でも、私の視界の話のストックが無くなったら、それはそれで幸せなことだと思う。今まで話せなかったことを全て、誰かに話せたんだと思うと、心が軽くなるように思うから。代わりにキミは、夢で見た世界の話をしてくれた。とは言っても、たまにだ。ほとんど誰とも話さないのに、私にだけ話してくれる。私が必要とされているように感じられて。こうして、キミは私にとって一番大切な人になっていった。


でも、ある日からキミは大学に来なくなった。夏だから、熱中症にでもなったのかくらいには思っている。心配ではあるけれど、私はキミの家にいく勇気が出なかった。私は一人で、誰もいないバス停を眺めることしかできなかった。


待つ数字が増えるたびに、故意ではない爪の跡が増えていった。

それから数日後、キミはバス停に姿を見せた。雨の降る、海の香りがする日だった。

傘もささずに下を向くキミは、遠目で見てもわかるほど雨に濡れ、下を向く左手では花を握りしめていた。

ゆっくりと私の前に来たキミの顔は青白く、でも目の周りだけは赤くなっていた。


私はバス停に来たキミに、いつものようには話しかけることができなかった。どうしたの、なんて言える空気ではなかった。私は、どうしたらいいのかわからなくなった。今まで、私の目の前で涙を見せる人はいなかった。

手を差し伸べるべきなのか、黙ってそばにいるべきなのか。私は正解を知らないのだ。


私がキミの赤くなったところに触れようとすると、キミはその場で泣き崩れてしまった。私は、初めてキミがここまで感情を表に出すところを見た。それを見た私の心に、驚きと同時に怒りが込みあがる。私はキミを泣かせる人や、心を傷つける人が嫌いだ。私も、心が痛むということの辛さを知っているから。


私はキミの笑顔が好きなのに、そんな顔をしないで欲しい。キミに少しでも楽になって欲しくて、私は辛そうに息をする背にそっと触れた。

その瞬間、忘れてしまっていた記憶が頭を駆け巡った。

――――――――――


少し、前の話をしよう。とは言っても、まだ最近なほうだけれど。最初にも言ったけれど、

私は普通の学生だった。普通の見た目、真面目な普通の性格。でも、見える世界だけは普通じゃなかった。

幼い頃から見えるそれらは実在しているのか、幻覚なのか。それすら分からなかった。私の周りの人に、同じ視界を持つ人はいなかったから。もちろん、家族の中にも誰もいなかった。小さい頃は、可愛げのある冗談を言う子、何もないところに話をする変わった子……それで済んでいた。でも、大きくなっていくとそうはいかなくなった。誰にも言わなきゃいいじゃないか。そう思うかもしれない。でも、人と違う視界を持ちながら普通の人と同じ生活をするのは難しいものがあった。話しかけたら人間じゃなかった、動物だと思ったら化け物だった、なんてことはよくあった。とにかく大変だったのは、学校生活にまでその影響が出てきたことだった。

高校に入学して、最初は周りの人とそれとなく馴染めていた。でも、学校で一番最初に仲良くなった子が人ではなかったのだ。その出来事は今思えば、良くも悪くも記憶から消えないものだった。

「何も無いところで何やってるの?」

クラスメイトにそう言われて、私は目の前にいる彼女が人間では無いと言うことに気がついた。

それくらい私には見分けがつかないのだ。

その子は水月と言う名前で、勉強が苦手な子だった。

「私?人間じゃないけど、人だよ。」

水月と初めて会った時からの口癖だ。この時点で薄々人間ではないことに気づいてはいた。

それでもあの頃の私は水月と友達でい続けた。

見えているのに無視して、ちゃんと人間と友達になるという手段を取れるほど、私は残酷になれきれなかった。


でも、人間は自分を守るためならば他人を蹴落とす生き物だ。とくに、女子なら尚更だろう。悪口を言えば、より仲が深まる。そう、私という格好の的をみすみす見逃すはずがなかったのだ。

「ねぇ、今……どこに話しかけてたの?」

私が水月と話している時、後ろからそう声を掛けられた。

「いや、なんでも無い。ただの独り言。」

「そんなわけないじゃん!いっつも何もないところに話しかけてさ。もうさ、……気味が悪いんだよ。」

そう言い放つと、彼女は私に背を向けて走り去った。

その翌日からだった。周りの知らない人が、私のことを噂し始めた。

『何も無いところに話しかけ続ける変な人』と。

それから私は、普通の学生ではなくなった。


もしも、水月が人間だったら。なんてたらればを言うつもりは毛頭無い。私の視界に映る水月は人間で、私の友達。それで十分だったから。

結局、この選択をした私の周りには、水月しか残らなかった。そして、私の噂が消えることもなかった。それでも、私は幸せだと言えた。大切な人が一人でもいる。その事実が嬉しかったんだ。たった三年だけだ。水月がいれば大丈夫。そう思っていた。


状況が一変したのは、私が二年生になった時のことだった。1年間友人として私のそばに居続けてくれた水月は、高校からいなくなっていた。血の気がさぁっと引いていく。私は忘れていた。見えざる者は簡単に裏切るし、いなくなる。そんな簡単なことを、私は忘れていた。一瞬の優しさにに絆されて、未来が暗くなっていくのに気づけなかった。

