王と呼ばれた男
壬生菜
王と呼ばれた男
石造りの建物が立ち並ぶ街の一角で、一人の男が道端に座り込んでいる。まるで地面に根を張っているかのような長時間、人々を眺め続けている男の名はグロリアス。「栄光」を意味する名前とは裏腹に、その姿は見るからに哀れだった。
ぼさぼさの髪、伸び放題の髭、何だったのか判別に困るほどボロボロになったローブ。穴だらけの靴に、同じくみすぼらしい下着。もし誰かに名乗ったとしても、「冗談もほどほどにしろ」と大笑いされるだろう。それほどに彼の見た目は汚かった。
そして風貌の通り、彼は貧しかった。服を買う金もなければ、パン一つ買う金もない。本来なら餓死か病死が待ち受けているはずだが、この世界ではそんな心配は無用だ。
ここは電子データで構築されたVRMMOの世界。仮にここで死んだとしても、それは仮初のものに過ぎない。グロリアスはどれだけ空腹になろうと死ぬことはないし、病であっても同様だ。
では、なぜ彼がVRMMOという世界でこのような格好をしているのか——それには理由があった。RPGにおいて防具は重要な要素の一つであり、彼の格好もまた、れっきとした防具なのである。
*
ぼんやりと先を急ぐプレイヤーたちを見つめていたグロリアスの視界に、獲物が映った。口角が上がる。彼は単に座っていたのではなく、餌を品定めしていたのだ。
標的を狙う獣のように鋭く眼光を光らせながら、じっくりと観察を続けた。
はやる動悸を抑えながら、ゆるりと立ち上がり一歩ずつ距離を詰めていく。気づかれてはいけない。目標を範囲内に入れるまで、決して焦ってはいけない。そう自分に言い聞かせながら、静かに接近を続ける。
手の届く距離まで近づいてからの彼の行動は素早かった。すぐさま姿勢を低くし、逃がさぬよう全力で標的の両足に抱きつく。
「旦那っ、貴族の旦那っ! あっしは三日も何も食べていないんです! 何か、何かお恵みを!」
彼にとっての狩り——それはつまり「物乞い」である。
多種多様なスキルが存在し、レベルの代わりにスキルを上げることで強くなるのがこのゲームのシステムだ。物乞いは数多あるスキルの一つだが、上げている者はほとんどいない。VRではなくモニタ越しの古いタイプなら多少はいたかもしれないが、VRMMOでは実際に自分がキャラクターになって動かなければならない。グロリアスのように物乞いをやる物好きなど、いるはずもなかった。
「離せ! 物乞いにやるものはない!」
「そんなことを言わず、どうか! 何でもいいんです!」
汚い男が突然足に抱きついてきたのだから、当然貴族は振りほどこうと必死に足を動かす。しかしステータスで負けているのか、足が抜ける気配はまったくない。それどころか、足首程度だったグロリアスの腕はじりじりと膝まで上がってきていた。
「わかった、わかったから離してくれ! ほら、これをやるから!」
貴族は懐から湯気を立てる分厚いステーキを取り出し、腹ペコであろう男の鼻先で揺らす。ついに降参し、物乞いであるグロリアスにアイテムを差し出したのだ。
香りは彼の減りに減った腹を一鳴きさせるのに十分すぎるほどだった。いかにゲームとはいえ、空腹感は現実とさほど変わらないものをプレイヤーに体感させている。彼がそのスパイスを手に入れてから数時間が経過していた。
グロリアスはもっと良いものを出させようと考える前に、肉を受け取っていた。同時に拘束が解かれた貴族はさっさと逃げ出し、どこかへ消えてしまった。
物乞い——そんなものを上げる奇妙な男の苦難と勝利の道は、ここから始まった。
多くのプレイヤーは彼を笑うだろう。
そんなものはどうでもいいのだと、グロリアスは思うのだった。
*
人通りの少ない場所へ移動し、グロリアスは更なる物乞いの高みへ上るにはどうすれば良いかを考え始めた。
まず思いついたのは、拠点となる場所を確保したいということだ。街中の銀行に物や金を預けても問題はないが、銀行周辺には多々出没するスリプレイヤーがいる。それを避けるためには自分専用のスペース——つまり「家」が必要になってくる。
しかし、そこで彼は考えた。物乞いの収入で家なんて建てられるのか?
