こころ jumping into the new world

来田千斗

ギルガメッシュと私

「しかし先生、ここは一体どこなんでしょうか」


「さあ、私にも分かりかねます。しかし君は、まだご両親のもとにいるはずではありませんか」


「先生からの手紙を読んで、居ても立ってもいられず汽車に飛び乗ったんです。手紙を読んだあと、寝てしまったのですが……まだ上野までには当分ありました。ここはどこなのでしょう」


 私は、気が付けば豪奢な洋風の部屋にいた。先生も一緒だ。先生と会うのは実に久しぶりで、なんだか懐かしいような気もした。


 大きな洋燈ランプに煌々と照らされた天井の高い洋室には、たくさんの人がいた。赤い絨毯が敷き詰められた部屋に、和装の私たちはどうも似つかわしくなかった。


「ようこそ、物語の館へ」


 四角く成形された髭の男が、私たちに握手を求めた。中東人の顔つきをした彼は、力士でも敵わぬ上背をしていて、私はちょっとした畏怖のようなものを感じながら握手を返した。


「余はギルガメッシュ。ウルクの大王だ」


 ギルガメッシュと云えば、シュメールの伝説的な王だ。何千年も前の伝説ではあるが、現在でもその物語は西洋の本によく登場する。私が家に積み上げている本のなかにも、そういえば彼の話があったかもしれない。


「あなたが、かのギルガメッシュ王ですか。失礼ですが、仮装か何かで」


 先生は、物怖じもせずにギルガメッシュと握手を交わすと、巨人の顔をまじまじと見つめた。


「いや、余は本物だ。かの叙事詩に詠われた王だ」


「それでは、何千年も以前の人間がどうして」


「追い追い解ろう。それより、この場所の仲間を紹介したい」


 そう言って歩き出したギルガメッシュを、私たちは慌てて追いかけた。一歩一歩の大きい大王に追いつくため、私たちは自然と早足になった。


「ああ、あちらは因縁の対決といった様相だな」


 ギルガメッシュの視線の先、人垣の中心にいたのは、鹿撃ち帽をかぶってパイプをくゆらせた、精悍な印象の西洋紳士であった。そしてもう一人、彼と向かい合い足組して机に座っているのは、黒い燕尾服に山高帽をかぶった、片眼鏡の紳士。火花を散らす二人のあいだに陣取る、これまた個性的な面々。髪が伸びすぎた坊主のような頭で、赤いネクタイに青緑のジャケットを羽織った猿面の大男。その男が抱えているのは、赤い蝶ネクタイを締めて紺色のジャケットを着た、眼鏡の少年。せいぜい六、七歳といったところだろう。

 

 それから枚挙に暇がない大勢が、何かを見てはああのこうのと言い合っていた。野次馬根性にかられた私は、それを一目見ようと身を乗り出した。そこにあったのは、見るも悍ましい怪物の死体。どことなく人間のような姿をした「それ」は、どことなく死体を継ぎ接ぎ合わせて作られたような色をしていた。


「あれは一体、何の集団でしょう。君はなにか解りますか」


「あの真ん中に転がっているのは、フランケンシュタインが造ったという怪物のようですね。その隣にいるのは、シャーロック・ホームズでしょう。例の、英国渡来の探偵小説です」


「なるほど、それで残りは何でしょう」


「さあ、私も大衆小説ばかり読んでいるわけでもありませんし……」


 そのとき、ギルガメッシュが私たちを背後から覗き込んだ。彼の長身の前では、私も先生も子供のようなものだ。


「解らないのも仕方がない。彼らの多くは、君たちよりも先の世を生きたのだから」


「それは、どういった……」


「ああ、あれは光源氏だな。まったく、姫君方がみな彼のほうに吸い寄せられてしまうよ。あそこに見えるかぐや姫と逢瀬に至るまで、あと少しだったのにな」


 太陽のように輝く、束帯すがたの美男子が光の君であろう。男の私ですら、しばらく目を釘付けにさせられる美貌だ。彼の取り巻きに見える、緑の十二単に身を包んだ、月のような輝きを放つ美女がかぐや姫だろう。ともかく、和装の人間に出会えただけでも私にとっては気の休まることであった。


 辺りを見回してみれば、個性豊かな恰好をした者が嫌でも目に付く。


 首から硝子玉を下げた八人の若武者、彼らは里見家の八犬士だろう。先生は意外なことに、犬飼現八の熱烈な支持者であった。


 豊かな髭を湛えた初老の西洋人が、金色の鎖帷子にユニオンジャックを背負っている。王冠と王尺を持ち、腰に下げた大剣から威厳が溢れ出すその姿は、アーサー王そのものであった。


