第29話
ジョーとアンのやり取りをずっと傍から眺めていたエリーは、彼女が入り込む余地など無いように思えるほどに深い二人の親愛を目の当たりにして、敵わないな、と溜息を吐いた。
友達になるのに過ごした時間は関係ないと思っていた。
ジョーとは出会ってすぐに仲良くなれたし、一緒に過ごした時間は短くても、彼女が自分にとって初めての友人で、大切な存在になっていたからだ。
だからこそ、エリーは過ごした時間の長さよりも、どう過ごしたかが大事だと思っていた。
それでも、二人のやり取りを見ていると、彼女達がどれほど長い時間を、お互いに想い合って過ごしてきたか、という事が伝わってきた。
それはエリーにとってはとても羨ましい事で、ジョーに向き直った彼女は、ほんの少しの嫉妬をごまかすように微笑んでみせた。
「素敵なお友達ね」
その言葉にジョーは自分の事のように嬉しそうに笑った。
「ああ、最高だよ」
ジョーの嬉しそうな笑顔を見ると、嫉妬心のような後ろ暗い感情は吹き飛ばされてしまうようで、エリーも今度は素直に微笑み返してやる事が出来た。
「今日、アンに会えなかったら、私は一生後悔していたと思う」
アンを連れて来てくれてありがとう。
礼を言ったジョーに、エリーは小さく首を振った。
「いいのよ。好きでやった事だもの」
「ったく、格好つけちゃってさ」
そう言って笑ったジョーは「そういえばさ。どうして私がここにいるってわかったんだ?」と尋ねた。
エリーは少し考え込む素振りを見せてから「昨日の晩、男の人が来たでしょう」と言った。
ジョーは「ああ、来たよ」と答えると、苦笑いを浮かべて「すげえ変なおっさんでさ。参ったよ」と肩を竦めた。
そんな彼女をエリーはじとっとした目付きで横目に見ると、頬を膨らませた。
「……その方、私のお父様なんだけど」
「ええっ!?」
冗談だろ、と驚きながら「君のお父さんだとは思わなかったんだ」と謝るジョーだったが、よくよく考えてみれば、彼の立ち居振る舞いが、どことなくエリーのそれと似ていると感じた事を思い出した。
「でもさ、言われてみれば似てるな、と思ったよ」
妙に納得したような言葉に、エリーが嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、本当に? どこが似ていると思ったの?」
そう尋ねられると、ジョーは答えに窮してしまった。
まさか、冗談がくそつまんねえとこ、とは言えず、苦笑いを浮かべながら「なんかこう……。雰囲気がね」とお茶を濁した。
それでも「やっぱりそうなのね」と嬉しそうにしながら「私はお父様似なんだわ」と笑ったエリーを見ていると、こういう嘘なら、まあいいもんだよな、と一人納得した。
ジョーもこの教会を訪れてからというもの、多くの人に母親に似ていると言われた。
その言葉がどれほど自分の心を温めてくれたか、という事を考えれば、エリーの気持ちはよくわかるように思えた。
「……で、君のお父さんが私がここにいるって、君に教えたってわけか」
「そうよ。マグダルの家出娘が教会にいる、ってね」
家出娘か、と苦笑いを浮かべたジョーに、エリーは「本当に心配だったのよ」と言った。
「私のせいでお友達と喧嘩になってしまったのよね?」
そう言って、ごめんなさい、と俯いたエリーに、ジョーは「そんな訳ないだろ」と答えると、歩み寄って、その頬を撫でてやった。
「君のおかげで、アンと仲直り出来たんじゃないか」
ジョーの言葉に顔を上げ、目を合わせると、彼女が触れた頬がほんのりと熱くなるのを感じたエリーは、不意に気恥ずかしくなって目を逸らした。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
エリーはジョーに背を向けると、自分の両頬に手を当ててその熱さを確かめ、恥ずかしそうに両手で頬を扇いだ。
「そう言えばね、貴女の職場の人員削減の話も無くなるみたいなの」
照れ隠しに話題を変えたエリーは、頬の熱が少しは冷めたのを感じると、もう一度ジョーに向き直った。
「本当か? 誰に聞いたんだ?」
ジョーが突然の知らせに驚いて詰め寄ると、エリーはまた恥ずかしそうに「ちょっと近すぎるわ」と慌ててジョーの胸を押した。