なにせどこまでいっても物乞いだ。貴族様にへばりついて金品を奪い取ってもたかが知れているし、普通のプレイヤーから良い物をもらった覚えなど一つもない。
プレイヤーの多くは、物乞いを上げている珍しい彼に喜んでアイテムを渡すが、上等な物を渡す者はいない。リアルで路上パフォーマンスを見た対価に小銭を払う程度の感覚だとグロリアスは理解している。
それ以外にプレイヤーが彼にくれるものは馬鹿にする言葉と嘲笑程度。とてもじゃないがプレイヤーを相手にして家を建てるなど夢のまた夢だ。
では、どのようにして金を稼ぐのか。鍛冶や木工といった人気スキルを上げて稼ぐか、剣や魔法で敵から金品を奪い取るか——どちらも違う。それは彼の主義に反するからだ。
物乞いとしてロールプレイするなら、そのスキルを活用して成り上がるべきであり、他で金を稼いでしまってはただの薄汚い戦士でしかない。それが彼の考えだった。
つまり、物乞いを主軸とし何らかのスキルを組み合わせ、より稼ぎやすいものへ昇華させなければならない。
スキル一覧の書かれたウィンドウを眺めながら、一つ一つ組み合わせたときにどうなるか思案を続ける。自然を操ることができるようになる自然同調。気配を消したり姿を消すことまでできる隠密。物乞いで敵にくっついている隙に物を盗めるスリ。
一応、考えた中ではスリが比較的使えそうではあったが、いささか微妙と言える。スリはアイテムを盗むだけでなく、相手のカバンに爆弾をこっそり忍ばせ爆殺することもできる意外に強いスキルだ。物乞いしている間にこっそり爆弾を忍ばせ爆破し、ドロップアイテムを楽にゲットできる。
しかし爆弾代が必要な上、一撃で倒せるとも限らない。何より、これだとキャラの傾向が犯罪者になってしまい、いずれは街中にいるだけで警備兵に殴り殺されるようになる。そうなると物乞いどころではない。
おまけに物乞いというより爆弾魔か暗殺者と名乗るべきだ。
隠密も今ひとつうま味が少ない。金持ちNPCは基本的に物乞いスキルの高いプレイヤーを見つけると足を速めたり逃げ出したりするが、隠密を使えばそれを無視して正面から捕獲しにいける。しかし基本はNPCにしか使えない。
再びスキルウィンドウを見ながらグロリアスは考えた。物乞い単独での収入は少ないが、それは貴族たちの所持金がしょっぱいからではないだろうか。NPCをもっと大きく広げて考えてみると、貴族より遥かに金を持っている奴らは数多くいる。
例えば、モンスターたちがその筆頭候補に上がる。通常武器や魔法で倒さなくてはいけない彼らを、何とか攻撃せずに倒せれば——。
――そうか、これか!
あるスキルを見た瞬間、彼の脳裏で閃きがあった。仮定でしかないが、そのスキルと物乞いを組み合わせれば貴族からの物乞いより遥かに美味しいかもしれない。もしドロップアイテムと物乞いでもらえるアイテムに大きな差があれば、この組み合わせは破綻してしまうが、そうでなければ家ですら夢ではない。
――よし、早速試してみよう。
彼はすぐさま立ち上がり、街の外へと歩を進めた。グロリアス——その名の通りに栄光を手にする階段を上り始めた。
*
グロリアスが物乞いと組み合わせるべく選択したスキル、それは一般的に死にスキルと言われているものだった。ネタですらなく、死んでいると言われるほどに使い道がない。
ただそれは少し使ってみてゴミだと判断してしまったからであり、長く使い込んでいったり、彼のように不人気スキルと組み合わせたりしてみなかったのが原因だろう。
街から外に出て真っ直ぐ歩いたところにある森——そこが彼の目的地だ。伐採スキル持ちが木を切ってスキル上げをしているだろうし、森の中にある湖で釣りスキル上げをしているプレイヤーや水泳を上げている人たちもいるだろうが、彼はそんなものに目もくれずある生き物を探す。
白く、ぴょこぴょこと飛び跳ねる小動物。愛玩用のペットとして人気のある生き物
——ウサギだ。
彼はそのウサギを目ざとく見つけるとすぐさま飛び掛かり、両手でふわふわとしたその身を逃げられないように拘束した。ジタバタと逃げようとする小動物だが、貴族NPCですら逃げられない彼のステータス値に勝てるはずもなく、ただ手の中でもがき続けるしかできなかった。