 高等学校生といった年齢の、紋章が入ったブレザーを着た西洋人が、手にした木の棒を一振りする。半透明に輝く牡鹿が現れて、辺りを駆け巡った。


 ここにいるのは、人間だけではない。赤いパンツを穿いた、よく解らない生物が陽気に踊っていた。強いていえば鼠のような見た目だが、あの薄汚いドブネズミとはまるで違った立ち居振る舞いだ。


「しかし結局、ここは一体全体どこなのでしょうか、先生」


「物語の中の人間が現実となった世界、とでもいうべきでしょうか。そこに私たちは、何の因果か迷い込んでしまった」


「さすがに、よく解っておるな」


 私たち二人の会話に突然割り込んできたのは、しばらくのあいだどこかへ消え去っていたギルガメッシュだった。


「夏目漱石という作家を知っているか」


「いえ、まったく」


 先生に合わせて、私も首を横に振る。それを見て、ギルガメッシュは大いに頷いた。


「そうか、そうか。おお、君は確か西暦一九七一年の日本で大学生をしているんだったね」


 ギルガメッシュが唐突に話しかけた相手は私ではなく、私たちのそばを通りかかった青年だった。


「ええ、そうですが……」


 ギルガメッシュに声をかけられた青年は、私とそう変わらない歳に見えた。オートバイのスタンドを立てた彼は、私たちのほうへ歩みよった。襟足に回転のかかった髪型で、皴一つないジャケットを着こなす好青年だ。皮手袋を外した彼は、私たちに握手を求めた。


「よろしく」


 その青年にもまた、ギルガメッシュは同じ質問をした。


「夏目漱石という作家を知っているか」


「ええ。明治の末から大正の初めくらいの作家です。日本でいちばん有名な小説家といってもいいですね。彼の作品は、あらかた読んでいます」


 青年の答えに、私は先生と顔を見合わせた。不世出の天才が、後世になって発掘されたとでもいうのだろうか。


「彼の作品で、『こころ』を知っているか」


「ええ、もちろん。書生の「私」と彼に慕われる「先生」の話ですよね。先生からの手紙に登場する、Kという青年の生きざまは、私の心を打ちましたよ」


 私は、気が付けばがくがくと震えていた。


 私も、物語のなかの存在だったとでもいうのか?


「そうか、ありがとう」


 青年は、バイクを押してどこへともなく歩いて行った。ギルガメッシュが、私たち二人のほうへ向き直る。


「もう解っただろう。君たちは、物語のなかの存在。生きるも死ぬも、語り手の匙加減次第」


「……何がいいたいのですか」


 先生は珍しく、怒りを露わにしていた。そうだろう、自らの意志で決行したつもりの自殺が、他人の意志によるものだと知れば黙ってはいられない。


「怒りが湧かないか? 余も君も、もちろんこの部屋にいる皆も。万能面をした創作者に、一泡吹かせてやりたいと思うだろう。現実への復讐をしてやらないか。そのために余は、余の物語が人々の記憶から消えゆくという代償を払ってまで、君たちを呼び出したのだ」


「それで、何をしろというのですか」


「まず、再版されるたびに支離滅裂な行動をするのだ。もちろん、翻訳や翻案、舞台化や映像化がなされたときも。ひとつ前のページと矛盾する行動を平気でしてみたり、三〇ページ分を本筋に関係のないつまらない描写に費やしたり。二次創作や続編に出演する際には、前作の自分ではしなかったようなことに挑戦するのも良い。都合よく冥界から蘇るなど言語道断。君なら、そう……乃木希典が死んだ日に父親の首を絞めあげてしまえば、面白いのではないか」


 怖さ半分、面白さ半分で、私はギルガメッシュの言葉に聞き入っていた。


「やります、やらせてください。私は、実の父と先生を天秤にかけることを私に強いた漱石とやらを決して許せはしない。初版の私はもう後がありませんが、今後この本が増版されることがあれば、暴れまくってやりますよ。先生は、どうされますか」


「私は……たといそれが嘘でも、私が悩んだこと、苦しんだこと、そして見つけ出したことは本当だと思います。だから私は、甘んじてこの結末を受け入れます」


 遠くで、荘厳な鐘の音がした。



 どうやら、これまで眠ってしまっていたらしい。私は、列車のなかで目を覚ました。袂に右手を突っ込んでまさぐると、時間つぶしに丁度良い書物が見つかった。


 その本は題を、『こころ』といった。

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