「どうしたんだよ、急に」
いつもは自分の方が距離感が近いくせに、と驚いたジョーが訝しむような視線を送ると、エリーは「別に。どうもしないわ」と平静を装った。
髪を短くしたから男の人みたいで緊張するのかしら。
やたらと早鐘を打つ胸を不思議に思いながら、気持ちを落ち着けるように深呼吸した。
「お父様に聞いたのよ。間違いないわ」
「ああ、そうか。君のお父さんってレッドフォードの偉いさんなんだってな」
エリーはほんの一瞬だけ口ごもった。
これまで彼女が関わった者の多くが、父親の肩書きを通して自分を見てきた。
自分がレッドフォード社の社長の娘である事を打ち明けた時に、今の関係が変わってしまったら。
そんな想像が彼女を躊躇わせた。
出来る事なら、ジョーの前では。
レッドフォード社の社長令嬢であるエレナ・レッドフォードではなく。
ずっと、ただのエリーでいたかった。
それでも、彼女はそれを打ち明ける事を決めた。
アンはジョーと別れる事を恐れなかった。
家族という関係を変える事を恐れなかった。
それは、相手を、ジョーを信じているから出来た事だ。
そんなアンを、ほんの僅かな時間でも見ていたから。
エリーも自分を知ってもらう事を恐れずにいられた。
「偉いっていうか、ね。社長なの。私のお父様」
人見知りの少女のように、もじもじと遠慮がちな彼女の言葉を聞いたジョーは、理解が追いつかないというように言葉を失った。
ええっと、と口をぱくぱくさせながら言葉を探し、ようやっとで「社長って、レッドフォードの?」と尋ねた。
「ええ、そうよ」
ジョーの反応を伏し目がちに聞いていたエリーが、一言そう返すと、ジョーは、そうかあ、と安堵したように大きく息を吐いた。
「それなら人員削減が無しになったってのは信じられる話だよな」
ジョーが、安心したよ、と笑顔を浮かべると、エリーは拍子抜けしたように目を瞬かせた。
「……それだけ?」
「それだけって事あるかい。それ以上無いだろ?」
事も無さげにそう言って見せたジョーに、エリーの方が驚いてしまった。
「私のお父様の事、なんとも思わないの?」
思わずそう尋ねると、ジョーは「そりゃあ、驚いたけどさ」と苦笑いを浮かべた。
「君には驚かされてばっかりだからな。今更、それくらいは……。まあ、ある事なのかなってさ」
肩を竦めながらそう言ったジョーは、それにさ、と少し照れくさそうな表情を見せて話を続けた。
「君の親父さんの事は私には関係ないだろ。君も私がマグダルだとか、屑鉄街の人間だとか気にしてないみたいだし」
そこまで言うと、いよいよ恥ずかしくなったというように、そっぽを向いて頬を掻いた。
「友達は友達だろ。変わりゃしないよ」
その言葉にエリーは顔を上げ「そうね。そうよね」と言うと、嬉しそうにジョーの胸を軽く、何度も戯れるように叩いた。
友達は友達で、親が誰であろうが関係は変わったりしない。
それはエリーが、心から求め続けていた言葉だった。
小躍りでも始めそうなほどに嬉しそうに微笑むエリーに叩かれた胸が心地良くて、ジョーも楽しそうに微笑み返した。
「私を驚かせたかったら、親父さんが大統領くらいは言ってもらわないとな」
「残念だわ。大統領は大叔父様なの」
「……冗談だよな?」
その言葉に一瞬で真顔になったジョーを見て、エリーは楽しそうに「さあ、どうかしら?」と笑った。
「もし大統領が私の大叔父様だったしても、そんな事どうでもいいじゃない」
友達は、友達でしょ。
そう悪戯っぽく言うと、ジョーは「そりゃ話が変わってくるよ」と笑った。
「変わらない、変わらない」
エリーが楽しそうに笑いながら「さあ、そろそろいいお時間よ」と教会を後にした。ジョーも「ったく、もう」と苦笑いを浮かべながらそれに続く。
揃って教会を出た二人は、エリーの車の前で立ち止まった。
「君のおかげで心置きなく街を出れるよ」
ありがとう、と礼を言ったジョーに、エリーは満足そうに微笑んで、私もよ、と答えた。
「この後はどういうご予定かしら?」
「昼の汽車で街を出るよ。その先で適当に仕事を探して、金が貯まったら、また次の街に行こうかな」
しばらくはその繰り返しさ、とジョーが言うと、エリーは、ふうん、と鼻を鳴らして「どんな仕事がしたいの?」と尋ねた。