そして、彼はスキル上げを始める。
「よーちよちよち、良い子でちゅねぇ」
決して赤ちゃん言葉スキルなどというものではなく、「言語」と呼ばれるスキルだ。上げれば上げるほど多種族と言葉を交わせるようになるものであり、言語スキルの効果は動物だけにとどまらず幅が広い。
しかし、あくまでも言葉が通じるようになるだけであり、それ以外の何者でもない。大抵のプレイヤーは、これと生物を捕獲できるようになる調教を組み合わせようとするが、言語にさくスキル値を戦闘方面や生産方面に振り分けた方が良いということにすぐ気づき、使われることはほとんどない。そのため、死にスキルとなってしまった。
中には「動物と会話できるなんて夢のよう!」という乙女チックなプレイヤーもいることはいるが、そういったプレイヤーは稀だ。ある程度上げ、好きなペットと喋ったらそれ以上は上げなくなったり、満足して下げたりしてしまう。
「はぁーん、ラブリーでちゅぅぅ」
汚い男が赤ちゃん言葉でウサギに話しかけているという絵面がよほど恐ろしかったのか、気づけば彼の近くにいたプレイヤーは全員いなくなっていた。
人として何か大切なものを犠牲にしているような気がしつつも、グロリアスは言語を上げ続けていく。普通なら途中で嫌になってしまうような苦行だが、上げている者が少なければ少ないほどスキル上昇にボーナスがかかるという仕様も手伝い、彼のスキルはかなり早いスピードで上がっていった。
*
そして、ついに彼がお目当ての奴らに物乞いと言語を試すときがやってきた。
醜い顔と、成人男性の半分程度しかない身長の敵モンスター——獣人系の中で最弱と言われるゴブリン。これに物乞いと言語が通用するなら、より上位の獣人にも効くはずだと彼は考えた。
――行くか!
ゆっくりとゴブリンの背後から近寄り、狙いを研ぎ澄ます。目標は明後日の方向を見ながらぼんやりしているようで、背後から忍び寄るグロリアスに気づく様子はない。
「旦那ぁぁぁああ!」
背後から抱きつくようにゴブリンに飛び掛かり、すぐさま物乞いを発動させる。いきなりの不意打ちにゴブリンは驚いたのか、身体をびくりとさせつつも背中にまとわりついてきたグロリアスに目をやった。
「な、なんだゴブ? きったない人間だゴブ……臭いから離れてほしいゴブ」
酷い手抜きな語尾に何とも言えない気分になったグロリアスだが、言語スキルが効いていることに心の中でガッツポーズをとった。
普通人間型のNPCにしか効かないと思われていた物乞いだが、モンスターに使えないのは言葉が通用しないからだと彼は考えたのだ。もし言葉が通じるなら、モンスターには無効というのも考えにくい。何しろ、このゲームは自由度をテーマにしているのだから。
「ゴブリンの旦那、何か恵んでくださいよぅ。この哀れな人間めに、どうか」
「わかったわかったゴブ。ゴブはゴブリンの中でも一番の綺麗好きゴブ。お前みたいな汚いのにくっつかれるのはゴメンゴブ、だからこれをやるから離れるゴブ」
どう見ても綺麗好きには見えないゴブリンだが、グロリアスにくっつかれているのが相当嫌だったのか、少し重みのある小さな袋を彼に手渡した。
「さすが獣人の旦那、器がでっけぇ!」
「やめるゴブ、照れちゃうゴブぅ」
ゴブリンはどこかへ消えていった。その後、グロリアスがもらった袋を開けてみると、中にはこの世界の通貨がわずかに入っていた。それはちょうどゴブリンを倒したときに出る金額と同程度のものであり、彼の予想が確信へと変わった瞬間だった。
彼はこう考えた。貴族に物乞いでアイテムをもらうと、奴らは必ずどこかへ消えてしまう。その後どれだけ探しても、一定時間が経過しないと出てこないという仕様。これは剣や魔法で倒した場合と、物乞いで物をもらうのは同じなのではないか、ということだ。
違いといえば、傾向が犯罪者に傾かないことくらいなもので、もらえるアイテムとドロップするアイテムの違いは情報サイトのドロップ情報を見ても変わりない。となれば、モンスターへの物乞いが成功すれば、倒したときと同じだけの収入を得ることができるということに他ならない。
問題はいちいち物乞いするのが面倒くさいことかもしれないが、戦闘では倒せないような上位の獣人に物乞いしにいけば一回で多くの収入を得ることができる。