「水月の嘘つき。」

私の口から、水月にもう伝わらない言葉が漏れた。

それからは、ただただ辛かった。好きでこうなったわけじゃないのに。そんな誰かに当てることもできない恨みを連ねて。水月のことを思い出しては泣いて。次第に、学校が自ら苦しみに行く場所になっていった。この日から、周りの人に見えないこれらを、私は見えざる者と呼ぶようになった。これらは人とは違う何かで、心を許してはいけない。そう隔離するようになった。



そんな私の前に現れたのが、キミだった。

私のいた高校に三年生になるタイミングで転校して来て、なぜか私の後ろを黙って付いて回る変わった子。

移動教室も、お昼も、帰りの途中も。寄り道してもついてくるし、少し変わった子だった。

最初は、すぐに飽きるだろうと思って見て見ぬふりをしてそのまま生活していた。でもあまりにも、しつこくついてくるため話しかけてみることにした。

何のためについてきているのかも、もしかしたら聞けるかもしれないから。というか、正直迷惑だった。というのも少しはあった。

だから、嫌がらせも含めて、私は自分の視界の話を話した。きっと気味悪がる。それで、この付いて回り、回られる関係も終わるだけ。それくらいに思っていた。

でも、キミはこの話を真面目に聞いてくれた。そして、最後には笑顔になった。私にとって、それは救いだった。こんな目を好きになってくれたような気がして、高校に行く何よりの意味、そして私の生きがいにまでなった。大袈裟なんかじゃない。本当に、キミの存在は私にとって命綱のようだった。


それから、私たちの関係は変わった。

一日のほんの少しの時間だけ、バス停で私の視界の話をして、それ以外の時間はキミが私について回る。そんな関係になった。

側から見たら、まるで、私にこき使われているように見えたようで、他の子たちは、私と関わらない方がいいとキミに告げ口をするようになった。私にも少し、聞こえるように。それでも、キミは私の隣に来てくれた。

でも、いつの間にかキミも、周りの人達から変な噂を立照られるようになってしまった。側に来てくれることはうれしくもあったけれど、同時に少し心配になった。

「ねぇ、私と関わらない方がいいんじゃないの。私は慣れているけど、キミは苦しいでしょ?こんなに言われてさ。」

大切な人を心配するのは、当たり前だ。私は至って真面目に聞いた。

でも、キミは首を横に振ってそのまま少しだけ笑った。

「私は……自分で望んで風寧と一緒にいるの。誰かに否定されだからと言って、それでほかの子について行ったりはしないよ。それに、こんなことに慣れちゃダメ。」

珍しく長文を話すから少し驚いたけど、私はその言ってくれた言葉が嬉しかった。そういえば、あの頃の記憶でとても印象に残っていることが一つある。ある時、キミが言った

「もしも、願いがなんでも叶うなら何を望む?」と言う質問。キミは、私とずっと一緒にいれたらいいな、と言っていくれた。とても嬉しくて、今でも覚えている。私は……なんて言ったんだっけ。


――――――――――

それから私たちは高校を卒業して、同じ大学に通う大学生になった。その間も、私たちは少しの話を続けていた。キミも高校の時と比べて話すようになっていった。たまに小さく歌を歌ってくれるようにもなったし、自分の意思を少しだけ表に出してくれるようになった。少し嬉しいような、寂しいような。でも、キミなことには変わりない。それは、変わらない笑顔でわかることだった。私たちは大学という、お互い新しい環境だったこともあってか、お互いが避難所のような感覚だった。そのせいか、一日に複数回会って話すようになっていった。そして、会うたびにキミは私の視界の話をしてほしいと言った。今までも話していたけれど、キミから話してほしいと言うようになったのは大学生になってからだ。

今日は、クジラの話をした。キミは、私の話すクジラの話が好きだった。このクジラは昔から、そして今もたまに空に現れる。特に何かの害があるわけでもない、時によって色が変わる空飛ぶクジラ。そして、なぜか私の感情に合わせて動きが変わるのだ。不思議だろう?楽しい時は空を跳ねて、悲しい時は鳴く。その話をすると、たまにクジラが空に現れる。

「今、空にクジラがいるよ。」

そう、キミにいうと

「私にも見えるかな。」

なんて、二人で空を見上げる。

これと言って面白いことはしていないけれど、幸せで……。この時間は、ずっと続いてくれると思っていた。


ある時、キミと二人で海に行く機会があった。少し離れた場所で、花火大会があるらしく、キミが誘ってくれたんだ。旅館も近くにあったから、初めての旅行だとはしゃいでいていた。私も、キミも。夜の海は暗くて、でも人がたくさんいて、怖さはほとんどなかった。いると言えば、見えざる者も大勢いた。キミには聞こえないようだったけれど、見えざる者たちは噂をしていた。

