第28話

 教会の前に来たエリーは「ここに停めて大丈夫かしら」と前の通りで一度車を停めてアンに尋ねた。

「教会の敷地に突っ込んで停めた方がいいんじゃないか」

「そんな事をして怒られないかしら」

 エリーが心配そうにそう言うと、アンは「そんな事知るか」と返した。

「どこに停めるにしたって、お前の勝手だけどな。大事な荷物が車ごと無くなっていても文句を言うなよな」

 心配をしてはいるのだろうが、素直になれないのだろう。棘のある言い方をしてしまうアンだったが、エリーもそんな彼女の物言いに慣れてきていたので、くすりと笑みをこぼした。

「じゃあ、そうするわ」

 そう言って教会の敷地内に車を進めた。

 アンはそんなエリーに、それでいい、というように頷いてみせた。

「真っ昼間から教会で盗みを働くような罰当たりなんて、そうはいないだろうからな」

 エリーは車を停めると「さあ、行きましょう」とアンを促した。車を降りてさっさと歩き出したエリーの後にアンはゆっくりと続いた。

 早くジョーに会いたい気持ちもあるが、酷い別れ方をした手前、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。

 教会の扉に手をかけたエリーが「先に入る?」と尋ねても、未だに心が決まらない様子で「いや、先に行ってくれ」と答えた。

 アンの言葉を受けたエリーが先に中へ入る。ジョーの姿を探してきょろきょろと視線を動かすが、見当たらない。

 やたら静かな礼拝堂には、男性が一人、長椅子に座っているだけのように見えた。

 いないみたい、と振り向いてアンに声を掛ける。

 ポケットに手を突っ込んだまま、外からエリーの様子を窺っていたアンがその後に続いた。

 ジョーはもう街を出てしまったのかもしれない。

 そんな不安を覚えたエリーの後ろで、アンが突然、ぷっ、と吹き出した。

「どうしたの、急に……」

 アンは困惑するエリーを置き去りに教会の中を進んでいった。

「おい、ジョー! お前、なんて頭をしているんだよ!」

 笑いながらアンが声をかけると、エリーが男性だと勘違いしていた人物が振り返って、驚きに目を丸くさせた。

「アン……! と、エリーも!? どうしたんだよ!」

 どうしてこんな所に、それも二人が一緒にいるんだ。

 驚きに立ち上がったジョーを前にして、エリーは大きく開いて塞がらない口に手を当てていた。

 アンはそんなエリーを指差して「こいつが強引なんだよ」と笑った。

「とんでもない奴だな、お前の連れは。悪い事は言わないけど、友達は選べよな」

 アンの軽口を聞いて、ジョーは笑った。

 アンがそういう物言いをするのは、多少なりとも心を許した相手だけである事を、ジョーは知っている。

 二人がどういう経緯で出会ったのかは、ジョーには知る由もない。だが、自分にとって大切な二人がこうして並んでいるのは、とても嬉しい事のように思えた。

「まあ、お前が誰とつるもうが、私の知った事じゃあないけどな」

 アンの言葉からは、ジョーがエリーと友達でいる事を認めてくれた事が伝わってきた。

 いつもそうだ、とジョーは思った。

 ジョーが何かごねた時は、アンがいつも折れてくれる。

 今回もそうだと思うと、嬉しさの半面、申し訳なくもある。

 こういう時に何を言ったらいいんだろう、とジョーは口ごもった。

 アンと別れて、彼女の事を思い出す度に、沢山の感謝の言葉が溢れてきたのに。

 こうしてまた会えたら、何を言っていいかわからなくなるなんて。

 アンはそんな彼女を見て、何も言わなくていい、というように「そんな事よりもさ」と話題を変える。

「お前、その髪はどうしたんだよ」

 そう言って、またくすくすと笑みを零す。

「ああ、これか」

 ジョーはすっかり短くなった髪をくしゃくしゃと弄った。

「金に困ってる婆さんにくれてやったんだ」

「お前の髪の毛なんか売れるのかよ」

「高く売れたみたいだ。分け前もらっちゃってさ」

 ポーチをぽんぽん、と叩いたジョーを見て、アンは「そりゃ、上等だ」と言った。

「だけど、お前さあ。切るにしても、もう少しなんとかならなかったのかよ」

「しょうがないだろ。自分で髪を切るのは難しいんだ」

 アンは、しょうがない奴だな、と苦笑いを浮かべた。

「座れよ。整えてやるから」

 ジョーを長椅子に座らせたアンは、作業用具の入ったポーチから鋏を取り出す。いつもの癖で、出がけにポーチを引っ掴んできたのが、まさか役に立つとは。世の中上手く出来てるもんだ、と思えた。