「ふふ、ふふふ……!」
グロリアスはニヤけた表情を隠そうともせず、次なる獣人を探すために視界の真ん中にウェブブラウザを出現させ、情報サイトを開いた。以前のVR機では出来なかったことだが、最近のVR機はゲームをしながらウェブブラウザなどを開いたりすることができる。
――さて、次はどれが良いかな。
まだ始まったばかりのこのMMOの情報は少ない。それでも低いスキルで倒せる獣人がいくらか載っているのを見つけ、グロリアスは安堵した。更新してくれた名前も知らない人物に感謝し、次なる標的オークがいるであろう場所へ向かうことに決めた。
*
それからグロリアスは、毎日毎日獣人から金を巻き上げた。個々に設定された獣人の機嫌など関係なく、システムでの判定にさえ勝てれば奴らは渋々ながらも金を渡す。来る日も来る日も物乞いを続ける彼は、いつの間にか有名になっていた。
それもそうだろう。物乞いと言語という二大ゴミスキルを上げている上、モンスターの大群に突撃していったかと思えば、その全てに媚びへつらってアイテムを手に入れているのだから。常人には出来ないことを平気でやってのける。そんな彼を人々は賞賛した。もっとも、真似をする者はいなかったのだが。
そうして、グロリアスはいくつかの目標を達成した。一つ——家を建てること。二つ——物乞いと言語を100という限界値まで上げきること。
彼は寝る間も惜しんでひたすら金を集め、それと同時にスキルを鍛えた。笑われながら、馬鹿にされながらそれでも目指した。物乞いでの最強の道を。
彼は、ようやく最強への道の開始地点へと到達した。このゲームはスキルをカウンターストップさせてからようやく本番になる。キャラを育てきってから、色々な遊びを自分で探していくのだ。
地図作成スキルを持つ者は、あらゆる土地を巡り地図を書き、遺跡を見つけては内部の詳細なマップを書き上げる。そしてそれを高額で売りつける。戦闘スキルを持つ者はその地図を購入し、最奥にいるであろう凶悪なる魔物を討伐し、数々の財宝を手に入れる。そして帰り道でPKが仕掛けた罠にかかり、死ぬ。
そういった様々なことを体験しながら、プレイヤーたちはステータスやスキル以外での強さを身につけていく。まだ彼は、最初の階段を上りきったにすぎない。
ただ、グロリアスは嬉しかった。ようやく目標の一つであった家を手に入れたこと。銀行前で金をスられることも少なくなること。ようやく得られた平穏に頬を緩めながら4畳半しかない自慢の我が家を見つめるのだった。
ちなみに、彼の家の外見はダンボール風だ。家を作ってくれた木工職人に頼み込み、追加料金を払う形で外観をダンボールにしてもらったのである。物乞いなんだから、見た目はこうじゃなきゃダメなんだよ! と力説する彼に苦笑いしつつも、きっちりダンボールに見えるようにこだわって作られた一品。
当然、家の中もダンボールだし、アイテムや金を保管しておくためのチェストもわざわざダンボール型のものを職人に頼んで作ってもらった。折角のマイハウスなのだから、グロリアスは細部までこだわりたかった。
とはいえ、物乞いが家を持ってるっておかしくないか、と思うところもあったりするのだが、物乞いのまま成り上がるのを目に見えて知ることのできる何かが欲しかったということもあって、それならダンボールハウスにすればいいと彼は納得した。
また、ふと思い浮かんで採用したダンボールの家だが、彼はそれを気に入っていた。小さい頃に、友人たちと作ったダンボール製の秘密基地をふと思い出したからだ。懐かしい記憶に浸りながらも、彼は更なる強敵を目指して各地を放浪する。
*
彼の転機と言えるものは、家を建ててからおよそ一週間後に訪れた。
新たなダンジョンが発見され、その最奥に眠るユニークモンスターの存在が確認されたことと、それが今までにないほどの強さを持っていたこと。少数でのパーティによる討伐が幾度となく試みられたが、いずれも敗北。唯一ボスを倒せたのは大規模ギルドだけだ。少人数、ましてや単独の撃破などは極めて困難と言われているボス。それを倒しに行く——そうグロリアスは決めた。