『あっちの海の方に行くと、渡れる場所がある。行けばわかるはずだよ。この空の花もきれいに見えるだろうね。』

そう海の方を指差しながら言っていた。私に対して言ってはいないのかもしれないけれど、キミと綺麗な花火を見たいと思った。人混みで見にくかったから、ちょうどいいと思って。私はキミの手をひきながら、あれらが指さしていた方に走った。キミは何をするのかわからないみたいだったけれど、サプライズにもなるだろうと思って詳しいことは言わないでいた。指さす方に向かってみると、確かに分かりやすかった。海の上には不思議な石灯篭が並んでいて、花火と同じくらい幻想的だった。息を呑んで、呼吸を忘れてしまうほどに。石灯籠の並ぶ海に、緊張しながらも一歩踏み出してみると、その足は沈むことなく前に進んだ。数歩先に行ってから、キミにも渡ってもらおうと手を差し出す。

「大丈夫。ほら、踏み出してみて。」

道が見えないからか少し震えるキミの足は、一歩海の上に立ってしまえば、震えは消えて楽しそうに前へ、前へと進むようになった。その安心もあってか、私はキミから手を離した。何となく、ずっと手を繋いでいることが少しだけ恥ずかしくて。何も起こらないと思っていたんだ。でも、手を離したその瞬間、君の足が海を踏み抜いた。焦った私は落ちたキミに、手を差し出した。また触れれば、海に立てると思って。でも、私の手は海の下へ入ってはくれなかった。道が見える私には、道の下に行く方法がなかったんだ。運良くそばにいた人が気づいてくれて、キミは引き上げられた。そして、キミの口から私のことを告げられたのか私のことも探しだした。何度も、私の名前を叫んでいた。私は、ずっと目の前の海に立っているのに。まるで私の存在が、この世界から消えたような感じがして……。恐ろしくなった。この目も、私も、今立っているこの道も。……溺れるキミを見て、第一に思ったことも。

私は逃げるように海の上にある道から出ると、私の姿は周りの人の目に映るようになった。

「一体どこから出てきた?」と言われても、言えなかった。今はそれどころじゃない。周りの人達は、ひとまず彼女を部屋まで送り届けるよう私に言った。キミは、少し水を飲んだことと、恐怖もあってか震えていた。私は冷えてしまったキミを抱えて旅館まで走った。行きの時は海から近いと思ったはずなのに、行きとは違って遠い道を走っているように感じる。それほどまでに、私は焦っていたのだろう。

「大丈夫だから、自分で歩ける。」

そんなことをキミは言い続けた。でも、指先が震えているのを見て我慢していることはすぐに分かった。旅館に着いて、部屋に着いた頃にはキミは眠ってしまっていた。呼吸はちゃんとしている。一応、髪を乾かして、着替えだけはさせてから布団に入らせた。夏だとはいえ、風邪を引く可能性は十分にあるだろう。私も、変に動いて起こしては悪いと、すぐに布団に入った。でも、なかなか眠れなかった。私は、私が怖くなってしまった。私とキミは、同じようで少し違う。それは、見えるものだ。ただそれだけ、キミはそう言うかもしれない。でも、確かに違いは存在しているのだ。そして、今回あったことはその違いによって起こったことだ。私が行ってみようと言わなければ。そもそも、私が普通だったのならこんなことにはならなかったはずだ。……キミが好きだと言ってくれたこの目が、キミのことを巻き込んでしまうのなら……もう離れるべきだ。このままでは、いつの日かキミは命を落とすかもしれないから。

キミがいつだったか言っていた。美しい花があったとして、触れない方が美しさを保てる、と。それと同じだ。……同じなんだよ。言い聞かせるんだ。ちゃんと明日、別れを告げられるように。


次の日の朝、私たちは始発の電車に乗って帰ることにした。昨日のこともあって、私たち二人しかいない電車の中でも会話が紡がれることはなかった。私は寝不足だったからか、電車に揺られるまま目を瞑った。

数時間後、目が覚めると自分達が降りる駅に着いたようだった。やけに静かだと思ったら、キミも寝てしまったようで、キミに声をかけて起こし、電車から降りた。私とキミは家からの最寄駅が一緒だから、降りるところも同じだった。今までなら、嬉しいことだっただろう。

でも、今は違う。ただ一緒にいるのが辛くて。もう、何でもいいからキミから離れたかった。

「ごめんね、……さよなら。」

私は駅でキミと別れを告げて私はどこへ行くかもわからない電車に飛び乗った。今だけでも、一人になるために。キミを傷つけないために。キミは手を伸ばして何かを伝えようとしていたけれど、その言葉は扉が遮り私の耳に届くことは無かった。これで、終わりだ。人と人との繋がりはなんて簡単なものなのだろう。別れを告げただけで簡単に切ることができてしまう。たとえ一方的だったとしても、キミもいつかは切られて先の無い縁の糸を手放すことができるだろう。ゆっくりと揺れる電車の中には、私の泣く声だけが響いていた。


それから数日後、大学でキミとすれ違う時があった。

いつものように話しかけそうになるが、必死に堪える。

別れを言ったことに、後悔していないと言ったら嘘になる。またキミと話したい、どこかへ行きたい。でも、また巻き込んでしまったら?今度こそ手遅れになるかもしれない。だから、これでいい。キミは普通に戻るべきなのだから。キミは振り返りはしたものの、言葉が発せられることは無かった。

