どっちでもいい -Doesn't matter-

猫小路葵

どっちでもいい -Doesn't matter-

 小さな物音に、シーツの上でまどろんでいた藍が寝返りを打った。

 高層階の部屋の窓には昼の陽光があふれている。

 輝く日差しにまぶたをくすぐられ、藍は少しだるそうに呻いた。

 その声は鼻にかかって甘い。

 音の原因は、男が手にしたライターの着火音だった。

 窓際の椅子に腰かけていた男は、藍に詫びた。


「悪い。起こしたか」

「んー……」


 藍は閉じていたまぶたを物憂げにひらき、明るい窓ガラスと、その手前にいる男の手元を見た。

 男の指のあいだに新しいタバコが挟まれている。

 今しがたまで自分を思うさま可愛がっていた、その指に。


「……俺にもくださいよ」


 ベッドに寝たまま腕だけを伸ばし、藍が言った。

 薄い毛布は腰から下だけを覆っている。

 光に晒されるがままの上半身は、先ほどまでの余韻を含んで艶を帯びていた。


「寝タバコ禁止。欲しかったらこっちまで来い」


 相手からの素っ気ない返事に、シーツにうつ伏せの格好で藍が唇を尖らせた。

 それでも仕方なく起き上がると、毛布を体に巻きつけたまま、ズルズルと引きずってベッドから降りた。


「毛布、汚れるだろ」

「だって俺だけ素っ裸って、恥ずかしいじゃないですか」


 それに、もう汚れてるし――

 藍はそう、いたずらっぽく言った。

 端正な容姿に薄い布を纏った様子は、どことなく絵画のようでもある。

 男は、図らずも見蕩れそうになった。

 そんな微細な動揺を知っているのかいないのか、藍は椅子の袂にぺたんと腰を下ろすと、鼻を小さくすすった。


「いい天気ですね」


 ガラスの向こうに広がる都会の青空に目を遣り、藍が言う。


「こんな明るいとこでやったのなんて久しぶりですよ」

「藍の全部、よーく見えた」

「意地悪ですね……」


 そう言って物欲しげに差し出した藍の唇に、タバコが咥えさせられた。

 男がライターを操作して、その先端に火を点けてやった。

 藍が吸うと、タバコの先はジジッと燃えた。

 口内に含んだ紫煙を一気に胸まで吸い込むと、藍の両肺はかっと熱くなった。

 ふーっと長い息を吐きながら、煙の行方を藍が目で追う。

 血中に取り込まれたニコチンが全身を巡る感覚に、藍は恍惚の表情を浮かべた。


「沁みますね」

「藍はタバコ吸わないと思ってたよ」

「普段は吸わないですよ。でも」

 と言って藍はまたタバコを咥え、紫煙を再びその胸深く吸い込んで、またゆっくりと吐き、微笑んだ。

「した後って吸いたくなるじゃないですか」

 男からの返事は特になかったが、藍は、宙にのぼる青い煙を満足そうに眺め、言葉を続けた。

「けど、あいつとした後は我慢するんです。あいつがタバコ嫌がるから」


 ふーん……

 特に何も気に留めていなさそうな声で、男はそう相槌を打った。

 タバコをくゆらせていた男は、灰皿に灰を落としながら藍にたずねた。


「同級生だっけ?」

「そうです。高校のサッカー部で一緒でした」


 男がまたタバコを口に持っていく。

 タバコひと吐き分の間をおいて、男は藍にたずねた。


「藍はさ」

「はい?」

「なんで俺と寝るの?」


 藍は、質問の意味がわからないという顔をした。


「なんでって、なにがですか?」

「そんなに大事にしてるやつがいながら、なんでなのかなあと思ってさ」


 男はそれだけ言うと、黙って窓の外を眺めた。

 藍は澄んだ目で男を見上げ、音もなく体を寄り添わせると、薄く笑った。


「知りたいんですか?」

「……いや、べつに」

「ほんとのことを言ったほうがいいですか? それとも嘘を?」


 思わず向けられた男の視線を、藍が捉えた。

 そして、答えた。


「あなたが好きだからです」


 藍は男から視線をそらさなかった。

 男は自分のタバコを消し、藍の手からも取り上げた。

 今の答えは本当のことなのか、それとも嘘か――


「どっちか聞かないんですか?」

「どっちでもいい」


 男はそのまま、藍を組み敷いた。

 藍の声が、光あふれる高層階の一室に再び響いた。

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