特に新しく用意するものなどなく、言語と物乞いスキル。物乞いが失敗して攻撃された時用の回復アイテムと、少々の食料。それから夜や暗い場所などで使う松明さえあれば十分だったのもあり、彼はすぐに出発した。
街間の移動アイテムを作っている錬金術士からアイテムを購入するために、最寄りの町へとやってきたグロリアスだったが、目的地から一番近い村まで飛べるものがこの日は売りに出ておらず、泣く泣くこの辺りではもっとも大きい街へと飛べるもので妥協した。そこであれば、行きたい村への移動アイテムが売りに出ている可能性が高いからだ。
流石に大規模な街ともなればプレイヤーが多く、あちこちで様々なものが売りに出ていた。中にはグロリアスが知らないものもあり、今すぐにでも飛びつきたいほどに美味しそうなニオイを放つ見知らぬ料理や、見るからに強そうな職人お手製の武器など、見ているだけで彼の目を楽しませた。
普通のVRMMOと違い、ウィンドウに素材を放り込み出来るのを待つだけというつまらないものではなく、素材の加工というところから自分の手で作ることもできるというこのゲームの独自の仕様からか、独創的なものが多く、それがより一層あちこちを見て回りたくなる彼の欲求を高めた。
それにしても、このアイテムたちに限らず、街までもがプレイヤーたちが一から作り上げたという話なのだから凄まじいものだなぁ、とグロリアスは周囲をぐるりと見渡しながら思った。
ただ、その独自仕様のせいで、強烈な味覚音痴プレイヤーが作った殺人料理で昇天しかけたり。
奇跡的な音痴のせいでリアルで記憶喪失になりかけたこともあったが、それもまた良い思い出だった。
しかし、今日は買い物に来たわけではないと自分をいましめ、目的の移動用アイテムを探す。お目当てのものを探すときのコツだが、一般的には銀行の近くで探すのが一番だ。ここなら金をおろしてすぐに買うことができるし、盗まれないように銀行にしまうこともできる。その短い時間のうちに盗まれることもあるが、それでも移動距離が長くなるよりは安全だ。
そんなわけで、グロリアスも銀行の近くを探し、目当てのものはすぐに見つかった。販売していた錬金術士に代金を支払い、礼もそこそこに移動アイテムを使用した。
村に着くと同時に、プレイヤーが情報を交換している掲示板の書き込み通りに進み、ある洞窟を発見した。
*
未だ名も無い洞窟。その奥深くにいると言われているボス。そこにたどり着けるかがまず問題だった。何しろ普通のダンジョンより遥かにモンスターが多く、内部は複雑に入り組んでいた。
まだ発見されたばかりということもあり、内部の地図は入り口から近い場所が記されたものしか出回っていない。もしグロリアスが大規模ギルドに所属していれば完成品の地図を入手できたのだが、残念ながらギルドに所属しない孤高の物乞いだった。
――とにかく、中に入って探索してみないことには何も進まないか。
彼はそう考え、洞窟へと進入した。中はまるで巨大な岩をくりぬいて作られたかのように、全てが石で出来ており、いたるところに苔が生えていた。割とどこにでもあるような洞窟だが、それらより遥かに湿度が高いのか、じめっとした不快さにグロリアスは顔をしかめた。
陽の光が届かない暗い洞窟の中を、松明の光を頼りに進んでいく。と、悪魔族の最弱のモンスターであるインプを発見した。
だが最弱だからと侮ってはいけない。その小柄な身にふさわしい程度の体力しかないインプだが、魔法を使ってくる。しかもデバフと言われる弱体系の魔法を得意とし、なおかつ近くにいる味方に合図を送り集団で襲い掛かってくる恐ろしい奴だ。
いかに歴戦の戦士といえど、魔法抵抗が低ければ負けることはなくとも手こずることがある。だが、そこは戦闘系を取っていないグロリアスだけあって心配無用。無駄に余った合計スキル値を防御系にさいているのだ。
普通に戦闘をするのであれば、まず武器とそれを補助するいくつかのスキル。それから防御系のスキルを選択するのだが、万能にしようとすると大抵器用貧乏になる。かといって特化させると特定の攻撃に弱くなりすぎる。だからこそ普通のプレイヤーはパーティを組んで強敵に挑む。
が、グロリアスは違う。まず必須スキルが物乞いと言語の二つしかない。それを良いことに、回避、魔法抵抗、集中、それから回復用に包帯を少しとっているだけあって防御性能は高い。