それから、キミは私の姿を見る度に逃げるようになった。私は、キミの意見を聞くこともなく別れを告げた。

きっと、私のことを嫌いになったのだろう。これでやっと、キミとの思い出を捨てる決意ができるはずだ。昔は一人でも大丈夫だった。だから、きっとできるはずなのに。気がつくと、無意識のうちにキミと話をしていたバス停に来てしまう。忘れるべきだとわかっているのに、目を閉じれば君との思い出ばかりが頭の中を駆け巡る。思い出しては、捨てようとして、泣いて……そんな日々が続いた。あれから、キミとは一言も話していない。

今なら思う。また話をしたい、仲直りをしたい。もっと早く、そう言えば良かったと。


キミと話さなくなった数日後。私は、運悪く事故に遭った。車だったか、自転車だったか。はたまた川にでも流されたのか。それは、上手く思い出せない。ただ事故に遭って、気づいたら、私は人ならざる者になっていた。

その事実だけが真実だ。

その事故のショックのせいなのか、私のことも、キミのことも、全ての記憶が曖昧になって。……意識が戻った時、私はバス停に立っていた。それからずっと、私はバス停にいた。そのことを、今まで不思議に思わなかった。曖昧になった記憶が、違和感をなくしていたのだろう。

でも、キミに触れたことで思い出した。全て、鮮明に。

高校生の頃、キミに言った私の望みのことも。私は、ただ……キミのようになりたいと言ったんだ。クジラなんて見えなくてもいい。普通の人になりたかった。何か言っても、それが普通で、おかしくない。そんな人に。事故にあった時、薄れゆく意識の中で激しい眠気に襲われた。寝たら終わる。それがわかっていたのに、私は抵抗しなかった。もう、キミと話せないなら……なんて思ってしまったんだ。……そう、諦めた。なのに今更、後悔が胸の中で渦巻く。本当は仲直りしたかった。また話したくて、花火も見に行きたかった。でも、あの夏の自分が今の自分を押さえつけ、囁く。

『そんなことをして、その関係は何を産むんだ?……またあの子を、自分を傷つけるつもりか?わかるだろ?あの子のせいで、私は二度も傷ついた。忘れたわけないよな。だから、あの子に近づいちゃいけないんだよ。だから、もう一度触れようとするな。……普通になりたいんだろ。』と。


キミは知っていたのだろうか。私が、キミのことをどんな目で見ていたのかを。

――――――――――

気がつくと、泣いているキミを目の前に私はバス停に立っていた。キミの背をさするはずの伸ばした手は、背中をすり抜けて空を撫でるだけだった。自分の服装を見ると、なぜか高校生の頃の姿になっていた。

きっと、一番記憶の濃い時期だったからだろう。

嫌な記憶も、楽しかった記憶も、一番多かったのは確かだから。

いつのまにか雨は止んでいたようで、いつもの夏空を映し出している。私と濡れたキミを、雨の空気の中に残して。

行き場をなくした手を景色に透かして見つめると、指先が透き通って手の向こう側の景色が見えた。いつものバス停、いつものベンチ、……知らない誰か。

あれ……?誰か、いる。普通のバス停なら人が来ることはおかしいことじゃないだろう。でも、それは普通に動いているのなら、の話だ。このバスはもう運行停止している。私たちはただ、お互いしか知らない場所として使っていただけ。さらにここは、地元の人でも知らない人がほとんどなほど森の奥にある。森を抜けたとしても、だだっ広い空き地が広がっているだけ。だから、人が来るなんてこと、今までなかったのに。透かしていた手を下ろして、じっと知らない誰かを見ると、その誰かはこちらに気づいた。見えないはずの、私に。

『おや、人がこちら側の存在に近づくとは珍しい。』

ゆらりと古びた杖をついて立ち上がったのは、深緑と青緑のような色の浴衣を着た、若い男だった。髪は腰まである白銀の髪。目はシャボン玉のように透き通り、複数の色が重なり合って見える。そして瞳孔が縦、という珍しい形をしている。まるで白蛇のようだ。とりあえず白蛇さん、とでも呼ぼうか。白蛇さんは、髪をさらりと風に揺らし、カラコロと下駄の音を響かせながらこちらに近づいて来る。後退りしようとしても、なぜか私の足は金縛りにあったように動いてくれなかった。まるで、蛇に睨まれているような、そんな感覚に包まれる。

白蛇さんはゆっくりと私の目の前まで寄り、恐怖で少し揺らぐ目の奥を見るように覗き込む。何か私にはわからないものを見るかのように、じっと見続ける。そして、お互い動かずに見つめ合う時間が繰り広げられた。あまりにも近いから後ろへ下がろうと思っても、金縛りのせいで動けない。

この距離のまま、私の動きの主導権を相手にとられること数分後、白蛇さんはなるほどと言いたげに表情を変えた。それと同時に、私の体に自由が戻ってくる。私が慌てて後ろに数歩下がると、白蛇さんはくるりと踵を返し、また元の場所まで戻って行った。そして、私に対してかはわからないが、話をしようと口を開いた。

「…誰?」

その声は、聞き覚えのある女の人の声だった。

そう、声を出したのは白蛇さんではない。もちろん私でもない。声を出したのは、泣いて下を向いていたキミだった。

「だれか……いるの?」

キミは、目を赤く泣き腫らしたまま、急にあたりを見回し始めた。私に気づいてくれたのかと思いもしたが、目の前の私と目が合うことはなく、白蛇さんとも目が合うことは無かった。キミは、何度か辺りを見回したが、誰かが目に映ることはなく、気のせいかとまた下を向いてしまった。急なことに少し驚きながらも、ふと白蛇さんの方を見ると、彼も驚いているようだった。