 かつて、幼い頃にジョーが聞かせてくれたマグダルの祈りを思い出す。

 幼心にも単なる綺麗事のように思えたが、こうして上手く巡り合わせると、全てが祈りに導かれた祝福のように感じる。

 アンはエリーに目を向けると、彼女の首元に巻かれているスカーフを指差した。

「悪いけど。それ、借りていいか」

 エリーは、もちろん、と微笑んでアンにスカーフを手渡してやった。

「よくもこんな情けない頭で平気な顔が出来るもんだ」

 受け取ったスカーフをジョーの肩に掛けてやったアンは呆れながら、丁寧にその髪に鋏を入れてやった。

「平気なわけないだろ。恥ずかしかったよ」

 ジョーが「少しはマシになりそうかな」と心配そうに尋ねると、アンは少し悪戯っぽい口調を作って「どうだかな」ととぼけてみせた。

「頼むよ。上手くやってくれ」

「まあ、任せておけよ。何年お前の髪を整えてやってると思ってるんだ」

 アンのその言葉にジョーは「ああ。そうだよな」と安心したように目を瞑った。

 昨日までアンにはもう会えないとばかり思っていたのに、今はこうして、アンに髪を整えてもらっている。

 目を閉じて、アンに身を任せていると、夢見心地のようにふわふわした感覚に包まれた。

 甘い夢の中で、幼い頃の二人に戻ったように思えた。

 あの頃は、ただ二人、一緒にいるだけで幸せだった。

 アンが傍にいる。

 それがどれほど幸せな事か。

 ジョーは一筋、零れた涙を咄嗟に拭った。

「……アン、ありがとう」

 ジョーの涙に気付いたアンは、ほんの一瞬だけ、鋏を入れる手を止めて、ばかだな、と微笑んだ。

「髪を切ってやったくらいで感謝されてちゃ、きりがない」

「違くてさ。全部……。全部だよ」

 あんなに胸に溢れていた感謝の言葉は、感極まって零れ落ちた涙と共に流されていってしまったかのように失われてしまった。

 それでも、言葉足らずのありがとうは、どんなに飾られた言葉よりもアンの胸に響いた。

「お互い様だ。ジョー」

 アンは優しくジョーの頭を撫でてやると「ほら、出来たぞ」と言った。

 もう一度顔を拭ったジョーに「顔、見せろよ」と声を掛け、振り返った彼女と目を合わせた。

「……うん。いい女だ」

 見違えるほど綺麗に整ったジョーの髪を見て満足そうに頷いたアンは「これなら街の外に出したって恥ずかしくない」と言った。

「……出るんだろ、この街をさ」

 アンの言葉に、ジョーは、ああ、と小さく頷いて答えた。

 そうか、と呟くと、それきり何も言わなくなったアンに、ジョーは「あのさ、アン」と声を掛けた。

「私はずっと、アンに……」

 迷惑ばっかりかけて。

 甘えっぱなしで。

 ごめん、と言おうとしたジョーの言葉をアンが「謝るつもりか?」と遮った。

「謝るつもりなら聞く気はないぞ。私もお前にずいぶん酷い事を言ったが、謝るつもりはない」

「でも、アン。私は……」

 謝るつもりはない、という言葉にジョーは身を強ばらせた。

 それは、許さない、という意味だろうか。

 話を聞いてくれ、というように縋りついたジョーに、アンは、勘違いするなよ、と優しく微笑んだ。

「友達が仲直りするのに、いちいち謝る必要なんかないだろう」

 アンの言葉にジョーは面食らったように言葉を失った。

 アンが自分の事を友達と呼んだ。

 その事実が信じられず、ジョーはただ呆気に取られてアンを見つめた。

「なんとか言えよ。私の方が恥ずかしくなるだろうが」

 照れくさそうに、ほんの少し赤らめた頬を掻いたアンを見て、ジョーは「ああ、いや……」とようやく言葉を紡ぎ出した。

