最終話 欲望が息づく街で
夜の街を一人で歩く。
空気は澄み、夜空には薄い雲の切れ間から星がいくつか瞬いていた。
冷たい風が頬をかすめても、心は妙に静かだった。
繁和と別れてから、まだ数日。
心は落ち着こうとしているのに、身体のほうは正直だった。
夜、ひとりでベッドに潜っても、熱は簡単には引かない。
指先で慰めてみても、物足りなさだけが残る。
あの重み、熱、匂い──もう一度味わいたい衝動が、日に日に膨らんでいく。
「……私は罪な女だわ」
思わず、声に出して笑ってしまう。
あれほど深く関わった繁和と、その奥さんが今どうなっているのか──
知らないし、知ろうとも思わない。
むしろ、早く次のターゲットを見つけたい。
またあの高揚と、身体を満たす熱を手に入れたい。
そんな時、ふと、カウンター越しに笑うヒロシの顔が脳裏に浮かんだ。
還暦近いはずだが、年金があり、持ち家のマンションもある。
独身の一人暮らしで、財布の紐も緩い。
なにより、あの押しの強さと情報網──使いようによっては悪くない。
(もし一緒になれば、生活は楽になる……好きなことだって、もっとできる)
信号待ちで足を止めると、アスファルトに落ちた街灯の光が、靴先を金色に照らした。
通りの向こう、ネオンの隙間に、中折れハットのシルエットが一瞬揺れた気がする。
「……今度、誘ってみようか」
小さく呟き、口元に笑みを浮かべる。
澄んだ夜空の下、すすきのの街は相変わらず灯りを絶やさずに輝いていた。
その光の中で、また新しい罠が静かに仕掛けられようとしていた。
《あとがき》
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
舞台をすすきのに選んだのは、夜の街に漂う「欲望」と「孤独」の匂いが、この物語に必要不可欠だと思ったからです。
煌めくネオンの下には、誰にも言えない秘密や、決して口にできない関係がうごめいています。
そんな世界で、ひとりの女が「愛」と「欲望」のはざまで揺れ、背徳へと足を踏み入れていく──その過程を、なるべく生々しく描きたいと思いました。
貴代美という女は、決して特別な存在ではありません。
離婚、孤独、そして寂しさ。
彼女が選んだ行動は、極端で、危うく、決して褒められるものではないかもしれません。
けれど、欲望に溺れてしまう人間の弱さや、抗えない感情を抱く瞬間は、誰にでも訪れるのではないでしょうか。
この物語はフィクションですが、すすきのの街を歩くと、どこかで彼女の笑みや、中折れハットの影を見かけてしまうような──そんな気配を残せたなら幸いです。
最後に、ここまで共に旅をしてくださった読者の皆さまへ、心からの感謝を。
そして、この続きは……
あなた自身の夜に委ねたいと思います。
凪野ゆう
すすきのの罠──欲望に溺れた女の背徳物語── 凪野 ゆう @You_Nagino
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