『へぇ、これは……移ったな。』

どういうことなのか、私にはさっぱりわからなかった。でも、私に無関係ではない。そんな気がした。


白蛇さんは、私とキミを交互に見ると、納得したように顎に手を当てて目をつむった。

『あの、どういうことですか。』

白蛇さんは勝手に分かっているようだが、私は全く分かっていない。

『ん?あぁ、えーと……』

私の名前がわからないのだろうか。一応、名乗っておくべきだろう。

『私の名前は……』

『風寧、だよね。知ってるよ。』

え?私、会うのは初めてじゃ……。白蛇さんはにこりと怪しげに微笑むと、何もなかったかのように話を続ける。

『風寧の目とあそこで泣いてる子の関係のことだよ。いやぁ、なかなか珍しいものを見せてもらった。』うんうんと頷いているが、

こちらとしては、勝手に納得されては困る。

私は、私自身に今起こっていることすらよくわかっていないのだから。

『あの、教えてくれませんか?私、何もわからなくて……。』

多少、怪しい者であったとしても、目の前に理解者がいるのなら、聞くべきだろう。いずれは知る必要があることなのだから。

少しの沈黙を挟んで、白蛇さんは首を傾げた。

『へぇ、忘れているのか、本当に知らないのか……。 そうだなぁ、じゃあ僕は、今の風寧の状況、そして風寧の目について話そうか。イマイチ分かっていないだろうしね。その代わり、聞かせてよ。風寧とあの子の今までの話を。ちなみに、僕の名前は白蛇さんじゃなくて、……リンネだから。』

自分でも気付かないうちに、「白蛇さん」と声に出ていたのか、彼は自ら名乗ってくれた。

『さぁ、どうぞ。』

リンネさんは聞くまでここから離れないぞ、と言いたげにしっかりベンチに座ってしまった。なんなら、私も座らされてしまった。……仕方がない。今の私について知れるのなら、長くなるが話そう。


――――――――――

そして、私は話した。さっき思い出したばかりのことも、全て。私とあの子は高校からの友達で、大学でも仲が良かったこと。海での出来事。別れを告げたこと。そして、事故に遭って記憶をなくしてしまっていたこと。その無くしていた記憶を今取り戻したこと。

……全部取り戻した結果がこれなんだと。


これで終わりだと告げ、リンネさんを見ると話の続きを待っているようだった。もう、全て話したのに。

『おや、まだ全部を思い出していないじゃないか。』

私は首を傾げた。いや、これが全てだ。記憶もしっかり繋がっている。おかしな点はないはずだ。というか、初めて会った人が何故そこまでわかるのだろうか。リンネさんへの不信感が募っていく。

『気づいてないのかい?……風寧、あの子の名前、なんて言った?』

名前は…………なんだっけ。忘れた……?友達なのに?

なんで。全部思い出したんじゃ……記憶は全て繋がっているのに。咄嗟に頭の中で記憶を遡るが、キミの名前はどこにもなかった。放心状態の私に、リンネさんはゆっくりと語りかける。

『……じゃあ、見るかい?記憶は消えたと思っていたとしても、どこかには残っているものだ。さっき瞳を覗いた時に見えた記憶、それを風寧に映す。』

そう言うと彼は立ち上がり、後ろから手で私の目を覆った。

『……現実はこちら側だからね。』

そう一言告げると、手で塞がれて暗くなっていた目の前が色づいていく。そして、景色を映し出した。


ここは、あの夏の花火大会の夜か。

そして、あそこにいるのは私と……キミ。

名前はまだ思い出せない。

目の前にいる私に、キミは言葉を紡ぐ。

「私ね、……。」

ゆっくりと、私の望まない言葉を紡いでいく。

その言葉を聞いて、私はやっと思い出した。

本当に思い出したくなかった、キミの話を。


――――――――――

花火大会の日に言われた言葉。今でも、耳にこびりついて忘れられない。

これは、まだ花火が始まる前のことだった。

「私ね、好きな人ができたの。それで、

付き合うことになったんだ。」

頬を少し赤らめながら言うキミに、私は「そっか。」としか言えなかった。それからの言葉は、よく聞こえなかった。ただ、その後の言葉を聞きたくなかった。


友達なら、普通は喜んで応援するのだろう。

……でも、私は喜ぶことができなかった。

あの時の私は、上手く笑えていたのだろうか。普段キミには絶対につかないと決めていた嘘をつけていただろうか。

私だって、好きだったのに。キミの言う彼よりも、ずっと、ずっと前から知っていて、好きだったのに。


私の中の醜い感情が、私の思考を濁らせていく。

昔、私と同じ視界を持つ人がいないんだと知ったとき。私のことをわかってくれる人はどこにもいないんだと悲観していた。

でも、キミと出会ってから、私と同じ視界を持つ人がいないことに安堵を抱いた。私の視界を好きだと言ってくれるキミが、誰かに取られることはないんだ、と。そう思っていたのに。


