悩める男子学生のお客様方 その2



 数日後、また友人に誘われた僕はあの喫茶店に来ていた。

 店内には静かなクラシックが流れ、その音楽に包まれるように僕たちは向かい合って紅茶を飲んでいる。

 目の前の友人がカップを置くと、銀のスプーンが小さく音を立てた。


「まーた悩んでんのか?」


 不意に切り出された言葉に僕は視線を落とし、曖昧に笑った。


「……まあね。答えなんてすぐに出るもんじゃないだろ」

「ま、そりゃそうなんだけどさ。あの後俺も少し考えたんだわ」


 友人はストローを回しながら、真面目な顔になった。


「この前は横から色々言っちまったけど、好きなことって無理に決めるもんでもねーよな」

「……どういうこと?」

「小さいころ好きだった遊びとか、誰かに頼まれて嬉しかったこととか。そういうお前自身の思い出の中にヒントがあるんじゃないかって」


 僕は思わず黙り込んだ。

 思い出。そう言われて考えてみると、心の奥に沈んでいた昔の記憶がふっと浮かんでくる。


 ──小学生の頃。祖父が倒れたとき、必死に救急車を呼んで処置を手伝ったこと。


 ほとんどパニックで、怖くて仕方なかった。だけど……病院に着いてからベッドで落ち着いたとき、祖父が「ありがとう」と笑ってくれたのだ。

 あの瞬間、胸の奥に灯がともったような感覚があった。そのことを確かに覚えている。


 ……なるほど。そういうこと、か。


「……無意識だったな」


 ふと呟くと、友人は首を傾げた。


「何だ?」

「いや、ずっと前に人を助けられた時、すごく嬉しかったんだ。それが医者になりたいって思ったきっかけだったのかもしれない」


 言葉にした瞬間、頭の靄が少し晴れた気がした。

 ずっと『親の期待』に縛られていたように感じていたけれど、本当は僕自身の中にも理由があったのだ。


「ふーん。答え、見つかって良かったな」

「お前のお陰だよ。ありがとう。……まあ、また迷うかもしれないけどさ」

「進路なんか迷って当然だろ? まあでも、その原点を忘れなけりゃ大丈夫だろ」

「お前は迷い続けてるもんな。進路希望調査、もう出した?」

「おまっ……嫌なことを」

「あっはっは」


 一転して穏やかに笑っていると、テーブルの下から鈴の音が聞こえてきた。

 下を覗いてみると、以前も見た黒猫が歩いている。僕のぐるりと回り、椅子の脚に身体をすり寄せた。


「また出たな、幸運の猫」

「案外、本当かもね」


 笑いながら言うと、友人もつられたように笑った。


 僕が見つけたのはきっと、まだ完全な答えじゃないのだろう。

 けれど、確かに「答えの欠片」は見つけた。

 あの日の記憶。友人の言葉。そしてこの不思議な喫茶店が、僕を少しずつ前に進ませてくれている。


 紅茶の香りを深く吸い込みながら、僕は静かに思う。

 迷ってもいい。けれど、正直な気持ちで……自分の心に従ってみよう、と。




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林檎のパフェーと幸運の黒猫 WA龍海(ワダツミ) @WAda2mi

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