「……そうか。うん、そうだよな」

 噛み締めるように呟いたジョーは「アンの言う通りだ」と嬉しそうに笑った。

 その表情にアンは満足そうに頷くと「行ってこいよ、ジョー」とジョーの肩を叩いた。

「私の知らない世界を見て、いつか私にも外の世界を教えてくれ」

 幼かったあの日のお前が、屑鉄街の外にも世界が広がっている事を教えてくれたように。

 いつかまた、お前を通して、私に外の世界を見せてくれ。

 アンは自分の想いを託すようにもう一度、ジョーの肩を叩いた。

「私はずっとこの街にいるからな」

 待っている、帰ってこい、そんな言葉を使わずとも、その言葉だけで、ジョーには十分だった。

 アンが屑鉄街にいる。

 いつか帰る場所がある、という事がジョーの旅立ちに大きな安心感を与えてくれた。

「ありがとう、アン」

 ジョーの言葉にアンは、よし、と微笑んで満足気に頷いた。

「さあ、私はもう行くよ」

「もう行くのかよ」

 ジョーの漏らした頼りない声に、アンは、おいおい、と肩を竦めた。

「どうした。まさか今更になって寂しいとか言うなよな」

「……いや、まあ」

 寂しくないと言えば、それはもちろん嘘になる。

 名残惜しいのは事実で、このまま気の利いた言葉もなく別れてしまう事に後悔はないだろうか、と思わずにはいられなかった。

 ジョーが何か言う前に、アンが先に口を開いた。

「……嘘だよ。寂しいのは私だ」

「……アン」

「お前の旅立ちを見送ってやりたいのは山々なんだがな。見送っていたら泣いてしまう」

 照れくさそうに微笑んだアンは「別れ際に見せる顔が泣き顔だなんて、冗談じゃない」と言った。

「だから、今日はお前が私を見送ってくれ」

「わかったよ、アン」

 別れは寂しい。

 名残惜しいのは当たり前だ。

 それでも、二人が過ごした時間に区切りを付けるなら。

 涙よりも笑顔でいたい。

 そんな想いに応えるような笑顔を見せたジョーに誘われて、アンも笑った。

「じゃあな、ジョー。元気でやれよ」

 アンの別れの言葉にジョーは首を振って「違うだろ」と言った。

「またな、って言えよ」

 ジョーの言葉に、全くこいつは、と苦笑いを浮かべて、手を差し出した。

「またな、ジョー」

「ああ。またな、アン」

 ジョーは差し出された手を握り返した。

 一瞬だけ力を込めてお互いの手を握った二人が、同時に力を抜くと、名残惜しさにほんの少しだけ絡んだ指が、容易く離れた。

 アンはすぐに背を向けて、教会の中を出口に向かって進んだ。

 その道すがら、一瞬だけエリーの方を見たアンの目は、ジョーの事を頼む、と語りかけているように見えた。

 少なくとも、エリーは彼女の視線をそう受け取り、何も言わず、小さく手を振って答えた。

 ふん、と鼻を鳴らし、エリーから視線を外したアンが扉に手を掛けると、ジョーが大声で彼女の名前を呼んだ。

「アン! 私、手紙書くからな! ファミリーじゃなくなっても! 屑鉄街のアンとマグダルのジョーは一生、友達だ!」

 ジョーの声を背中越しに聞いたアンは、振り向きもせずに、軽く手を上げて応えると、そのまま教会を後にした。

「……あのばか。泣かせるなって言っただろうが」

 閉じた扉に背を預けるようにしたアンは、大きく息を吐いて空を見上げた。

 上を向いても零れてくる涙が頬を伝っていくのを、拭おうとはしなかった。

 目を閉じて涙が枯れるまでの間、アンはその場に立ち尽くしていた。

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