回避は発見されても接近して物乞いをするため。魔法抵抗は避けにくい範囲魔法を少しでも緩和すると同時に、デバフに耐え最短距離で敵に近づくため。集中は、次のスキルの効果を高めるという点に注目し、物乞いの効果を高めるため。包帯に関しては少々違い、HPやMPなどの自然回復量を上げる自然回復スキルを取っていないという理由もあったが、よくモンスターが包帯をくれるのでついでに上げていたものだ。
包帯を除けば、全て物乞いというものの開始とその成功率を上げるものばかり。当然、インプなんていう雑魚キャラは彼の敵ではない。
奴らに発見されるのも構わず、素早く2匹のインプに近づき、それぞれを小脇に抱えて物乞いをする。
「ねぇ旦那たち。何か恵んでいただけませんかねぇ。何でもいいんです。何でも」
もはや物乞いをする男の態度ではないが、インプほどの雑魚ともなると今までのように過度にへりくだる必要はなかった。すぐさま懐からアイテムを出して去っていくインプを眺めながら、ゲットしたアイテムを確認して自身のカバンへとしまった。
彼にはある手ごたえがあった。インプ程度であれば、もはや喋る必要すらなさそうだ、と。
このゲームにはマニュアルとオートがあり、十分にスキルが成長していればオートで楽々生産や戦闘をしたりできる。オートでの物乞いは、実行すると勝手に対象へ手を差し出す。そして判定に成功すると敵はアイテムを渡してくる。
グロリアスはこのオートをあまり活用することはなかったが、それはオートで成功してしまうような雑魚キャラを相手することが少なかったからであり、使えるなら使おうと思っていた。
――使うならば、今か。
群れるインプに向かって勢いよく走り出し、奴らが気づくと同時に両の手をそれぞれ別のインプへと差し出す。そしてインプがアイテムを懐から出すよりも早く、別のインプへと手をやる。それを何度か繰り返し、残ったのは地面に置かれた大量の小銭といくつかの素材。
ただ手を差し出しただけでアイテムを渡してくる雑魚たちに、グロリアスは舞い上がっていた。瞬殺と言っても良いほどの強さ。物乞いが見せた更なる可能性。その事実に彼は興奮を抑えられなかった。
道に迷うのもお構いなしに奥へ奥へと進み、インプから小銭を巻き上げ続けた。結果、調子に乗りすぎた彼はインプの生息地帯を超え、次のレッサーデーモンの生息場所をもオート物乞いを使いながら疾走し、グレーターデーモンの群れに突っ込んで死亡した。
いかに回避スキルを限界まで上げていようと、部屋にみっしりと詰まったグレーターデーモン相手は多勢に無勢。首根っこを掴まれて部屋の中央へと投げ入れられ、回避行動を取るまもなく一斉攻撃されたのだった。
――何事もほどほどが肝心、だなぁ。
復活ポイントに設定した洞窟近くの村でグロリアスは一人反省会をしていた。いくらオートで楽々倒せるからって調子に乗りすぎた。彼はそう反省し、次の挑戦はもっとじっくりいこうと固く決めた。
さあ、ではリベンジへ! と行きたいグロリアスだったが、そうは行かない。死んでしまったためにデスペナルティがあるのだ。
このゲームでのデスペナルティは二つあるもののどちらかを選択する。一つ目は、「ランダムでスキルが減少する」というもの。二つ目は、「一定時間最大HPや攻撃力が減った状態になる」というもの。
これを避けるには自身の死体を回収しにいかなければならないのだが、彼の死体は確実に回収不能な場所にある。仕方なしに彼は二つ目の一定時間の衰弱を選択し、衰弱が治るのを待った。
*
衰弱が治ったのを確認し、グロリアスはのどかな村を後にし、洞窟へと向かった。
――レッサーデーモンまではオートが効いてたわけだから、一気に走り抜けるか。
慎重に行くと決めたが、それはグレーターデーモンからで十分。ならそこまではオートで物乞いをしつつ走り抜けるのが得策と考え、それを実行した。
適当に走り回ってたせいで全然道を覚えていなかった彼は、何度も洞窟の中で迷子になりつつも、何とかレッサーデーモン地帯を突破することに成功した。迷子になってしまったことは不幸だったが、おかげで敵にアイテムを乞う回数も多くなり財布の中は随分と暖かくなっていた。
――帰ったら何か美味いものでも食おう!
