第10話 クモのモッさんとクー


 空気を味わっていると、上からツー、と何かが降りてくるのに気づいた。

「ギャーッ!」

 体がビクッと震えた。視線を動かすことができない。まさに、釘付けだ。

 大きい。何もかもが大きいこの世界で、それだけが小さいことなんて、たぶんあり得ない。だから、それがその大きさであることは、なんらおかしくない。

 でも、ぼくの知識からすれば、それは異常だ。ありえない。こんなに大きなクモが、存在するだなんて!

『やぁ、モッさん』

 驚くぼくとは対照的に穏やかな声で、ミズノさんが言った。

『やぁ、ミズノ。どうしたんだい? アリンコとヘンテコを連れて、探検かい?』

『こんにちは。トアといいます』

『こんにちは。モスだよ。みんなには〝モッさん〟って呼んでもらっているから、キミたちもそう呼んでおくれ。それで、そっちのヘンテコは?』

「え、ええっと、人間の、カブトです」

 モッさんが難しい顔をした。

『お前、カブトじゃないだろう。ちゃんと自己紹介しろ、ヘンテコ』

「あ、いや、だから、人間の、カブトです」

 モッさんは納得がいかないようだった。

 だけど、ミズノさんとトアが説明をしてくれたおかげで、ぼくが〝人間という生物でカブトという名前のヘンテコ〟であると理解してくれた。

『それで、なんで探検をしているんだい?』

『それは、カブトがクーに会いたいって言うから』

『違う、違う。カブトがレイさんに会いたくて、レイさんに会うためにクーに会いたいんだよ』

 ぼくがきちんと説明できたら、こんな伝言ゲームみたいなことにはならないんだろうな。ぼくがぐいっと前に出て、口も出せたらいいんだけれど、上手くできない。虫の世界にひとり放り入れられたぼくは、いつもより何倍も不器用だ。

『へぇ、そう。クーならさっき見たよ』

『違う、違う。……って、えっ? 見たの?』

 トアがモッさんに詰め寄った。

『え? ああ、うん。見た見た。ええっと、どこでだったっけ?』

 クモも悩む時は手――いや、あれは足だろうか――を頭にやるんだな、と思いながらぼくは、その様を見ていた。

 その時だ。

 頭上から、ガサガサと音がした。それから、ビュン、と飛ぶように、何かが落ちてきた!

「うわぁ!」

 それは、大きなクモだった。モッさんを見た後でも驚かずにはいられないほど、大きな大きなクモだった。

 ぼくは、自分の頭の上を星がクルクル回っているような気がした。漫画とかアニメで時々見るやつ。アレは、あくまで表現の一種だと思っていたけれど、経験できるものだったみたいだ。

『だ、大丈夫? なんか、驚かせちゃった?』

『クー!』

『やぁ、トア。ひさしぶり』

『なんだ、近くにいたのか』

『エヘヘ』

『モッさん、しらばっくれてたなぁ?』

『ごめん、ごめん。その方が面白いかな、なんてね』

 ぼくが頭の上に星をクルクルさせ続けている間、みんなはクーに、ぼくがここに居る理由と、これからしたいことを話して、共有してくれた。

 いたずら好きらしいモッさんは、ヘンテコってことも忘れずにクーに伝えていた。

 クーはその話を、うんうんと頷きながら聞いていた。


 話を聞き終えると、クーはぼくの周りをくるくると歩いて、ぼくのことをじーっと観察し始めた。

『うーん。そうだなぁ。途中まで連れて行けるかもしれないけど……』

「かもしれないけど?」

『トアに乗るのは平気だったとして、わたしに乗って移動するのは、可能かな? って、思って』

『じゃあ、こうすればいいんだよ』

 嫌な予感がする。

 そしてそれは、的中した。

 モッさんは、ぼくをツンツンとクーの近くまで押しやると、ぴゅーっと糸を出して、ぼくをクーの体にくっつけはじめた!

『こうすれば、クーと移動できるだろう』

 そりゃあ、できるだろうけれど、こんな状態で大丈夫なんだろうか。不安だらけだけれど、代替案があるわけでもないから、文句を言えない。

 もう少しで手の自由を失うという時、ぼくはふと閃いて、叫んだ。

「モッさん、待って! みんなのことを、一枚撮らせて!」

 きっとこのまま、クー以外のみんなとはお別れだ。それなら、思い出が欲しいと思った。せっかくカメラを持っているんだから!

『ん、とらせて? とるって、なにを?』

 言いながら、ミズノさんは頭を傾けた。

「写真! ああ、このままじゃ、クーが写らないな。でも、いっか。クーはまた後でってことで。じゃあ、トア、ミズノさん、モッさん。みんな、笑って!」

『笑う?』

『笑うって、どうするんだ?』

『こんな感じ?』

 みんなは困惑していた。ぼくも困惑した。

 みんな、笑っている気がするけれど……笑ってる?

 よく分からなかった。でも、ぼくは気にせず、シャッターを切った。これでいい。だって、今この瞬間が、とってもみんならしいと思えたから。

『それじゃあ、クー。カブトのことを任せたよ!』

 トアが言った。

『会いたいと願い続けるんだよ。そうしたらきっと、会いに行けるさ』

 ミズノさんが、頭をゆらゆら揺らしながら、あたたかい声で言った。

『ヘンテコ! 旅ってもんはな、楽しんでなんぼだ! 楽しんで来い!』

 モッさんが旅立ちを祝すように糸を吐いた。

「ありがとう! い、いってきます!」

 写真を撮った後、ぼくの体はモッさんの糸でぐるぐる巻きにされた。モッさんは容赦なかったから、体に自由はない。手を振ったりできない。だからぼくは、精いっぱいの声を出して、トア、ミズノさん、モッさんに別れを告げた。



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