「どんなって……。選べる立場じゃないからな。悪いことじゃなければ、なんでもするよ」
「あら、そうなの」
エリーは、丁度良かったわ、と言うとキーケースを取り出して、ジョーにちらつかせて見せた。
「運転手、探しているのだけど?」
思いがけない言葉に意表を突かれたジョーは驚いたように目を丸くさせた。
「……ったく、しょうがねえな。また道でエンコされたら夢見が悪いや」
苦笑混じりに髪の毛をくしゃくしゃと弄り、嬉しさを誤魔化すように軽口を叩いてみせた。
「高いぜ。腕がいいからな」
エリーの目を真っ直ぐに見つめて、ほんの少し気取った口調でそう答えた。
「言い値で払うわ」
冗談めかしてそう言ってみせたエリーがキーケースを軽く放り投げると、ジョーが気持ちのいい音を立てて、それを掴み取った。
「交渉成立ね」
二人は微笑み交わして、お互いに各々の座席に乗り込んだ。
ジョーは初めて座る高級車の運転席の感触を確かめ、シートの位置を調整すると、革張りのハンドルの感触を楽しむように何度も握りしめた。
「それで? 目的地はどちらで?」
ジョーがわざとらしく恭しい口調を作ると、エリーは、ご自由に、とばかりに車の前方に向かって手を差し出した。
「どこでもいいわ。貴女の好きなように走って」
「好きに走れったってさ。私は街の外に何があるかも知らないんだぞ」
「知らないから楽しいんじゃない。この街を出て、貴女が面白そうと思った所には、全部寄り道したらいいわ」
エリーは「急ぐ旅路じゃないんだもの」と大きく伸びをすると「のんびり行きましょ」と微笑んだ。
「いいね、それ」
ジョーは嬉しそうに呟くと、セルを回し、エンジンに火を入れた。
「いい音だな、やっぱり。いい車だ」
響き渡るエンジン音をシートから伝わる振動で感じ取り、いよいよと車を走らせた。
助手席で感じたものよりも、鮮明に伝わる感覚にジョーは胸を踊らせた。
アクセルを踏めば、期待通りに加速し、ハンドルを回した時の機敏な反応などは、まるで自分の手足のように思えた。
エリーが「私の車はどこへでも行ける」と言っていた事を、ジョーは思い出していた。
確かに、この車なら、何処へだって行けるだろう。
いや、この車に限った話ではない。
やはり、自分にとって、自動車というものは自由の象徴だと思えた。
ハンドルを握って、アクセルを踏み、エンジンを吹かして、気分次第で何処へだって行ける。
ずっと自分を縛り付けているように思えていたこの街が、今は旅の出発地点になり、いつか帰るべき場所になった。
そう思えば、この街に帰ってくる時はどんなボロボロの車だって自分の車で帰ってくるというのも悪くない、と思えた。
最高だな、と楽しそうな表情を見せ、真っ直ぐに前を向いたジョーの横顔をエリーは微笑みを浮かべながら見つめた。
「西へ行こう」
ぽつり、と漠然とした行き先を告げたジョーに、エリーは「どうして西へ?」と尋ねた。
「ずっと確かめてみたかったんだ。沈んでいく夕陽を追いかけて、ずっと、ずっと西へ向かったら。今日が終わらないんじゃないか、って」
――今日は、今日を終わらせたくない気分だ。
そう言ったジョーは、車を大通りに出してアクセルを踏み込んだ。
真っ直ぐに前を向いたジョーの横目に、彼女が育った屑鉄街の景色が流れていった。
その景色の一つ一つが、ジョーの思い出に訴えかけて、懐かしい気持ちにさせた。
やっぱり、私はこの街が好きだ。
今まで意識した事もなかったこの屑鉄街への愛着に、ジョーは気付いた。
うらぶれて、閉塞感の漂う、排煙と騒音に塗れた、油臭い、この街が。
単調で、つまらなくて、くだらなくても、悪くはないと思える、この街の仕事が。
排他的で、やさぐれて、碌な育ちをしていなくても、仲間にはこの上なく優しい、この街の人が。
今はどうしようもなく、愛おしかった。
これから先の旅路でどんな出会いが待っていても、胸を張って言うだろう。
私は屑鉄街から来たんだ、と。
だって、大切な事は全部ここで学んだのだから。
君と。
この、屑鉄の街で。
君と、屑鉄の街で 蟻喰淚雪 @haty1031
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