私は、私の心に芽生えているこの想いは当たり前ではないことを、知っていた。そして、隠すべきものだということも。でも、心のどこかであわよくばを求めてしまう自分がいて、それが消えることはなかった。どれだけ望んでも、手に入るはずはないのに。

キミになら言っても良かったのかもしれない。私の視界を好きだと言ってくれたキミになら。でも、言えなかった。目とは違って、この想いが気持ち悪いって言われたら、私の前からいなくなってしまったら。この想いが否定されたらどうしよう。その考えがぐるぐると心の中をかき乱して、私の口からはかすれた嘘しか出せなかった。


キミが海に落ちた時、もしかしたら涼音が見えない者になって、私だけのものになるかもしれない、そう一瞬考えた。それでやっと気がついた。

私の独占欲は、異常なのだと。死んでいてもいいだなんて、そう思った自分自身に反吐がでる。


嫌な思い出と同時に、キミの名前が思い出される。キミの名前は花火大会のような夏を連想させる名前だった。キミの名前は……

――――――――――


『涼音……。』

私がの口から言葉が溢れると同時に、チリン、と風鈴の音が聞こえた気がした。

その言葉が聞こえたのか、スッと目を覆っていた手が離れていく。私に残ったのは、頬に伝っている涙の感覚と、詰まった胸の痛みだけになった。

やっと全てを思い出した。それなのに嬉しいと思えないのは、きっと自分のせいなのだろう。

……あの夏の私は言っていた。「二度傷ついた」と。

その意味を、やっと思い出せた気がする。

それから私は、頭を巡る記憶に思考を放った。


気がつくと、隣にリンネさんが座っていた。

『そういえば、教える約束だったね。

簡単に言うと、その目はリンクするんだ。

その視界を、持ち主を好きだと言ってくれる人とね。完全に見えるようになるってわけではないんだ。気配を感じる、ってくらいかな。さっきみたいにね。まぁ、すごく珍しいんだ。僕も初めて見たよ。

だから、あの子は風寧のことを恨んだり、嫌いになってない。ずっと、大切に思っていたんだよ。』


私も、わかっていた。キミが私から一回逃げた後、実はキミが何回も話しかけようとしてくれていたことも、私のことを嫌いになっていないことも。わかっていた。

それなのに勝手に手を振り払って、一人になって。馬鹿みたいだ。

振り返ってキミの手を取っていれば、お互いに望む幸せを手に入れられたかもしれなかったのに。……いや、それはないな。少なくとも、キミが涙を流すことはなかったかもしれない。


何も言えなくなった私に、リンネさんは一つの提案をした。

『……風寧。僕と一緒に来ないかい?

きっと涼音さんに付きまとっても、風寧の姿が完全に見えるようにはならないよ。……安心して。風寧に見えるものは、皆見ることができる。悲しませたりなんてしないよ、ほら。』

リンネさんは、そう言うとそっと手を差し伸べた。きっと私のために、言っているのだろう。もう、別の道を見るべきだと。私は、この手を取るべきなのだろうか。……取ってもいいのだろうか

『少し……考える時間をください。』

すぐに選択して、後悔はしたくないのだ。

『あぁ、待つさ。僕らに時間はいくらでもあるんだから。夕方ごろにまた来るよ。』

そういうと、リンネさんはこの場から一旦離れようと席を立った。

でも、行かれては困る。私にはまだ聞きたいことがある。

『あの、一つだけ聞かせてください。なんでこんなに、親身になってくれるんですか?』

普通初めて会った者に、ここまで親切にしてくれるだろうか。そして何故私のことを知っていたのかも、まだ聞いていない。数歩進んだ先で彼はぴたりと止まった。そして、そのまま振り向かずにぽつりぽつりと語り出した。

『……水月に頼まれたからね。私が生まれ変わって、会いに行けるようになるまで。風寧をよろしく、ってね。最後の言葉で、君のことを頼まれたんだ。……しんみりするのは好きじゃないんだけどな。とりあえず、前提として、僕ら「見えざる者」の一部には、寿命がある。その長さは千差万別だ。寿命がある者と、無い者。その違いを生むのは、見えざる者にどうやってなったのか、だ。望んでなった者には寿命がある。まぁ、少ないけどね。誰が好き好んで、生きているのに見えない存在になりたいのか……。』

リンネさんは眉を歪め、吐き捨てるように言うと、すぐに元の表情に戻した。

『まぁ、それは置いておいて。水月は、その少ない中の一人だった。彼女はその中でも特に短かったから、自ら誰とも関わろうとはしなかった。僕らともね。お互い、悲しませないために。

でも、風寧と出会ってから、少しずつ僕らとも関わるようになっていったんだ。人間の学校について話してくれたよ。学校はつまらない、けど一緒にいて楽しい人がいるんだって意気揚々と話していたよ。