周囲にモンスターがいないことを確認してから焚いた焚き火のそばに腰掛け、硬いだけでうま味の欠けている干し肉を野菜クズが入ったスープにつけてかじりながら、グロリアスの頭の中にはダンジョンから帰還した後のお楽しみが広がっていた。
少し前に街で見かけた謎の料理。あれが良いか、それともお気に入りの料理人の凄まじく美味い謎の肉で作った串焼きにするか……それと殺人料理を作る奴には出会わないように気をつけなきゃな、と彼の頭の中は食い物で一杯だった。物乞いとはいえ、金があればメシを買って食うくらいのことはするのだ。
随分と減っていたスタミナ値も完全に回復し、グロリアスは再び奥へと向かう。ここからは彼にとって油断の出来ない道程になる。グレーターデーモンと、更に奥で待ち構えている強敵たち。しかし、ここから目的地までの距離は比較的短い。その代わりなのだろうか、敵が馬鹿みたいに密集している。
ゆっくりと、慎重に歩を進めた。
*
出来るだけグレーターデーモンの少ない方を選びながらも、避けられない相手には物乞いを駆使しながら進んでいくと、グロリアスは開けた空間に出た。
石をくりぬいただけだったこれまでの通路や部屋とは違い、黒い石をブロック状にして作られた床と壁と天井。複雑な模様の刻まれた柱と、壁のいたるところに等間隔で設置してある松明。ゆらゆらと光を放つそれらに照らされた、一体の赤い魔人。
その頭上に表示される名前をグロリアスは確認し、ツバを飲み込んだ。ダンジョンのボスとなるのは、悪魔族の上級種族である魔人の将、アークデーモン。
同じ上級種族とはいえ、レッサーデーモンとグレーターデーモンとは格が違う。身の丈は3メートル程度。ねじれた角を頭の両脇から生やし、背中には悪魔の象徴である翼が、その身体をより大きく見せている。
そして、手には大型の曲剣。これまでのデーモンは粗末な武器を持っていたが、アークデーモンは格が違うのか、その巨大なシミターにはどこか禍々しさを感じさせる装飾がされていた。
このボス用に作られたに違いない威容な空間と、そこにただ一体だけという光景がアークデーモンの強大さを物語っている。
グロリアスは大きく深呼吸をし、ゆっくりとアークデーモンに向かって進む。真正面からではなく、なるべく側面をつけるように、大きく弧を描きながら気づかれぬようにじっくりと、慎重に。
這うように一歩一歩確かめるように進むグロリアスはまだ見つかっていないことに安堵し、柱の影に隠れて息を整える。たとえゲームであっても、こういった一瞬の油断が命取りになりかねない状況には心臓が早鐘を打つ。
一回、二回と深呼吸を繰り返し、敵に傷をつける手段を持たぬ男が次なる柱へと向かって、やはり這うようにして進む。何度かそれを繰り返すと、ちょうどアークデーモンの横顔が見える位置へと到達した。
アークデーモンの背後はすぐに壁になっているため、これ以上はもう進めない。あとはもう、ガムシャラに突き進むだけだ。
――落ち着け、落ち着け。大丈夫、きちんと見て回避だ。何度もオーガとかオークロードで回避の練習したじゃないか。いける、いける!
必死に乱れる鼓動を落ち着けと抑え付け、回避スキル上げで相対したモンスターを頭に浮かべる。敵を倒す手段が物乞いしかない彼にとって、回避スキル上げというのは相当辛いものだった。ただひたすら攻撃をかわす。そして次の攻撃を待ち、また避ける。それをずっと繰り返し、疲れたら物乞いをして敵を消す。
その過程で得られたマニュアルでの回避テクニックは廃プレイをする回避型の剣士や魔法士に負けるものではない。
――っし、行くぞ!
