因習村の祠を壊した僕にあなたは
草森ゆき
因習村の祠を壊した僕にあなたは
古い祠を何よりも大事にしている変な村があると聞き、マウンテンバイクを漕いで訪れた。本当に存在しており、余所者の僕は遠慮なく警戒された。村を歩いていると訝しげな目を常に向けられた。
祠の位置はすぐにわかった。村を囲む森に入り、道なりに進んでいけば現れた。小さな像の祀られた小ぢんまりとした祠だった。夕焼けの中に溶け込んだ素朴な見た目が平穏で牧歌的だった。
僕は一息ついて持参した野球の金属バットを両手で握った。剣道の竹刀のように上段に構えてから、祠の屋根を狙って思い切り振り下ろした。派手な音を立てて祠も像もひび割れ壊れた。
その直後に、すべての時間がピタリと止まった。
山間に沈みかけの位置で止まり切っている太陽を見上げた後、バットを足元に転がした。腕時計に視線を落とす。時間も分も秒も進まず静止しており、爪の先で叩いてみるが変わりはない。また空を見る。雲は流れず、鳥が翼を広げた状態で止まっている。いつまでもいつまでも、止まっている。
足元に転がっている壊れた祠を蹴ろうとしたが、
「無意味なことすんじゃねえよ」
咥え煙草の女に怒られる。僕の背後に立っていた。橙色の空を背景に紫煙を揺らめかせながら、薄く笑っていた。
いつの間に現れたのか、不明だった。
殴り殺そうかと拾ったバットを横に振るが、側頭部にぶつかる前に勝手に止まった。
煙草女の笑みが深まる。
「ようこそ、終わりの中に」
そう言ってから、灰を地面に軽く落とした。
煙草女はコウと名乗った。僕は名乗らなかったがコウに興味はないらしく、行こうかと言って村へ向かって歩き始めた。
ついていきながら何度かバットを振ったがやはり当たらなかった。自分の腹を突くような動きもしてみたが、途中で止まった。
「無駄だぜ、ゴミクズ。俺もお前も死なねえよ」
コウは面白そうに笑い、背丈ほどある雑草の合間を縫って森の外へ出た。僕も同じ動きで雑草を掻き分ける。時間が止まっているからか、草の表面は妙に硬い。長い針金の間を歩いている気分になった。
夕暮れの村は静かだった。畑で汗を拭いている格好の村人が、微動だにせず立っていた。道を歩く親子連れも動きはない。子供は泣いた直後だったのか、顔を使い古した雑巾のように汚していた。垂れた鼻水が空中で止まっている。それを横目で見ながらすれ違う。風が少しも吹いてないが暑くも寒くもない。田畑の上を数匹の蜻蛉が飛んでおり、止まっている。標本じみた精度で夕暮れに縫い付けられている。羽虫の大群がその隣で固まっている。ユスリカだねえ、とコウが独り言のように呟く。僕はコウの背中にバットを振ってみるがやはり当たらず笑われる。
「お前さあ、なんでそんな暴力的なんだ?」
「わからない、当たるなら当てたい。祠みたいに壊したい」
コウは歩きながら新しい煙草を取り出す。
「祠をぶっ壊した時はどんな気分だった?」
火を着けてから問い掛けてきた。僕は煙の揺らぎを少し眺めてからバットを下ろした。
「早く楽になればいい、って思ってた」
答えるとコウは、なるほどねえ、と目で言った。
村の中はすぐに見終わった。時計が動かないからどのくらい時間をかけたのかわからないが、体感としては一時間ほどだった。もちろん、誰も動いていなかった。ずっと夕暮れで、ずっと停止したままだった。
僕が勝手に適当な民家に入るとコウはついてきた。
家の中では五十代くらいの女性が台所で夕飯を作っており、八十代にはなっていそうな祖父母がテーブル前で仕上がりを待っていた。トイレ前にはベルトを締めている途中の五十代の男性がいた。よれた下着はブリーフだった。コウがそう言った。その後に台所の女性の隣に立ち、茄子の煮浸し、もやしとキャベツと椎茸の炒め物、鶏もも肉の田舎煮、冷奴、と一つずつ料理名を口にした。茄子の煮浸しを食べてみようかと指で掴んだが引っ張れなかった。その場にしっかりと縫い付けられていて、止まり切ることが義務みたいだった。それに実のところ腹が一向に減っていかなかった。
「そりゃあ、時間が止まってるんだから減るわけねえだろ。お前は動いてはいるけど精神的な話だからな、肉体は消耗していかねえよ」
「……この時間、いつ動く?」
「さあねえ。祠も像も壊れちまったから、二度と動かないんじゃねえの」
振り上げたバットを茄子の煮浸しと鶏もも肉の田舎煮目掛けて振り下ろしたけど案の定無意味だった。僕は息を吐き、コウは笑い声を上げた。僕を心底馬鹿にする笑い声だったがこれはずっと欲しかったものかも知れなかった。