でも、水月の寿命はすぐそこまで来ていた。だから最後に、風寧と会えないと悟った水月は、僕に頼んだんだよ。

風寧は危うい存在だから、私がいなくなっても平気なように見守ってほしい。ってね。

そう言われたから、風寧のことを知っていたし、親切だった。ただ、それだけだよ。

……それと水月も、君も、気を悪くしたらすまない。でもね、生まれ変わったら、なんて言うもんじゃないよ。それはものを、縛ってしまう言葉だから。』

そう呟き、リンネさんは懐かしむように遠くを見つめた。遠くから見えたリンネさんの瞳には、私に別の誰かを映しているようにも見えた。


『そして、キミは後者だ。だから寿命はないよ。……涼音さんについていっても置いてかれてしまう。だから、こちらに来る方が幸せになれると思ったんだ。』

なんてね、そう言うとリンネさんはこの場から離れていった。


また、私と涼音だけが取り残されてしまった。再び沈黙の時間が流れ出す。話すことも、触れることも、認知することすらお互いに叶わない。濡れたキミを家に送り届けようにも、私は涼音の家を知らない。

いや……知っていたはずなのに、忘れてしまった。私の家も、どこにあったのかすら分からない。それはきっと、事故に関係なく過去の私が望んで忘れたことだからだろう。


飛行機雲は流れ、消えずに私と涼音とを遮る壁となる。伸ばしていたはずの手は下を向き、言葉は空気を揺らすことなく散っていく。太陽が傾き、天色の空を鮮やかな夕空へと変えていく。それに合わせて、涼音はゆっくりと口を開いた。

「私…………風寧のこと、大好きだよ。」

涼音は泣いて乱れている息を必死に整え、言葉を紡いでいく。

「ごめんね、私がドジだったから……逃げちゃってごめんね。怖かったの、話しかけて無視されたらどうしようって。」

涼音は見えないはずの私に話しかけ続ける。だからだろうか、私も声を出した。聞こえる保証はないけれど、言わないといけない。今度こそ後悔しないために。

「ごめんね……私、もういないんだ。」

涼音がふっ、と顔を上げる。その瞳に私は映らない。でも、私の声は聞こえるようだった。なぜこうなったのかはわからない。でも、きっとこの時間は有限だ。つまり、私の声がいつ聞こえなくなってもおかしくない。

だから、私は涼音に最後の話をする。

「涼音、あのね……。」

泣き崩れていた涼音に、この話が聞こえていたかはわからない。でも、少しだけ相槌を打ってくれたように見えた。私にとって言葉でなくても、顔が見えなくても、それだけで言葉が伝わったかどうか分かった。


キミに差し出していた傘はもう、いらないのだろう。雨を遮る傘は、同時に見るべきものも隠してしまう。だから、空が見えなくなってしまわないように、私は傘を畳む。

たとえ雨が降っても、涼音にはもう傘を差し出してくれる人がいるはずだから。

――――――――――


ふと目を開けると、夏の教室にいた。

私の前の席には涼音が座っている。服装を見るに、ここは高校なんだろう。誰かと話すこともなく、本を読んでいる。風に吹かれる髪が揺れ、私の目をくぎ付けにする。教室を見ると周りには誰もいない。

これは白昼夢というものなのだろうか。

誰もいないのに、いない誰かにバレないように手を伸ばしてキミのワイシャツの首元にそっと触れる。すると、涼音は読んでいる本を閉じて私の方に微笑みかけた。

「どうしたの?」

そう言う涼音の目には私をしっかりと映していた。

なんでもないよ、なんて言って涼音の髪に私の指を絡ませる。鈴音のこの長い髪が、私は好きだった。何か髪飾りをつけてみたいと思って、引き出しに手を入れると、一組のイヤリングが入っていた。髪飾りではないけれど、涼音に似合いそうな色合いをしていた。私は、涼音の右耳にイヤリングをそっとつけた。涼音の横顔はキレイだな、なんて何度も思う。じっと見つめていると涼音は首を傾げた。

「なんか、いつもの風寧と違う?何かあったの?」

何も……何もないよ。嘘をつきたくはなかったけれど、本当のことも言えなかった。なんでもないわけないでしょう?なんてコロコロ笑って私の瞳をじっと見つめる。私の瞳を見る癖は変わらないんだなぁ、と思いながらもすぐに頭の片隅に放り投げる。今はそれよりも大事なことがあったように、思う。そう、何か言わなければならないことが……。


少しして、指を涼音の髪から離す。そして、目を合わせる。これで、本当に最後な気がするから。

「今まで、ありがとね。」

私が涼音にそう呟く。なぜだろう、ここで別れを告げても意味はないのに、言わないといけない気がしたのだ。

「……何言ってるの?私と風寧は、これからも友達でしょ?」

嘘つかないでよ、そう言いたげに私にこつりと頭をあてた。

そうだね、そうだったらよかったのに。私の頬に伝った涙を涼音は指先で拭う。なぜ泣いているのかも知らぬままに。何も言わないで、聞いてくれる。これは夢だろうけれど、目の前にいるのは確かに涼音で、私の心を軽くしてくれた。


ありがとうも、ごめんねも。言うにはもう遅いかもしれない。そうだとしても、今の私が過去に戻れたなら、なんて言ったりはしない。今の私を好きだと言えるから。

でも、誰でも、もう遅いとわかっていても後悔はしてしまうものだ。私も、涼音もそうだろう。それでも、後悔しながらでもいいのなら言うことができる。あの頃言えなかった、たった数文字の言葉を。


目を瞑り、再び開くと涙を拭ってくれた涼音はいなくなっていた。存在している世界が再び分かれたからなのだろう。もう、私の姿は涼音に見えることはない。わかっている。だから、後悔しない選択をしなければならない。私が、私を嫌いにならないために。


