第9話 ミミズのミズノさん


「ねぇ、トア。クーって、アリ?」

『ううん。違うよ』

「それじゃあ、なんなの?」

 するとその時、地面が揺れた。ぐわんぐわん揺れた。まだ諦めていなかったのか? そう不安になったけれど、今度の揺れはサルのせいじゃなかった。

 ネコだ。ネコは何かを夢中で追いかけている。

 トアはネコに気づかれないように、そーっとそーっと忍び足で進んでいく。ぼくはトアから落っこちないようにギュッとしがみつきながら、ネコの様子を観察した。

 まるで、怪獣みたいだ。

 普段見るネコはかわいいと思えるけれど、この大きさになるとすごく怖い。大きくなっても、かわいいと思える要素は残っている。でも、目が怖い。ギョロギョロしていて、とても鋭い。見つめられただけで、見えないビームでやられてしまいそう。

 とはいえ、少なからず今のところは、相手に攻撃の意思はないらしい。ひたすらに大きな草と戯れている。先端にはもふもふとした何かの集合体。それが〝ねこじゃらし〟だと気づくのに、ぼくには数秒必要だった。何もかもが大きいと、何もかもが知識と結びつくのに時間がかかる。

 ネコが跳ねる。そのたび、地面がぐわんと揺れる。気を抜くとトアから振り落とされてしまいそうだ。ぼくは何度もトアにしっかりとしがみつきなおす。

『ごめん、カブト。ちょっと痛い』

「え、ごめん」

『それで、ええっと……。さっき、なんの話をしていたっけ? ネコが気になって、忘れちゃった』

 トアが照れ混じりに言った。

「ああ、ええっと。クーはなんなの? って訊いた」

 トアが、ふふふ、と笑った。

『それは、会ってからのお楽しみ』

「いじわるぅ」

『だって、知らないで会ったほうが楽しそうじゃない?』

 ドーン! ぐわん!

 大地震が起こった。ネコが大ジャンプをしたみたいだ。ネコのほうを見てみる。ギョロギョロビームがぼくに刺さる。目が合った、気がした。トアも目が合った気がしたみたい。体がビクンと震えて、固まった。

 ネコが動き出す。こっちへ来る!

「ねぇ、ネコってアリを食べる?」

『食べられたことないから分からない。仲間が食べられてるところを見たことはないから、たぶん、食べないかなぁ。っていうか、食べないで欲しいかも……』

 そろそろと後退する。ネコのほうが体が大きいから、一歩も大きい。トアがトコトコとたくさん足を動かして移動した距離の何倍もの距離を、ほんの一歩で進んでくる。

 鼓動の音がした。

 ぼくは自分の鼓動が強くなっていることを、胸に手を当てて確認した。

 トアに痛い思いをさせないようにちょっとだけ加減をしながら、ぼくはまたギュッてしがみつく。ぼくの鼓動じゃない何かが、ドッドッドッと鳴っている。ぼくとは違うリズムが、ぼくのリズムと混じりあいながら鳴っている。

 ふたつのリズムが体に響く。

 きっと、トアも焦っているんだ。トアはぼくを下ろしたらもっと早く走れるかな。それとも、ぼくを下ろしたところで、この体格差では追いつかれない未来なんて存在しないのかな。

 グルグルグルグル考える。

『トアじゃん。どうしたの?』

『ああ、ミズノ!』

 トアが走りながら誰かと話し始めた。アリ仲間だろうと思い込みながら、ぼくは話し相手の姿を目に映す。

「ええっ!」

 思わず叫んだ。ミズノと呼ばれた生き物とトアが、ぼくの声に驚いてか、動きを止めた。

『とりあえず走ろう。それで……トア。背中のヤツはなんだ?』

『ああ、さっき知り合って、レイさんに会ってみたいって言うから、ひとまずクーの所に連れて行こうと思ってる、ええっと……』

「人間! 人間の、カブトです!」

 ぼくは人生で初めて、ミミズに自己紹介をした。

『なるほど、それで? 何がどうした?』

『えっと……』

 ミズノさんは、トアが一度説明しただけで状況を理解してくれた。

『それで今はあのネコから逃げていると』

『そう。でも、うわぁ! もうダメだ! 追いつかれる!』

『だが、そもそも追いかけられているのか? ネコはただこちらへ向かって歩いているだけではないのか? 別に食べようとしているわけじゃないだろう?』

『それはそうかもしれないけれど、同じ方向へ進むっていうことは、踏まれるかもしれないっていうことでもあるってことくらい、分かるでしょ?』

『確かに。それなら、地中を進めばいい。ついて来て』

 ミズノさんは地面に頭を突っ込んだ。それからもぞもぞと体を動かして、地中へともぐり始めた!

『待って、ミズノさん!』

『どうした? トア』

『カブトはそんなに深く潜れないんだ』

『そうなのか……。それじゃあ、浅いところを進もう。地中のことは任せて。必ずネコがいない地上へ連れ出してあげるから』

 ミズノさんが、たぶん笑った。いいや、人間がするところのグッドサインを出した、という感じだろうか。逞しい背中、と表現したくなるにょろにょろの体が、ぐんぐんと地を掘っていく。


 ミズノさんが突き進んだところにできるトンネルは、トアとトアにしがみついたぼくがギリギリ通れるくらいの窮屈なものだった。

 そのせいかどうか分からないけれど、ぼくはすぐに息苦しくなる。

 だけど、ミズノさんが波打つように地中を進んで、何度も何度も地上に顔を出してくれる。そのおかげで、ぼくは平泳ぎでもするかのように、ときどき大きく息を吸うことができた。

 そのまましばらく進むと、地面の揺れがどんどんと小さくなっていった。

 ネコから距離を取れたサインだ、と、ぼくは察した。

『とりあえず、難は逃れただろう。ここらで休憩にしよう。急いで移動をしたから、少し疲れてしまった』

『そうだね。そうしよう。ミズノさん、トンネルを掘ってくれて、ありがとう。本当に助かったよ』

『どういたしまして』

 トアとミズノさんが話をしている間、ぼくはやっと吸い続けられるようになった空気を、何度も何度も大きく吸っては吐いていた。

 幸せだ。苦しさを感じずに呼吸ができるって、なんて幸せなことなんだろう!

 いつも、周りには当たり前に空気があった。だからだろう。空気を吸えることがとても素晴らしいことなのだと、ぼくは気づけていなかった。

「ふぁ~」

 ふと見上げてみると、葉が雲に見えるくらい背が高い木の根元に居ることに気づいた。

 目を閉じて、空気の流れを感じる。

 木陰を通り過ぎる空気は、ちょっと冷たくて、柔らかくて優しい。だけど、ときどき痛い。まるで、空気にほっぺたをつねられているみたい。

「ん~?」



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