この村の祠を壊せば呪い殺される、そういう噂を聞いたのは学校の中だった。隣の県の山奥にある村で、自転車を使えば行ける距離ではあった。行ってみようかなと僕は言った。周りにいたクラスメイトたちはみんな、流石だね凄いねと僕を褒め続けた。
七光だった。僕の父親は経営者で、母親は政治家だった。実質僕を育てていたベビーシッターやハウスキーパーには距離を取られた。酷い扱いをして、酷い扱いになることが嫌だったのだと思う。事務的な家事と習慣的な賞賛は響きはしなかった。
親のカードでマウンテンバイクと金属バットを購入した。延々とペダルを漕ぎ、ここまで来た。意味のようなものを探していた。呪い殺されなくとも村人達に責められ罵倒され、非難の的にしかならないと考えた。僕はここで僕を慰めたかった。話を聞きながら燃えるような田園を眺めていたコウはまず笑って煙を吐き出した。
「そんな馬鹿が来ちまったのか、呆れるよ」
「呆れればいい。僕はもう、ここにいるしかないんでしょ」
「飲み込みが早すぎるぜ。でもそう上手く居続けられると思うか? このまま何もかも動かねえとこで、自分の意識だけ動いてるんだぞ。だんだんおかしくなってくる」
「なると思う、なってもいい。でも」
「でも?」
「コウがいるんなら僕一人ってわけじゃない。一人きりじゃなくて、二人きり。コウは僕を馬鹿にするから、一緒にいてもいい」
「感情の方向性が気味悪ぃよ」
コウは眉を寄せながら煙草を咥える。火がつけられる前に手を伸ばしてそれを奪い取る。コウがつけたライターの火に僕が先端を添えるけど、切先は少しも燃えず煙は出ない。
やっぱりだ、と僕は言う。コウはニヤッと笑って、僕の手から煙草を奪い返して着火する。
立ち上った白い煙が橙色の中に溶け込んだ。
「まあ、相手が悪かったな」
コウは煙草を燻らせながら目を細める。
「お前に降りかかってんのは祠の呪いってやつだろうけど、俺はそもそも人間でもねえんだよ」
「そんな見た目で、煙草も吸うのに」
「これは俺への供物だから頂くし、この格好は警戒されねえためのただの器だ」
「人間じゃないなら、何」
僕の問いにコウは笑う、この上なく、心の底から、僕を馬鹿にした顔で笑う。
「森にある祠ってのは一つじゃあないんだぜ、俺の相方をぶっ壊したゴミクズ野郎。何も動かない世界で延々、自分の罪状と向き直れ」
コウは溜めた息を吐いた。煙草の煙で白くなった息は空中を乱雑に漂ってから夕暮れと混ざり合い燃えた。僕はとりあえず、やっぱり、バットを握り直した。破壊してし尽くして、哀れになりたかった。時間が止まっている無限の中で蔑まれ続けたかった。だから振った。口元は笑っているけど目はずっと笑っていなかったコウに向けて全身全霊振り下ろした。何か弾力のあるものにバットは弾き返された。コウは無傷で、薄く笑ったままで、顔の近くにはぼんやりとした陽炎のような塊が浮かんでいた。僕が潰した祠の像だと直感で分かった。もう一度潰さなければとバットを持ち上げるけど無駄だった。
瞬きを入れた一瞬の間に塊とコウは同時に消えた。なんの予兆もない無拍子の消失だった。田園にも、民家にも、壊れた祠近くにも、姿はなかった。時間は一向に止まり続けていた。乗ろうとしたマウンテンバイクは漕ぎ出せず、しかし歩いても歩いても疲れはなかった。夕暮れだけ。夕暮れだけが僕にねっとりとついてきた。山の合間に見える沈みかけの太陽は卵の黄身のように垂れていた。僕はあっという間に一人きりだった。
山を抜けると、逆側の山の入り口に飛ばされた。
僕は村を中心にぐるぐると同じ場所を歩かされていた。気付いてからもずっと歩いている。時間がわからないし、他にやることもないので、歩いている。
壊した祠に何度も寄った。
吸い殻が時折落ちていて、コウがどこかにいるのだと確かめられた。その度にまた歩き始めた。コウのものらしい祠にはどうしても辿り着けなかったが、僕の様子をどこかから観察しつつあの心底馬鹿にした笑みで卑下してくれるのだと考えて、食事も睡眠も必要のなくなっためでたしめでたしにすらならない中をなんとか暮らしていこうともがいた。歩いた。夕暮れに覆われながらぐるぐるした。叫びたくなり叫んだ。バットを振り回した。自分の頭を割ろうとしたが無駄だった。延々終わりの中だった。
因習村の祠を壊した僕に、あなたはほとほと何もしなかった。
因習村の祠を壊した僕にあなたは 草森ゆき @kusakuitai
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