終話

 アトレイは、思いのほか愛の重い夫だった。その重さをヒルデガルドは、全力で受け止めた。時に体力勝負な夜もあったけれど、そこは気合いで頑張った。


 アトレイとは沢山の時間を共に過ごしたし、多くのものを与えてもらった。


 ウズラの卵より大きな指輪は、今ではヒルデガルドのトレードマークになっているし、なによりアトレイは、ヒルデガルドを母にしてくれた。


 オースティンが前の生のオースティンかは、もうどちらでも良かった。

 前も今も、ヒルデガルドはオースティンを、唯一の我が子として大切に大切に育てたから。


 クリスフォードの腕にも、この甘やかな温もりを抱かせてあげたかった。


 柔らかくて温かくて、なのにしっかり重い。身体のどこにもすき間がないほどピタリとフィットする確かな抱き心地。それが赤児の愛しさだった。



「母上、そんなに泣いては目が潰れてしまいます」


 泣きすぎるヒルデガルドに、オースティンが心配のあまり声を掛けた。


「泣かせて頂戴、オースティン。前は思いっきり泣けなかったの」

「前?」

「ああ、良いのよ、気にしないで」


 それに、隣ではヘレンだって大泣きしている。あんまりおいおいと泣くものだから、見かねたオースティンが、


「叔母上も、泣きすぎですよ」と囁いた。


 アトレイの棺に土がかけられて、ヒルデガルドはもう堪らなくなってしまって「アトレイ~」と咽び泣いた。

 それに釣られてヘレンまで「お義兄様~」と負けず劣らず泣き出したから、辺りは一気に騒々しくなった。


「おばあちゃま、おめめがとけちゃうよ?」


 小さなクリスティンがヒルデガルドのドレスを掴んだ。

 クリスティンはオースティンの末息子で、母親はアレンの娘である。二人の間には、クリスティンのほかにも、今は貴族学園と淑女学院に通う長男と長女がいる。


 オースティンもまた、前の生と同じく、クリスフォードの姪を妻に迎えた。違うとすれば、彼女は前は侯爵家へ嫁いだのが、今回は侯爵家から伯爵家へ嫁いできたということか。


 孫のクリスティンは、クリスフォードによく似ている。だが、あの侯爵家譲りの淡い白金の髪ではなく、ヒルデガルドやオースティンそっくりの焦げ茶の髪で生まれてきた。


 まるで悪戯いたずら好きのクリスフォードが、焦げ茶のかつらでも被って生まれ直したような姿である。


 ヒルデガルドは、ドレスを掴む小さな手に手を重ねた。


「心配してくれてありがとう。もうちょっとだけ泣かせてくれる?お祖父様の棺が見えなくなるまで」


 クリスティンはそこで頷いて、なにを思ったのか棺に向かって、


「おじいちゃまぁ~、さようなら~」

と叫んだ。


 途端にヘレンの泣き声が大きくなって、オースティンが「叔母上、静かにしてください」と注意した。



 やれやれ、騒々しい葬儀だった。


 弔いを終えて、弔問客への挨拶も済み、役所やら関係各所をオースティンと管財人の三人で回って歩き、伯爵邸に戻ってきた頃には西の空が薄っすら紅く染まりはじめていた。


 食事を摂る気力も湧かず、オースティンとブランデーを酌み交わし、お互い話したいことはまだあるけれど、今日はもう寝ようとなった。


 自室には戻らず、ヒルデガルドは真っ直ぐ夫妻の寝室に入った。少し前までアトレイと一緒に眠った寝台は、こんなに広かっただろうか。


 身体が泥のように重く感じる。年甲斐もなくブランデーを飲み過ぎただろうか。

 疲れと酔いが一気に押し寄せ、ヒルデガルドは喪服のまま、寝台にぽすんと横になった。


「このまま死んでしまったなら、死装束に着替えさせる手間が省けるわね」


 悪い冗談を呟いて、暗い天井を見つめた。ヒルデガルドは、もう前の生を忘れかけていた。だから、クリスフォードの弔いの夜に、同じことを呟いたのを憶えていなかった。


 ただ、夫の葬儀の夜であるのに、懐かしいクリスフォードを思い出した。それは前の生のクリスフォードであった。


 胸を押さえて床に片膝をつき、ヒルデガルドを見上げたクリスフォードは、「ヒルデガルド」とそう名を呼んで、心配いらないというように苦しげな笑みを無理やり浮かべて、そのまま前のめりに昏倒した。


 どうして今になってそんなことを思い出すのか。アトレイが眠るように逝ってしまったからだろうか。


 二つの人生を、駆け抜けるように生きたと思う。二人の夫を、精一杯愛した人生だった。

 ローレンも両親も見送った。クリスフォードの弔いは随分前のことである。


 最愛の夫とは、少し前にゆっくり二人きりで言葉を交わした。

 直ぐに後を追うから待っていてね、そう言ったヒルデガルドに、アトレイは笑い泣きをしながら「待ってるよ」そう言ったのである。


 死に戻りをさせてくれた神様に、二つの人生の感想を聞かれたなら、なんと答えようか。


 特に意味はなかった。ただ、何となく気が抜けて、もう十分かと思ったのだ。


 それでヒルデガルドはふと話しかけた。


「神様、聞いてくださいます?私、私なりに頑張ってみましたの。その結果が今日ですわ。もうこの先に、思い残すことはないんです。オースティンには最愛の妻子がおりますし、努力の甲斐あって家はまあまあ安泰ですわ。だからもう、後悔はございませんの。前の夫も今世の夫も、どちらも素敵な夫たちでした。ですから、神様」


 薄暗がりの天井を見上げて、ヒルデガルドは呟いた。


「もう死に戻りは結構」


 瞼を閉じれば、直ぐに睡魔が訪れた。

 ヒルデガルドの記憶は、そこで途切れた。


 意識が遠のく瞬間に、次に目覚めた先はどちらなのだろうと考えて、もうどちらでなくても構わないと、そう思った。







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死に戻ってはみたけれど 雨之宵闇 @haruyoi6

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