覚悟を決めるや否や、アークデーモンへと全力で駆けた。当然、上級の魔人であり、このダンジョンのボスであるアークデーモンはすぐにそれを察知し、迎撃するべく右手に持つシミターを振り上げた。
まずは真っ直ぐ振り下ろすだけの比較的避けやすい一撃。それを横に飛びのき回避。そしてまたすぐに走り始める。次いで、その豪腕から繰り出されるグロリアスにとって必殺となる横薙ぎの一閃。
「あっぶねえ!」
咄嗟に思っていたことを口に出しながら、スライディングの要領で姿勢を限界まで低くする。グロリアスのすぐそばにあった柱を砕きながら、アークデーモンの一振りは彼に当たることなく空を切った。
――行けるしれない。
一瞬だけ、グロリアスは上手くいく回避に勝利を確信し、油断した。そのせいで、スライディングの体勢から前方へと走ろうという姿勢になるのがわずかだけ遅れたのだ。
対するアークデーモンのシミターは、いまだ空を切ったままであり、グロリアスへと振り下ろすにはまだ若干の猶予があった。だが、悪魔の持つ武器は曲剣だけではない。
人間と同じようにもう一本、腕があるのだ。より優れた力を有する腕。それですら、鍛え上げていない者にとっては致死の一撃となる。
そして、グロリアスは防御そのものを上げる着衣スキルを上げていない。なぜなら、彼が装備する物乞いスキルをブーストする防具は、ほとんど防御力がないからだ。言ってしまえばスキルがあがるだけのただの布切れ。そんなものを着ながら着衣を上げてはスキルの無駄だと判断し、必要になる数ポイント以外はふっていない。
一撃死。それが今のグロリアスを待つ未来だ。迫り来る破壊をもたらすであろう赤い腕に、彼の脳裏に敗北という言葉がよぎった。
負ける。それは、ごく当たり前に予想していた結果だし、たった一人でここまでこれたことを誰もが褒め称えるだろう。彼自身もボスと対峙できただけで出来すぎだと思っている。グレーターデーモン地帯を波乱もなくすぐに突破できたという行き過ぎた幸運が無ければ、すでに彼は死に戻りして絶品な料理に舌鼓をうっていたことだろう。
しかし、ただの幸運だと分かっていても、グロリアスは諦めていなかった。最後まであがいて、それで負けたい。なら、ここまで導いてくれた運に賭けてみようと、彼は一つ心の中で念じた。
VRというものを使ったゲームで、メニューを開いたりコンフィグを設定したりするには、二つ手段がある。口頭で言うか、心の中で思うのか。彼の実行したコマンド。それはこのゲームの特色であり、職人プレイにこだわる者たちを集めた大きな要因。
マニュアルと、オート。すなわち、自力回避が無理ならオートでの自動回避に賭ける、ということ。
そして、攻撃が当たる前に、グロリアスが実行したコマンドは正確に完了された。それと同時に彼の身体は通常では不可能な動きをし、高く高く舞い上がり——
「さて、旦那」
——彼をアークデーモンの頭上へと運んだ。
グロリアスは集中を発動させながら、アークデーモンの頭の上で告げる。彼が使い続けた愛用のスキルの実行を。
*
あるパーティが目撃し、その時に撮影したという動画がとある掲示板で話題の的になっていた。合成だといって信じない者。こんなことが可能なのだと関心した者。反応は様々だが、一つのスレッドが埋まっても尚動画の話題が終わることはなかった。
問題の動画、そのタイトルは「物乞いVSアークデーモン」。
誰もが動画を見るまではただのボコボコに負けて終わるネタ動画だと思っていた。しかし、全てのプレイヤーの予想を裏切り、物乞いはアークデーモンの攻撃をするすると避け、アークデーモンの頭の上に颯爽と飛び乗った。誰もがいつの間にか手に汗を握っていたが、その後に頭へと抱きついて物乞いをし始め、おまけにアークデーモンから金やアイテムを貰ってしまうという光景に多くの人は腹筋を引きつらせた。
不可能を可能にしてしまったこの人物。彼が一体誰かという疑問はなかった。物乞いを上げているもの好きは少ない。その中で、そこまであがっている変人は色んな意味で有名な男、ただ一人。
動画を掲示板で知った者。
噂を聞いてみてみた者。
多くのプレイヤーは彼を賞賛し、一つのあだ名をつけた。
King of beggar——物乞いの王、と。
王と呼ばれた男 壬生菜 @mibuna
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