外を見ると、電柱の上に誰かが座っていた。その人影は私の知っている形をしていた。私に気がついたのか人影は窓を通って鈴音の席へと移動し、私と向かい合った。

「久しぶり……。」

私が話しかけても、目の前にいる人は何も話さない。これは夢だ。だから、私の求めるように動くのだと思っていた。なのに私が、話してほしいと願っても口を開くことは無い。

「何か、言ってよ。」

私がそう言うと目の前の子は少し手を伸ばし、私の頭を撫でた。過去の私が、水月にやったように。

「私、水月を許せなかった。でも、私、水月のこと嫌いになんてなってないよ。」

水月が高校から消えた時、何も感じなかったわけではない。悲しくて、裏切られたような気がした。今なら、自分が消えるその時を見せたくないと思う気持ちは少しわかるかもしれない。でもね、

「さよなら、って別れの言葉くらい……言って欲しかったな。」

その言葉を聞いた水月は、私の頭から手をそっと離した。

「さよなら、私の友達。」

そう囁いて、彼女はそのまま消えてしまった。カーテン越しに見えた水月の目尻に光っていたのは、涙だったのだろうか。消えてしまった彼女の真意を知ることはもう叶わない。それでも、私の背中を押してくれたように感じた。


……涼音がいたから二度も傷ついた。あの夏の私は、そう言いたかったのかもしれない。でも、涼音がいたから私は私を好きになれる。そう言い切れるよ。

春の風が教室の中を巡り、耳元を掠める。

「最初からそう言い切ってよ。」

そう、声が聞こえたような気がした。

――――――――――

眩しさで目を開くと、目の前にはリンネさんがいた。

「決まったかい?」

私は胸に手を当て、リンネさんの目をまっすぐ見つめた。

「はい、決めました。」




私はリンネさんの提案を断った。そして、涼音の側にいることも避けることにした。私がまた、縛ってしまうかもしれないから。


私は、家族を見守ることにした。家族のことは、つい先ほど思い出した。私が大学生になるタイミングで、唯一の家族である妹と弟を置いてきたことを。両親はもう、いないことを。

今まで自分のことで精一杯で、見てあげられなかった分を見守りたい。……遅いかもしれないけれど、見えない存在ながらも支えていきたい。そう思ったから。

妹は高校生、弟はもう大学生だ。きっと上手くやっているとは思っている。でも、心配なものは心配なのだ。私にとって、どれだけ時が過ぎても年下の弟と妹なのだから。二人は……大切な人を見つけられただろうか。私にとって涼音や水月のような、そんな人を。


そしてリンネさんには、夢の中で水月に会ったことも伝えた。すると、彼は顔を緩ませ微笑んだ。

『そうか……、よかった。水月の会いに行くという約束は果たせたみたいだね。これで、僕も肩の荷も降ろせる。……僕も、そろそろ前に進むべきだろうしね。』

そう言うと、リンネさんはバス停から去っていった。その背中からは、迷いが消えていた。振り返ると、泣き疲れたのか涼音がベンチで眠っていた。夏風がさらりと吹き、涼音の長い髪が風に揺れる。ゆっくりと揺れた髪の隙間からイヤリングが覗いた。

その風で涼音は目を覚ましたようで、右耳に揺れるイヤリングにそっと触れ、少し驚いているようだった。

私も驚いている。だって、あれは夢の中での出来事だったはずじゃ……。そう意識すると同時に、握っていた手の中に何か小さい物を感じた。落としてしまわないようにそっと開いてみると、涼音につけたイヤリングの片方が私の手の中にあった。


入道雲が私たちの青い視界を白く染めていく。振り返ると、涼音は真っ直ぐに空を眺めていた。

『別れの言葉は言わないでおくね。』

そう言って、涼音を背に歩いていく私の左耳には、イヤリングが片方揺れていた。


……私は、涼音を好いている。

きっとそれは、涼音とは違う意味だ。

私の想いや姿は今も、これからも、もう涼音には見えないだろう。

それでも、私のこの思いが消えることは無い。伝えようとも思わない。たとえ、キミからの返事がなくても。前を向くその瞳が、夏の空に照らされる後ろ姿が、私はずっと好きだから。


――――――――――

あの日から、数年が経った。辺りには、ひぐらしの声が響いている。今日はお盆。年に一回、私が正しく涼音に会える日。

毎年、私は今の時期になると、涼音の隣に帰ってくる。すっかり大人びた涼音は灯籠を両手に、川に立っていた。

「涼音、今年もありがとう。じゃあ、今日は私のことを話すね。他の世界のことじゃなくて、涼音の知る私のことを。」

涼音はゆっくりと相槌を打つと、そっと灯籠を川の上に置いた。涼音が灯篭から手を離すと、それはゆっくりと川を下って行った。

私は涼音の隣で、あの頃と変わらない姿で自分のことを語っていく。この話は涼音に聞こえていない。だから、この相槌もなんとなく打っているだけだろう。

それでも、私は自分語りを続ける。

涼音が私を思い出せなくなる、その時まで。

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自分語りに相槌を 零浪 むる @reirou00808

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